宵闇におちる月(中休み) 彼が声を上げた時、霧崎もまた目を細めて笑うことができたのだ。
忘れもしない高校時代。霧崎の両親は心中した。本当は自分のことも連れていくつもりだったらしい、母親の涙に濡れた優しげで薄ら寒い笑みを忘れることはない。そんな死体二つを見限り自身の首を切った霧崎は絶望なんてしていなかった。抱いた感情は怒りだけ。巻き込んで、殺そうとするのが親の愛だとは思わなかった。思いたくもなかった。その刃で自らを傷付けたのは、ただ、ただ生き残りたかっただけ。才能が欲しかっただけ。自分を殺そうとした家族へ、どうにか裏切りを見せたかった。二度と合間みえることのない人間への当てつけに過ぎなかったのだ。
そうして才能を手にした霧崎は、偉人軍へと入る。グレーな人生経験、元々冷めた性格だったこともあって、笑わないしつまらない人間だった自覚はある。人助けとかアホらしい、何て小馬鹿にするように言える斜めな人間。そんな霧崎の転機となったのが、後の親友、翠の人こと、星舞呉(ほし まいご)だった。
一つに結った長い髪を揺らして、彼はシカトを決め込む霧崎が根を上げるまで話かけた。なんだよ、と返事を返した時の嬉しそうな笑顔に驚いたのは今でも覚えている。そんなことで、こんなに喜んでくれるならもっと早くに返事をしてやればよかったなんて考えたことも。
それから二人は一緒に行動することが増え、巷の男子高校生らしい遊びをすることも増えて。ポツポツとお互いのことを話す時間もできた。霧崎より学生らしかった翠の彼は、その実学校になど通ったことがなかったことを聞いた。舞呉の語る人生は、内容に反して悲壮感が無い。霧崎はそれが、彼が事実を悲劇だと受け止めていないからなのだろうなと感じたし、おそらく誰が彼と話してもそう思うことは明白だった。
彼の言葉にはいつでも未来への希望が乗っていた。爛々とした瞳は夢に向う決意に満ちていた。浮かべた笑顔はいつだって日々を生きる喜びに満ちていた。
「だった筈、なんだけどなぁ」
おじさん、びっくりだな。と色の濃いサングラスをかけ直しながら霧崎はひとりごちる。偉人軍を抜けた後もなんとなく、行方の知れなくなったらしい彼を探していた。それがこんな結末を見てしまうとは。まさかかつての正義漢が子供を殺すようになるなんて思わないだろう。ゆっくり、定位置と化した駄菓子屋の台から腰を上げる。かつて見捨てた少年が、こんな形で不幸を担うとは思わないじゃないか。でも自分は大人だから。悲しい子供を今度こそ助けることが出来るのかな、なんて息を吐くのだ。
星円煒は主婦である。盲目の彼女は専業主婦として家を守る生活を送っていた。旦那様が彼女を救い出してくれたから。
かつて円煒はとある集落に存在していた。古い思想の民族では先祖の血筋を重要視し、特別な力を持つ子どもが生まれることを信じてやまなかった。
彼女は特別な女の子だった。だから幽閉された。座敷牢にいつも一人。窓から差し込む日差しを浴びて過ごしていた。
もう一つ、光があったとすれば。それは兄の存在だった。特別ではない彼は円煒に近づくことを許されなかったがそれでも隙を見ては忍び込み、妹へたわいもない話や小花などを届けて笑った。
いつかかならずここから連れ出すから
それまで、もう少しだけ待っていて
兄の言葉は彼女に取って確かな光であった。優しい彼を信じることはあれども恨んだことなど一度もなかった。
それでも、それでも。気の遠くなるような月日を一人で過ごすのは忍耐強い彼女にも堪えたのだ。いつからか兄が来なくなった。村の人間は天罰だの裏切っただの好き勝手を円煒に吹き込んだ。頭がおかしくなるような時を座敷牢で過ごし、ついに彼女の耳は人の声を受け付けなくなった。風の音も鳥の囀りも心地よい。彼女の世界から人間の声は消えた。
そうして彼女を救い出してくれる人に出会えたのはまた後の話になるが。
円煒は今でも兄を待っている。
可愛らしいウサギのような少女が兄の思い出を教えてくれたから。だから今日も、円煒は静かに世界を見つめているのだ。