行員が何名か、ギャンブル中の事故で怪我を負ったらしい。
それだけならば、よくあることであり、一々報告するなとさえ言いたくなる。暴れるギャンブラーや、債務者。行員同士の暴力、無茶な安全基準の大道具。怪我の要因は多彩だ。
しかし、怪我人の中に宇佐美班主任の名があった。
入って日の浅い行員が怪我をするならまだしも、主任である宇佐美が、つまり手練れであるところの宇佐美が大怪我を負い、医務室ですらなく系列の病院に運び込まれたというのだから寝耳に水だ。
聞けば、試合中に逆上したギャンブラーが司会の宇佐美に斬りかかり、その後VIPを人質に取ったらしい。幾許かの後に、そのギャンブラーは取り押さえられたそうだが、VIPを人質に取られた手前、宇佐美の止血が後手に回ったそうだ。
手術は行われたが、出血の量が酷く、目を覚ますかすら断言できないというのが主治医の診断だった。
行員の命は羽のように軽い。
よくある事。
日常の風景。
だから、宇佐美が死にかける事だって、もう二度と目を覚まさない可能性さえある事だって、想定の内なのだ。
……いや、俺は本当にそんな事を考えられていたか? 宇佐美が死ぬなんてことを考慮に入れたことがあったか? 何処かでこの男が死ぬはずなんて無いと思っていたのではないか。
どうしてそんな風に思っていられた。
そして、どうして俺は他の仕事を放ってまで、その男の病室に足を運んでいるのか。
病室の扉の前で足を止めた時、やっと自分が肩で息をしている事に気がついた。走った記憶は無い。
この扉の奥に宇佐美が居る。
ただ意識の無い宇佐美が横たわって居る。
無意味だ。
昏睡状態の患者を見舞う事の無意味さ。
それも、何の手土産もなく、着の身着のまま、ただ居ても立っても居られなかった故に。
無意味さに打ちひしがれようとも、既にここまで来てしまった。病室の引き戸を開ければ、中には想像と同じく、病院らしい白い部屋に横たえられた宇佐美が居た。
病衣の状態でベッドに横たえられ、計器や管、酸素吸入機等が繋がっている。
ベッド脇のモニターは、一定の拍子で心電図を映している。
もう二度と目を覚まさないかもしれない男の顔を覗き込む。勿論、いつものにやけ面はそこに無く、いつもより青白く見える肌と閉じられた瞼が有るばかりだった。
ふつふつと怒りが湧いてくる。
今日の予定では宇佐美班と片伯部班のギャンブルだった筈だ。宇佐美が司会だったのだから、ギャンブラーそれぞれの担当は動けた筈だろう。どうして、VIPを人質に取られるような真似をした。
宇佐美は本当にこのままなのだろうか。
外から見て分かる外傷はない。衣類で見えない所に傷はあるらしかった。
課長になるために、この男が部下に欲しかった。この男を部下にできないのであれば、次善の策を使えば良いだけだ。
ただ、それだけの筈だ。
なのに何故俺は、その次善の策の準備の手すら止めて、こんな無意味な見舞いに来たのか。
……ああ、俺はこの男の強さが欲しかったのだ。もうおそらく、手に入らないその強さ。課長になることさえ関係無く、宇佐美の強さが欲しかった。
俺とは異なる視点を持つ、優れた男。
その二度と開かれないかもしれない瞼に唇を落とす。
この男の見ていた未来とはどんなものだったのだろうか。
伊藤吉兆の足音が病室を出て遠ざかるのを確認してから、宇佐美は身を起こし、くすくすと笑った。
「……憧憬、ですか」
目を閉じていても感じた普段とは違う伊藤の様子に、やはり可愛い男だと、宇佐美は心中ほくそ笑んだ。
オチ
村雨先生が余りにも一方的に勝利し、試合時間が短くなりすぎたので、余興として「宇佐美主任が切られたと知った御手洗君は、どう行動を起こすんだろう中継会」を特5が企画しました。
狂言です。