クレバーな僕ら!青学編 不二ver. 麗らかな午後の昼休み。
生徒は皆、昼食とひと時の休息を楽しむ時間だ。
ゆりは母親の作ってくれたお弁当を食べ終わり、クラスメイトののんちゃんと他愛のない世間話をしていた。そこに一人の小柄な女子が近づいてくる。可愛くて明るく、クラス内でも人気者の子だった。
黒目の大きいその少女は、ゆりとのんちゃんの目の前に立ち、ゆりにある「頼み事」をしてきた。
「え? 私が聞くの?」
「うん、お願い! ほんとに悪んだけど」
と、その可愛い子は、ゆりの前で両手を合わせた。
内容に少し戸惑うものがあったが、同じクラスメイトであるし、無碍に断ることも出来ない。ゆりはしぶしぶそれを了解した。
「う、うーん…。わかった。後でさりげなく聞いてみるね」
「ありがとー! ほんとにごめんね!」
それからすぐ午後の6限目の授業が体育だった。
基本的に体育の授業は2クラス合同だから、5組と6組は一緒になる。
今日はバレーボールで、チームごとにわかれ試合をする事になった。
ゆりは不二はどこに居るんだろうと、館内をきょろきょろ見回し、コートで試合に参加している彼を見つける。器用な不二は、比較的どんなスポーツでもこなせる。成績優秀で、物腰穏やかでハンサムとくれば、女子が放っておくわけがない。たった今得点を決めた不二に、女の子たちの黄色い声援が上がった。
(相変わらずモテるなぁ……)
そう思いながら、ゆりは自分と同じく試合を観戦していた菊丸にそっと近づく。他の生徒たちになるべくバレないようにこっそりとだ。
ゆりは昼休みの事を菊丸にナイショで話してみようと考えたのだ。
「ねえ、菊丸」
「んにゃ? お~姫野! どったの?」
「あのね、ちょっと聞きたいんだけど。不二って今彼女いないよね?」
「へ? うん、いないけど。何、急に?」
「うーん…実は、不二のこと紹介して欲しいって言われてるの。でも、彼女いたらなって思って…」
そこで、今度はどうやらゆりのクラスの男子が得点を決めたようで、今度は野太くて太い5組の男子の歓声が上がる。
「姫野ぉ、どうしてそんなの頼まれちゃったのさ?」
「え…でも、断るのも変でしょ? クラスの子だし、……断れなかったんだもん」
菊丸は少し困った顔をしていた。
ゆり自身も、これがちょっと困った頼まれごとだということを理解している。
クラスの友人に頼まれたのは、不二の連絡先を友人に渡し、なおかつ紹介(?)するというものだった。
これは結構ハードルが高いんじゃないかと今更になって気が付く。不二の連絡先を彼女に教えていいか不二に確認し、それを友人に伝えるまでは比較的簡単だろう。しかし、不二を呼び出してその子と引き合わせ、尚且つ仲人をするというのはなかなかに面倒な事だ。
もっとよく考えるべきだったと思うがもう遅い。
「姫野の気持ちは判るよ。でもそれ聞かれたら、不二傷つくと思うよ」
「え…?」
(だって不二はゆりの事が好きなのに…。好きな子本人から他の女の子紹介されたら、誰だって傷つくよ)
菊丸はそう思ったが、口には出さない。
これは不二本人がゆりに伝えることであって、菊丸の口から出ていい言葉ではない。
「うーん俺の口からは、不二はフリーって事しか言えないよ、それは事実だし。でも姫野、今後はそんなの頼まれちゃだめだよ?」
「うん…そうだよね。気をつける……」
男子テニス部のマネージャーをしているせいか、これまでゆりにはこの手の依頼が結構多かった。
お目当てが手塚だったり、海堂だったり、大石だったり。
(私からしたら部員は兄弟みたいな感じだけど、そうだよね……こういう事はあんまりしないほうが良いよね)
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
部活の時間になり、男子テニス部のメンバーがウォーミングアップや、ランニングに出たのと同時に部室の掃除を始めたゆりは、クラスメートの依頼を受けてしまったことを激しく後悔していた。
どう不二に話題を切り出そうかと考えながら、部室の整理整頓をする。
(誰もいない時に聞くしかないよね……。でもなあ、部活中って二人きりになる時なんてないし。うーん、どうしよう)
ゆりがウンウン唸りながら考えあぐねいていると、突然部室のドアが開いた。今のこと口に出していなかったかと慌ててドアを振り返る。
「あれ、ゆり?」
「わっ! ふ、不二…!!」
「部室の掃除してくれてたの? ありがとう」
不二が部室に入ると同時にゆりは、片づけようと手に持っていた部室常住の数冊のテニスハウツー本を勢いよく落とした。というより、思わず投げてしまったという言い方が当てはまるほどだったが。
「……っていうか、ちょっと驚きすぎじゃない? 本落としたよ」
不二はたった今ゆりが投げた本を床から拾い上げ、埃を払う。その本を本棚に戻しながら、ゆりを見やった。
「え、えっと、ちょっと考え事してて、そしたら、急に不二が入ってきたから、それで、驚いちゃったの…」
「ふーん。そっか。それは悪い事したね」
不二はロッカーに置いてある自分のバッグを開け、中を探り始めた。その後ろ姿を見ながら、
(どうしてよりにもよって不二が入ってくるの~!? って、これってもしかしてチャンス?)
