ざあざあと木の葉が擦れる音がする。鳥の鳴く声が聞こえた。東屋で微睡んでいた竜はゆっくり首を持ち上げる。
「ひ、」
少年が尻もちを着くのに気がついて、竜は不思議そうに首を少年に近づけた。桜色の鼻先がぐっと近づいてきたので、少年は食べられやしないかと気が気でない。
「あ、あ、あのっ」
「?」
「ぼ、僕、お花を一輪もらいたくてっ」
竜はふわりと尾を揺らす。反応らしい反応がないので、もしかして話が通じる訳では無いのだろうかと少年は焦った。
先程、優しげな金髪の女性に『ここには願いを叶える花がある』と言われてやってきたのだが、目の前の巨大な竜については一言も言っていない。甘い話には裏があるのだと少年は泣きそうになった。
それをどう思ったか、竜は首を元の場所に戻す。続いてその姿が揺らいでいくので、少年はあ、と声をこぼした。瞬きほどの間にその巨体が姿を消し、足元できゅい、と鳴く声がする。見れば、先程の竜の幼体のような小さくて丸っこい何かがいた。それは未だに目を閉じているが、しきりに耳を揺らしている。
「えっと……」
「きゅぅ」
ぽてぽてとそれは庭園の方へ向かった。少し離れたところで立ち止まって少年の方を見るので、少年はそれについていく。
花の香りと竜のなんとも言えない足音を聴きながら、少年は歩いた。どれがその花なのだろう、と思っていれば、竜が立ち止まる。
《願いを教えて》
脳裏に突然女性の声が聞こえたので、少年はまた驚いて声を上げた。竜は首をかしげ、もう一度同じことを口にする。
「ぁ……っ、い、妹の、病気を治してあげたくて」
《病気。病気。ならあげる。》
ぽてぽてと竜が移動し、一輪花を見繕うと、ぺろりと花弁を舐めた。青い花だったそれが僅かに揺れて、次の瞬間には薄い桜色に変わっている。ぷちり、と茎を噛みちぎり、竜はその花を咥えて少年の足元までやってきた。
「……これが、願いを叶える花」
少年はごくりと生唾を飲み込んでそれを受け取ろうとする。しかし竜はそれをするりとかわした。
《何にでも対価があるものよ》
「え!?あ……、でも僕何も持っていなくて……」
《できたらでいいからやって欲しいことがあるの》
竜は東屋の方に跳ねていく。少年はその背中を慌てて追いかけた。東屋の椅子の下、何やら物がいくつか置いてある場所の中から、竜は頭の上に何かの紙を乗せて出てくる。やや不格好に便箋に入ったそれを、少年は手に取った。
《この手紙を渡して欲しいの》
「……誰に、ですか?」
《……思い出せなくて。私が中に何を書いたのか、誰にこれを渡すつもりで書いたのか。でも、確か、そう。私が信じ切れずにいた、ひどく優しい子たちに渡したかったの。》
「……」
《できたらでいいわ。宛先の分からない手紙だもの、どこに出したって届くはずがないのだから》
「……やります、きっと。妹を救っていただけるなら、きっとやってみせます」
少年はぐ、と握りこぶしを作ってそういった。竜が笑う気配がする。彼女はもう何も言わず、桜色の花を少年に持たせた。
《まっすぐ門から出なさい。門を出たら白い百合の花に沿って歩けば帰れるわ》
竜が言う。少年はしっかりと手紙と花を抱きしめて、門の前までやってきた。淡く光る百合の花から目を離し、竜を見る。彼女は少し離れたところにちょこんと座っていた。それをもう一度見て、少年は足を踏み出す。その背中が小さくなって見えなくなるまで、竜はただただそこにいた。