【ⅣⅢ】ポメガⅢ ある休日のこと、俺はいつものように朝日の眩しさで目を覚ました。仕事で朝早く起きることが板についているため、俺は休日でも大人しくベッドから降りる。それから、いつものようにリビングに向かった。リビングには兄のⅤや、父トロンがいて、それぞれ朝食の準備をしている。毎朝の光景だ。いつもと少しだけ違うことがあるとすれば、弟のⅢの姿が見えないことだろう。Ⅴもトロンも、今朝はまだⅢを見ていないと言う。どうやら自室で眠りこけているらしいな。我が家の弟は、中坊にしてはしっかり者で、社会人の俺たちに合わせて朝の早い時間に起きる。アイツが寝過ごすのは珍しい。
家族と同じ部屋に居続けるのもダルいので、手早く朝食を済ませた後、俺は自室に戻ることにした。二階への階段を上がり、Ⅲの部屋の前を通り過ぎる。その時、壁越しに何やら声が聞こえてきた。
「Ⅲ?」
俺が呼びかけると、Ⅲの部屋から、返事をするように小動物の鳴き声が聞こえた。扉をノックすると、またしても「きゃん!」という犬のような鳴き声が返ってくる。俺は不思議に思って、部屋の扉を開けた。中に入ると、Ⅲの姿は見当たらず、代わりに、ベッドの布団の下で何かがモコモコと動き回っているのが見えた。俺は黙って布団を剥いだ。
すると、どうだ。桃色の毛をした小さなポメラニアンが、シーツの上でコロコロしていたのである。その毛並みと色合いは、どこか弟を彷彿とさせる。
「Ⅲ……?」
「きゃん!」
「お前、Ⅲなのか……⁉︎」
「わふっ!」
思わず声を上げると、ポメラニアンはベッドを飛び降りて、俺の脚にピッタリと引っ付いてきた。
「きゅーん……」
(まさか、本当に……?)
そんな小説みたいなことが本当に起こるのだろうか。これまで俺は、非ィ科学的とも言える場面を多く目の当たりにしてきたが、しかし兄弟がポメラニアンになったことなどあっただろうか。ポメラニアンのⅢ(仮)からは、紋章の力のような、物騒な気配は一切感じられない。既視感のある無垢な瞳がこちらにじっと向けられる。そんな目で俺を見るな。俺はいたたまれなくなって、思わず片膝を折った。そして恐る恐るポメラニアンのⅢに手を伸ばし、ソイツの頭を撫でてやった。
(おお……やわらけー……)
「ヘッヘッ」
ポメラニアンのⅢは嬉しげに、ハタキみたいな尻尾を振っている。従順で少しチョロそうな顔が、弟のそれに見えなくもない。しかし、どっからどう見てもポメラニアンなので、なんだか妙な気分になる。俺は戸惑いながらも、ポメラニアンのⅢを抱き上げた。するとポメラニアンⅢは大人しく抱っこされたまま、今度は俺の首元に鼻先を埋めてきた。
「くすぐってえ」
「きゅるる……」
甘えた声で鳴いている。こんな姿の弟を見るのは初めてかもしれない。当たり前だ、俺の弟はポメラニアンではないからな。それにしても、これは一体どういうことだろう。
「Ⅳ、何かあったのか」
騒ぎを聞きつけてⅤが部屋にやって来た。Ⅴは俺の腕の中にいる桃色の毛玉を見ると、一瞬ギョッとした表情をしてみせた。
「お前、まさか……」
「ちげえ! 内緒で飼ってたとかそういうんじゃねーから!」
「ふむ。ということは、もしやアレか……? 本当にそんなことが……」
「ええ? 何だよ、はっきり言えよ」
まさか、Ⅲの身に危険なことでも起こっているのだろうか? そんなことは露知らず、腕の中のポメⅢは、構ってほしいのか俺の胸にグリグリと頭を押し付けてくる。腑抜けてやがる。
「恐らくⅢは、日頃の疲れを溜め込みすぎてポメラニアンになってしまったのだ。その子を元の姿に戻すには、目一杯甘やかすしかない」
「なん……だと……?」
(意味が分からねえ……)
「Ⅳ、Ⅲをたくさん撫でてあげなさい」
「ケッ、言われるまでもねえ……!」
(まさか兄貴から、こんなバカみてえな指図を受ける日が来るとは……)
俺はとりあえず、ポメⅢを抱えたままリビングへ向かった。
「わふっ!」
「おい待て、あんまり暴れるなって……」
俺はジタバタして落ち着かないポメⅢを床に下ろした。ポメⅢは俺の手から離れると、すぐにリビングを駆け回り始めた。ああ、なんて脚の短い生き物なんだ。後ろ姿はまるでケツ穴の付いた大福みてーじゃねえか。可哀想に。
走ることにはすぐに飽きたらしく、ポメⅢはまたすぐに戻ってきて、ソファに座っていた俺の膝に飛び乗った。そして、そのまま膝の上を転がり始める。
「こらこら……」
膝の上があったかい。さすが毛玉、やるじゃねえか。
俺が背中を撫でてやると、ポⅢは気持ちよさそうに喉を鳴らしながら、「きゅーん」「きゅーん」と何度も鳴いてくる。
(いいぞ、鳴け! もっと鳴け!)
