比べるものじゃない「ごめん、ニキ」
アパートに帰ったら燐音くんが暗い顔をして立っていた。今すぐにでも死んじゃいそうなぐらい、この世の全てに絶望した顔。
最近そんな顔してばっかりだ。具体的になにかあったのかもしれないし、なにもないことが彼を責め立てるのかもしれない。
「……何を謝ってるの?」
謝られたのははじめてではない。燐音くんはずっと後悔してるらしい。僕を巻き込んだことを。そんなの今更なのに。
「せっかくアイドルにしてもらったけど……、俺そんなにアイドルやりたくなかったのかもしれない」
うそだな。当たり前だ。そんなことは考えるまでもなく解る。だから僕が考えるべきは、なんで燐音くんがそんな嘘をついたのかってことだ。
……なにかあったんだな。誰かになにか言われたのか。それともなにか見たのか。燐音くんの思考はきっとこう。「俺がアイドルを諦めれば、ニキはもう苦しまないで済む」。
「やめたいの?」
「……本当に悪いことをしたと思ってる」
ほんとにね。今更そんなことを言われても。でも僕はそれでいいって思ってる。それでいいってずっと言ってる。僕は燐音くんを拾った責任があるから。燐音くんをどんな形であれ愛しているから。
でもそんなことはどうでもいい。燐音くんは間違っている。僕のことが一番大切とか、僕のことを一番に考えているとか、そういう耳障りの良い言葉で誤魔化す燐音くんは間違っている。
僕がそれを証明してあげる。
押し入れに向かう僕を不安そうな目が追う。
「燐音くん、これ」
燐音くんに手渡したのは薄くて安っぽくて、薄汚れた封筒。
「燐音くんがもらったファンレター。これ全部破いちゃおうよ」
ばさりと手に持った紙袋をぶちまける。中身は全部燐音くんに来たファンレター。さっきのは一番最初に手渡ししてくれたやつ。燐音くんが嬉しそうに何度も読んでいたから、当然覚えているだろう。
燐音くんはピタリと固まっている。僕の言うことが理解できなかったんだろうか。
「だってアイドルやめたいんでしょ。ファンなんてもう大切にしなくていいじゃん。僕がそうしてほしいな。全部僕のせいにして。誰も燐音くんを責めないよ」
震えた指先が封筒の真ん中あたりを摘まむ。前と後ろに傾くだけ傾いて、そこからまた止まる。たかが数枚の紙、簡単に破れるはず。だけどいくら待ってもその音は鳴らない。燐音くんの顔は青くて、今にも倒れそう。
なんでだろうね。もうその人たちってファンじゃないかもしれないのに。その人たちがまだファンだったら燐音くんだってこんなに苦しまなくて済んだのに。
どうしてだろうね。それでもあんたは、自分を見てくれた人の気持ちを踏みにじれない。ほらね。やっぱりあんたは間違っている。
「ね。燐音くんは僕なんかのためにアイドルやめらんないっすよ。それだけ真剣なんだから」
抱き寄せて小さくなった燐音くんの涙で僕の服が濡れていく。ほんと、見てないときしか泣かないんだから。
「ごめん……、ごめんなさい……」
「よしよし。燐音くんはなんも悪くないっすよ」
何に謝ってんだろうな。僕のお願い聞けなかったこと? アイドルを優先したこと? 多分違うな。
こうなることが全部わかってて僕を利用したことかな。そんなの、ほんとに今更なのにな。