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    huutoboardatori

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    POIPOI 17

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    る太小説をポメラから発掘したため、蔵出し

    「直義、傷の具合は」
    「……大丈夫だ」
     わたしは敷き布団にあぐらをかいたまま、包帯の表面を指の腹でなぜた。重能は手当が丁寧なやつだから、巻きがちっともよれていない。たすきを掛けるように身体にかかった包帯は既に湿り、繊維にそって血がにじんでいる。
     宿場はもう寝静まっていた。注ぎ足したばかりの行燈がやけにあかあかと明るかった。二つ伸びた影は長く、ちろちろとゆらぐ。次の会話が始まらないので、不思議に思って顔を上げると、重能が黙ってこちらを見ていた。華やかな面立ちは、もの言いたげだ。
    「ありがとう」
     どんなに心配してくれたって、重能にわたしを慰めることは出来ないよ。そう言ってしまわないだけの、慎ましげな顔をした狡さが、はらの中でうずくまっている。目の下を持ち上げるように、友人へにっこり笑って見せる。
    「けがのせいで、道が遅れた。明日はもう少し走りたい」
    「……あまり無理は」
    「無理にならないようにしたらいい」
     重能はまた下唇を持ち上げ、何か言いたげにしたが、諦めたように息をついた。
    「……なら、せめて早く寝ろ」
     それには素直に頷いてみせると、重能はすぐにふっと明かりの芯を吹き消す。言外の圧に応えて、大人しく目を閉じた。
    △△△
     海へ続く道はもう、ざあざあと大きな音が耳に届く。引力を伴った潮騒は、身体の芯をそのまま持って行ってしまいそうだと思う。大人だって怯える高潮を恐ろしいとも思わないのか、兄は平気でわたしの手を引き先をゆく。歩く道に細かな砂粒が混じりはじめ、足の指と草履の間に汗で張り付きジャリジャリし始めたら、由比ヶ浜は近い。
    「ついたぞっ」
     兄の朗々とした声が耳に届く。その一瞬あとに、ぱっと眼前に光が差し込んでくる。松林の日陰を抜けたのだと、目を細めながら思った。反射が目にしみるのか、潮風なのかはわからないけれど、あまりにもまぶしいので、ここで海を見ると、いつも目尻に涙が浮かぶ。
    「水が多い気がします」
    「高潮の後だから。もう大丈夫だろうけど、あまり近づきすぎるなよ」
     はい、と返事をする。海を向いた兄の髪が吹かれて、まっすぐに黒く光ってなびいていた。午後の陽を受けて立つ兄も、いつだって輪郭に光の輪を背負って見えた。
    △△△
     言われたとおりに、少し海から離れた浜で遊ぶ。漂着してきた小枝や布きれや縄っぱしをいじくっていると、向こうから兄に呼ばれる。少しはしゃいだ声をしていた。
    「直義、ほら」
    「? 」
     言われたままに寄っていくと、兄はしゃがんだまま手元を見せてくる。覗き込むと、何かうごうごと蠢くものを鷲づかんでいた。
    「わあっ! 」
     慌てて後ずさったわたしに、兄が少し目を丸くする。六本の節くれ立った脚に、てかてかと気味悪く光る七色の翅。動かれるたびにぶわりと背筋が粟立つ。
    「めずらしいよな。林の方から来たんだろうか」
    「離した方がいいですっ」
    「んー」
     生返事の兄は、両手で虫をいじり出す。兄の皮膚を細かな節足がその先の毛のような爪で掴み、さかさかと動き回る。身の毛がよだつようで後ずさる。履き物で踏んだ砂が音を立てた。あまり見たくなってうつむくと、頭の前の方に熱い血がじわじわ滞るようで、ぼうっとした。汗がこめかみをつたい、ゆっくり滑っていく。そのときだった。
    「いたっ」
     兄の鋭い声がした。ぱっと顔を上げると、虫を摘まんだまま顔をしかめている。こちらの視線に気がつくと、ばつが悪そうに苦笑いしながら「咬まれてしまった」と指を掲げた。切り傷が出来たところに、まだ黒い口吻の屑がついていた。
    「血が……! 」
    「大丈夫だ、このくらい。……でも、お前のいうこと聞いていれば良かったな」
     慌てて駆け寄るわたしに、兄はすまんと笑った。にじんだ血がまだ幼い、ふっくらとした指の凹凸をたらりと滑った。肌のキメにこびりつくように赤い跡がついて、下の方に丸くたまった血液は陽の光で光り、珠のように見えた。兄の片手に捕まえられたままの虫が、まだ手足をうぞうぞさせながらもがいている。まだ、生きている。
    △△△
    「知ってるか」
    「……しらない」
    「人はな、ちいさな傷でも死ぬんだぜ」
     聞きたくなくてそっぽを向いたのに、師直はわざわざ肩を抱き寄せるようにして、耳元で意地悪な顔をしてそう言った。兄がいない日は遊び相手がいなくて退屈なのか、やたらかまってくる。
    「師直。また直義をいじめて」
    「ハン、勝手にこわがる方が悪いんだ」
