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    ハドラク

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    フェルジタオンリー

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    ハドラク

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    学パロ。注意。

    初恋 最初は、あまり興味も引かれなかったし、どちらかと言えば良い印象はなかった気がする。
    「では、問三の答えを……ジータ、前に出てきて黒板に」
    「はい」
     教師に当てられたジータは素直に従い、黒板に答えの英文を綴る。
    「できました」
     書き終わりチョークを置き、そのまま教師の方に目をやる。
    (相変わらず、迫力のある美人さんだなぁ)
     何度も目にしているのに、相変わらず同じ感想を抱く。
     ジータの英語の教師であるルシフェルはとても美しい容姿をしている。男性であれば「かっこいい」という形容詞が一般的かもしれない。しかし、ルシフェルは「美しい」という形容詞がよく似合う。その美貌は芸術品のように重々しい雰囲気があり迫力さえあった。あまりにも容姿が整い過ぎて、それ以外の情報が後からついてくる。
    「席に戻っていい」
     彼の指示に従い、席に戻る。
    「正解だ。これは、教科書の……」
     ルシフェルの解説を聞き流しながら、ぼんやりと思う。
    (なんか先生って、機械的なんだよなぁ……)
     ジータはどこか彼が機械的に思えていた。よく言えば論理的で無駄が無いだけかもしれない。その対応はいつも完璧だ。でもジータにとっては、感情がよく見えず淡々として冷たそうに見えていた。
     彼のそういう性格に加えて。
    (また女の子)
     ジータが他の教師に用事があり、職員室に行ったときだ。何人かの女子生徒に囲まれていた。「ここがわからなくて」という声は聞こえてくるが、明らかに気を引こうとしていることがわかる、甘えるような甘い声だ。
     ルシフェルは若い。そして、容姿がいい。自分たちの年代から見ると、きっと恋愛対象として憧れてしまうのだろう。それはわかるが、よくあのルシフェルに気軽に話しかける気になるなとジータは思ってしまう。ジータはあの冷たくて重々しい雰囲気が得意ではない。
     それに。教師として生徒に接しているだけだとは思いつつ、いつも周りに女の子がいるルシフェルが、少し不潔に思えていた。
     
     とはいえ、ルシフェルから見るとジータはたくさんの生徒の中の一人だし、ジータだって露骨にそんな感情は出すこともない。淡々とした一生徒と一教師という関係だったのだが。
    「……」
     放課後、ジータは所属している料理研究サークルの活動のために、家庭科室を訪れて驚いた。
    (どうしてルシフェル先生がいるんだろう)
     ちなみに、顧問は別の女性の教師なのだが、何故かルシフェルが家庭科室にいた。家庭科室で、ノートPCに向かっていた。
    「あの、ルシフェル先生?」
    「」
     声をかけると、ルシフェルが顔を上げる。少しだけ驚いた表情をしていた。
    (へぇ、驚いたらこんな顔もするんだ)
     少し意外に思った。大人の男の人に対する感想としてはおかしいが、少し可愛いと思った。
    「君は……」
    「料理研究サークルの活動です。先生は?」
    「その……」
     何か話しづらそうにしている。ジータは黙って彼を見つめていた。少し間を空けてようやく口を開けてくれた。
    「一人になりたくて、一人になれる場所を探していた。そうしたら、ここが良さそうで使わせてもらっていた」
     なるほど、確かにルシフェルの言う通りここは一人になるのにはちょうどいい。家庭科室は特別教室のため、少し離れたところにある。一か所しか入口がなく、ルシフェルの座っている席は死角になっていた。ジータが家庭科室に入るまで気が付かないわけだ。
    (一人になりたくて……か)
     普段の彼の様子を思い出す。いつも女子生徒が周りにいた。
     ……もしかしたら、彼も少し迷惑していたのかもしれない。しかし、教師という立場上、分からないところがあると聞かれたら、対応せざるを得ない。だから、こうして一人になれる、つまりは彼女たちから隠れることができる場所を探していたのだろう。
     ジータは完全に彼のことを誤解していたということに気が付いた。
    「使うのであれば、出た方がいいな。悪かった」
    「いえ、いいですよ。私しか来ないので」
     ノートPCを閉じようとした彼に声をかける。誤解していたという負い目もあり、ジータはそう言った。
    「料理研究サークルの活動、って言いましたけれど、部員は私一人みたいなものなんです」
     実は、熱心に活動していた三年の先輩が数名いたのだが、先日受験に向けて引退したのだ。他に幽霊部員が二、三名いたが、顔を出したところは見たことがない。
    「そうなのか」
    「はい。だから、私のことが気にならなければどうぞ。私がいる時点で一人ではありませんが」
    「いや、君なら大丈夫だ。ありがとう」
     君なら、という言葉に少しだけドキっとする。
    (まぁ、私は先生に興味ないし。そういうことだよね)
     一人になりたい、というのはオブラートに包んだ表現だろうと察していたため、ジータはそう思うことで心を落ち着かせた。
     そして、ルシフェルの邪魔にならぬように、ルシフェルと離れた席に座り、次の実習ではどういうテーマで何を作ろうかと検討を始めた。
     
