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    クノ🎲

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    天野ひとみ自己紹介SS

    夕暮れに死にたい 雀の声を聴きながら、天野ひとみはぐるりと眼球を動かして部屋中を見渡す。
     自分の部屋にあるものを一つ一つピントを合わせながら仔細に見るのが朝のルーティンだ。子どもの頃から変わらない学習机は子どもっぽくて少し恥ずかしさを感じるが、何しろまだ数年しか使っていないようなものだ。頑丈を売りにしているだけあって、まだまだ現役を退くことはなさそうだ。残念ながら。その上に積まれた医学書のタイトルまで読めることを確認して、これでおしまい。ベッドから降り、身支度を始める。
     階下から聞こえる母の声。ひとみ、早く起きなさい! もうとっくに起きている。ただ、朝の『儀式』を行なっていただけなのだ。彼女の声もルーティンといえばそうなのかもしれない。ただ、これはひとみにとって必要とは到底思えないので年々煩わしく感じるようになっている。
    「俺は二十四だよ、母さん」
     呆れたようにひとりごちると、さっさと着替えた。その時も、いろいろなものを確認する。毎日ボタンをじっくり見ていると、外れかけたときにすぐ解るのは得かもしれない。だが、総合的に見れば時間を食うのでデメリットの方が大きい。
     それでもひとみはものを見ることをやめられない。