     隣に座った重能が、かばうように師直との間に割って入る。さいきんめっきり背の伸びた師直は、頭の方もずいぶん良くなって、わたしに恐ろしい話をしたりする。兄では、何を聞かせてもいまいち怖がらなくてつまらないらしい。
    「血が出るだろう。そこに傷口から、悪いものが混じる。土とか塵が身体の中に入る」
    「……」
    「そうすると、血が腐る。腐った血が全身巡ると、巡ったところみんな腐る。そうすると、死ぬだろ」
    「馬鹿馬鹿しい。師直は知ったかぶりばかりだ」
    「そう思うなら、重能は信じなければ良いだろう」
    「聞きかじりを鵜呑みにして、周囲にべらべら広めるような馬鹿ではないからな」
     痛いところを突かれたのか、師直は唇をとがらせて黙ってしまった。しかし、わたしがそわそわ怯えているのに横目で気づいたのか、ずいっと身を寄せてくる。わたしがぎっと睨むと、師直はにやっと笑い、大声を出した。
    「直義なんかどんくさいんだから、せいぜい気をつけるんだなっ! 」
    「ひっ」
    「師直! 」
     重能がぱっと立ち上がる。読んでいたのか、師直もさっと立ち上がって逃げていく。いきりたった重能が追いかけて走っていってしまうと、部屋は急に静かになった。
     取り残されて、わたしは師直の話を反芻していた。自分だってよくけがをするけれど、兄だってよく転ぶ。平気な顔をして起き上がって、特段気にもせずに笑って、血を出しっぱなしにしたままでいる。
    ちいさな怪我で、人は死ぬのか。兄も、傷口から血が腐ったら、死んでしまうのだろうか。
     考えると、頭の後ろがさあっ、と流れ落ちるように冷たくなった。線香くさい部屋に飾られた先祖の絵や、その奥にある仏壇が、急に大きく見えた。
    △△△
    それを思い出したら、恐ろしくなった。
    △△△
    「直義! 」
     手の甲が暖かく圧迫されて、その後にすぐ痛い、と思った。指の付け根の関節がぎゅっと寄ってしまうくらい強く、手を押さえつけられている。
     顔を上げると、険しい顔をした兄がこちらを見ていた。普段は弧を描く呑気な眉が鋭く釣り、こちらを睨みつけている。
    「やめろ、直義! やりすぎだ」
     兄の声はよく通る。広々と響く。怒鳴りつけられると、言葉通り身が縮み上がる心地がした。
     固まって動けないままいると、兄はわたしの手指を無理矢理こじ開ける。
     ぱらぱら、と砕けた黒い翅が、白い砂浜に落ちて行く。じっとり汗をかいた幼い手のひらから、ちぎれた節足や、潰れた内翅、折れた口吻が溢れた。
     最後に、ぼろんと黒い胴体が落ちる。くちばしが折れ、脚も節のところでほとんどもげて、まるで幼虫のようだった。
     死骸は、少しのくぼみを伴って浜に落ちた。ぴくりともせず、非対称になった触角だけが潮風にそよいでいる。それを見て、兄はまた深く眉を顰めた。見たことのない表情に驚き、つい兄を呼ぶ。
    「あ、あにうえっ」
    「……無駄に、殺生をするな」
     兄の声はまだ低く、怒気というにもおそろしいように渦巻いた。陽に背を向け陰になったその顔が恐怖で見上げられず、うつむいて自分の手のひらを見た。
     汗の湿りで、肌に虫のかけらが張り付いている。午前の強く透徹な日差しを受けて、細かにきらきらと透けた色が匂っていた。
     下を向いたままでいると、じんわりと目の奥が熱くなる。水気が目頭から鼻先へ枝分かれして、ぐじゅと音が鳴る。
     わたしは、兄のためにこの虫を退けたのに。
     べつに、殺したかったわけじゃない。触るのだってこわかったし、握りつぶしたときのカシャカシャ脆い感覚には怖気がたった。
     やりたくてやったわけじゃない。こわかったし、いやだった。
     だけど、兄が死んでしまう方が、もっといやだったのだ。兄のためなのだ。わたしがこんな殺生をしたのは兄のためなのだ。
     それなのに、喜ぶどころか、どうしてこんなに怒られているのだろう。唇が勝手に震えるほど悔しい。鉛を飲んだように胸苦しく、悲しい。
    「あにうえ」
     つぶやいた声が、滑稽なほど高く裏返った。一度決壊すると早かった。涙と嗚咽は腹の底から沸騰したように次々とはじけ、ぼたぼたと熱く手の甲へ落ちた。
    「わああぁん」
    △△△
     そこで気がついた。天井は見覚えのない板張りで、隣で人の寝ている音がする。昔の夢を見ていたのだと、脈に合わせてじくじく痛む傷が教える。 薄く開けた目で見渡すと、雨戸の隙間から天が見えた。濃紺の天に白々と銀の月がつめたい。もやがかる夜空の温度を吸い込み、八分に満ちた月は、濡れたように光った。兄に会う頃に、きっと満月になる。
     月が満ち、満ちた後は欠けていくことを教えてくれたのも兄だった。まるで由比ヶ浜の満ち引きのようだろう、と聞きかじりの、きっと適当な大人からの孫引きを自慢げに。
     わたしは兄弟で並べた布団に鼻までうずめ、にこにこ得意げな兄の頬ばかり見ていた。よく動くあばたのひとつもない頬だ。ちいさなわたしをかわいがってくれる、自分だってまだ子どもの兄だ。きれいだと思った。雨戸の隙間のほんの少しの月よりも、ずっときれいだった。

