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    Raimin_0723

    @Raimin_0723

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    Raimin_0723

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    創作小説、パイロット版完成しました。
    悪魔の世界の平和を守る、のんびり屋の中堅悪魔と彼の部下たちの日常です。
    いつにも増して設定語り多め。
    改良して1話が出来たらどこかのサイトにアップすると思います。

    インペリアル・トワイライト (パイロットver.)薄暗い会議室で。
    中央に置かれた巨大な円卓を囲む、大勢の影があった。
    形は人のようでいて、頭部から生える角や背中を飾る翼は決して彼らが人ではないことを示している。
    彼らが発する声は部屋の隅々までを邪悪で満たし、彼らの視線は恐怖と残虐で彩られている。
    そんな暴虐の塊が二十数名ほど、この広く闇を宿した空間に礼儀正しく並んでいた。
    人間が見たら震え上がるだろう光景だ。
    その恐怖の象徴であり、今現在は部屋の中央で円卓を囲み長時間の議論に興じる彼らこそが、悪魔。
    人間たちの隣人として、遥か昔から地底の世界に君臨する、人のようでいて人とは全く異なる存在である。
    彼らは、人間たちより古くからこの星にて繁栄を築いてきた。今は訳あって地上で暮らすことは出来ていないものの、彼らの中に不満に類いする感情はない。
    人間より優れた肉体能力と、知性。そして、宇宙から賜りし魔法の力。これらを用いて、彼らは地底の世界でも十分豊かに暮らしてきたのである。
    悪魔の中には、そんな地底の世界”魔界”から人間界へと姿を現す者もいた。彼らを認知した人間たちは口を揃えてこう言った。『常識や理屈では理解出来ない存在。邪悪な魂と、強大な闇の力を持つ魔物』。それすなわち、『悪魔』だと。
    そうして、人間たちは”悪魔”も、彼らの住む世界”魔界”も恐れるようになった。今も残る書物や伝承に、彼らの蛮行が記されているのはそういう理由である。
    だが、実際は違った。
    人間より優れた頭脳を持つ悪魔は、人間を支配し痛めつけようとは思わなかった。
    むしろ彼らは、見守ることにしたのだ。己より短命で、弱く脆く儚い存在に、打ち勝ちたいなどと幼い欲望は抱かなかった。
    これこそが、理知的な思考から生み出される理性的かつ合理的な結論。
    冷酷で非道とも取れる彼らの精神は、自らの暮らす社会の統率を、ごく一部の優れた指導者に委ねることも拒みはしなかった。
    決して間違うことなく、圧倒的なカリスマで、いつも正しい方向に導いてくれる、独裁的な指導者に。
    彼らは魔界の統治を任せたのである。
    そんな悪魔たちの期待を一心に背負う、魔界の指導者たちが今この大会議室を占めている。
    正確無比な計算力と、常に冷徹な思考回路。一度決断すれば逡巡すらせず行動し、寸分の狂いもなく目標を達成させる。
    ここにいるのは、緻密な構造の機械すら容易く凌駕する、組織と社会の導き手にして、この世界の支配者だ。
    一般の悪魔には認知すら許されず、魔界の頂点に君臨し続ける彼らこそ、権力者(インペラトル)。
    この魔界を導き、運営している上位の悪魔である。

    「それで、どうなっているんだ?」

    円卓に並ぶ一人、恰幅のいい男の悪魔が口を開いた。
    来ているスーツは仕立ての良いもので、高級品だとすぐに分かる。
    悪魔としての器の大きさを示すと言われている角は、頭頂部から真上に向かって2本、螺旋を描きながら伸びていた。

    「はい。まだ途中ではありますが、ここまでの調査結果を報告させていただきます」

    貫禄を漂わせた男の質問に答え、反対側の青年が立ち上がる。
    健康を心配してしまうほどの痩せ型で、かけたメガネのレンズが分厚いせいで表情が読めない。
    角は見えず、また外見から分かる年齢も他の悪魔よりかなり若いようだ。

    「今現在、インペラトル候補の悪魔の数は著しく減少しており、これは、一昨年発表されました予想の程度を遥かに上回っております」

    いかにも官僚的な答弁で報告する青年悪魔。
    これが今、悪魔たち、ひいては彼らの社会を脅かしている問題だ。
    魔界という、世界そのものを導き悪魔たちの生活を守る権力者、将来その力を受け継ぐべき者が、圧倒的に足りない。
    以前はその素質を持つ悪魔が、一定数生まれていた。それをインペラトルたちは探し出し、幼少期から教育を施すことで、魔界を背負って立つ優れた悪魔を増やしていたのだ。
    だが、その、生まれつきの力を持つ悪魔が生まれない。
    才能を持つ者でなければ、世界は動かせない。
    インペラトルの候補の不足は、やがては魔界そのものを緩慢に殺していくほどの大問題なのだ。

    「このまま減少が続けば、三年後には様々な業務の遂行に支障が出るでしょう。産業も回らなくなり、魔界の経済は逼迫すると考えられます」

    深刻な問題を淡々と報告する青年の左腕、安物のスーツに包まれた細い上腕にぼこりと膨らみが現れる。
    それは激しくぼこぼこと蠢き、今にも青年の服を食い破らんと暴れているようだが、青年も含め誰一人として動揺している悪魔はいない。
    皆見慣れた光景に、違和感を抱くどころか気が付いていない者が大半だ。

    「だから、結局何が一番の問題になる。それが分からなきゃ解決策も捻り出しようがないだろう」

    先程の悪魔が堪えきれないといった様子で彼の言葉を遮る。
    コツコツと、長い爪が上等なオークの机を叩いていた。

    「はい。インペラトル候補の減少により誘発される問題は多々ありますが、やはり一番となると、人材不足が考えられます」

    「これはまた………随分と大雑把な回答じゃの」

    指を一本立てて一番を強調した青年に対し、しわがれた声が応答する。
    長い白髪を床まで垂らした、不気味な老人だ。
    性別の分からない外見に更にインパクトを与えるように、首に巻きついた蛇が先の割れた舌をチロチロと見せている。

    「申し訳ありません。しかし、何分もたらされる問題が多く、最も根源の問題と申しますと、このような曖昧な回答になってしまわざるを得なく………」

    「仕方がないわ。悪魔の数が足りないというだけで、引き起こされる問題は数えきれない………特に私たち、インペラトルはね」

    青年を庇うのは彼の三つ隣に座る女性悪魔だ。
    パーマをかけた髪をかき上げ、額に生えた角をハンカチで磨いている。
    紫色の毒々しい光を発する角が、きらりと輝いた。

