残光の照らすものそこなわれていく。心臓を中心に広がる光は、もしかしたら、見方によっては美しい光景なのかもしれない。私は目を刺す眩さを嫌っているから、そう感ずることはできないけれど――だからといって目を閉じるわけにはいかない。私は今、彼から目を逸らしては、いけない。
――看取るのだ。誰より強くそこに立つ、“水晶公”という人を。
装身具さえ侵食して、穏やかな声音を紡ぐ唇が固まって、冷たくなって。薄暗いフードの下、輝く赤い目が失われていく。たしか昔、血の色だと彼が言うから、宝石のようだと言った気がする。クリスタルのことでは、なかった。――そう、よく、見えるのだ。彼の瞳は、白く色の抜けた毛先は。あなたよりずうっと低いここからならば。ついぞそんなお粗末なネタバラシだってすることはなかった。
「……おやすみなさい」
手中の魂はいたく重い。水晶公の生きた百余年、私たちと過ごした数年、願い、祈り、喜び、悲しみ全てが私の行動ひとつで左右されてしまうのだ。何度も、何度も、人の命というものと向き合ってきたのに、今更ひどく怯えていた。期待されている。原初世界の彼を起こすことを。望まれている。水晶公本人に、暁の人たちに、ことの顛末を知ったら、クリスタリウムの民たちだって、きっと。だって水晶公がそれを幸せだと言ったのだ。願われた。私はそれを、叶えて――いいのか。
グ・ラハ・ティアは己の使命を悟って眠りについた。私の運ぶこれは、彼の枷にはならないだろうか。私たちは、私は、第一世界で出会った水晶公という人恋しさに、彼の心を軽んじてはいないか。
ソウルサイフォンの中には彼の想いだけではなくて、あったかもしれない未来の叡智も、クリスタルタワーと眠らなくていい可能性をひらく鍵だって詰まっている。けれども、彼の自由意志を確認するすべすらない。だって私はいつだって、唐突に扉を開くだけの人間だ。異邦の旅人。
眼前にまざまざとある別れにも、この後に待つ選択にも足がすくむ。ぎゅうと目を瞑って、小さな魔具を握りしめる。心配するそぶりをしながら、別れを悲しむそぶりをしながら、涙の一つもこぼせないくせに。
足音が、聞こえる。――私には責務がある。彼の最期を、伝える責務が。
◇
煌めく塔の中を走る。あの日冒険者の人々と駆けた。あの日ノアの人々と歩いた。あの日、彼と、別れた。豪奢な城を踏み荒らすように走り抜けて、巨大な扉の前に立つ。握りしめたソウルサイフォンはあついような気がした。――とびらが、開く。瞬きひとつ、顧みる。そこに見送る人はいない。重厚な扉は自然と閉じた。静謐に満ちた空気を壊して歩く。殺せる足音を立てて、グリーヴの音を大きく鳴らして。狙い通り人の気配は寄ってきた。
「……グ・ラハさん」
驚嘆の声が遠くで響いた。さっきの私よりずっとやかましい音を立てて、階段を転げ落ちるように彼は姿を現す。目が合う。
「おはようございます」
「え、あ、……おはよう……」
なんであんたが、と近づいてくる彼に呼応するように、ソウルサイフォンは熱を増して、彼の元へといかんとする。それをぎゅうと胸元に抱きしめて、口を開く。
「“詳しい事情を説明している暇はない”のですが、あなたは、外に出て、わたしと旅に出てくれますか?」
「はっ、え!?」
「クリスタルタワーの制御方法を確立した未来のあなたの記憶が、ここにあります。あなたの知らない、あなたであってあなたではないかもしれない心がここに」
ああ、狡い。こんな言い方は、こんな伝え方はずるい。今にも飛び出していきそうな魔具を押さえ込む。こんなもの私のエゴだ。ここにきてしまった時点で彼に選択肢なんてないようなものだ。それでも安心したかった。これは少なからず彼が選んだことだと。
「グ・ラハさん。それがあなたの心を蝕んだとしても、あなたを役目から解き放ちたいと思うこと、……許して、くれますか」
かちあった視線は離れない。紅い瞳は私の言葉を一心に拾っていた。彼がこちらに手を伸ばした時、もはや抑えの効かないソウルサイフォンが私の腕から躍り出る。そのまま、あるべき場所へ戻るように、グ・ラハ・ティアのそばに佇む。
「……未来のオレってなんだよ、とか、あんたがそんなに必死になってるとこ初めて見た、とかさ――色々気になることはあんだけど」
ぱし、と乾いた音を立てて青年の手の中に魔具は収まる。
「あんたのこと、信用してる。それに、時間が経ってもオレはオレだろ。あんたの冒険に連れてってもらえるなら願ったりだ!」
に、と歯を見せて笑う。瞬間、それを呼び水にソウルサイフォンは輝きを増して、グ・ラハ・ティアに注ぎ込んでいく。魂を、心を、記憶を、すべてを。ぐらりと彼の体が揺らぐ。駆け寄って覗き込む。膝をついて、頭を押さえて、流れ込む情報の奔流に耐えているようだった。長い髪の毛に遮られて表情は窺えなかったけれど、――しばらくの後、ふと顔を上げて笑ったのだ。私はその顔を知っている。知っているからこそ、どんなふうに迎えるべきか、迷う。
「大丈夫、ですか」
「おや、私には目覚めの挨拶はしてくれないのか。残念だ」
「……」
「なんてな。あなたの、あんたの……心配してくれたことはわからないでもないが、思ったより違和感はないよ。眠りについてからここまで、矛盾のない一つの道で繋がっている感覚だ。オレはオレだよ」
安堵する権利なんてないのに、体は勝手に息をつく。勢いのまま立ち上がろうとしてふらつくのを支えると、気恥ずかしそうに頬を掻いた。
「約束、守ってくれてありがとう。何度も、何度も……」
「……まだ何にも叶えてませんよ。地面を踏みしめて、波に乗って、広い空で風を受けて。どこへだって連れ出します。約束です、……約束なのです」
「ああ……!」
「責任、とらせてくださいね」
今度こそ、と下手くそに微笑んだ自覚があった。何の、と聞かれたから、「わたしにかけさせたあなたの人生」と正直に答える。きょとんとした顔を黙殺した。わかっている。“彼”にも“あなた”にもそんな気がないことくらい。だから最初から最後まで私のエゴだというのだ。今ここにいる彼をなんて呼べばいいのかわからないことだって。
「行きましょう。今はとにかく休んでください」
さあ、石の家でみんながあなたを待っている。