普段もこのくらい素直なら良いんだが……。
しばらく戯れているうちに、俺はだんだんとこの状況を受け入れ始めていた。多少不服ではあるが、この毛玉に絆されていく感覚は悪くなかった。
「お前、ホントにⅢなのか?」
「わん!」
「犬になるほど疲れてたのか」
「きゃんきゃんきゃん!」
「よく分からねーが、とにかく! 今日はお前が満足するまで遊んでやる。俺様の特大ファンサービスだ! 感謝しろ!」
「きゃんきゃんきゃんきゃん‼︎」
(うるせえ)
その時だった。
「きゅーんきゅーん……くうぅ~ん……」
突然、ポⅢの様子がおかしくなった。俺を見上げる瞳に、じわりと涙が浮かんできたのだ。よく見ると耳まで垂れ下がっている。
「ど、どうした⁉︎」
「きゅーん……きゅうううん……」
「お、おい。腹減ったのか? 調子わりーのか? おい……」
「きゅんきゅん……きゅーん……」
やがて、ぽろり、と大粒の涙が零れた。俺は慌ててⅢを抱き上げた。
「大丈夫かよ、泣くなよ……! よしよし。どっか痛むか? 便所か?」
「くーん……」
「クソッ、畜生のことなんか分かるかよ! おいⅤ! 兄貴!」
「なんだ、どうした?」
「Ⅲが急に泣き出したんだが……!」
「なに? どうしたⅢ、不満なことでもあったのか?」
Ⅴも様子を見に来るが、Ⅲは何も答えない。ただ泣いているだけだ。
「Ⅳ、何か嫌なことをしてしまったのではないか?」
「はあ? してねーよそんなこと」
「では、この子はどうして泣いているんだ?」
「知るか! 分かんねーからお前を呼んだんだろーが」
「お前が分からないなら俺にも分からないよ。Ⅲは私に遠慮しがちだから……」
「きゅんきゅん……」
「ああ、うるせぇ。泣くなよⅢ。お前が泣くのは一番困るんだよ……。頼むぜ、まったく……」
「きゅう……」
Ⅲは俺の胸に顔を埋めたまま、小さく鳴き続けている。こんな風に弟に甘えられたのはいつ以来だろうか。正直に言うと、何をすればいいのか全く分からない。兄として不甲斐ないばかりである。とにかく背中を撫でてやることしかできなかった。
「ねぇⅣ。Ⅲと一緒にお昼寝してきたらどう?」
「ああ?」
「寝たらイヤでも落ち着くでしょ? ほらほら」
「昼寝するには早えーだろ」
俺とⅢはトロンによって強引にリビングから連れ出された。そして否応なしに自室のベッドに押し込まれる。
「俺にばっかりⅢの世話を押し付けやがって」
「しょうがないでしょ、Ⅲが一番懐いてるのは君なんだから」
「メンドクセーなぁ」
「きゅーん……きゅん……」
「わかったよ。ほら寝るぞ、Ⅲ」
俺は仕方なく、Ⅲと一緒に横になってやった。
部屋で二人きり(一人と一匹か?)になると、Ⅲは途端に元気になり始めた。そして嬉しげに、俺の胸元に顔を擦り寄せてくる。なんなんだマジで。
「わふわふ!」
「ちょ、大人しく寝ろって! やめろ、くすぐってーだろ……!」
「わん! わんわん!」
「沈めよ、ベッドに沈めえ! おわっ、お前何して……⁉︎」
「わふっ!」
「ぎゃあぁあ⁉︎」
なんと、Ⅲは俺のパジャマの中に頭を突っ込んできたのだ。
「わふわふ!」
「おいバカ、どこ入ってんだ……!」
「わふっ!」
「痛ッ……!」
ヤロ〜〜〜やりやがった。前足で俺の脇腹を引っ掻きやがった。
「わふん!」
「おい!」
今度はズボンの中に入ってこようとする。俺は慌ててそれを阻止しようとしたが、ポメⅢは思いのほか力が強くて、上手くズボンから引き剥がすことができない。その間にⅢはどんどん奥へ進んでいき、ついには股間のあたりまで潜り込まれてしまった。
「くぅん……」
「おい待て待て待て! そこはダメだ、マジでシャレにならねーぞ!」
コイツ、調子に乗ってやがる。自分が天下のポメラニアン様だという強い自覚があるのだろう。そうでなければ、こんな茶番は普通はできまい‼︎ 俺は必死にズボンの中を探るが、なかなかⅢは出てこない。馬鹿が……ッ! こうなったら仕方がない、もうこうするしかない……!