    「私たちは普通の悪魔の数倍の速度で物事を処理出来る。一人欠けるだけでとんでもない損失だわ。これは別に誇りや自慢ではなく、事実ですもの」

    気取った調子で彼女は言うが、まさにその通り。
    インペラトルほどの優秀な悪魔となれば、数万の悪魔を片端から調査してようやく一人見つけられるか否かという程度なのだ。
    世界そのものを導いていけるほどの技量と器の持ち主など、中々いない。
    それが更に減少傾向を辿っているとなれば、魔界全体の存続に関わるほどの大問題である。

    「原因は何なのだ?」

    このままでは魔界の統治運営が回らなくなってしまう。
    今すぐにでも解決すべき喫緊の問題の原因を知るべく、また誰かが口を開く。
    黒髪を短く刈り上げた、スポーツマン風の悪魔だ。
    肩のあたりから立ち上る、無害な炎がゆらゆらと周囲に明かりだけを与えている。

    「はい………それが、現在調査中でして、詳しいことは………」

    低姿勢ではあるが、ハキハキと応対していた青年悪魔の声が、ここで聞こえにくくなった。
    大声で認められない現状を、老人の悪魔が指摘する。

    「まだ、分からないんじゃな?」

    「………ハイ………その通りです」

    揶揄いの含まれた声色。
    青年は肩を落として肯定する。
    しょぼくれた様子で椅子に腰を下ろす彼に、誰も責め立てる声をかけたりはしない。
    彼らはインペラトル。同僚が本気で仕事に励んでいるのは知っているし、結果が出ないことを批判するような無駄はしない。
    分からないなら分からないで、今出来る最善を見つけ出せば良いのだ。
    それが彼らの行動指針で、最も合理的な方法だから。

    「ふむ………となると、考えるまでもないな。原因は」

    恰幅のいい悪魔が唸り声を上げ、椅子の背もたれに体を預ける。
    炎の悪魔が手を組み、重々しく呟いた。

    「”星の異常”………」

    「困ったものね」

    女悪魔が軽快な口調で応える。
    空気を和ませるような明るく作った声色だったが、誰の顔も明るくならなかった。

    「こればかりは、我々の力では何とも出来んからな。人間界、魔界、天界。それぞれが行動を改めなければ」

    「ですが、そのためにはより多くのインペラトルが必要になります。そのインペラトルが年々不足していく現状では………」

    「堂々巡りじゃの」

    炎の悪魔の呟きを拾う、青年悪魔。
    救いようのない事態をどこか達観した調子で、老人悪魔が指摘した。
    出口の見えない議論に、誰もが口を閉ざし場の空気は停滞しかける。

    「ったく………お前ら、相変わらずバカだな」

    そこへ、容赦のないキツい言葉が飛び込んだ。

    「揃いも揃って、こんな簡単な答えにも辿り着けないのか?何のための頭脳だぁ?インペラトル辞めちまえよ」

    上等な革靴を履いた長い足を円卓にどんと載せ、背を反らして皮張りの椅子でくつろぐ悪魔。
    進まない議論に苛立ったかのように、棘のついた尻尾がバシンと床をはたいた。
    暗がりで顔は見えないが、相当力のある悪魔のようだ。
    頭脳だけでなく、悪魔としての力も桁外れなインペラトルたちが揃う会議室で、これほどまでに大胆かつ配慮のない態度を取っている。
    周囲の悪魔は彼を叱り諌めるどころか、恐れをなして距離を取っているように見えた。

    「アスタロト。皆真剣に議論しているの。余計な口は挟まないで頂戴」

    女性悪魔が、態度の悪い彼を諭すように口を開く。
    アスタロトと呼ばれた男の悪魔は、ハッと鼻で笑い飛ばした。

    「じゃあもっとまともな答えを出せよ。自称・優秀なおツム、なんだろ?」

    「アスタロト、今は会議中じゃ!私語は慎まんか!」

    「そうだぞ!!」

    老悪魔と炎の悪魔が厳しい口調で彼を諌める。
    だがアスタロトは怯むことなく、立ち上がると机にバンと音が鳴るほど勢いよく手をついた。各々に用意されたコップが衝撃を受けわずかに跳ね、中の水が数滴こぼれた。

    「じゃあ、何故、気付かない………?お前らが涎垂らすほどほしがってる、この無駄話の答えが目の前に転がってるんだぞ………!?」

    ギロリ、と殺意すら込められた凶悪な視線を部屋の隅まで走らせるアスタロト。
    射殺されると思った悪魔の何人かが、萎縮した。

    「アスタロト」

    動いた者は即座に命を奪われる。
    本気でそう信じ込ませるほどの迫力を放つ悪魔に、唯一臆さなかった老悪魔が厳かに呼びかける。

    「己の衝動を満たしたいがための発言は、皆を混乱に巻き込むぞ………」

    脅しのような、低さと恐ろしさを込めた言葉。
    老悪魔の、アスタロトにも引けを取らない気迫に誰もが固唾を飲んで事態の行く末を見守る。否、それしか出来なかった。
    挑発的な言葉だと受け取ったのか、アスタロトの殺気が老人悪魔一人に集中する。
    脱力した様子で机に貫通した爪を引き抜くと、体を起こし腕を垂らした無防備な姿勢で、彼を睨め付けた。
    赤く発光した瞳と、老悪魔の怜悧な黒目がぶつかる。

    「衝動だと?この、俺が、何千年と時をかけて辿り着いた答えが………?ただの、衝動?」

    壊れた調子でアスタロトが呻く。
    完全に体を起こし、背筋を伸ばした彼は驚くほどの長身だった。
    2メートルを超える大きな体躯に更に迫力を与えているのは、背中に生えた暴力の象徴のような翼に、長く伸び禍々しく曲がった鋭い爪と太い棘がいくつもついた凶悪な尻尾。頭には魔王を思わせる、巨大な角が鎮座していた。
    相変わらず顔は影になって見えないが、天井に吊るされたシャンデリアに、数本だけ灯された蝋燭がわずかな光を供給する。
    揺れる炎に照らされて、金色の結膜と緑の角膜が煌めく。
    獲物を狙う獣のように鋭く細められた瞳孔は、深い闇が揺らめいていた。
    まるで、ドラゴンが人の形をとったみたいだ。

