フェイク・ヒストリー「あ」
穴だ。
水晶公と違って頬の横から伸びた大きくて長い耳に、関心がなかったわけじゃない。が、冒険者にとって装身具というのは武装の一部である。武装を一切身に付けずに顔を合わせることは、正直なところそうそうなかったので、皮膚と同じ色をした耳にぽっかりとピアスホールが空いていることに気がつくのは、たった今初めてのことだった。
水晶公の視線を受け、旅装を解いたままの英雄は訝しげに見つめ返した。
「ピアス、開けたのだなと思って」
「いつの話を……」
「いつの話なんだ?」
「どうでしたっけ。ええと、でも、結構前だったはず」
「ノアのころ、イヤリングだったろう」
「……よく覚えてますね」
指折り数えてどの時期か紐解こうとしていた英雄に横槍を入れれば、目を丸くされてしまった。そうだった気がします。では……と律儀にも時期の特定に戻っていく。なんで覚えてるかってそんなもの、じゃあプレゼントはピアスじゃダメだな、とか、そんなことを考えていたからに決まっている。あの頃の自分は彼女にプレゼントを寄越して受け取ってもらえるのだか不安になり、結局のところしまい込んだ記憶があるが、そもそも、調査のため雇った冒険者チームの一人から、戦闘用の装身具はこだわりがあるものだ、などと聞いていた以上、無用の長物にも程があったのだ。閑話休題。
「思い出しました。イシュガルドに滞在していた頃です。雲海にイヤリング落としたんですよね」
「……それで?」
「それでって?」
「あ、いや。それだけの理由なのか……」
「穴開けるのにたいそうな理由いらないでしょう。銃に慣れてきた頃で……弓を構えて狙うより、雑に動き回って照準合わせてたので、勢いでポロッと落としたんですよね。ピアスの方が落としづらいんじゃないかとオルシュファンくんが言ったので」
ではそうしますか、と。軽い口調に添えられた手の動きは、まるでその場で耳に針を刺したように見えたが、流石にそんなことは……。
「処分予定だった裁縫用の」
「嘘だろう!?」
「……もちろん正面で話を聞いていたオルシュファンくんに取り上げられましたので、わざわざ医者を呼ばれて穴を開ける処置を受けました」
アルフィノくんやタタルくんにまでお説教をいただきましたね。とこともなげに言う。己の身に頓着がなさすぎる、と戦慄する公の顔に気が付いたのだろう。バツの悪そうな表情。
「……ご期待に添えずすみませんね。べつに、ここに冒険譚はありませんよ」
「そんなつもりでねだったわけではないよ」
「そうなんですか。なにか、含みがあるようだったから」
「含み、」
そりゃあ、ある。光の加護を受けてやけに傷の治りが良い英雄が、選んで自分に残している「傷」だ。ノア時代の方が今より余程効率に拘泥していた様子だったが、その頃にはなかったものだ。なにか、彼女にとって大事な傷なんじゃないかと、勘ぐりもする。
たとえば、過去の自分みたいにアクセサリーを贈ろうとしたヤツがいて。そいつのために開けたとか。……なんて。青い若者のような感慨が、その穴を見た瞬間、溢れただけだ。
「……なにも」
「あるじゃないですか」
耳が揺れたのが自分でもわかった。重たいフードに甘えてきたツケが今、回ってきている。
「い、いや……本当に、すこし、気になっただけなんだ。あなたも時間の経過に伴って変化をしているのが、アクセサリーひとつとっても新鮮で。まさか、裁縫針でピアスホールを開けようとしたなんて話、当然歴史書に記録はないから……」
「そうでしょうね」
「まだ疑っている顔だな?」
「本当にそれだけならもっとサラッと流せる人でしょう」
図星である。
「……イヤリングは、もう、つけないのだなと!思っただけだ!」
ヤケクソになって告げた水晶公に、英雄は数秒ほど目を瞬いて──それから、意を得たり、と口を開く。
「思い上がりでなければなんですが、グ・ラハさんって結構、百年以上前から、わたしのことお好きでした?」
「……な、」
何を今更!
「女性物のイヤリングがあるのだと聞いたんです」
「……えっ?」
「ノアのテント。あなたのね。溜め込んでた調査資料とか、ラムブルースさんがその後本国に返送処理なさってたんですよ。私物の類はできるだけ触らずにバルデシオン委員会に送るはずだったそうなんですが、仕分けはいるでしょう」
その中に、女性物のイヤリング。小ぶりで華奢なデザインは、いかにも活発な容姿をした青年であるグ・ラハ・ティアが身につけるものとは思えない。何より装着用の金具がミコッテ向きのそれではない。ラッピングこそされていないものの、誰かへの贈り物なのでは?いやいや、そもそもこれは彼の荷物か?誰か別の人のものが紛れ込んでいるだけなんじゃないか?……等々。物議を醸した結果、グ・ラハ・ティアの荷物ですと言って共に送るわけにもいかなくなって、ラムブルースが預かる流れになっていたはずだった。
「わたし宛だったりして、と」
「……」
「えっ、本当に?」
「その通りだよ……」
「な、なんだってそんなもの。暴れてイヤリングを落とすような女に」
暴れてイヤリングを落とすような女が、自分の贈ったイヤリングを大事そうにするさまが見たかったに決まっている。冒険者としての彼女への憧れと、同世代の女性としての彼女への淡い気持ちが、両方ともそれなりにあったもので。渡す勇気のなかったプレゼントの話を洗いざらい吐いてみれば、英雄はきゃらきゃらと笑い、「無碍にすることはないですけど」と言った。「無碍にするかもしれないような女に、よく、プレゼントしようと思いましたね」とも。
「衝動的なものだったんだよ。特にあの頃の私は、後先をあまり考えられなかったから。似合うだろうなと思ったら手が伸びていたし、あなたが喜ぶかどうかまでは考えていなかったものだから、怖気付いたんだ。情けない男だよ」
「あら、可愛らしい」
丸い頬がうっすらと桃色を帯びて、笑い声混じりに告げるものだから、子どものように扱われた過去の自分が暴れ出したくなるような面映さがある。
「穴を惜しんでくれたってことは。今のわたしも、あなたのプレゼントで身を飾るに値するってことでいいです?」
「……何を。あなたに身に付けて欲しくて買ったものだぞ」
「それならよかった。この原初世界の分は、わたしがいただいてきますね」
今度タタルくんに報告に行くときにでも、ラムブルースさんにお願いしましょう。あ、金具は勝手に加工して大丈夫ですか。これでも一応それなりに名うての彫金師ですので、めちゃくちゃにしたりはしないはずですよ。
耳はすこぶるいいはずなのに、すべて通り過ぎていった。つまり、なんだ?受け取って身に付けてみせてくれると。そんな都合のいい話が?これだから、とうの昔に錆びついたはずの心臓の音が、この人といるといやにうるさい。
「原初世界で眠るきみが目覚めたとき、歴史は変わっているのでしょうね」
英雄はいつも決まった耳飾りを身につけていた、と。