     それから、一時間程経った後だ。
    「使わせてもらって助かった。作業に集中することができた」
     作業がひと段落ついたのか、ノートPCを抱えたルシフェルがそう声をかけてきた。
    「それならよかったです」
    「その……君さえよければ、なのだが」
     ルシフェルはまた何か言いづらそうにしている。
    「もしかして、また使わせてほしい、ということですか?」
     何となく察したジータは、そう先に聞き返した。
    「あぁ。迷惑になるような使い方はしない」
    「いいですよ。私がいてもいなくても、自由に使ってください。まぁ、部室として使っているのが私というだけで、特に許可もいらないとは思いますが」
    「ありがとう。助かる。お疲れ様」
     そして、ルシフェルは去っていった。
    (意外だったなぁ……)
     機械みたいに淡々としていると思っていた。でも内心は、自分に明らかに好意を寄せて付きまとう女子生徒を良く思っていなかったのだろう。人間っぽさが窺えて少しジータは彼への印象が変わった気がした。それに。
    (あの容姿だから、女の人の扱いに慣れてるのかなって、いつのまにか勘違いしてたかも。実は硬派で真面目なのかな………)
     ジータ自身そういうつもりはなかったが、勝手に色眼鏡をかけてルシフェルを見ていたようだ。そんな自分を恥ずかしくも思った。
     
     それから、ジータとルシフェルの奇妙な接点が始まった。ジータは週に二回しか家庭科室を訪れないが、ルシフェルはここが過ごしやすかったのか、よく見かけた。
     お互い顔を合わせたら挨拶をする程度だ。それ以外は特に会話はない。席も離れて座っているから、たぶんお互い相手が何をしているかも意識していないだろう。しかし何故かジータは親近感に近いものをルシフェルに感じていた。彼の秘密を共有しているからなのか。
     そしてその日もいつもと同じ日だと思っていたが、途中から状況が変わった。
    「ねぇ、ジータ」
     珍しく家庭科室の前を女子生徒が通ったと思ったら、顔見知りだった。顔見知りと言っても、友達と言う程ではない。お互い名前を知っている、というくらいの仲だ。その子が少しだけ顔を覗かせて声をかけてきた。
    「どうしたの?」
    「ルシフェル先生知らない? 探してもどこにもいなくて。ここ通らなかった?」
     ルシフェルを探していると言われドキッとする。だって、ルシフェルはすぐそこに居るのだ。
    (言っていいのかな……)
     ルシフェルはきっと自分目当ての女子生徒から逃げている。だから言わない方がいいはずだ。しかし、ルシフェル自身が目的ではなく、何か大切な用事があってルシフェルを探しているとしたら、ルシフェルの居場所を言った方がいいはずだ。彼女はどちらが目的かわからずジータは困惑する。ルシフェルならわかるのだろうが、きっと目線をルシフェルに向けたら居ることがばれてしまう。
    「どうだろう、下を向いていたからわからないなぁ。急ぎの用事? それなら一緒に探すよ?」
     少し悩んだ末、そう尋ねてみた。
    「う、ううん! ちょっと勉強教えてもらいたいな、って思って。大丈夫! ありがとう!」
     足音が遠ざかって行き、ジータはほっとした。どうやら、前者だったようだ。上手く対応出来た。
    「助かった。ありがとう」
     やりとりが聞こえていただろうルシフェルはジータにそう声をかけた。ルシフェルも、彼女が前者だと思っていたのだろう。
    「いえ、一人になりたい、って仰っていたので。それに、ここにいることが一度でもばれたら、今度はここに来られちゃうから、慎重に教えた方がいいかな、って思って」
    「君の咄嗟の判断は素晴らしいな」
     そして、少しだけ笑ってくれた。
    (あ、笑った……)
     たぶん、ジータが初めて見た笑顔だと思った。想像以上に優しい笑顔で、ジータは少しだけ、ドキッとした。
     