    「はいっ、そこまでー」

    邪悪な獣と老悪魔の繰り出す一触即発の空気を、間抜けな声が打ち破った。
    どこかあどけなさを演出した、しかし確実に中年の男の声。
    ふざけた調子の彼の声が響くなり、会議室に集まる全ての悪魔が一斉に頭を下げ敬意を表した。
    アスタロトすら例外でなく、噛み付くこともなしにきちんと押し黙っている。
    たった一言で、凶悪な彼らをもれなく従えさせた男は円卓の最奥、もはや光も全く届かない位置で、総員の顔を見回した。

    「議論はいくらでもしてくれて結構だけれども、ここは闘技場じゃない。拳での語り合いは他の場所でやってもらわないとね」

    冗談めかした、強烈な皮肉。
    明るげな調子で言い放った彼は、沈黙するアスタロトを一瞥すると、満足そうに頷いた。

    「まぁだが、実りのない会話というのも、そろそろ飽きた頃だ。少し昔話をしよう」

    男は、一人で呟くと腕を組み、水を一口含む。

    「まずは人間たちが生まれる前、世界がまだ三つに分かれていなかった頃の話だ」

    喉を潤した男が顔の前で手を振ると、そこにはきらきらと輝く黒いモヤのようなものが出現する。モヤは次第に部屋全体を飲み込み、悪魔たちを歴史の世界に飛ばした。

    「善と悪、どちらの性質も持たない地上の世界を欲して、悪しき心の持ち主と正しき心の持ち主が争っていた」

    男の説明に合わせ、どこかの砂漠のような光景に、黒い人影と白い人影が現れる。
    彼らは手に持った剣や槍で突き合い、毎日争いを繰り返していた。

    「ところが、一向に決着がつかないまま血を流し続ける両者に、天罰が下った。運命とも呼ぶべき力が星を襲い、世界は三つに分かれた」

    男は指を一本伸ばし、モヤの中を三分割する。
    巨大な雷が砂漠を分割し、白い人影は上部に。黒い人影は下部に押しやられた。
    何もない砂漠には、やがて生物が生まれ人間たちも暮らし始める。

    「天界。人間界。魔界。三つに分かれた世界は互いに争うことも、干渉することも禁じられた。認知することさえも」

    3つに分かたれた世界はそれぞれ、独自の繁栄を遂げていく。
    正しい心を受け継いだ、善性の生命、天使が暮らす天界。
    善と悪、どちらにもなり得る可能性を秘めた人間と、彼らの暮らす人間界。
    悪しき心を宿した、悪性の生命、悪魔とその世界、魔界。
    どの世界にも次々と新たな建物が出来、仲間が増え、繁栄していく。争いから解放された三つの世界は、とても幸せそうだった。

    「だが、必ずどこかには異端者が存在する。禁じられた邂逅。人間界に興味を持つ悪魔が、こっそりと人間たちの世界に入り込んだ」

    男の爪の先端で突かれた悪魔が一人、いかにも悪魔らしい角とフォークのような槍を持ってほくそ笑みながら人間界に侵入する。
    そして人の皮を被り、人間として暮らし始めた。

    「悪魔は人間たちに災いをもたらした。そればかりでなく、わざわざ人間界に帰還し、知識を持ち帰る悪魔もいた。それが、今現在の私たちに受け継がれている」

    本を持って帰った小さな悪魔。人間界の知識ということだろう。
    彼の本は瞬く間に魔界に普及する。
    悪魔たちは皆人間界を知り、襲撃とまではいかないまでも隣人として意識するようになる。

    「我々は運命づけられた規則を破ったんだ。干渉も、認知もしてはいけなかったんだからね。だから………罰が下された」

    男の両手が三つの世界の更に上に現れる。指を動かすと、合わせて何かの粉が振り撒かれ、三つの世界の住民たちは目を回していく。
    世界全体も歪み、揺らぎが生じていく。

    「一番顕著に顕れたのは、人間界だ。影響を受けやすい彼らは、善悪の区別がつかなくなり互いに争いを始めた。戦争、疫病、環境破壊………あらゆる災厄が彼らの世界を満たした。彼らの行動はこの星そのものを傷付け、破壊しようとしている。これが、”星の異常”。今我々の世界にも影響を及ぼしている」

    悪魔の解説は話題を移す。
    インペラトルたちが話し合っていた、”星の異常”と呼ばれる奇妙な事態へと。

    「これは罰なんだよ。天界、人間界、魔界………我々は少し身勝手に生き過ぎた。互いの世界に干渉し、結果的に自分たちの寿命を縮めたんだからね。いい皮肉だ」

    悪魔はせせら笑う。
    その両手が上下からゆっくりと迫り、世界を押し潰した。

    「えっと………つまり、我々はこれから訪れる世界の終わりを、なす術なくただ待つしかないってことですか?」

    唐突に口を挟んだ青年の声で、悪魔が作り出していた幻影はパチンと弾ける。
    泡沫のように跡形もなく消失したそれを名残惜しく誰もが辿った。

    「さて、それはどうだろうね」

    ただ唯一、映像を見せていた悪魔だけが完全に意識を切り替え、青年悪魔に応じた。
    気怠げな動作で机に肘を突き、手に頬を載せて彼を見やる。
    どこまでも広がる闇のような瞳に、青年は深淵を見た気がして怯んだ。

    「ひょっとしたら、もう手遅れかも知れない。過去の干渉の代償を、今の我々が贖うことになるかも。命という、代償を持ってしてね………だが、まだ手はあるかも知れない。我々の先祖がもたらした、世界の歪みを、もしも取り除くことが出来るとしたら、あるいは………ね」

    椅子の上で縮こまり、萎縮する青年を安心させるように、男は親しげな身振り手振りで話し続ける。
    期待を持たせるような含みのある言い方に、青年の胸にはかすかな希望が灯る。
    他の悪魔も、同じような感情を抱いたのが雰囲気で分かった。
    何故全てのインペラトルに分からなかったことを彼が知っているのか、疑問に思う者はいない。
    彼が、運命という、合理的な悪魔にしてはあり得ない要素に干渉出来る力を持つからだ。
    そして、それを知らない悪魔はこの場にはいない。
    彼の言葉が全て真実であり、偽りはないと、明晰な頭脳はとっくに知っている。
    彼が何かを告げれば、それ前提として、思考した悪魔たちが視線を見交わす。やがて一人の悪魔が代表して質問した。肩に炎を宿す悪魔だ。

