マーキングの話2作目は駄作の法則というものがある。しかしローから言わせれば、家のソファで退屈半分に流し見していた映画の2作目を、わざわざ映画館に見に行こうという気がしれなかった。1作目が駄作なら2作目が良作でも意味がない。
しかし、どういう神経をしているか分からない同居人は、映画館でいたく感動して、エンドロールが終わるまで席を立とうとしなかった。ちなみに隣でロシナンテは最後まで溢し続けたポップコーンにまみれていた。
猫がパンフレットまで買うと言うので、売店を遠目にスタンドテーブルで残ったコーラを啜る。ロシナンテは喫煙所だ。
映画館のロゴが入った袋を提げた猫が嬉しそうに戻ってくる。しかしその後ろに、見知った顔を見つけてローは思い切り顔を顰めた。
「久しぶりだなトラファルガー」
低く、ざらついた声。一際目立つ赤髪と、目付きの悪い顔に引かれた赤い口紅。意外にも手入れが行き届いた黒いネイルの先へ、猫が持っているものと同じビニール袋をぶら下げた男は、大股でこちらへ歩み寄った。
知らぬ声に、びくりと猫が振り向く。
ユースタス・キッドは、ローと自分の間に立つ小さな生き物を面白そうに見つめたあと、ニィと悪い顔をした。
「お前の女の趣味がわかったぜ。悪くはねェんじゃねえの?ちょっとガキ臭いけどな」
「黙れ。コイツはただの同居人だ。飼い主なら他にいる」
ハァ、と溜め息を吐く姿に、嘘じゃねェなとキッドも鼻を鳴らした。さらには飼い主に心当たりがあるらしく、なるほどと顔を顰めてみせる。
ローよりも背丈の大きな男を見上げていた猫は、小首を傾げた。
「…ローくんのともだち?」
「「違ェ」」
見事に重なる声に一瞬キョトンとしたものの、すぐにクスクス笑い出した猫へ、ローは「笑うな」と釘を刺した。一方のキッドは、ヘェ?と目を細める。悪人面がいっそう極まったが、猫は動じない。なぜならこのひとはローの友達だからだ。
「映画、見たのか?」
「見た。たのしかった」
「だよなァ?」
どこがだ、と舌打ちするローを尻目に、パンフレット購入組はニヤリと笑う。鉄の巨人がガラクタを身に纏ってパワーアップして敵と戦うSFのどこが楽しいんだ、と外科医見習いは言う。
「ロボのデザインがちょっとエモくて古い金属感あってすごいよかった」
「あーわかる。拳がこう、重いんだよな。理不尽なストーリーもイイ」
キッドに感想を話す猫の瞳はキラキラきらめいている。おまえ、リビングではボケっとしてたくせに。
こんな顔をしてるなんざ、過保護なご主人サマには見せられない。あの男はなんでもないフリをしているが、恐らく世界で5本の指に入るほど嫉妬深いからだ。
しかしそんなことは猫には関係ない。ふすふすと興奮気味にロボットのよさを語る口はいつもより滑らかだ。キッドも面白いオモチャを見つけたような顔で、存外柔らかく受け応えしている。これはアレだ、普段ツッパってる不良が普通にしてるだけでいいヤツに見えてくるやつ。
きらきらと輝く瞳を見つめて、キッドの目が再び細められたのを見遣って、ローはだいぶ低い位置にある丸い頭を掴んだ。
「そろそろ行くぞ。コラさんが喫煙所で服を燃やす前にな」
存外、低い声が出た。ローは自分の声色に舌打ちすると、目の前で悪い顔をしている男を睨む。完全に八つ当たりだが、配慮してやる義理はない。
キッドはその様子に「へぇ?」と顎をさすりながら意味深な笑いを浮かべると、猫の細い左手を取った。手付きは意外にも柔らかい。
「ハ、今日の俺は機嫌がイイから見逃してやるよ、トラファルガー」
「それはこっちのセリフだユースタス屋」
「…イイモノも見つけたしな?」
細い手首を持ち上げたキッドが、猫が着ているビッグサイズのTシャツの袖をくいと捲って、しろい腕を晒した。そして手首の下、肘との中間くらいに顔を近づける。
猫はポカンとされるがままにされていたが、ローは後ろで額に青筋を立てる。テメェ、この後ドフラミンゴに五月蝿く言われるのは俺なんだぞ。
「…またな」
ちゅ、と秘めやかな音と共に、しろい腕から唇を離したキッドは、猫の小さな頭をぽすぽすと撫でて、ひらりと手を振り、大股でエスカレーターへと歩いて行った。
「…ンの野郎」
細い手首を、今度はローが取る。しっかり検分せずとも、柔らかい肌の上へべったり付いているボルドーのキスマークがはっきりわかる。Tシャツの袖でギリギリ隠れる位置なのがまた腹立しい。
「おまえ、トイレで洗ってこい」
「え、やだ。かっこいいからこのままがいい」
ホラ来た。こうなるから嫌なのだ。何も分かっちゃいないこのマヌケで呑気な生き物は、他人からのマーキングをそのままに、主人の元へ帰ろうとしている。
ローは溜め息を吐き、スマホを取り出した。ロシナンテからの連絡はない。服を焦がしてなきゃイイが。細い手首を掴んだまま、W/Cとタバコのマークの看板へと歩き出す。だからお守りは御免なんだ。
しかし、手を引かれて半ば引きずられているというのに、呑気な猫が「ローくん、アイスたべたい」とのたまうので、苦労人の兄貴分は再び溜め息を吐くのだった。