不二が何をしに来たのかはわからないが、これはもしかすると、話をするチャンスなのではないかと思った。
「ねえ、不二」
「んー?」
「あ、あの…ね…」
不二はバッグからお目当ての新しいフェイスタオルを取り出すと、ゆりを見返した。けれどゆりはグッと押し黙ってただ不二を見つめているだけだ。
「……えっと、何? どうかしたの?」
不二はその様子が普段と違うことに気づき、身体全体をゆりの真正面に向ける。そこで初めてゆりは、今のこの状況を改めて思い出した。
(んん? これってもしかして、なんか不二を勘違いさせちゃうかな? これじゃまるで私が告白しようとしてるみたい)
そう気づき、ゆりは焦って続けた。
「えええっとね、実は不二の事ちょっと気になってるっていう女の子がいて、うちのクラスのすごく可愛い子で、きっとたぶん不二も知ってると思うんだけど、その子が不二の連絡先知りたがってて、紹介して欲しいって言ってて、だからえっと、どうかな不二? いい?」
そこまで思いっきり一息で言い切って、ゆりはやっと息を吸うことが出来た。
(案外こういうのって緊張するものなのね……初めて知ったわ……)
内心そう考えていると、肝心の不二の返事がない。
怪訝に思い、ゆりは顔を上げた。
(あ…不二の目、全然笑ってない…)
急に言い知れぬ不安でゆりの胸が一杯になる。
不二の両目は無機質にゆりを見ているだけで、普段の優しい彼の瞳ではなかった。
「…は? 何それ」
これはものすごく不味いことを言ってしまったと、ゆりは心底後悔した。
言うんじゃなかったと今さら気づいたところでもう取り返したが付かない。
「えっと…だから、不二と友達になりたいんだって…それで…」
「それ、ゆりが頼まれたの?」
「え? う、うん。そうだけど……」
「よくそんな事出来るね。人の気も知らないで」
不二にこんなにも冷たい瞳を向けられたのは初めてだった。
不二にこういうことをしては絶対にダメだったのだと、言葉で言われなくとも態度で否応なく理解できた。
だからあの時、菊丸は言葉を濁していたのだ。
不二が一歩一歩、静かにゆりに近づいてくる。
「……そっか。体育の授業の時、英二と話してのはそれだったんだね」
「え、み、見てたの?」
「何か二人でコソコソしてるなって思ってたんだ」
「ご、ごめんなさい……不二、あの、私……」
近づいてくる不二に、ゆりは無意識で後退りしていた。
不二が怖かったのだ。
いつの間にか、不二に壁際まで追い詰められる。どこにも逃げ場がなく、ざらついた壁が背中に冷たく当たっていた。
不二は、どこにもゆりを逃がさないように、両手を壁に突き立て、ゆりを自分の腕の中に閉じ込める。
「不二、…ん!」
触れた不二の唇が、ゆりの唇を塞いでいる。突然のそれにゆりは反射的に身体をよじって抵抗した。
「ん~~!!」
ゆりの抵抗をもろともせず、不二は両腕でしっかり抱きすくめる。必死で抵抗しているはずなのに、不二の腕はびくともしなかった。
この優しくてきれいな顔をした少年は、間違いなくゆりとは違う「男」という生物なのだと、痛感させられる。
ぬるっと生暖かい不二の舌が口内に入ってくる。その感触に両目を見開き、思わずゆりはポカポカと不二の身体を叩いた。
「ふ…! ん、ぃや…!!」
不二の唇が一瞬離れると同時に、ゆりは思い切り不二を突き飛ばしていた。
その瞬間、ゆりを見返す不二の両目は、どこか寂し気で切なそうに映る。
「……ずっと奪ってやりたいと思ってた。その唇」
不二は片手でゆりの両手を絡め取り、なおも壁に押し付けた。自分の頭上で抑え付けられた両手は、ありったけの力をこめてゆりが押し返しても、これっぽっちも動かない。
不二は、本気なのだ。
不二の瞳に吸い寄せられ、目が逸らせない。
自由の効くもう片方の手で不二がゆりの太ももを撫で上げる。その手のひらが、ゆっくりと内ももに向かうのを感じ、思わずゆりは身体を捩った。
「やっ…! やだ、やめて、不二…!」
「――――ここが部室でよかったね」
耳元でそうささやかれ、もう一度、不二の唇が触れた。今度は先ほどとは打って変わって、不二の気持ちが伝わってくるキスだ。柔らかい不二の唇が、優しいキスを何度も何度も降らせてくれる。そうして惜しむように、優しい唇が離れた。
「ずっと好きだった。君のこと」
もういつもの優しい不二に戻っていた。いや、もしかしたらいつも以上に優しい瞳をしているかもしれない。そう感じざるを得ない瞳だった。
これほど優しく見つめられて、嫌な気持ちになる女の子なんて、いないだろう。
不二の手のひらがゆりの頭を優しく撫でる。
「急にキスしちゃって、ごめんね。でも、そういう事だから、そのクラスの女の子の気持ちには答えられないよ」
ゆりは返事が出来なかった。まだ頭がぼーっとしていて、何も考えられない。
不二は踵を返して部室のドアへと向かう。
「じゃあ僕は先にコート戻るから。今の、皆にはナイショだよ?」
そう人差し指を立てながら、不二は満足げに微笑み、部室を出て行った。一人残されたゆりは、そのままその場にへたり込む。
「こんな事……言えるわけないじゃない……」
不二でいっぱいにされてしまった思考をゆりは何とか現実に引き戻そうとするが、出来そうになった。それでも頭の片隅で、クラスメイトに何て言い訳しようかと必死に考える。でも、良い言い訳が思いつくはずもなかった。
「ああもお……どうしよう……」
END