    「では、過去の悪魔の干渉が原因だと?」

    「その通り。まだ憶測の域を出ないけどね」

    断定を避ける悪魔だが、優雅に頷いて紅茶を飲む仕草からは微塵の揺らぎも感じない。
    ただの謙遜で付け加えられただけの言葉を、信じる悪魔はこの場にはいなかった。

    「だとしたら、今我々が人間界に干渉することも、その………世界の歪み?を促進させることになるのですよね?」

    「まぁ………そうだろうね」

    明らかにアスタロトに視線を送りながら投げかけられた問いに、特定の悪魔を非難したくない彼は苦笑まじりに肯定する。
    ほらみろ、と糾弾するような声のない声が集中するが、アスタロトはそっぽを向いて関わらない態度を貫くようだった。

    「ふむ。干渉が駄目なのだとしたら………脱界者の取り締まりも、強化すべきでしょうな」

    恰幅の良い悪魔がそう呟く。

    「すぐに、関係各所と打ち合わせます」

    応じた青年悪魔が、タブレット端末に何かを素早く入力する。
    他にも干渉を防ぐ手立てはないかと動き出す悪魔たちを見ながら、支配者は独り言ちた。

    「はは………面白くなってきたようだね」

    邪悪な呟きは、誰の耳にも入らない。
    揺らめいた蝋燭が、彼の額を覆う大きな角をわずかに照らした。

    *  *  * 

    ところ変わって、人間界のとある国。
    暗闇を駆ける一人の男がいた。
    背は170センチ前後。さらりとした黒髪を風に靡かせ、一目散に駆けていく。
    手は泳ぐように宙をかき、逸る気持ちについていけない足がもつれる。

    「ぅわっと!」

    足元に転がっていたゴミ箱に躓き、バランスを崩す男。中身の少ないプラスチックを蹴飛ばす音が鈍く響く。
    物音に驚いて、陰から猫が飛び出してきた。
    持ち前の身体能力で何とかそれを避けた男は、後ろも振り返らずただひたすらに真っ直ぐ駆け抜ける。
    息は激しく乱れ、心臓が速く踊っては肋骨を内側から叩く。
    胸も足も痛いのに、彼は止まらない。止まることなど考えていなかった。

    「はぁっ、はぁっ………!」

    (何なんだあいつら………!殺されるッ!!)

    何故なら男にとって、立ち止まることは死を意味するのだから。

    「おぉいッ、ちょっと………待てって!」

    背後から声が迫ってくる。
    男は一瞬にして、髭の生えた強面を恐怖に強張らせた。
    喉の奥から引き攣れた悲鳴が漏れる。情けないと思わないでもないが、今はただ、後ろから迫る悪魔から、逃げ延びることだけが重要だった。

    「やめろ………っ、来るな!来るなぁ!!」

    息の少ない中、叫び散らして視界が白くなる。
    それでも諦めず、ただ執着して、手当たり次第に周囲の物を後ろへと投げ飛ばした。

    「ぅわっ!」

    追手が戸惑う声を上げたのが耳に届いてくる。
    ざまぁみろ。いい気味だ。
    わずかな嘲笑を抱くままに、唇の端を吊り上げた。
    同時に、光を見つけた表情が希望に照らされて明るくなった。
    出口はもうすぐ。もうすぐで、この化け物たちから逃げられる。
    そうしてまた、元の生活に………!

    「!?ぐぁ!」

    狭い路地から大通りへと飛び出そうとした男だったが、突如何かに弾かれたように転倒し、尻餅をついた。

    「ってぇ………え………!?」

    ジンジンと沁みてくるような臀部の痛みに耐えつつ、顔を上げる。
    早く走り出さなくては。
    半ば本能のように逃走を試みる思考は、目の前に現れた影によってかき消された。

    「はぁ………素早いねぇ、君。逃げられるんじゃないかと焦ったよ」

    切れてもいない息を整える素振りをし、歯を見せて凶悪な笑顔を浮かべる影。
    声色も身体も、まるで普通の人間と変わりない。少し服装が、不思議なだけだ。
    男と大差ない体格を包むのは、軍服に似た黒いスーツ。
    ダブルボタンとカフスは金に光り、ネクタイと襟は血の赤。
    肩章はないが、モールと略綬がついているので、まるでどこかの国のエリート軍人のように思える。
    ただ一つ、決定的にこの男を人間と区別せしめているのが、両耳の上方から額にかけて、ぐるりと覆うように生えている角だ。
    黒く太いそれは禍々しく、艶々とした表面すらおぞましい。
    まさに悪魔の角。
    目の前にいるのは、地獄から来たりし悪魔だ。

    「あ………あ………!!」

    男の顔が恐慌に引き攣る。
    喉がひりつき、助けを求める声も出ない。
    全身が震え、冷や汗がどっと皮膚を伝った。
    ガチガチと歯を鳴らす男を見て、悪魔は小首を傾げる。

    「んん?君、どうし____っ!?」

    訝しむ声は、ブツリと途切れた。

    「うぁあああっ!!」

    懐からナイフを取り出した男が、悪魔に襲いかかったのだ。
    一瞬、動揺に顔を歪めた悪魔だったが、即座に冷静な思考を取り戻すと男の手首を蹴る。
    ただめったやたらに刃物を振り回すだけだった彼は、与えられた衝撃にあっさりと降伏しナイフを手放した。

    「くっ………!」

    最後の悪あがきすら数秒と稼げず、膝をつき、悔しそうに歯噛みする男。
    その後頭部がぶるりと震えたかと思うと、今まで必死に隠してきた悪魔の角が現れる。
    スーツの悪魔より短く細い、小さな角。だがしかし立派な悪魔の証だ。

    「さぁ、観念したかな?全く、最後の最後まで往生際が悪い奴だったな………」

    パンパンと汚れてもいない手を払う仕草を見せた悪魔は、がくりとくず折れる男を強引に引っ張り、路地を後にする。
    襟首を掴まれ引き摺られる男が、もがきながら呻いた。

