甘酒の話大男たちは嫌悪感を隠さずに「げ」と声に出した。それを見た片方の連れは「ああ」と新年から面倒事の気配を察し、もう片方の連れは「あ!」と新年から素敵なひとたちとの再会を喜んだ。
「鳥野郎、なんでてめェがここにいやがる」
よそいきの慇懃無礼な態度をすっかり忘れているクロコダイルの口からは、いつもの“ドフラミンゴ君”という嫌味な敬称は出てこない。
「大企業の社長が新年から商売繁盛祈願に来ちゃアいけねェのか?鰐野郎」
ドフラミンゴはそれに対峙しながら「これから御祈祷なのに運気が下がるじゃねェか」と真面目な顔で吐き捨てるのだから、ダズは笑いを堪えるのに多少苦労した。鉄仮面を貼りつけてこそいるが、この大人気ないふたりは稀にガキ顔負けの喧嘩をすることがある。
「まさか同じ回じゃねェだろうな?俺ァ御免だぜ、てめェんとこの真っ黒な会社と一緒に商売繁盛祈願なんざ」
「それはコッチの台詞だぜ。それに新年早々なにオトコ連れで歩いてやがる、辛気臭え」
大きな手がダウンジャケットの上から腰を引き寄せる。揃いのブランド物を見せびらかすように、ドフラミンゴは猫の頭を撫でてみせた。
強面の大男3人に挟まれても慣れた様子の猫は、赤くなった鼻先を上向けるとニコリと笑う。
「ワニさん、あけましておめでとうございます」
ぺこりと下げられた小さいあたま。邪気のない笑顔。寒さでピンクに染まった頬。悪くねェなとクロコダイルが思案するより先に、ドフラミンゴは猫を軽々と抱き上げた。
「フフフフッ、ウチのがドウモ」
以前はオセワになったな、とわざとらしく言ってみせるこめかみには僅かに青筋が浮いている。コイツ、めちゃくちゃ根に持つタイプだな、とクロコダイルとダズは同じところに落ち着いた。ここで誰かが「今年もよろしく」などと言えば、間違いなく面倒な罵り合いが始まるだろう。
煽られたクロコダイルは、まあ腹は立つが──この残虐非道な鳥頭の目の前で、奴がいたく可愛がっている愛猫へ手を出す気はない。抱きかかえられて目の位置が同じになったので、猫の瞳のいろがよくわかった。冬の晴れた空につやつやと輝く双眸は、やはり好い。
「ああ。おまえのほうがよっぽど礼儀ってモンを弁えてるな。風邪引くんじゃねェぞ」
「ウン」
目つきの悪さにかけては業界一と思われる社長の目元が緩んでいるのを見てとめたダズは、「まァ小動物とか好きだしな、この人」と納得した。クロコダイルのなかで、このいきものの立ち位置は、それらとおそらく同じだ。妙な呼称にも文句を言わないのもそのためだろう。
しかし、納得もできないし面白くもないのはドフラミンゴである。曰くめちゃくちゃ根に持つタイプのこの男。なぜか猫を気に入っているらしい鰐野郎は、羨ましそうな顔も悔しそうな顔もしないどころか、親しげに会話しているではないか。
無意識にむうと口がへの字になった。猫を抱く腕にも力が入る。
出先で珍しく主人が黙りこくったので、猫は首を反らしてサングラスの奥の瞳を覗き込んだ。チリリと焦げるキャラメルみたいな気配がする。ダウンジャケットとマフラーでもこもこしている首元へ擦り寄るのは難しいので、ダウンの上から腕をそっと撫でた。
「ドフィさん、おりる。御祈祷、」
「……そうだな。ひとりで待てるか?」
「ウン」
さっきとうって変わって穏やかな声色で猫に答える男からは、もうすっかり悪意が感じられない。好い人というよりは父娘のそれに近いやり取り。「コイツ、こんな顔もできるんだな」と、ダズは鉄仮面の下で目を丸めると、自分の上司に向かって言った。
「会場内はひとりしか入れねェ。俺は待ってるから、アンタが行ってきてください」
その言葉に、クロコダイルはあからさまにいやな顔をした。危惧していた通り、この鳥野郎と肩を並べて商売繁盛祈願をせねばならない。
「…ダズ、日程変更は」
「できません。仕事初めからスケジュールぎっしりですんで。俺が代理で出てもいいですけど、ライバル会社の社長が来てて、アンタ不在でウチの会社名呼び上げられるの、何か癪じゃないですか」
「………」
無言は肯定の意である。一気に機嫌が急降下した上司の血圧の心配をしながら、ダズは社務所の入り口で足を止めた。ドフラミンゴも猫を下ろして、あたまをぽすんと撫でる。
大男2人がまた男子高校生のようないがみ合いをしながら本殿へ上がっていくのを、大きなひとりと小さなひとりは静かに見送った。
さて、猫は「ひとりで待てる」と返事をしたが、実際は少し違う。隣に立つ男も、同じく御祈祷が終わるまでひとりなのだから、実質ふたりで待てるのだ。このひとは顔は怖いけど優しい。
見上げると、意外にも男はこちらを見下ろしていた。
「…甘酒でも飲むか」
ダズも暇を潰すにあたり、このふわふわしたいきものを放り出すつもりはない。主人の目が離れた隙にどこかへ行ってしまいでもしたら、間違いなく面倒なことになる。
「のむ」
…まあ、この猫に限ってそんなことはないだろうが。むしろ主人がいつまでたっても帰らなくても、雪が降ろうが雨が降ろうが外で待っていそうだ。そうなれば、いつか凍えて死ぬだろう。いとも簡単に。だからドフラミンゴは手放せないのだ。
境内に出ている出店から甘酒を買ってやり、石油ストーブ前のベンチへ腰掛ける。隣に座った猫が両手で紙コップにくちを付けるのを、黙って見つめた。ストーブの向こうの景色が、熱でゆらゆらと揺らいでいる。
「おまえ、ドフラミンゴの何なんだ」
口に出して、ダズはしまったと思った。しかし猫は甘酒の味に頬を緩ませながら、うん?とこちらを見上げる。
「ともだちだよ。みんな、友達」
…そんな甘い顔で何を言っていやがる。鉄仮面の下で眉を顰めた男は、それをおくびにも出さず「そうか」と答える。皆、友達であるはずがない。それを聞いたらあの男はさぞ不満そうな顔をするに違いないのだ。
「仲が良くていいことだ」
「ウン」
こんな甘い酒では酔いのせいにもできない。素面でも常に夢をみているように地に足がついていない、ふわふわしたいきもの。どこまで望み、どこまで手に入れているのか、自分では理解するつもりもないのだろう。
──商売繁盛よりももっと祈願すべきことがあるんじゃねェか。
ダズ・ボーネスはお節介を鉄仮面の下に隠し、代わりに白い息を吐き出すのだった。