     その件があってから、少し話をするようになった。当然普段の授業での彼の態度は変わらない。そしてそれはジータの態度も同様だ。馴れ馴れしくする真似はお互いしない。けれども、家庭科室ではいろいろな話をするようになった。
    「そういえば、君はどのような活動を?」
    「サークルとしては、一ヶ月に二回、何かテーマを作って調理実習を行っています。実習までの調査とか計画、終わった後はまとめがメインですね」
    「なるほど、君は調理に興味があるのだな」
    「そ、そうですね。興味ありますね」
     まさか、「将来お嫁さんになったときのために」とこっそり思っていたことは言えず、ジータは内心では苦笑いを浮かべながら返した。
    「部員はいないんですけれど、予算は出ているので、ありがたく私の活動費に充てさせてもらっています」
    「今は何を?」
    「しっかり美味しくて見栄えもいい時短料理をテーマにしました」
     そして、ジータは今検討している内容をルシフェルにちらっと見せた。
    「美味しそうだ。お腹が減ってくる」
    「そうですか? あ、来週作るので先生も食べます?」
    「いいのか?」
    「はい、来週の木曜日に作るので来てくれれば御馳走しますよ。ご飯って、一人で食べるより誰かと食べた方が美味しいと思うので」
     昔のジータなら、ルシフェル相手にこんな提案しなかっただろう。けれども今は少しだけ彼を近くに感じられており、そう提案した。
     
     そして、次の週の木曜日。
     ルシフェルはいつもの席でノートPCに向かっていた。買い出しを終えたジータは、その横で計画していた通り料理を作っていた。
    「もう、美味しそうな匂いがする」
    「もう、匂いしますか?」
    「あぁ、わかるよ。それに、料理をする音が聞いていて心地いいな。ワクワクする」
     ジータは彼との仲が近くなり、いくつか認識を改めたことがある。勝手に、どこか冷たい雰囲気のある自分とは違う世界の人間だと思っていた。けれどもそんなことは全然なかった。彼は容姿こそ人並み外れた美しさだが、普通の人間だ。二人きりでいるときは、よく笑っている。淡々としていることもなく、ジータの話を優しく穏やかに聞いてくれる。そしてそのことを知っているのは、恐らく数少ない生徒だろうと思うと、少しだけ嬉しい気がした。
    「美味しい。すごく美味しい」
     食事を出すと、ルシフェルは一口食べて表情を綻ばせる。
    (あ、また笑った)
     ジータはルシフェルの笑顔が好きだった。美しい彼が笑うのだ、確かに美しい。しかし、それとは別に、どこか人間っぽい親しみを感じる。そこがジータは好きだ。
    「君はすごいな。少し前は食材だったのに、今はこうして美味しい料理になった」
    「先生は作らないんですか?」
    「外食や、コンビニやスーパーで買ってばかりだよ」
     何となく、彼がコンビニやスーパーで買い物している姿を想像することができず、ジータは少し笑ってしまった。
    「何か変なことを言っただろうか?」
    「いえ、先生って、通販とかで高級食材取り寄せて、自分ですごい料理を作っていそうなイメージがあって」
    「真逆だよ。でも、誤解が解けてよかった」
     ルシフェルは苦笑いを浮かべながらもそう言った。
    「私、先生のこと、勘違いしていた気がします」
     些細な会話が楽しくて、ジータはついぽつりと言ってしまった。
    「勘違い?」
    「もっと、冷たくて怖い人だと思っていました」
    「生徒の目からそう見えていたのであれば、教師としては本望かもしれないな」
    「やっぱり、意識しているんですか?」
    「半々かな。意識はしているが、教師になる前からよくそう言われていた」
     それであれば、こうして自然な姿の彼は珍しいのだろうか。
    (自然体の先生は、とっても素敵なのに)
     よく笑うし、何かあれば悲しい顔もする。話していてもとても楽しい。元々誰かに言うつもりはなかったが、改めて自分ひとりだけの秘密にしようと思った。
     