    「くっそぉ、お前覚えてろよ!!」

    いかにもチンピラらしい台詞を、「はいはい」と聞き流す悪魔。
    その後ろ姿に、首だけで振り向いた男は叫んだ。

    「魔界府の犬め!!」

    悪魔でなければ意味の理解出来ない言葉。明らかな悪意を含んで吐き捨てられた罵倒に、しかし彼が反応することはない。
    無言で歩き続け、数ブロック先の目的地へと男を引き摺っていく。
    人間には決してない、体力と腕力のなせる技だ。
    騒ぐ男に構わず進み、人通りの少ない寂れた倉庫街の中にポツンとある、空き地へと辿り着く。
    男はこの近くの倉庫の一つに、仲間たちと共に潜伏していた。
    全員が悪魔の世界から逃げてきたならず者で、人間の世界にやってきてやりたい放題をしていたのだ。
    楽しい時間だった。
    生まれてからずっと、悪魔らしい生活の出来ていなかった男にとって、最高の場所だった。
    だが、やり過ぎたのだろう。
    ”脱界者”として目を付けられ、アジトごと暴かれることになってしまうとは、想像もしていなかった。
    この、額角の悪魔たちを憎く思う。
    魔界で上手くやっていけない悪魔どもを見下し、罪を犯したら狩るだけの、〈魔界府〉の悪魔たちを。

    「トワイライトさん!!」

    激しい憎悪に身を焦がしている男など気に留めず、サクサクと短く生えた雑草を踏み歩く悪魔に声がかかった。
    空き地のど真ん中、草の生えていない箇所を選び、魔法陣を作っていた人物が小走りに近寄ってくる。
    青いスーツにサイケデリックな柄のネクタイを締めた、男の悪魔だ。
    短く刈り上げた髪と対称的に、角は長く頭頂部近くから斜め後方へ伸びている。昏くオレンジがかったそれは、先端へいくほど細くなり、わずかに左右に開いている。表面には無数のクレーターのような凹みがあり、角輪も分かりやすい。
    まるでガゼルを思わせるような角を持つ彼は、額角の悪魔トワイライトの数少ない部下の一人だ。

    「お疲れ、エンヴィスくん。これで全部だよね?」

    やってきた部下、エンヴィスに男を引き渡しつつ、トワイライトは尋ねる。
    男を引っ掴んだエンヴィスは、えぇと頷いた。

    「全員捕獲しました。順次魔界に送り返してるとこです。こいつが終わったら、俺たちも帰りましょう」

    淡々と事務的に告げる口調に、どことなく疲れが滲んでいる。
    今日は朝早くから長丁場だったから、飽きているのだろう。

    「よろしく頼むよ」

    その一言で、男はエンヴィスの手に引き渡される。そして、魔法で作った黒鉄の手錠で両手を拘束された。
    ガチャン。
    あっけなく響く金属の歯の噛み合う音。
    悪魔二人にとってはただのそれだけだが、男にとっては違う。まるで人生の終わりを宣告されたような、無情にして理不尽な終幕のブザーが、こんなものだなんて。
    もう、終わりだ。
    理解してしまった途端、体の内側からふつふつと怒りが込み上げてくる。
    自分が、何をしたというのだろう。
    ただ普通に生まれて、酒を飲んでは暴れる父と毎日違う男を連れ込む母の間で、弟二人を育てながら大きくなっただけ。
    学校も卒業しない内に働き始め、そこで知り合った悪い仲間と毎晩飲んでは騒いだだけ。
    ある時、仲間の一人が「人生を変えられる」からと怪しげな団体の開いている怪しげな儀式に参加してみれば、そこは人間界での新たな生活をサポートしてくれるという、腐りきった時代の救世主のような組織で。
    気が付けば、”契約”していた。ただ、それだけで。

    「お、俺が何したって言うんだ!俺っ、俺何もしてねぇよぉ!!」

    「ちょっとお前、静かにしてろ」

    昂った感情のまま、思いの丈を叫び出せば。
    エンヴィスの冷徹な声が、男の言葉をにべもなく遮る。

    「な、何だと!?」

    自分の方を見もしないで言い放った悪魔の態度が気に食わず、つい男は剣呑な調子で言い返す。強く睨みつけて更なる罵倒の言葉を吐き出そうと意気込めば。

    「静かに。って、言わなかったか………?」

    地獄のような冷たい視線を容赦なく浴びせられ、本能的に背筋が引き攣る。
    息を吐くだけで、その鋭い眼光に射抜かれて命を奪われるような気がした。
    それなのに、エンヴィスの瞳の奥には何の感情も浮かんでいないようで、それが尚恐怖を煽る。
    彼にとっては、自分以外の悪魔を葬ることなど心を動かすに値しないとでもいうのか。

    「ひっ………」

    「エンヴィスくん、やめなさい。いくら”脱界者”とはいえ、暴力を振るうのは服務規定違反だ」

    簡単に気圧され、呼吸を詰める男を内心小馬鹿にしながら、トワイライトは先程より強い口調で止める。
    ここで心臓発作でも起こされて倒れられたら、こちらの失態になりかねない。
    上司に諌められて、ようやくエンヴィスも男から手を離した。

    「はっ………!」

    どすん、と重力に従い落下した男は、尻餅をついた無様な体勢のまま、一命を取り留めたことに安堵していた。
    今の一瞬で、死の瀬戸際を見た気分だ。
    冷や汗をかき、未だバクバクと破裂しそうなほど脈打つ心臓を宥めている男に、トワイライトは哀れむような視線を送る。

    「だけど………君も、脱界なんてするもんじゃないよ」

    詐欺に騙され、酷い被害に遭った者に向けるような、同情と悲しみの入り混じった顔で、彼は呟く。
    元々かなり垂れ気味の目が、眉尻を下げるせいで余計に強調された。

    「”脱界”。つまり、魔界府の許可を取らずに人間界へ行くことだけれどね、不法だっていうのは当然知っているだろう?」

    そのまま、トワイライトはしゃがみ込み、男と目線を合わせるような姿勢を取る。
    意識して作ったような猫撫で声が、彼の「フ」の字を描く口から発せられた。

    「確かに、脱界は重罪だ。場合によっては死罪に処せられることもある。だけれどね、君のような場合、十分な同情の余地があるだろう?こういう場合はね、情状酌量と言って、処罰が軽減されることが多いんだ。良かったじゃないか」

    「ほ、本当か………!?」

    悪魔という種族から放たれたとは信じ難い同情的な見解に、男は思わず口元を緩ませる。
    彼のような、冷血で残虐に思えた悪魔が自分の味方をしてくれる。
    今の今まで、上の命令に従うしか脳のないバカだとか心の中で蔑み続けていたことも忘れ、男は目を輝かせる。
    そんな彼を安心させるように、トワイライトはにこやかな笑顔のまま頷いた。

