素敵なカレーショップ モッタリとした茶色いカレー。野菜はすべて溶け、カゲも形もない。スプーンに触れるのは肉だけだ。ホロホロになるまで煮溶かした牛肉がゴロゴロしているカレー。スジごとに崩れるほど柔らかい鶏肉が入ったカレー。スプーンで簡単にほどけるマグロ肉を使ったカレー。その3種類がある。
トッピングは自由に選べた。定番の福神漬、らっきょう、フライドオニオン、カラカラの干しぶどう、刻んだピクルス。
水曜日ランチ時だけ、ワゴンでやってくるカレー屋で、すごく人気があった。まわりはいろんなオフィスが集まるエリアだから、12時に少しでも遅れるともう売り切れてしまう。だから、そのカレー屋が目当てで、早くからワゴンの前に集まってくる人の列がすごかった。
「ゲッ、すでに行列できちまってる」
ジャギは会社から急ぎ足で、カレーワゴンの来ている広場までやってきた。本当はもっと早くに並ぶつもりだったのに、上司に捕まった。取引先に送った確認の書類が、先月の日付だと連絡が来たという。確かに打ち間違えた自分が悪いが、昼の休憩に入ってからネチネチと叱ることはないと思った。
おかげで今日は、牛肉カレーにはありつけないかもしれない。それどころかチキンカレーも怪しい。マグロカレーが残っていれば、まだここに来た甲斐はあるが、それもわからない。どれも数量が決まっているのだ。それぞれ30個ずつしかない。だから、水曜は早目に午前の仕事を切り上げているのに。
慌てて列の最後尾に並ぶも、無理かもしれないという可能性が濃厚だった。イライラして首を伸ばして列の前の方を見ても、ワゴンのカレーの残り具合まではわからない。
「なんだ、またチキンカレーにしたのか、ユダ」
「別にいいだろ。チキンは脂肪が少ないから、健康にもいいんだ。肌にもいい。それより、また牛肉か、太るぞレイ」
「いいんだよ、俺は運動もしてるし、まだ若くて健康だからな」
列の真横を、カレーの入ったビニールを下げた若いリーマン二人組が歩いていく。見せつけるように持ち上げるカレーが妬ましい。とにかく、あの男がまだ牛肉カレーを持っているのだから、あと数個は残っているはずだと思いたい。
「マグロカレーにしたのか、シュウ」
「ああ、最近は昼に肉のカレーを食べると、夕飯時にまだ腹が減らなくてな。そういうサウザーは何カレーなんだ?」
「確実にオッサンになっていくな、シュウ。俺は牛肉だ。午後に大きな商談がある。精をつけなくてはな」
「・・・あとで胃腸薬が欲しくなっても、今日は持っていないぞ」
「なっ、普段あれほど常備している胃腸薬を持っていないだと。なにをしているんだ、貴様!」
仕立の良い三揃えのスーツを着た、中年ふたり連れがカレーの入ったビニールを下げて通り過ぎて行く。よくわからないが、マグロと牛肉カレーは、またひとつ確実に減ったようだ。
「ケン、牛肉カレーでいいんだよな?」
「ああ」
列の先頭に見たことある金髪がいると思っていたが、そいつがカレーを買ってからまっすぐこっちに来たなと見ていると、後ろにいる奴に話しかけた。振り向くと、ジャギの真後ろにケンシロウが並んでいた。
「はぁっ?ケンシロウ!なんでお前いるんだよ!」
「シンと待ち合わせていた。先に買えた方が買う約束をして」
「なんで黙って、俺の真後ろに並んでるんだよ!なんか言えよ!知らない奴みたいな態度で無視してんじゃねぇよ!」
「別に話しかける用事がない」
「ケンシロウ、遊んでいると昼休憩が終わってしまう、急がないと。じゃあな、ジャギ」
「じゃあ、また家で。ジャギ兄さん」
ふたりはまだ言い足りないジャギを無視して、足早に去っていった。シンの大学は、この辺ではない。わざわざこっちまでカレーを買いに、タクシーでも飛ばして来たのだろうと、ジャギは予測した。それにしても、牛肉カレーとは。果たして後、どれくらい残っているのかと前を眺めると、列は進んで、もうすぐだった。
ジャギの前、3人ほどになった。すると、残りマグロカレーだけかと話している声が聞こえた。やっぱりだ、とジャギは舌打ちした。くだらない叱責を聞いていたおかげで、週に1度の楽しみがオジャンだ。
前に並んでいた3人も、それぞれにマグロカレーを手にして去っていった。ジャギはやっとかと、いそいそとスラックスの尻ポケットから財布を取り出そうとするも、ワゴンのカウンターに、突如置かれるソールドアウトの看板。
「えっ、マジかよ」
「残念だが、本当に売り切れだよジャギ」
なんだよ、売り切れかよと、ジャギの後ろに並んでいた客達は散り散りに去っていった。ワゴンの中には、カレー屋の制服をトキが立っている。
「本当の本当か?実は1個ぐらい弁当残ってんじゃねぇのか、兄者」
「私はそんな嘘は言わない。今日の分のカレーは売り切れだ」
ジャギはその場で地団駄を踏むかのように、足を踏み鳴らした。
「クッソー!!すっかり口がカレーになっていたのによ!たまには取り置きしてくれてもいいんじゃないのか」
「これは仕事だからね。身内と言えど、ズルはなしだ」
トキはワゴンから降りてきて、傍らに立てていたカレー屋の看板を持ち上げた。このカレー屋は、あちこちに展開している移動式カレーチェーンで、仲間であちこちを回っている。トキの他にラオウ、リュウガ、ユリア、マミヤなどが、それぞれワゴンを持ち、曜日変わりに色んな場所で、カレーを販売していた。そのうち、会社を大きくして、もっと台数を増やしたいらしい。
「けど、今夜は夕飯はカレーだから、それで我慢しなさい」
「え、本当!?やりぃ!」
ジャギは嬉しそうにガッツポーズをする。トキはワゴンに戻り、テキパキと片付けを進めていた。
「で?何カレー?やっぱり牛肉?」
「豚挽き肉だよ。試作品だ」
「え~!牛肉がよかったぜ」
トキはワゴンの運転席に移動しながら、「今度のは新しくスパイスを調合した。とても辛いが、すごく美味いと思うぞ」
「お、それいいな!楽しみにしてるぜ、トキ」
トキは運転席の窓を開け、手だけを振って走り去って行った。ジャギは大きく手を振りながら、ワゴンを見送った。
「さて、と。仕方ねえ、牛丼でも食いに行くか」
ジャギは昼休憩の残り時間を考え、とりあえず近くの牛丼屋に向かうことにした。