     それからも、よく話をした。一緒にジータの作ったご飯を食べた。教師と生徒の枠を超えない範囲で、いろいろな話もした。
    「へぇ、先生、珈琲好きなんですね」
    「今度おススメのお店を教えるよ」
     ジータはルシフェルとの話が好きだった。ルシフェルといると楽しい。会話が盛り上がり、作業が進まないこともよくあった。
    (先生……こういうの好きかな)
     そして、実習の計画は、いつの間にかルシフェルの顔を思い浮かべながら作るようになっていた。いろいろなものを作ってあげたい、そう思い始めていた。
    「うん、美味しい」
     ルシフェルはいつも、笑顔で嬉しそうに食べてくれた。そのルシフェルを見ると、ジータも嬉しくなった。心が温かい気持ちになった。
     
     あっという間にジータは三年になった。ジータは受験のために引退し、幽霊部員しか残っていなかった料理研究サークルは廃部となった。
    「顧問でもない私が言うのも奇妙な話だが、寂しくなるな」
    「そうですね……」
     ジータも同様だ。ルシフェルと過ごす時間はとても楽しかった。もうルシフェルとこうして話すこともできない、こうしてご飯を作ってあげることもできない、そう思うと寂しい気持ちになった。
    「引き続き家庭科室は使っても大丈夫だと思います。そもそも、誰も使わなくなるので」
    「気を遣ってくれてありがとう。君の気遣いに何度も助けられた」
    「そうですか?」
    「あぁ、君は私のことをよく考えていつも行動してくれた。感謝する」
     そう言われると嬉しくもあり、もうこうして会えないことを考えると苦しくもあった。
     
     楽しいルシフェルとの日々は終わった。
    「これを応用すると……」
     黒板に美しい字で英語を綴る彼をぼんやりと見つめる。
     そう、授業では会う。だから完全に接点がなくなったわけではないのだ。けれどもジータは、当然態度には出すようなことはしないが、授業中の彼では物足りなかった。
    (先生と、また話したいな)
     離れてようやく、ジータは明確に意識した。自分はルシフェルが好きだ。ルシフェルの穏やかで優しいところが好きだ。話をするととても楽しい。美味しそうにご飯を食べてくれると嬉しい。
     考えるのはルシフェルのことばかりだった。恋とはなんて厄介なことだろうとジータは思った。廊下で偶然すれ違うだけでドキドキする。ルシフェルにまとわりつく女子生徒がいるとモヤモヤとする。
     きっとこれは恋だ。でも、ジータはこの恋は隠したままにするつもりだ。
    (結果はわかってる)
     ルシフェルはとても真面目な教師だ。断る以外のことは絶対にしない。きっと彼は淡々と、もっともな理由を並べ断るだろう。しかし、彼のことを良く知っているからこそ、内心はとても心を痛めているだろうことを知っている。そう、そういう誠実で真面目なところもジータは好きなのだ。
     初恋は実らないという。きっとジータも例外ではない。けれども素敵な恋をしたと、心の中にしまっておこうと思った。
     
