1年生 多忙な父親はキングズクロス駅に送ることができないと謝っていたが、簓にはどうということはなかった。列車に乗るのは慣れているし、この前学用品を買いに行くのもひとりでこなせたのだ。
駅構内を見回すと、観光客や通勤者とも違う、周囲と浮いている集団が散見される。魔法使いであろう家族連れが少年を囲んで、どこかを指さして元気づけるよう微笑みかけていた。簓はその姿を横目で観察し、ホームへの行き方を知る。先ほどの集団は既に消えていた。おそらく汽車の周りでも同じように家族を見送る姿が見られるのだろう。
自分の姿を見下ろせばなんてことはないジーンズにTシャツ。大きなカートを持っている以外まともな姿でひとり駅に佇んでいる。母は魔女であったが、ちょうど簓が魔力を発露した後に離婚してしまい、里へと帰ってしまった。その後父親と共にロンドンで暮らしている。手紙が来た時はそれはワクワクしたものだが、その気持ちは少し萎み始めていた。
「……これから面白いことがいっぱいあるんや」簓は自分に言い聞かせた。
にゃあ、と籠の中でかすかに鳴き声がする。ペットとして連れてきた三毛猫だ。簓は安心させるように外側からやさしく籠を叩いてえい、と9と3/4線のレンガ造りの柱へと走り出した。
*
汽車の後方から乗り込むと、先頭車両よりかはいくらか余裕がありそうだった。重たいトランクを引きずるようにして通路からコンパートメント内を覗くと、期待に浮ついている新入生やすっかり慣れた姿で談笑する上級生らの姿がみえた。ぽつぽつと空席もあったがあんまやかましいとこには入りたくないな、と簓は首の汗を拭う。ここで仲良くなってもどうせ学校では寮分けされてしまうし、一年生の数名と交流することにそこまで重要視していなかった。おしゃべりは好きだが、学校に着くまではゆっくりとしていたい。
その中で1人だけのコンパートメントを見つけて中にいる人物を確認する。本を読んでいて理知そうな横顔だが、同じ新入生だと検討をつける。こんこん、と簓がガラスを叩けば男の子の顔があがった。まっすぐに見つめられた瞳の鋭さに一瞬たじろぐが、簓は人の良い顔で首を傾げてみせる。
「なあ、ここ入ってええ?どこもいっぱいやねん」
男の子は簓の頭からつま先まで眺めると、ただこっくりと頷いた。その不愛想な態度を気にもとめず、するりと簓が個室に入ってくるのを盧笙が追う。先程まで読んでいた分厚い本を膝の上に乗せ、簓がトランクを引き込む様子をじっと観察している。
「躑躅森盧笙」
それが男の子の名前だとすぐに気づかず、簓はしばし差し出された手と男の子の顔を見つめた。
「俺、白膠木簓」
自分よりも冷やっこい手を握り返しても盧笙は笑い返してくれなかった。しかし、同じ土地のなまりの生徒だと気づいて少しだけ警戒心を解いたのかもしれない。挨拶をした後も、盧笙は本を脇に置いたままだった。出自を聞けば、父方の祖母が暮らす地方だ。
座席に置いたままの籠からカリカリと引っ掻く音がする。簓は盧笙に断りを入れて、籠の蓋を開けると、猫はするりと飛び出してきた。
「……その子、珍しい毛並みやね」
「せやろ? 三毛猫やねん。幸福を招くとか言われてるんやって。」
ホグワーツにはペットとしてフクロウ、猫そしてネズミを連れてきても良いとされている。簓は実家で大事にされていた猫を父親から与えられた。白と黒と薄茶の三色が入り混じった毛並みでふくふくとしていて幸せそうな顔が簓そっくりだった。毛繕いをする姿に盧笙が出会ってから初めて微笑んだ。
「僕の家はふくろうがおるわ。僕だけのも欲しかってんけど、母さんに今年の成績が良くないとあかんって言われて」
ふうん、真面目のガリ勉くんか。こっそりと簓は彼を値踏みした。ノリのきいたシャツとスラックス。会ってきた魔法使いの中では多少まともそうに見えた。
そのまま猫は向かいの盧笙の膝へと丸まったようだった。それを盧笙はおっかなびっくりにそろそろと背を撫で始める。
「そうなんやね。さっき読んどった本もなんや難しそうやったし、期待されとるんや」
簓が感心したように言うと、盧笙は少しだけ表情を曇らせた。
「……うん。代々レイブンクローの出ばかりやねん。僕もレイブンクロー入らんと怒られてまう」
どんどんと盧笙が沈痛な顔に変わっていったので、簓は慌てた。魔法使いのみの血筋も中々苦労しているらしい。
ちょうど移動販売が来たのがみえたので、明るい声を出して盧笙の気を引く。
