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    クノ🎲

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    流々希宇2−1

    致命的アウフタクト ■■さん、流々がまた怒った!
     思考が激情でいっぱいになっているとき、あまり他人の話は聞こえてこない。その時は施設の子どもの一人が吹くピアニカの音が全くの的外れだったことがきっかけだった。
     施設に入ってから一ヶ月で別の施設に移された。他の子どもへの加害がひどいというのが理由だ。その次は半月。その次は一週間……。次々に新しい環境を味わって、流々はただでさえ不安定だった。施設での引き継ぎ書に何を書かれていたかは知らないが、少なくとも要注意人物であることは間違いがない。そうして三ヶ月ほどが経ってから、結局最初に保護した施設に戻ってきた。最初に保護したものが責任を取るというところだろうか。詳しくは解らない。知ろうとも思わない。
     とにかく、それから築詩きうに出会う一年弱まで、スタッフは地獄のような時間を過ごしただろう。彼らは必死に流々を指導し、暴力を振るってはいけないこと、怒りに身を任せたときは一人になることを教え込んだ。果たして、怒鳴り散らすのはともかく、暴力行為はかなり収まったが、その代わり流々がストレスを負うことになった。我慢をしなければいけない。我慢をすると、苦しい。その分言葉での攻撃はますます苛烈になっていった。大人の遣う語彙はあっという間に習得し、さまざまな言葉を使って相手を罵倒した。意味自体は伝わらなくても、感情は間違いなく相手を脅かす。何度も『ひとりのへや』と呼ばれた部屋に入れられた。他の子どもの安全の確保と流々の感情を落ち着かせるためだった。
     それが、築詩きうの登場で一変した。
     携帯音楽端末とヘッドホンを持ってくるスタッフ。流々はひどくのろまだったので捕まえることは難しくないのだが、小さな体格の割にやけに力が強いので、取り押さえるのは苦労しただろう。それも、素肌には必ず触れないように。袖の余っている腕を振り回して暴れる流々の頭になんとかヘッドホンをかぶせ、携帯音楽端末の再生ボタンをオン。すると、ものの数十秒で興奮が収まっていく。頭の中にあの歌が流れ込んでくると、自然と怒りが引いていく。流々は歌に身を委ねる。落ち着いてくると、スタッフたちが相談しているのがようやく言葉として聞こえるようになる。
    「やっぱり普段からヘッドホンをさせておいた方がいいですよ」
    「できれば自分自身の力で克服してもらいたいけど……」
    「もちろん、それが理想ですよ。でも、流々くんは、少なくとも今は、それができる段階じゃありません。近視の子が眼鏡を必要とするくらいにはヘッドホンが必要です。怒りそうになったとき、自分で曲を聴くという選択ができるよう指導をする方が適切です。それも自分自身の力で克服することになりませんか?」
    「でも、依存するようになっては日常生活に支障が出るわ」
     築詩きうの声が聞こえる。完璧な周波数。ピアノの調律ですら、弾きこんでいくに従い下がっていくのだから、最初は高めにセットするのだということは、後から知った。通常の人間には判別できないからと。ある程度判別できても、それを気持ち悪いと感じるほどではないと。だが、流々はそうではなかった。有名なオーケストラでも気に触るのは、オーケストラやアンサンブルでは二ヘルツ周波数をずらして調律するからだった。その時はまだそのことをスタッフの誰もが理解できていなかった。
     だから、なぜ築詩きうの歌だけが流々をおとなしくさせるのかは、誰も解っていなかった。基準点の四四〇ヘルツを愛しく思いながら彼の歌に没入していく。もはやスタッフの声も聞こえない。
     ずっとこの世界にいれば、きっと怒りから、それから恐怖から逃れられるだろう。流々はいつでもそう思っていた。