     そして卒業式を迎える。ジータも四月からは大学生だ。
     ある程度友達と挨拶を済ませ、やり残りはないだろうか、ふと考える。
    (最後に、家庭科室……行こうかな)
     ルシフェルへの気持ちはまだ変わらない。最後に、あの楽しかった思い出の場所に行こうと思った。楽しかった思い出を胸に刻んで、前に進もう、そう思った。
     だが、ジータの予想はいい意味で裏切られた。
    「せん……せい?」
     家庭科室に行くと、何故かルシフェルがいた。
    「ジータ……どうして」
    「思い出の場所だったので、最後に行っておきたいな、と思って」
    「そうか、同じだよ。君の卒業の日だからこそ、ここでゆっくりしたいと思って」
     よく見たら、いつも持っているノートPCがない。今日は特に何も持ってきておらず、ただゆっくりと過ごしていたらしい。
    「同じ気持ちですね」
     ルシフェルに偶然会うことができ、良い思い出として胸に秘め、前に進もうと思っていた気持ちが揺らぐ。
     想いが溢れそうで何も言葉にできずにいた。そのとき、彼はポツリと言った。
    「もう、卒業したから言えるが、君とここで過ごす時間、私はとても楽しかったよ」
     ジータの胸の鼓動が早まる。ルシフェルもきっと、生徒としてはジータのことを好いてくれていた。その事実が嬉しいのと同時に、もう会うこともないのでそれ以上言わないで欲しいとも思った。自然とジータの目から涙がこぼれそうになる。
     きっとこれが最後だ。彼とは二度と会うこともないかもしれない。
    (私、もう卒業してるし、先生の迷惑にならないよね?)
     もう、気持ちを抑えることはできなかった。
    「私も先生と過ごす時間、好きでした。私、先生が好きです。男性として先生が好きです。私の初恋です」
    「……」
     今までで一番驚いた表情をされた気がする。けれども、吐き出してしまった想いは止められなかった。
    「私、先生の優しい笑顔好きです。誠実なところ好きです。ご飯美味しそうに食べてくれる姿が好きです」
    「ジータ」
     話していて涙がこぼれてきた。本当に楽しかったし、目の前の彼がやはり大好きだ。ジータの名前を、ルシフェルは苦しそうに呼ぶ。
    「君はもう少し広い世界を見た方がいい」
    「……ですよね、分かっていました。私、先生のそういう誠実なところも好きなので」
     苦しそうにそう言われたので、気にしていないという風を装い、ジータは笑って言った。わかっていたことだ。彼ならば断わると思っていた。けれども、やはりショックだ。涙が止まらない。
    「君はこれからもっと美しくなるだろう。価値観も大人になって変わる。そして、高校という狭い世界から、もっと広い世界に行き、いろいろな男性と出会うだろう。その中に君の運命の相手がいるかもしれない」
    「そうですね。私、これからたくさんの人と出会うと思います。でも私、きっとずっと先生が一番好きです。わかるんです。それだけは、分かってもらえると、嬉しいな……って」
     ルシフェルの目から見ると、子供の戯言に聞こえるだろう。でもジータは何となくわかっている。自分はきっとルシフェル以上に人を好きになることはないと。ぼんやりと、きっとこれが最初で最後の真剣な恋だと、悟っていた。
     ルシフェルは少し悩んでいるようだった。これ以上この場にいれば困らせてしまうだろうか……そう考えてその場を去ろうと思ったときだ。
    「君の真剣な気持ちはわかった。そこまで真剣に想ってくれているのであれば、私も君の気持ちに応えたい」
    「え……」
     応えたい、とはどういうことなのだろうか。彼を改めて見ると、とても真剣な表情をしていた。
    「この一年で君の生活は大きく変わる。その間、君とは会わない。それでも私への気持ちが変わらなければ、また君の想いを聞かせて欲しい。もし変わらないのであれば……私も君とのことを真剣に考えたい」
     つまり、一年経ってもジータの気持ちが変わらないのであれば、ルシフェルは真剣にジータとの付き合いを考えてくれる、そういうことだろう。
    「ほ、本当ですか」
    「あぁ。もう君は生徒ではない。問題はないだろう。連絡先も教えるよ。君の真剣な気持ちは痛いほどわかった」
    「は、はい! 私、自信ありますから! 一年、待っていてください!」
     そう言うと、ルシフェルは少しだけ嬉しそうに笑ってくれたような気がした。
     
     そしてジータの大学生活が始まる。大学生活は楽しかった。その中で、たくさんの男の人に会った。けれどもルシフェルより素敵だと思える人はいなかった。いろいろな人に接する度に、ルシフェルへの好きを再認識する。
     ルシフェルとは会わない約束をしていたが、用事があればメッセージは送ってもいいと言われていた。だから、ジータはたまにルシフェルに大学生活の様子を送っていた。
    「先生より素敵な人はやっぱりいないです。先生が誰より一番素敵です」
     自分の真剣な想いが伝わればと思い、ジータは素直に気持ちを送っていた。
    「そうか、ありがとう」
     そのジータに対し、ルシフェルの返事はいつも同じだ。けれども今はジータの真剣な気持ちを伝えることが大切だと思っていた。だから、たまに送るメッセージでは、自分の気持ちを素直に表現していた。
     
     大学生活も二、三か月が過ぎたある日のこと。
    「頼む。ジータ可愛いから、いい男来ると思うんだ!」
     大学で出来た友達にそうせがまれる。合コンのお誘いだ。
    「私、好きな人いるから」
    「ご飯食べるだけだから、ね?」
     しつこく頼まれたこともあり、ジータはしぶしぶ引き受けることにした。
     
