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    鈴芽あかり

    まとまったら支部に上げる落書き倉庫

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    鈴芽あかり

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    榊春。芍薬の蕾に榊さんを重ねて見る春海さん。榊さんが作家になった世界線。

    #クロケ腐タ
    kuroskesRotta

    芍薬 庭の芍薬が、蕾をつけた。
    「一十さんの庭は、いつでも花見ができますね」
     縁側に胡坐をかいた八色さんが、その蕾を見つけて口元をほころばせる。先週までは、どこからともなく桜の花びらが風に乗って運ばれてきた。その前は背の低い木瓜が、さらにその前は盆栽の梅が冬の庭を彩っていた。板戸の一部を外して植えた山茶花の生垣も、色を添えてくれた。
    「ええ。朝起きた時、眺めて楽しい庭にしたくて」
     彼に湯呑を渡して、自分も隣へ座る。休みの日、彼と昼からのんびり過ごせるのは久しぶりだ。つい先日まで、新しい作品を書き続けて、直しの作業に追われていた。それが昨日、ようやっと書き上がり、出版社の彼の担当から問題なしと電話があった。
     寝不足で、髪も乱れて、指先も黒のインクで汚れて、中指の爪の根元に赤いペンだこができている。それでも瞳は穏やかで、下ろした前髪を風に遊ばせ、のんびりとお茶を飲んでいる横顔を眺めていると、こちらもほっとした気持ちになる。
    「八色さんのご本、いつごろお店に並ぶんですか?」
     尋ねると、彼は少し考えてから答える。
    「夏には。……うちにも何冊か届きますから、差し上げますよ」
    「ふふ、ありがとうございます。でも、買いたいんですよ。お客がいるとなれば、近所の本屋も必ず置いてくれるでしょうからねぇ」
     彼のきれいな目が眇められる。
    「そうですか。……ありがとうございます」
     とても自然に浮かぶ微笑みも眩しい。彼は本当に、表情が柔らかくなった。作家業は苦しいことも多い様子で、仕事に関わることだからと、悩みを聞いて差し上げることもできない。夜中まで悩んでいたり、好きな作家の本を読み返して閃きを求めたり、上着も着ないで下駄でどこかへふらりと出掛けて、何か思いついたらいつの間にか帰ってきて、憑かれたようにペンを走らせている。
     彼の変化に最初こそ驚きもしたが、食事の折や共に眠る夜に言葉を交わす中に、笑顔が増えた。だから、苦しそうに見えても、その負担は決して彼を追い詰めるような類のものではないのだと、安心して見守ることができた。
    「……」
     穏やかに庭を眺める彼に、軍属であった頃の面影を重ねる。あの頃の彼は、常にどこか陰を抱え、刃のような鋭い眼差しで、何かを諦めたような、疲れた横顔を見せていた。他人であった時も、友人で会った時も、恋人になってからも、いつも翳りを纏っていた。
     あれは、死の香りだったのかもしれない。
     彼は、軍配の才があったという。思慮深く真面目で、残酷であれと言われれば、正しくそう在れる人だ。傷付いても悟らせず、いつでも背中を伸ばして人の前に立つ、そういう人だ。
     そういう人だけれど、ずいぶん、無理をされていた。
     彼の武功を新聞や人聞きに伝えられるたび、幼いころに自分が手に取った花の蕾を思い出す。路傍に咲く、たしか、蒲公英だったように思う。その蕾の先端に黄色い花びらが顔を出しているのを見て、一つ折った。そして、指先でそうっと花びらをめくって、開こうとした。咲く前の花の中には、きらきらした美しい宝物が眠っているような、咲く前の花の寝顔を覗いてみたいような、純粋な好奇心だった。
     花びらは一つも上手に開けなくて、とてももう咲けないような有様に剥いてしまった。がくの中には宝物も寝顔もなく、しばらく立ち尽くしていた。
     軍服に身を包んで険しい顔をしていた八色さんを思い出すと、あの蕾が浮かんでくる。
     彼は美しい鉢に植えられた、大きな蕾の芍薬だった。それを無理矢理に人の手で開かせて、「立派な花が咲いた」と、他の花々の真ん中に据えられ、飾られていた。
     ――痛々しかった。
     今、彼は間違いなく、大輪の花として咲いている。痛みも苦しみも、全て花弁の美しさに載せて、人の心を揺さぶる物語を綴っている。新しい物語も、完成している。それもきっと、痛く、苦しく、それでいて渇望を諦めない、美しい物語のはずだ。
     陽の光を受けて咲く花を眺めていると、彼がふとこちらを見た。
    「……何を見てはるんです、一十さん?」
     青く美しい芍薬を、眩しく見つめ返す。
    「……きれいな花です、八色さん」
     彼は不思議そうに、視線を庭へ返す。
    「今はまだ、咲いとる花は――」
     ない、という彼の肩に、頭を寄せる。
    「……一十さん?」
    「一緒にいられて、嬉しいです」
     朝、目が覚めると、庭の花よりも先に、愛しいあなたが目に入る。あなたが自分で掴んだ幸福な姿の横に、自分を置いてくださる。
     八色さんは少し戸惑ったように、そっと肩を抱いてくれる。
    「私も同じです、一十さん」
     寄せた頭に、小さな口付けが降りてくる。そこにかすかな息遣いを感じて、胸が暖かくなる。
    「今日は、作品の仕上がったお祝いに、晩酌でもしましょうか。八色さんの好きなもの、お作りしますよ」
    「それは、嬉しいですね」
     そう言うと、彼は両腕で抱き寄せてくれた。
    「なら、酢の物がええです。若芽と生姜の。……一人で食べますんで」
    「ふふ。お好きなんですか?」
     見上げると、彼は少し困ったように笑う。
    「どうも私は、海藻無しやと物足りんようです」
     それに申し訳なくなりながら、つられて笑う。
    「それはそれは。我慢させてすみませんでしたねぇ。たくさん作りましょう。余るでしょうからお味噌汁もご用意しますね」
    「楽しみや。……私も何か、作ります。台所に立たんと、勘が鈍ってまうので」
    「じゃあ、お買い物から一緒に行きましょうか」
    「ええ。――もうしばらく、こうしてからでも?」
     ぎゅっと、彼が腕に力を込める。
    「はい、ご存分に」
     自分も彼の背中に手を回す。美しい花が、庭に飛んで来た鳥の名前をつぶやいて教えてくれる。それを一緒に見上げながら、同じものを見つめて同じ食卓を囲む今の暮らしが、ずっとずっと続いてほしいと、ぬくもりに頬をすり寄せた。
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