    「本当だとも!魔界府は君の味方だ………その件に関してはね」

    優しげに、細められたトワイライトの瞳が奥で光る。
    それは邪悪で、禍々しい気配を放っているように男には見えた。

    「は………?」

    膝をついて、相手に寄り添おうとしていた態度を一変させた悪魔に、男はかすかな疑問の声を上げる。
    そんな彼を見下ろすように、立ち上がったトワイライトは冷たい視線を寄越した。

    「君、借金をしているだろう。脱界の際に」

    「え?あ、あぁ………してるけど、それが?」

    突然の質問。トワイライトの空気が変わったのも併せて、その異常な展開は男の胸に再び不安を灯すのに十分だった。
    震える声で答え、何だというのだと困惑の視線を向ければ、トワイライトは何故か打って変わった明るい調子で答える。

    「いやぁ、ほんのちょっとした、親切だよ」

    「親切?」

    「あぁ。言っただろう?君の処罰は多少考慮されても、君の人生そのものが変わるわけじゃない。特に、後ろ暗いところから借りた金なら、貸し主がそう簡単に諦める奴じゃないってこと、分かるだろ?」

    それはそうだ。
    今まで半グレ同然の生活をしていた男にとって、闇金の怖さは身近なもので。
    どれほど困窮しても彼らには頼らないと決めていた。
    だが。
    その決まりを、破ったのは自分だ。
    人間界での新生活のサポート、つまり脱界を請け負ってくれる例の団体は、男が頼んだ時多額の依頼金を請求した。こんなに払えないと男が言えば、いくらか貸すことも出来るので、人間界で成功した時に返してくれればいいと奴らは言った。
    なんて優しい連中なんだとその時は感動したが、そうだ。
    あれは間違いなく、悪徳金融の類だった。
    この手の連中は、貸した金を利子含めてきっちり取り返すまで決して諦めない。例え男がここで逮捕され、服役したとしても、釈放の噂をどこからか聞きつけてきては付き纏うだろう。家族に危害を加えるかも知れない。

    「あ………ぁ、」

    己の置かれた状況をようやく理解した男の口から、喘ぎに似た呻きが上がる。
    顔色を失くし、瞳を濁らせて、絶望に埋没する男の様子を、トワイライトは片眉を上げて興味深そうに、エンヴィスは退屈そうに眺めていた。

    「あぁ、そうそう。君が使っていた、人間への擬態の魔法だけどね」

    思い出したように、トワイライトが口を開く。
    もはや現実を認めたくなくなってきた男は、ただ反射的に彼の声がする方に顔を向け、音を拾う。

    「そんな低級の魔法じゃ、君の身体への代償が計り知れないよ?まぁ、今すぐに死ぬことはないとしても………恐らく永遠に苦しみ続けることになるだろう。いずれ分かるさ。身体を構成する細胞の一つ一つが、ゆっくりと膨らみやがては破裂していく………じわじわとした痛みをもってね」

    強い衝撃が精神を揺らす。差し込まれた一筋の希望の光が、肺腑の髄まで満ちる闇にかき消された。
    男の、目の前が真っ暗になる。
    何も見えない。何も聞こえない。
    ただ感じるのは、自らの速い息遣いと、胸を内側から叩く激しい鼓動。
    冷や汗が流れ、体温が下がっていく。
    まるでさっきのような、否、それ以上の絶望が男を満たした。

    「あれ?どうしたの?顔色が悪いよ?もうどこか痛くなってきた?だが残念。それはプラシーボ効果によるものだ。君の身体はまだ健康そのもののはずだよ」

    ペラペラと喋るトワイライトの声だけが脳に届く。
    あいつは、始めからこうするつもりだったのだ。
    減刑の可能性を仄めかして、希望を抱きかけたところに、ガツン。
    本物の絶望を味わせて心を完全に砕く気だった。
    そして、馬鹿な男はまんまと騙され、彼の玩具になったというわけだ。

    「トワイライトさん、少しやり過ぎですよ」

    「え、そう?いい退屈しのぎになっただろう?ほら、そろそろカーリくんたちが来る時間じゃないか」

    呆れた表情で上司を嗜めるエンヴィスに、当の本人はさっぱり理解していなさそうな気の抜けた答えを返す。
    まるで良心どころか、悪意も持っていないような淡々とした振る舞いに、男は戦慄した。

    「ぁ………悪魔だ………!!」

    地べたにへたり込み、魂の抜けた表情で二人を指さす。
    カタカタと小刻みに震えるせいで、手首についた手錠がかちゃかちゃと鳴った。

    「悪魔?何を言ってるんだね君は………」

    逮捕した低級悪魔に指を差され、失礼に苛立ったのか、トワイライトが一歩踏み出す。
    ザッ、と土を靴の下でする音が響いた。
    迫り来る悪の圧力に耐えきれず逃げるように後退りし、尻餅をついた男に、身をかがめたトワイライトが顔を近付ける。
    漆黒の、よく磨かれた角が光を反射するのがよく見えた。
    男と、まるで息遣いすら分かってしまいそうなほど近付いたトワイライトの、無表情が崩れた。
    プッと耐えられなくなったかのように吹き出し、笑いを浮かべた顔で答える。

    「当然じゃないか。私たちは………悪魔なんだから」

    何でもないように、そう、言葉を紡いだトワイライトの温厚な顔が豹変する。
    瞳は鋭く、血の色に染まり、口は耳まで裂けそうに広がり。その向こうに覗くのは、まるで獣の如き凶悪な牙と、蛇のように蠢く先の割れた舌だった。

    「ひっ………!」

    怯えに引き攣った声を出し、目を瞬いた男がもう一度見るとその顔は、それまでと同じ人間じみた人当たりの良い顔に戻っていて。
    突然身を引いた男の様子を訝るように小首を傾げていた。
    慌てて隣に立つエンヴィスを見やるが、彼も先程の、何の感情も感じさせない冷酷な瞳を仕舞い、気の狂った者を見るような憐れみの視線を向けていた。
    自分がおかしくなったのかと男は驚愕するが、その後すぐに違うと気付く。
    おかしいのは、こいつらだ。
    他人を苦しめ、絶望に染まる表情を嘲りながら眺めているにも関わらず、その心には罪悪感どころか人の血や絶望の表情が見たいなんて加虐心すら抱かず、ただ暇を潰したいからと弄ぶ。
    正真正銘、本物の悪だ。”悪魔”だ。
    そんな悪魔に、自分なんかが敵うわけがなかったのだ。
    地獄での貧しい生活に飽き飽きし、変化を求めて冒険心を抱いた、ただの幼稚な低級悪魔なんかが。
    彼ら上位の存在に出会ったが最後、少しでもマシな扱いを受けるべく、努力すべきだったのだ。
    相手の実力にも気付かず、思い上がっていた自分が恥ずかしい。少し前の自分を殴りたかった。
    因果応報だ。さっきの絶望だって、闇の中での苦しい思いだって、自分が彼らを侮らなければ襲われなかった。
    馬鹿なことだ。
    反吐が出る。
    同時に、嘲笑も。
    覆せもしない圧倒的な上下関係への、感心と諦めが笑いとして込み上げてくる。
    男の精神は、二人の悪魔によって徹底的に壊され、砕かれてしまった。