     ジータとしては食事をしに来ただけだった。けれども状況は違った。
    「ジータちゃんって言うんだ、すげぇ可愛い」
     ある男性がジータにそう言ってきた。まるで値踏みするような視線も気持ち悪い。ジータの隣の女の子がトイレに立ったとき、その男性は隣にやってきた。
    (うっ……臭い)
     男性側は成人している人が多かったのか、アルコールを飲んでいる人がほとんどだ。その男性もその一人で、アルコールの強い香りが鼻をついた。その男性がジータのすぐ横にぴったりと座っている。気持ちが悪いと思った。
    「すみません、お手洗いに」
     ジータはその匂いが気持ち悪く、トイレに立った。
    (なんか嫌な感じ……もうタイミング見て帰ろう)
     もうあの場にいたくなかった。心の拠り所が欲しくて、ルシフェルとやり取りしているメッセージを読み直す。
    (よし、頑張れそう)
     そして、席に戻ったジータ。まだ隣にはあの男性がいる。
    「ジータちゃん遅かったね」
    「ごめんなさい、メイク直すのに時間がかかって」
     話をするのが気まずくて、目の前のウーロン茶に手を伸ばし一口含む。飲んだ瞬間、違和感に気が付く。
    (これ……)
     ウーロン茶ではない気がした。本能で飲み込んではまずいと思った。ジータはそのまま慌ててトイレに戻り、口に含んだウーロン茶を吐き出す。
    (もしかしたら、アルコール……?)
     未成年のジータはお酒の味を知らない。しかし、お酒も提供されている中、すり替えられたのだと思えば納得できた。自分は未成年だと知っているはずだ。きっと意図してすり替えられた。自分を酔わせて何をしようとしていたのか、考えるとぞっとした。
     そのまま帰りたかったが、バッグを置いてきてしまった。仕方がなく席に戻ると、まだあの男がいた。
    「どうしたの、ジータちゃん」
    「……私のウーロン茶、アルコールが入っていたものと代わっていたみたいなので」
    「あれぇ、店員間違ったんじゃないか?」
     そう、へらへらと笑われて腹が立った。
    「……私、帰ります」
     バッグを持って立ち上がろうとしたときだ。
    「まだ、早いだろ?」
     肩を急に抱かれる。
    「は、離してください!」
    「ねぇ、俺とか彼氏にどう?」
    「私、今日は数合わせなので。好きな人いるんです」
    「俺、そういうの気にしないから。ジータちゃん可愛いし、スタイルいいし。大学生なんだからさ、いいじゃん」
     男は聞かない。自分に触れる手が気持ち悪いが、力が強くて振り払うことができない。そのまま、肩に回された手は腰に回された。
    「い、いや……やめて」
     ジータが大声を上げた。場が静まる。その声に驚いたのか男は手を離した。その隙にジータはバッグを持ってその場から逃げた。
     
     帰り道、ジータは落ち込んでいた。あの男のことを思い出すだけで、吐き気がしそうだった。触られたところがまだ気持ち悪い。
    (早く帰って、お風呂入って、忘れよう)
     そう思っていたときだ。携帯のバイブレーションが鳴った。見ると、ジータを合コンに誘った友達からだ。
    「あの態度なんなの? しらけちゃったじゃん。あの人も怒ってたよ、感じ悪いって」
     自分は被害者なのにどうしてこんなこと言われないといけないのか。そう思った。しかし、せっかくできた友達だったから、謝罪の言葉と共にあの男性が勝手に触ってきた事実を伝えたのだが。
    「いいじゃん、そのくらい。どうせ、彼氏だっていないんでしょ?」
     そんなメッセージが返って来た。ジータはショックだった。
    (私が、おかしいのかな……)
     ジータは好きでもない人に触られるのは嫌だ。
     そして、あのときの気持ち悪さと恐怖、不安で涙が今更こぼれてきた。まるで自分が汚いものになってしまったような気がした。
    (先生に会いたいな)
     一年は会わないと約束した。けれども、我慢できなかった。一言「会いたいです」とだけ送信してしまった。でも送った後ではっとした。
    (ダメだ、甘えちゃ)
     甘えてはだめだ。ルシフェルのことを思っているから、会わなくても気持ちは変わらないとルシフェルに言ったのだ。
     しかし、送ってしまったものは取り消すことができない。だから「ごめんなさい、間違って別の人のメッセージを送ってしまいました。削除してください」と誤魔化した。
     本当は会いたい。会って顔を見て話を聞いてほしかった。でも会わないと約束した。ルシフェルに自分の気持ちをわかってもらうためにも守らなくては。泣いて携帯を握り締めたときだった。バイブレーションが鳴る。また友達からの嫌な通知かと思って恐る恐る携帯を覗くと。
    (先生……)
     名前を見るだけで安心した。ルシフェルからのメッセージだ。そして、内容を確認して、驚いた。
    「何かあったのだろうか?」
     それだけ書いてあった。きっと、間違いではないことを察している。ジータの身に何かあったのだとルシフェルは気が付いている。何と返そうか迷っていると、またメッセージが来た。
    「これから会おう」
     ルシフェルにはがっかりされるかもしれない。けれども、ジータはルシフェルの親切に甘えることにした。
     