     ひとみは医学生だ。二年遅れて入学していて、今は三年次ということになる。勉学と実習で忙しい。もっとも、ひとみは物覚えも要領も良い方だったし、部活動に参加することもなかったので、一般的な(というのがどのレベルなのかはあまり解っていないが)医学生よりは余裕がある。今年度はできるだけ夕方に授業を取らないようにし、家で料理の練習をしている。両親は共働きで、帰りが遅いからその時間なら一人で何を見咎められることなくことを進められるのだ。特に母はひとみが家事をするのを嫌う。あなたは勉強のことだけを考えていればいいのよ。これがほとんど口癖になっている。ひとみは困っている。いずれ自分は独立するのだから、家事ぐらいできるようにならなければ困る。本当は洗濯もしたい。だが、彼女らはそもそもひとみが一人暮らししたいなどと言ったら、大いに怒るだろう。
     ひとみは長らく、病気を患っていた。目に疾患があった。そのせいで恐ろしい弱視だった。治すためには時間と金が必要で、両親には多大な迷惑をかけてきた。それは解っている。完治したあと、医者を志すと言ったとき、母も父も泣いて喜んでくれた。それはひとみにとって苦い記憶だった。思い出すたび、自分は今後の人生で彼女らに恩を返していかねばならないと気付かされるからだ。
     必須授業と選択授業を受ければ、時間はあっという間に過ぎていく。あまり食に頓着がないから、昼食に何を食べたかも曖昧だ。友人もいないので、会話の記憶もない。ただただ、教授の話を聞てメモを取り、実習ではビニール人形に向かって医療技術のあれやこれやを行う。体感で言えば一時間くらいしか経っていないように思えるが、太陽はその間に東から登って、今や西へ沈もうとしている。
     帰路の途中、歩道橋を通っていると、その真ん中で手すりに両腕をかけ、もたれかかっている子どもを見かけた。小学校高学年くらいだろうか。ひとみはその姿をよく見知っていた。いつも同じ時間にいる。正確に言えば、いつもではないかもしれない。ひとみがこの時間にここを通るのが週三回、それが毎回なのだ。だから、他の日も、特に平日はそうかもしれないと思っているだけである。
     彼はいつも一人で、沈んでいく太陽をじっと眺めているだけのように見えた。郊外の道路だ。車通りは少なくはないが、とても多いとも言えない。タイヤがアスファルトを滑る音を聞いていて面白いとも思えない。
     ひとみは立ち止まり、しばらく彼の姿を見ていた。彼は気づいていないのか、ただ無視をしているのか、反応はなかった。これまで何かしたことはなかった。別段関わる理由もなかったので。だが、不思議には思っていた。それが積み重なって、今日ひとみの口を開かせた。
    「ねえ」
     ゆっくりと呼ぶ。子どもはまだ反応がなかった。ひとみはやや逡巡ののち、彼にもう二歩ほど近くに寄ることにした。何しろ、声をかけたにしては、まだ距離が遠かった。
    「ねえ、君」
     ようやく彼は振り返ってくれた。顔には戸惑いが浮かんでいた。それはそうだろう。知らない大人に声をかけられて無邪気でいられるような年齢ではない。声掛け事案、という言葉が一瞬脳裡に浮かんで恐怖を覚えたが、おそらくきちんと距離を取っていれば大丈夫だろう。おそらく。たぶん。
    「何をしているの?」
     しばらく彼の口は動かなかった。そういえば、ひとみはもう一つ、自分の外見で怪しがられる特徴があることに気づいた。サングラス。目の病気は治ったとはいえ、紫外線をあまり当てないようにという医者の指示のもと、基本的にいつでもサングラスをかけている。丸眼鏡に色と紫外線の遮蔽加工をつけたくらいのものであるが、それがますます怪しく見えるかもしれない。
    「あ、……いや。答えたくなかったならいいんだ。ただ、毎日そうしているから」
    「待ってる」
     慌て始めたところで、少年はややぶっきらぼうにひとみの言葉を遮った。そのうえ、答えを返してくれた。理解するにはあまりに不完全であったが。
    「待ってる?」
    「そう」
    「何を?」
     一度子どもは口を引き結んだ。コミュニケーションは難しい。ひとみは掲示板などをめぐり、それぞれの人間の愚痴の投稿を見るのが好きである。いろいろなものに悩みや不満を抱えている様を見ていると、気持ちが落ち着くのだ。だが、実際に人と話すことは大いに苦手である。
    「あ、の。答えたくなかったら」
    「ゴルゴ13」
    「うん?」
     再びひとみの言葉を遮るようにして子どもは答えた。固有名詞にひとみはかすかに覚えがあった。幼少期の入院中は暇が過ぎて、病院にある本はほとんど全て読んだ。青年向けの漫画雑誌も例外ではない。おかげで耳年増になった。それはさておき、彼が口にしたものがなんなのかも解った。漫画のキャラクターで、世界最高のスナイパー、殺し屋だ。この年齢の子どもが知っているのはかなり珍しいのではないかと思うが。親が読んでいるのを覗いているのかもしれない。
     否、そんなことより。
    「……なんでか、聞いてもいい?」
    「うん……」
     彼は安堵したかのように思えた。これは推測ができる。ひとみが馬鹿にするような態度を取らなかったからだろう。更に、続きを聞くときにも許可を取ったことによって、少し信用してくれたのかもしれない。
     ひとみはもう少しだけ彼に近寄ることにした。ほとんど隣り合わせで、手すりに捕まる。太陽が落ちていくのが見える。
    「ここ、見晴らしがいいでしょ?」
    「そうだね」
    「だから、ここで待ってたら、ゴルゴ13が現れて僕を撃ってくれるかもしれないって」
    「撃たれたいんだ」
    「うん」
     もちろん、彼の言っていることに現実性はない。ゴルゴ13はいないし、いたとしても彼を殺しに来る理由はないだろう。だが、問題は彼が撃たれたがっているということなのだ。
    「保険証の裏にさ」
    「うん」
    「臓器の提供するかっていうの、あるじゃん」
    「そうだね」
     思い浮かべる。もし自身が死亡した際、臓器を必要なものに提供するか否か、意思表示をできるチェック項目がある。
    「僕、あれで全部あげるってチェックしたんだ。だから、ゴルゴ13が僕の頭を撃ってくれたら、臓器を待ってる他の人が助かるなって」
    「助けたいんだ?」
    「うん。僕は生きてるの、疲れたから。必要な人にあげた方がよっぽどいいじゃん。でも自殺とかは怖いし……」
    「そう……」
     会話は途切れた。ちらりと横を見ると、子どもの表情は極めて薄くなっていた。太陽が降りていく。彼はこの夕暮れの中で死にたがっている。
    「俺も昔、よくそう思ってたよ」
     ひとみが言うと、子どもは目を見開いてこちらを見た。必然、目を合わせることとなり、二人して苦笑した。
    「ずっと入院してたんだ。病気でね。でも治すのにはすごくお金と時間がかかったし……何より、今こそ治ったからいいけど、当時は本当に治るかも解らなかった。だから、夕暮れになると、いつも気持ちが落ち込んでた。命に関わる病気じゃなかったけど、病気のまま普通に生きていくには結構大変なものだったから。俺をこんなにお金をかけて生き残らせるより、早く死んで他の人に健康な部位を与えられたらな……って。ゴルゴ13のことは考えなかったけど」
    「今は違うの?」
    「うん」
     ひとみは肩掛けバッグを持ち上げ、ジッパーを開いた。中からは分厚い本が見えている。子どもは興味深そうにそれを覗いた。
    「医者になろうと思ってる。……精神科だけどね」
    「お金がかかっても?」
    「そう。だって、」
     と、そこで一度口を閉じた。この先は、あまり子どもに聞かせたくないと思った。ああ、うう、と意味のない発声を繰り返したあと、首を横に振った。
    「……命があるっていうのは代え難い大事なことだから」
    「そんなこと言ったって、人間なんていっぱいいるじゃん。僕が生きてなくたって代わりはいっぱいいるよ」
    「そうかもしれない。でも君は実はものすごい才能の持ち主で、死んでしまったら大きな損失かもしれない」
    「そんなことない」
    「断言はできないよ。可能性はあるんだから」
     子どもは黙った。
     ひとみはもう一度苦く笑った。
    「俺は意地悪なことを言ったよね。君は本当は、誰かに臓器をあげたいんじゃないんだ。ただ、生きているのが辛いんだと思う。違うかな?」
    「……違わない」
    「うん。でも、楽しくないまま死ぬのもつまらないからさ。生きているのが辛くならないように動くのもありなんじゃないかな。何も知らないのに適当なことを言ってごめんだけど」
    「うん……」
    「スクールカウンセラーには話を聞いてもらったかな。ダメだったらいくつか手を紹介するよ。もしご両親と仲がよくないとしても、子どもだけでなんとかできる方法もある……」

     そうして、いくつかの話をしたあと、ひとみは子どもと別れた。最終的に、彼は少しすっきりした顔をしていたように思う。だいたいの場合は、死にたいというより、辛い生活を逃れたいということなのだ。ひとみだって、金銭の心配がなければ死にたいなどと思うことはなかっただろう。命が失われるのは、やはり後味が悪い。かつての自分と似たような気持ちを抱えている子どもを少しでも救えたのなら、満足はある。
     もうすぐ家に着くことを少しばかり憂鬱に思いながら、ひとみは自分の本当の考えを言わなくて本当に良かったと思った。
     たとえお金がかかっても、きちんと生き抜いて医者になろうと思っている。だって、もうすでに両親には多大な迷惑をかけている。ならば、それ以上のものになって、彼女らに報いる必要がある。
     それが、子どもに教えてはいけないような、ネガティヴな結論であることは、もちろん、知ってはいた。
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