    「あいつ………大丈夫ですかね?」

    薄ら笑いを浮かべたまま、地面に転がって蹲る男を、エンヴィスが親指で指す。
    うーんと呻いたトワイライトも、少々罰の悪そうな顔を浮かべ頭を掻いた。

    「ちょっと脅かし過ぎちゃったかな………まぁ、もし何かあれば魔法で戻せるだろう」

    「記憶操作は許可がいるのでは?」

    「ささっとやっちゃうから大丈夫さっ………多分」

    などと対して中身のない会話を繰り広げるトワイライトたちの下に、サクサクと軽い足音が近付く。

    「お待たせしました!」

    快活な女性の声が二人の耳を打った。
    振り向くとそこには、まだ若そうな一人の女が立っていた。

    「潜伏先の倉庫を調べるのにちょっと手間取っちゃいまして………」

    謝りながら頭を下げる、彼女。
    薄青いリボン付きブラウスに、淡い紫色のパンツ、紺のパンプスという中々に洒落た服装は、どこぞのオフィスに勤める敏腕マネージャーのようだ。

    「お疲れ、カーリくん」

    トワイライトが名を呼ぶと、カーリという彼女は少しはにかむような仕草を見せる。
    まるで少女のようなそれだが、彼女は既に立派な成人悪魔。
    長い黒髪と、大きな瞳を埋め尽くす黒は、それなりに魔力の高い証だが、残念ながら角はない。

    「トワイライトさんたちこそ、お疲れ様です」

    労われれば、きちんと律儀に言葉を返す彼女は、とても悪魔とは思えないほど良く出来た真面目な性格だ。
    もう一人に見せてやりたい。
    そうエンヴィスが考えたタイミングで、遅れてやってきた”もう一人”も合流した。

    「いやぁ〜、あっそこ汚いし狭いしクサイしで最悪だったよねー!」

    有り余る元気を見せつけるように、大きく跳躍してカーリの隣に着地する彼女。
    いかにも若い悪魔らしい流行の服を着て、ハーフツインテールに結い上げた金髪を揺らす彼女を見て、エンヴィスはあからさまに顔を顰めた。

    「ちょっとエンちゃん、それ何ー?まさか、アタシよりカーリの方が良く出来た部下だーとか思ってんじゃないのー?」

    「分かってんなら少しは態度改めろよ、レディ」

    レディと呼ばれた彼女は、エンヴィスの返答を聞くなり「んふふ」と笑ってパチンとウィンクを決める。

    「それは嫌ー♡」

    「おい」

    低い声を出すエンヴィスの額に、怒りのマークが浮かんだのをカーリはイメージする。
    彼が腕を組んでいる時は本当に機嫌が悪い時なのだけれど、レディは気にせず(というか気付かず?)両手と一緒に上体を左右に揺らして楽しそうな笑顔を貫いていた。
    少女、というよりもはや子供のような振る舞いに、歳が近いはずのカーリすら大人に見える、とトワイライトは何故か感慨深く思う。
    そんなやり取りを続ける彼らの間に、一陣の風が吹いた。

    「きゃっ!」

    「何!?」

    「お前ら動くなぁー!!!」

    悲鳴を上げるカーリとレディの耳元で、男が枯れた声で咆哮する。
    耳がキンとして、レディは片手で押さえるが、カーリはそんなこと出来なかった。
    自分たちの首に手を回して押さえつける、男の異常に気が付いたからだ。
    目は血走り、口からは荒い呼吸を漏らして、完全に悪魔の姿となって鋭い牙を剥き出している。
    恐らく、その牙で噛み付くとかそういう脅しなのだろう。
    とても効果があるとは思えないが、男の理性は感情の暴動によって薄れており、判断がつかない模様だ。
    その考えを、魔法の通信を通じてトワイライトに送る。
    少し離れたところで、男と距離を取って警戒している彼は、無事情報を受け取ったのか頷いた。
    男の第2声が響く。

    「お、俺がただ黙って言うこと聞くと思うなよ!?お前らなんてなぁ、どうせ雑魚を雑魚とみくびって、下に見ていじり倒しててめぇが偉くなった気でいんだろ!!そんな奴らに俺は負けね、ぶべっ!」

    「うるさい邪魔」

    男にとっては一世一代の大勝負。
    ただ、自分より上位の悪魔に捕らえられあまつさえ気紛れに心を転がされた身としては、少しぐらい反撃してやらないと気が収まらない。
    どれだけ強い敵だったとしても、たとえ敵わなかったとしても、戦うことに意味があるのだと子供の頃から愛読している漫画で学んだ。
    だが、男の精一杯の反抗は一人の女の容赦ない言葉で打ち切られた。
    彼女の振るった手の甲が男の右頬に激突する。
    常識はずれの怪力に、脳が揺れ思考が覚束なくなった。
    ふらりとよろめく男の足を、隙ありとカーリも強く踏みつける。

    「いってぇ〜!!」

    左足を抱え、ぴょんぴょんと間抜けなジャンプを繰り返す男の胸に、トワイライトとエンヴィスは蹴りを叩き込んだ。

    「「公務執行妨害だ」」

    二人に蹴っ飛ばされ、数メートル飛んで地面に落ちる男。
    完全に意識を失った彼の頬を叩いて、カーリは心配そうな声を上げた。

    「これって、死なないんですか?」

    「悪魔がそう簡単に死ぬかよ」

    対するエンヴィスが、あまり気にしていないような適当な調子で答える。
    まだよく理解出来ていなさそうな表情で、小さく首を傾げるカーリに、彼は向き直ると改めて説明してやった。