     深夜まで営業している近くのファミレスで待ち合わせることになった。先に着いたのはジータだった。その数分後。
    「待たせてしまった、すまない」
     ルシフェルが来た。少し息が荒い。慌てて来てくれたのだろう。ジータの見たことのない服だった。きっと私服だ。家で休んでいたところを飛んできてくれたのだろう。
    「先生……」
     泣き止んではいた。でも、ルシフェルの顔を見たらほっとしてしまった。涙がまた零れてくる。
    「何かあったのだろう? 私でよければ力になる」
    「私……」
     ジータは今日あったことを話した。合コンに断り切れずに参加したこと、そのうちの一人がジータを値踏みするような目で見てきたこと、お茶をアルコールに代えたりジータの体に触ってきたりしたこと、それを友達にノリが悪いと非難されたこと、全部話した。
    「私が、悪いのかな、って……でも、すごく気持ち悪くて嫌だったんです。なんだか、自分が汚いもののように感じてしまったんです」
     話しているうちにまた涙がこぼれてきた。
    「君は悪くないよ、ジータ。君は悪くない。その友達とは価値観が合わないんだ。君は汚くない、綺麗だよ」
     ルシフェルは、ただ頷いて話を聞いてくれていた。ルシフェルは相変わらず優しい。ジータはやはりルシフェルが好きだと再認識していたときだ。
    「私のせい……だと思う」
     ルシフェルは急に、自分を責めるように、そう言った。
    「どうして? 先生は関係ないですよ」
     そうだ、今回の件、ルシフェルは関係ないはずだ。
    「私が、君を試すような中途半端なことをしたから。……正確に言えば、試すつもりではなかった。一年かけて新しい世界に触れたら価値観が変わるかもしれない。だから、君のためになると思ったんだ」
    「先生の意図はわかっています。私のために時間をくれたんだって、わかっています」
    「あぁ。その気持ちが一番だったことは否定しない。でも」
     ルシフェルは一息ついて言った。
    「何となくわかっていたんだ。君は純粋で一途で真っすぐだ。だから、一年経っても君は私を好きでいてくれるとわかっていた。それなのに君にそんなことを言ったのは、きっと……私が自分で安心したかったのもあるのだと思う。他の男と比べても、ジータが私を選んでくれた、その安心感も欲しかったんだと思う」
     そして、ルシフェルは深呼吸を一度して、告げた。
    「私も君のことが好きだ」
     最初は何を言っているかわからなかった。彼ははっきりと、自分を好きだと言ってくれた。でも、嬉しさよりも意外さが上回り、頭が回らない。
    「あのとき、私も好きだと君に伝えればよかった。そうすればきっと、君は私のためにそんなものには絶対に参加しなかった。だから、今回のことは私のせいだ。無用な気遣いと、中途半端な大人のプライドで、君を振り回してしまったんだ」
    「せん……せい、私……」
     何と答えればいいかわからない。嬉しい前に混乱している。すがるように、彼を呼ぶ。
    「あぁ、改めてきちんと言おう。ずっとずっと好きだった。君と過ごす時間が好きだった。愛らしい君をいつまでも見て居たかった。もう、君に中途半端なことはさせたくない。だから、君が良ければ今日から私を君の恋人にしてくれないか?」
     ようやく、きちんと理解できた。今度は嬉しい涙がこぼれる。嬉しい。
    「はい! 私も、先生の恋人になりたいです!」
     ジータも真剣に強くそう答える。
    「ありがとう、とても嬉しい。でも、恋人になってもしばらくは君に触れるようなことはしない。それは君が大切だからだ。高校を卒業してばかりの君に触れてはいけないと思う。それに、君はこれからもっと素敵な人に出会うかもしれない。そのときは潔く身を引く覚悟をしている」
    「先生真面目ですね。でも、そんなところも好きです」
    「フフ、嬉しいよ」
     ジータは、涙をこぼしながらも笑顔でそう答える。
    「先生」
    「ん?」
    「私を大切にしてくれるのは嬉しいです。それが先生の決めたことなら、私も従います。でも……今だけ、今だけでいいんです。手、触ってもらってもいいですか?」
    「……いいよ」
     ジータが手を差し出すと、ルシフェルがそっと包み込むように触ってくれた。
    「やっぱり、全然違う。先生の手、優しい。温かい気持ちになる」
    「もう少しだけ、触っても?」
     ルシフェルにそう聞かれ、ジータは頷く。すると、そっとジータの頬を撫でてくれた。
    「全然嫌じゃない。もっと触って欲しいって思う。好き……」
     あの男性とは全然違った。触れる手をとても愛しいと思った。
    「ここまでだ。続きは、君がもう少し大人になったらな」
    「うん」
     
