薔薇咲く庭にて 我ながら、お菓子作りの腕前が随分と上達したものだと思う。頭の中で思い描いていた通りの姿に仕上げられたデコレーションケーキを前に、満足しながら小さく頷く。
料理とお菓子作りは少し勝手が違う。特にこういった、デコレーション作業のように繊細な作業はそこまで得意ではなかったのだが、やはり数をこなせば上達していくものらしい。
ふと顔を上げると、目の前にある大きな窓越しに、透き通った青空が視界に飛び込んできた。今日は暑くもなく、寒くもなく、風も強くない。穏やかな気候だ。
それにしても。再び視線を落とすと、サンドイッチや焼き菓子、そしてオーブンで焼き上げる前のスコーンが並んでいる。広いキッチンが少し狭く感じる程だ。
こうして日中、時間に余裕があるのは久しぶりのことだったので、つい張り切って色々と作りすぎてしまった。時計を確認すると、そろそろお茶をするのに良い時間だ。折角だから、偶には庭でゆっくりとティータイムを過ごすのも悪くない。ユーリにそう提案してみようか。
そんなことを考えながら、デコレーションケーキに最後の飾りを施す。庭の薔薇から作ったシロップを、スポンジにもクリームにもたっぷりと使った香り高いケーキ。その上に薔薇の花弁をバランスよく乗せていく。
真紅の薔薇と真黒の薔薇が、真白なケーキの上にコントラストを描いた。
庭園のガゼボに、ガーデンテーブルと椅子を運んだ。見上げた空は、どこまでも高く青く。本当に今日は穏やかな日だ。
ここからは、庭園が広く見渡せる。所々に季節毎の花も咲いているが、庭に咲いている花の大半は真紅の薔薇だ。そしてその真紅に紛れるようにして、真黒な薔薇の姿も見える。
俺がこの城を訪れた当初は、少なくとも黒薔薇なんて咲いていなかったように思う。いつから咲いているのか、と正確な時期を求められてもそれは分からないけれど。…そもそも、こんなにも完全に黒い薔薇なんて、他の場所では見たことが無い。
庭の手入れは、多分殆どされていないはずだ。雨が少ない時期になると、蝙蝠達が偶に水遣りくらいはしている様子だけれど、剪定や植え替えなんかはされている様子がない。
にも関わらず、薔薇はいつ見ても立派な枝ぶりで、花がらはどこにも見当たらない。まるで花や庭達自身が、それぞれの意志で自らを最大限に美しく見せようと努めているかのようだ。
まあそもそも、通年時期を問わずに薔薇が咲き続けているような庭だ。こんなことくらい、別に起こっても何も不思議ではないのだろう。
だけど、ふと考える。もしこの庭園が、それぞれ自身の意志で美しくあり続けているのだとしたら、それは何故だろう。
人を招き入れ、惑わすためだろうか。それともただ単純に、城の主に気に入られる為なのかもしれない。
まあ、こんな事を考えてみたところで、真実など分かりはしないのだけれど。
腕時計に目をやる。あまりのんびりとし過ぎては、お茶の時間が短くなってしまいそうだ。
場所の準備は済んだ。あとは紅茶の準備をして、ユーリを呼びに行こう。
そう考え、再び城のキッチンへ向かう。日が暮れるのはまだ先だが、少し影が伸びてきた。ちょっとばかり、準備を急いだほうが良さそうだ。
庭園を小走りで駆ける俺の影が、薔薇を覆った。
綺麗な指先がサンドイッチを摘まみ、口に運んでいく。新曲衣装の兼ね合いで、今ユーリの爪は暗く濃い赤色…ボルドーか。その色で塗られている。
新曲のリリースに向けて、仕事が連日続いている。今日、俺とユーリは偶々休みが重なったが、スマイルは単独インタビューの仕事がある為不在だ。そして明日は三人揃っての雑誌の取材と撮影だ。ちゃんと体調を整えておかなくては。明日の予定を頭の中で辿りながら、俺もサンドイッチを一つ摘まんだ。
椅子に腰かけているユーリは、優雅な手つきでティーカップを手にした。紅茶を飲むだけで一枚の絵みたいになるんだから凄いよな、とつくづく思う。容姿についてはもう言うまでもないけれど、仕草の一つ一つが指先まで全部綺麗だ。