    「俺たち悪魔は、人間より身体能力も、耐久力も高い。人間じゃ死んでしまうようなダメージを受けても、悪魔なら生存出来る。それが俺たちの強みってことだな。だからこいつも、少ししたら目を覚ますさ」

    「なるほど………悪魔は強い、ってことですか」

    「人間に比べりゃあ、な。天使はもっと強いぞ」

    うんうんと頷きながら確認をするカーリに、エンヴィスは肯定しつつも補足を加える。
    聞き慣れない単語に、カーリの顔には更に訝しげな色が広がるが、彼は答えてくれず、トワイライトと話し始めてしまった。
    疑問を残しつつも、切り替えの早いカーリはまた別の機会に誰かに教えてもらおうと心のメモ帳に記しつつ、撤退の作業を手伝う。
    少し前に、倉庫で手に入れた重要資料と思しき紙の束を、先に魔界府に送っておいたので後は自分たちが帰るだけだ。
    作成途中の魔法陣を完成させるべくエンヴィスを手伝う。トワイライトはその間、昏倒した男をレディと二人がかりで引っ張り、魔法陣の近くに移動させた。

    「ねぇトワさん?」

    レディが、およそ上司に向けるべきではないふざけた口調で尋ねるから、耳にしたエンヴィスが顔を歪めている。
    だがトワイライトは気にすることもなく、彼女に視線をやって聞く素振りを見せた。

    「どうした?レディくん」

    「え〜?いや、ちょっと思ったんだけどね?」

    「うん」

    「この仕事って、何の意味があるの?」

    どこまでも呑気な、張りのない声。
    常に明るく天真爛漫なレディは、一方で善悪の価値観が大きく歪んでいる。これは彼女の発育環境が中々に特殊であったことに由来するのだが、そのせいで彼女は少々過激な思想や、悪魔ですらすぐには受け入れ難い危険かつ辛辣な意見を口にすることもあった。
    歯に絹を着せることもなく、頭に浮かんだ言葉をそのまま吐き出してしまうものだから、周囲の悪魔からは忌み嫌われ、空気の読めない言動を批判されることも多かったという。
    そうしていつしか、魔界府でもトップクラスの問題児とされていた彼女を拾ったのは、トワイライトだ。
    彼と彼の部下たちは皆個性的で、レディと同じように問題を抱える者ばかりだったため、大して問題にはならずやってこれたが、今のように急に発言されてしまうと、対応するのに少々時間がかかることもある。

    「あれ?皆、どうかしちゃったの?」

    「あ〜………いやぁ、何でもないよ………うん」

    突然自分たちの仕事の、意味などと核心的な部分に触れられ、戸惑うトワイライト。
    言葉を濁して目を泳がせる彼を庇うように、カーリがレディを宥めた。

    「レ、レディちゃん、そんなこと急に聞いちゃ………トワイライトさん困ってるでしょ?」

    空気を読んで、と小声で囁くが、レディはあっけらかんとして。

    「え、空気?吸ってるよ?美味しい!」

    満面の笑みでグッジョブサインを作ってきた。

    「そうじゃないー!」

    「ったく………」

    悲鳴に似た叫び声を小声で発する、という芸当をしてのけるカーリに、レディはケラケラと笑い返し、エンヴィスは呆れて溜め息をつく。

    「この仕事の意味かぁ〜」

    再びわやわやと騒ぎ始めた3人の中に、トワイライトの感慨深そうな声が響く。

    「トワイライトさん?」

    何を言いたいのかと不思議に思ったカーリが彼を見やると、トワイライトは振り向いてレディに挑むような目を向けた。

    「レディくん、脱界者を脱界させたまま、放っておいたらどうなるかな?」

    「え?えっとー………」

    いきなり問いかけられて、少々考え込むように顎に指を当てて上方に視線をやるレディ。
    しばらくして答えが見つかったのか、瞳を輝かせて断言した。

    「星の破壊!」

    「ハッ、何だそりゃ」

    唐突に彼女の口から飛び出した突飛な言葉に、エンヴィスが軽く鼻を鳴らす。
    だが、トワイライトは許容したのか頷いた。

    「そう、それもまぁ、一つの答えと言えるね」

    「あ、そっか………」

    彼の言葉を聞いたエンヴィスは何かを思い直したように考え、同意する。
    ふふんとレディは得意げに胸を張った。
    理解出来ていないのはカーリだけだ。

    「私にとって、仕事なんて日々の生活費を稼ぐための手段に過ぎない」

    部下一人の困惑顔など気が付かないで、トワイライトは話し出す。
    謳うように言葉を紡いで、タイミングを合わせるかの如く一歩を踏み出す。
    レディたちもそれに続いた。
    完成した魔法陣が、淡く光る。
    丸い円の中に謎の文字と、図形が描かれ、それら一つ一つを構成する線の全てが魔力の供給を受けて光り輝いた。
    カーリの耳に、エンヴィスの心地よい詠唱の声が届く。
    彼はどこからか取り出した錫杖を円の中心に突き立てて、よく分からない魔法の呪文を呟いていた。

    「けどね、ちょっと面白いじゃないか」

    彼の働きを横目で確認しながら、トワイライトの話は続く。
    湧き上がってきた魔力に干渉されて、周囲には光の粒子が漂い、ほのかな温もりを宿した風が下から吹き付けては彼らの服や髪を揺らした。
    転移の前のわずかな時間。カーリにとっては、魔法の神秘を体感出来る貴重な時間だ。
    それは暖かく、優しく、どこか懐かしくカーリの胸を一杯にする。

    「私たちの仕事が、何か世界の役に立っているなんてさ」

    何気ないようで、何よりも誇りと尊厳が込められた言葉。
    いつもやる気なく、サボってばかりで部下に手柄を立てられることも多いけれど、その実誰よりも脱界者と闘う日々に意義を見出している、尊敬すべき上司トワイライト。
    普段ほとんど心の内を明かさない彼の、どこか本質の部分に触れた気がして、カーリの心も熱く温度を高める。
    そのタイミングで、準備が整ったのかエンヴィスが錫杖で地面を軽く叩く。
    しゃりん、と遊環が奏でる涼やかな音色を耳にした途端、カーリたちの視界は一変した。
    眩い光の幕が、彼女たちを覆い隠すように包み込んだかと思うと、一気に居場所を転移させる。
    一瞬で膨れ上がった光は、フッ、とかき消すように消滅し、後の敷地には彼らの痕跡など塵一つも残っていなかった。
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