     あのときだって、叱り慣れない兄は本当に困った顔をして、そのまま波打ち際まで手を引いていってくれた。そうして虫の汁で汚れたわたしの手を波にひたした。真新しい兄の手の切り傷は桃色だった。潮水で薄まった赤い血が、煙った火花のように細くたゆたって溶けた。兄は泣きじゃくるわたしの手を海でよく濯ぎ、自分の着物が濡れるのもかまわず、青い袖で拭いた。
     新鮮な切り傷に海の水は、きっとしみただろう、と今なら思う。それでも兄はもう一度わたしの手を握り直して、繋いでくれた。そのまま一緒に、家まで帰ってくれた。

     だからきっと、血の流れる手を握り合えば、わかる。
     流れている血の色も温度も、においだって同じなのだとわかるはずだから。わたしたちは、同じはらから生まれた兄弟なのだから。たとえその血に何が混じっても、そのことだけは変わらない。
     そのひとつだけ、わかってもらえたらいいんだ。そうしたらきっと、兄はわたしの手を引いてくれる。もう一度、いつものように手を引いてくれるはずだから。

     再び目を閉じると、傷の痛みの波が拍動と混じった。雨戸をざらざらと風が擦る音がした。眠りに落ちる前の瞼の裏は、いつも青い色をしている。
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