最近は、格式高い店に行く機会も随分と増えた。ユーリにテーブルマナーを叩き込まれ、まあある程度は身に付いたという自負はあるけれど、やはり未だにどうしてもそういった場では緊張してしまう。俺が仕草の一つ一つを自然に、綺麗に行えるようになる日が来るのはまだ少し先になりそうだ。
俺も一口、紅茶を飲んだ。摘んだばかりの薔薇と茶葉で淹れた紅茶は、程よく花が香って中々良い出来栄えだ。
ガーデンテーブルに置かれたティースタンドの一番上には、薔薇をふんだんに使ったデコレーションケーキ。二段目にはスコーンと、添えられた薔薇のジャムとクロテッドクリーム。そう、今日のアフタヌーンティーは薔薇尽くしだ。
これには勿論、理由がある。
ちら、とユーリの顔を見る。陶磁器のような肌は、普段から血の気を感じさせないほどに白い。調子が悪いときなんかは、それが更に青ざめていることもあるが、今日は普段通りの白さだ。
「調子、どうっスか?体調とか…」
ユーリは一瞬、少し不思議そうな表情を見せたがすぐに合点がいったらしく、小さく頷いた。
「ああ、何も問題はないよ。お前の心配りのお陰だな」
そう言って、柔らかく笑った。ワインレッドの瞳に見つめられ、俺もつられて笑った。…俺が笑い返したのは、照れ隠しの意味合いが強いけれど。
何にせよ、調子が悪くないなら一安心だ。
何といっても、ユーリはここ暫く血を飲んでいないのだから。
そう、新曲のリリースに向けて、新曲のMV撮影やそれに関連した雑誌の撮影等々が連日続いている。そして、今回の俺の衣装は首回りが広く開いている。
俺は、普通の人間よりは傷の治りが早い。だがユーリのように、その気になれば一瞬でまっさらに治せるという訳ではない。牙の跡が綺麗さっぱり無くなるまで、まあ二日位はかかる。
つまり、新曲の衣装を連日のように着なくてはいけない今は、血を吸われるのはまずいという訳だ。傷跡が人目に触れたら、流石に穏便な言い訳が思いつかない。
首筋以外から吸血されたことは、まあある。だが大体『吸いにくい』と文句を言われる。普通に理不尽だと思うので、極力首筋以外からは吸われたくない。
だが吸血鬼にとって、普通の食事は非常にエネルギー効率が悪いらしい。詳しくは知らないけれど、本人がそう言っていたのだからそれは間違いないのだろう。
*****
別に、俺が作った料理以外を食べないでほしい、等とは思わない。そもそも、俺はユーリと食事に出掛ける事が好きだ。予定が詰まってさえいなければ、何も気にせずゆっくりと食べられるし、そして何よりも、未だ知らなかったユーリが好む味を知る機会にもなる。
だが。
自分の血を食事として差し出すという役割を、誰にも譲るつもりはない。
バンドを結成した当初、偶にユーリから知らない血のにおいがする事があった。別にその時はどうとも思わなかったけれども。
ユーリと恋人になってまだ間もない頃は、稀に俺のものではない血のにおいを微かに感じることがあった。ユーリにとってはあくまでも食事である、ということは分かってはいるが、何だか無性に腹が立ったのを覚えている。決まってそれは、今みたいに暫く血を差し出せない状況が続いている時だったが。
いつが最後だっただろうか。ユーリから、俺以外の誰かの血が香ったのは。
薔薇のジャムとクロテッドクリームを付けたスコーンを齧る。
俺はきっと、ユーリがいない世界ではもう生きていけないのだろうと思う。この人がどこにも存在しない日常を、ほんの少しも想像できないから。
…ユーリも、そうなってしまえばいいのに。
レモンを加えて作った薔薇のジャムは、甘酸っぱくて爽やかで。俺の胸の内とはまるで正反対だ。
こんな調子では、また庭に黒薔薇が増えてしまいそうだ。
この庭園にどういった力が、どういった意志が働いているのか正確なところは知る由もない。だが、何かの影響を受けているということは察しがつく。
黒薔薇について少し調べた事がきっかけだ。他では見たことのない花だから、気になった。
その結果、本当に真黒な薔薇は本来存在していない事と。そして、その花言葉を知るに至った。