「ほら、お菓子でも食べようや! ……蛙チョコレート? なんやそれ、とんきちすぎてカエルもひっくり返ってまうわ」
「なんやそれ、しょーもな」
先ほどからの落ち込んだ表情を引っ込めてすっぱりとツッコミを入れた盧笙に簓は驚きながらもほっとした。打ち解けた盧笙は勝気な一面を見せてきて、先ほどの人形のような表情よりもずっと良い、と簓は思った。
蛙チョコレートを初めとして様々な菓子を少しずつ買いこみ、ふたりで席に広げる。母親が魔女ではあったが魔法界に触れてこなかった簓にはどれも新鮮な体験だった。つんとした態度なのに、簓が初めて見るものを盧笙は丁寧に教えてくれた。しかも盧笙はお菓子さえも普段は制限されていたそうで、大鍋ケーキも一日に半切れのみだったそうだ。互いに初めての百味ビーンズで明らかに危険なものに果敢に挑戦したり、杖型甘草あめを舐めながら車窓外を眺めて、これからの生活に思い馳せたりした。
一見わかりにくいが存外盧笙は感情豊かで簓の言動に逐一反応してくれて簓を喜ばせた。ホグワーツに着く頃には、簓はゆっくりと過ごしたいという思いをすっかりと忘れて盧笙との歯切れのよい応酬が楽しくなっていた。
*
新入生は大広間で組分けの儀式が行われようとしていた。
もうすぐ自分の名前が呼ばれる。どこの寮でもいいと思っていたが、レイブンクローだったら盧笙が入るだろうし毎日楽しそうだと少しだけ気持ちが浮き立った。
「ヌルデ・ササラ」
古めかしい帽子が頭の上に掲げられるのをうきうきと見上げた。先ほど帽子が歌を歌うのにも驚かされたが、これで入る寮を決めるのだと先ほど盧笙に教えられた。
髪の毛に触れた瞬間、帽子が叫ぶ。
「スリザリン!」
先生に急かされるように椅子から降りるとやや呆然としながらもスリザリンの席へと座った。これだけ?右隣の 上級生が優しく肩を叩く。まだ組み分けされていない1年生の中から盧笙を探したが、じっと正面を緊張した面持ちで見つめていて、簓を気にもとめていなかった。
「ツツジモリ・ロショウ」
残った数名の中で、気の毒になりそうなほど真っ青になりながら盧笙はぎこちなく椅子に座った。組み分け帽子に鼻の下まで隠れ、固く握った拳が小さく震えている。長い沈黙の後、声が大広間に響きわたる。
「レイブンクロー!」
盧笙は帽子を脱ぐと転がるようにレイブンクローの席へと向かった。座る時に簓の方をみてほっとしたような笑みを向けたので、簓も小さく拍手を送った。その後盧笙の視線はすぐに話しかけてきた上級生に奪われ、頬を上気させて満面の笑みを浮かべている。簓はその横顔を見つめながら少しだけ残念だと思ってしまった自分を恥じた。
翌日、簓は朝食の時間に大広間に向かっていた。入口からざっと視線を巡らせて既にレイブンクローの席で盧笙が欠伸を噛み殺しながらトーストにママレードを塗っている姿を見つける。
「盧笙! おはようさん」と簓はその隣に腰を下ろした。向かいに座る上級生はちらりとこちらを見ただけで何も言わなかったので、そのままスクランブルエッグに手を伸ばす。
「おい、自分の寮のテーブルにいけや。何を堂々と座っとんねん」
盧笙は眉を顰めた。眠たそうな表情はより凶悪だ。
「あとおはよう」と続けたので少しだけ簓は笑った。そして注意されてもなお今度はベーコンに齧り付く。
「そんな決まりあったっけ? ええやん別に」
「多分、ないけど……はあ、もうええよ」
盧笙は周りを見回して、特に注目された様子がないのを見て簓が居座ることを諦めたようだった。
「お前スリザリンやったな」と、昨日の組み分けの話へと変わる。
簓が話をしたいと思っていたことだ。別々になってしまった事を正直にしかし大げさに嘆いてみせる。
「絶対俺の髪みてスリザリンって決めつけたと思うねんけど!」
「アホ、組み分け帽子は目で判断せんわ。開心術で俺らの適性を見てんねん」
憤慨した様子の簓をばっさりと切り捨てる盧笙に納得いかずにむっと頬を膨らませる。
「やって、あそこの寮来てみ? めっちゃこわいで、噂によるとスリザリン寮のある地下にはでっかい蛇がおるらしいんや! 一大事や! ……大蛇だけに。どやこの簓さんの天才ギャグは? もうこれはレイブンクロー行くしかないな」
「はん、しょーもないギャグ思いつく頭じゃレイブンクローには入れんわ。お前ならスリザリンのムードメーカー、いやマスコットなら目指せるんちゃう」