     ルシフェルとジータは恋人同士になった。宣言通り、付き合っているとは言え、ルシフェルはしばらくジータと一線引いていた。ジータに触れることはなかった。
     けれども、ジータは嬉しかった。毎日何気ないメッセージをやりとりするだけでも心が躍った。休日の昼間にデートするだけでその日は最高の一日になった。ルシフェルも、触れないだけでジータをとても愛してくれた。とても大切にしてくれた。
     その関係が少し変わったのはジータの二十歳の誕生日。その日を境に少しずつルシフェルが触れて来てくれた。最初は人の居ないところで手をつなぐようになった。そのうち、よく頭や頬を撫でてくれるようになった。そして、初めてキスをした。大人になったような気分でとても嬉しかった。
     
     そして、数年後。
    ジータは朝の太陽の光で目が覚める。
    「ん……」
    「おはよう」
     目が覚めたジータに気が付いたのか、隣で寝ていたルシフェルが声をかけた。今はもう恋人ではなかった。ジータの愛する夫だ。
    「ん……ルシフェル、おはよう」
    「今日も可愛い」
     そう声をかけながら、キスされる。ジータの顔が真っ赤に染まる。思わずタオルケットに顔を埋める。
    「煽るようなこと、している自覚は?」
     そう言いながら抱き寄せられる。赤い痣の残る首筋にまたキスをされる。
    「ルシフェル……また、朝から……?」
    「君も、どうして今日は予定を入れなかったのか察してくれていると思ったが」
    「……」
     ジータは無言で肯定した。
    「フフ、可愛いジータ。私の奥さん」
     ルシフェルに初めて抱かれたのは、結婚した日の夜だった。名前の通り、本当の初夜だった。たくさんルシフェルに愛された、幸せな夜だった。
     そして、数ヶ月経った今でも、ルシフェルはジータをたくさん愛してくれる。当然ジータは嬉しい。
     けれども、最初の一線引いた雰囲気とは結びつかず、少し不思議に思うこともある。
    「ねぇ、ルシフェル」
    「ん?」
     覆いかぶさっていたルシフェルが顔を上げる。
    「その……私はたくさんたくさん愛されて幸せだけれど、ルシフェルは……無理とかしてない?」
    「無理? 的外れな心配だ。私こそ君に無理させている自覚はあるが、止めることができずにいる」
    「高校時代とか、卒業したばかりの頃とか、こう……私に触れない感じだったから」
    「あぁ、そういうことか」
     ジータの質問の意図がわかったのか、ルシフェルは、フフ、と笑いをこぼす。
    「単純に、ただ我慢していただけだよ。君のことが好きだから、君を傷つけたくなかった」
     当時を思い出したのか、ルシフェルはジータを優しく抱きしめる。
    「本当は、何度も触れたいと、抱きしめたいと思った。気持ち悪いと思うかもしれないが、それ以上のこともしたかった。でも、君を傷つけたくなかった」
     ルシフェルのぬくもりが温かい。何年経っても、ルシフェルが大好きだ。
    「私、そういうことされても嫌じゃなかったよ。でもね、ルシフェルの私を大切にしてくれるところ、すごく嬉しかった。これからはたくさんしようね」
    「あぁ、そうだな。……そうだ、今日の朝食は私が作るよ。君は終わったらもうひと眠りするといい。料理も教えてもらって、大分上達した」
    「やった! ルシフェルの朝ごはん大好き」
    「君にはまだまだ敵わないが」
     そして、もう一度優しくキスをした。
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     唖然としている少年の後ろから、五条はすたすたと歩いてその門へと向かっていく。
     ぎぎ、と軋んだ音を立てて開く、身の丈の倍はあるだろう木製の扉。黒い蝶番は一体いつからこの扉を支えているのか、しかし手入れはしっかりされているらしく、汚れた様子もなく誇らしげにその動きを支えていた。
    「ようこそ、五条の本家へ」
     先に一歩敷地に入り、振り向きながら微笑んで見せる男。この男こそが、この途方もない空間の主であった。
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