     数日前に訪れたばかりの大学のキャンパスに流々はいた。今日はギャラリーになっていた部屋ではない。一番近くにある棟に入ってすぐにある小さなラウンジだ。敷地内に入った時咎められなかったので、セキュリティが緩いか、そもそも開放的なのかどちらかなのだろう。どちらでもよい。
     小さな椅子に腰掛けて、スマートフォンをいじる。ウェブブラウザ。目で見ても意味が解らない文字の羅列に対抗するのは読み上げアプリだ。ヘッドホンから、コンテンツの内容が流れ出してくる。民法第七九三条においては……。もちろん、英文を読むよりはずっと時間がかかるが、英語のソースを見つけることは困難なものだったので、致し方ない。
     時折、視線を感じる。ラウンジの前を行き交う学生たちだ。遠巻きにして、流々を見ている。小さな声がノイズキャンセリングを突き抜けて聞こえてくる。聴く価値があるようなものではない。先日の話が伝わっているだけだろう。睨みつけるだけで済ますことができた。おかげで、ラウンジには流々以外に腰掛けているものはいなかった。好都合だ。なんであれ、他人が近くにいない方がいい。言葉の羅列に集中する。ちょっとした調べ物だ。
     やがて、行き交う学生の数が目に見えて多くなった。授業が終わったのだろう。流々は一つ息をついたあと、ブラウザアプリを閉じた。したがって、音声読み上げも途切れる。もう少し聞いていたかったような気もするが、優先順位というものがある。
     メッセージアプリを起動した。といっても、メッセージを送るわけではない。『砥ベ口希宇』と表示された連絡先をタップ。それから通話ボタンを躊躇いなく押した。無線で繋がったヘッドホンからコール音が流れてくる。一回、二回……。それなりに時間を要した。もちろん、彼が通話に出ない可能性も考慮はしていた。その時は、また次の授業が終わる機会に連絡するまでだ。調べ物は終わっていないし、数学のことを考える時間にしてもいい。
     だが、果たしてコール音は半端なところで途切れた。
    『……高嶺?』
     気だるそうなハスキーボイス。この年代の男性にしては声音が高い。まるで築詩きうの活動していた頃、そのままのように。
    「ああ、出たな。そうだ」
    『いや、つうか、いきなり通話をすんなや。メッセージを送れ』
    「送ったことがない」
    『なんでだよ……』
    「漢字が読めない。英語でいいなら構わないが」
     しばらく返答は返ってこなかった。スピーカーの向こう側から、かすかにざわめきが聞こえてくる。流々はヘッドホンのノイズキャンセリングのレベルを上げた。
    「英語で送るか?」
    『やめろ』
     今度は即答だった。小さく吐息が聞こえる。
    『おれに何の用だ? こんな平日に』
    「連絡すると言った。重要な用件がある。人のいないところで早急に話したい」
    『あ?』
    「お前の授業時間が解らなかったから連絡した。この後授業はあるか?」
    『……嫌な予感がするんやが、貴様今どこにいる?』
    「どこの棟かは解らない」
    『大学まで来てんのかよ』
     砥ベ口の口調は淡々としていて、何を考えているか意図を読むのは非常に困難だ。もっとも、別段そこを気にすることもないが。流々にとっては。ただでさえ、そういう能力は著しく劣っている。
     ただ、相手の感情の起伏が少ないのは、ある種助かった。感情につられて、流々も感情が、つまり怒りが呼び起こされることが多いからだ。おかげで、こちらも無駄な体力を使わずに済んでいる。今のところ。
    「人が来ない空き教室があるならそこでも構わないが、できればもっと確実性があるところがいい。家は近くか?」
    『家ぇ?』
     歓迎するような言葉は返ってこなかった。あまり乗り気ではないのだろう。だが、否定的な言葉でもない。となれば、推測ができる。彼の自宅は近くにある。
    「授業が終わり次第、合流する。僕はキャンパス内の構造は解らないから、お前がここに来い」
    『用件を言えや。なんでおれがわざわざ貴様に付き合う必要がある? なんで人に聞かせられない?』
    「二つ同時に質問をするな。言っただろう、僕が金を稼いでお前に治療を受けさせると」
    『それを了承した覚えはねえが、だから?』
    養子縁組の資料と書類を持ってきた。そんな話は当事者のみで行うべきだろう」
     再び言葉の代わりに沈黙が返ってきた。流々はしばらく待ったが、我慢ができる方ではない。彼が何かしらを言う前に、続きを話す。
    「改めて尋ねるが、お前の授業が終わるのは何時だ?」
     返事はまた長くかかった。だが、今度は明確な質問だ。彼の返答が来なければ話は進まない。
     舌打ちが聞こえたような気がした。
    『今日は終わりだ』
    「解った。なら来い。正門と思われるところから一番近い棟の、入ったところにあるラウンジにいる」
     今度はため息が聞こえたような気がした。了承と受け取ることにした。少なくとも、しばらくは待つことにした。
    「ああ、そうだ。ついでに一つ確認したいことがある」
    『なんや』
    「お前の下の名前は何と読む?」
     数拍の間。
    『……きう』
    「きう」
     流々は復唱した。何かが胸に込み上げるのを感じたが、取り急ぎ今は気にすることではない。
    「解った。なら、希宇。すぐに来い」
     返事をするのを彼は嫌いなのかもしれない。言葉の代わりに、通話が切れた。
     だが、怒りは特に迫り上がっては来なかった。不思議なことに。
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