結構な言葉を浴びせられたが盧笙が楽し気に笑ってくれたので、簓の心は浮つく。
「でも、こうやって寮が違うても会いにきてくれて嬉しいわ」と盧笙がにっこりと続けたので、ひとまず溜飲を下げたのだった。
そうはいってもレイブンクローとスリザリンは交流の場が少ない。4つの寮の中でもスリザリンとグリフィンドールは敵対関係にあって、合同の授業も大体はグリフィンドールと一緒だった。年期の最後にはもっとも点数を取ったものが寮対抗杯の表彰が行われることもあって、上級生も積極的に下級生に対抗意識を植え付けてくる。
そのひりついた雰囲気にげんなりとして初めての授業が1週間終わる頃には簓はへとへとだった。さらに簓はマグルと魔女の混血だ。これでも以前よりかはましになったと言うが、血統主義の多いスリザリンにおいて純血以外は肩身の狭い思いをしなければならない。なにより簓は不和を放っておけず、純血生まれとマグル生まれの仲を取り持つように天真爛漫に振る舞うため余計に気疲れしていたともいえる。
その為朝食時はレイブンクローの元へ行き、暇さえあれば盧笙の隣で話をすることが簓の気分転換となっていた。そんな状況でも仲間意識の強いスリザリンから爪はじきにされないのはひとえに簓の人柄が所以であり、つるんでいる相手が確執のないレイブンクローの、さらに純血である盧笙であったためだ。しばしば寮監や監督生から釘を刺されることもあるが、簓は気にしなかった。
*
簓はひとり、すきま風の吹き込む暗い廊下でぽつんと立っていた。常ならば簓ひとりが立っていたらゴーストも生徒もこぞって話しかけて退屈などさせないが、校内のはずれでは、そもそも通りがかる者もいない。石畳の溝をあみだくじのようにつま先でなぞる行為を何ともなしに繰り返している。
時折暗い廊下の奥を見やることを数回行っていると向こうから教員室に用事があった盧笙が戻ってくるのがみえて、簓は壁に寄りかかるのをやめた。互いに足早に戻り、中間地点で合流すると簓が先程まで立っていた方向へと歩みだす。
「どやった?」
簓は聞いてはみたものの、盧笙の顔を見れば良い結果が得られた事はすぐに分かった。
「大丈夫やって」盧笙は大きく息をつく。
「よう頑張ってるから安心しなさい、って言われたわ。これで納得してもらえるとええんやけど」
全ての教科担当の先生に話を聞き終わり、盧笙は疲れたように遠い目をした。入学してからクリスマス休暇に入るこれまでの4カ月間の成績を親に報告しなければならないらしい。ひとまず良い結果と確認できて、廊下を歩く足は行きよりも少しだけ軽くなっている。早く薄暗い校内から外へと出たいとばかりに最後はふたりとも駆け足になって、さっさとふくろう小屋で手紙を飛ばすと池のほとりの木陰へ向かった。
「盧笙は家に帰るん?」
簓はふと思い出した風を装ってさりげなく聞いた。中庭の池も朝は氷が張るようになっていた時期だった。もうすぐ雪も毎日のようにホグワーツに降るようになる。盧笙は空き瓶に入れた魔法の火を杖で突っつきながら口を尖らせて唸る。
「今までクリスマスは家族と過ごしてたし、どうなんかな。……簓は?」
「俺は残るわ! おとんも仕事でほとんどおらんしつまらんから」
少しだけ盧笙は眉を下げながらもやはり決めかねている様子だ。簓はいつ一緒に残ろうと言おうかタイミングを図ってそわそわと指を動かす。ふたりの背後で上級生が休暇前に大量に出された課題について嘆きながら通り過ぎた。
「……帰るよりもさ、学校の方が図書館の蔵書もあるしお勉強にはピッタリやん」
盧笙が家族を説得できるように水を向ける。それを聞いて盧笙はひとつ頷いた。
「せやな、それやったら母さんも……。もう1度、家族にふくろう飛ばしてみる」
その言葉を聞いて簓は嬉しくなってわっと抱きついてしまうのを抑えるのに苦労した。代わりに盧笙の手を取って勢い良く引き上げる。ふくろう小屋へ早く向かいたかった。
「ええやんええやん! 俺に勉強教えるのも、盧笙のためになるやろ。そしたら6月の学年末試験はモーマンタイ!」
「いや気が早い。それに俺が面倒みんでもちゃんと課題に取り組めや」
それから、ホグワーツのクリスマスは凄いらしいだとか、校内を一緒に探検しようだとか計画を練って、上級生から聞いたホグワーツの秘密について色々と話をした。
クリスマス休暇はきっと素晴らしいものになるだろうときちんと決まったわけでもないのに、二人の間でくすくすと笑いが零れた。