俺はベッドの上に立ち上がると、勢いよくズボンを下げた! その拍子にⅢが股間から転げ落ちた。
「わふっ⁉︎」
「観念しろ、このイヌッコロ‼︎」
「きゃうん‼︎」
ついに首根っこ捕まえてやったぜ……。
普段のⅢは大人しいが、今のコイツはどうにも落ち着きがないな。
「わ、わふぅ……わふうぅぅ……」
「悪い。苦しかったか?」
「わう……」
「よしよし」
しばらく暴れて疲れたのか、忙しなかったⅢがだんだんと落ち着いてきた。俺はパジャマのズボンを履き直し、Ⅲを抱き寄せながら再びベッドに横になった。Ⅲのふさふさした毛が頬に当たって気持ちがいい。
(こうしてると、なんか懐かしいな……)
昔、まだ俺たちが幼かった頃、Ⅲはよく俺のベッドに忍びこんできた。そんな時は決まって、布団を頭から被り、二人でコソコソとゲームをしたり、カードを広げたりしたものだった。その時もⅢはこんな風に、よく俺に甘えてきた。
「お前は本当に甘えただな」
「きゅーん……きゅんきゅん……」
「しょうがねえ奴……」
そして今も昔も変わらず、俺はついⅢのことを甘やかしてしまうのである。
Ⅲが俺の腕の中ですやすやと眠っている。安心しきっているのか、口元が緩んで、舌がペロリと飛び出している。なんてマヌケな面なんだ。高貴さの欠片もない。
「……」
俺はしばらくの間、そんなポメラニアンのⅢを見つめていたが、やがて眠気に誘われて、そっと目を閉じた。
「おやすみ、Ⅲ……」
そう言うと、「おやすみなさい、Ⅳ兄様」というⅢの声が聞こえてきたような気がした。
目を覚ましたのは正午の鐘が鳴る頃だった。頬のすぐそばにあった温もりは、いつの間にか消えている。
「Ⅲ……?」
布団の中を探っても、あの小さい毛の塊は見つからない。急に心配になってきて、俺は弟の名前を呼びながらベッドを飛び出した。
「Ⅲ! おい、Ⅲ!」
部屋の扉を勢いよく開ける。すると「わあ!」という声と同時に、見慣れたピンク色が目に飛び込んできた。
「どうされたんですか、兄様」
「あ……!」
目の前には、さっきまでポメラニアンだったはずの弟が、キョトンとした顔で立ち尽くしていた。
「お前……え? ポメラニアンは?」
「ポメラニアン?」
Ⅲは顎に手を当てて「うーん」と唸った後、俺の方をじっと見つめて言った。
「……兄様、さては寝ぼけてますね?」
(……まさか、さっきまでのは夢だったのか?)
「んだよ、バカみてーじゃねえか!」
「もー、驚かせないでくださいよー」
Ⅲは俺のセンチメンタルなど塵ほども知らずに、のん気に昼飯の話をしはじめた。俺はなんだか面白くなかったので、Ⅲの髪の毛をグシャグシャに掻き回してやった。