ヴォーティガーンは目の前の光景を見て思わず足を止めた。
飲み物と冷たいものを買って帰ってくると、ビーチで待っているはずのオベロンが女性に囲まれてニコニコと笑っていた。
サーヴァントじゃない。現地の人間だろう。サングラスをかけたままだったが目元が緩んでいるのは口の緩みを見れば明らかだった。
面白くない。いや、もっと自己中心的な感情だ。モヤモヤイライラ、あまり味わったことのない決して気分がいいとは言えない感情の揺らぎ。あれを見ていたくない。
オベロンは妖精王なのだ。誰にだって優しく愛想を振り撒くこと自体は悪いことではないし正しいことのはずなのに。なぜそんなに不愉快な気分になるのか。
気がついたら飲み物は左手で握りつぶして、食べ物は右手から落としていた。
ビーチに落とした食べ物は拾って、オベロンたちに背を向ける。逃げるように早歩きで食べ物をゴミ箱に叩き落とすと彼の元には戻らなかった。
誰よりも君が大事だよ、とオベロンはベッドの中で何度もそう言う。
それがその場限りのものであってもヴォーティガーンはその言葉を喜んだ。
本気になんてしていない。してはいけない。
だからオベロンが誰に目を向けていても、誰と話していても自分には関係なくて何も思うことはないのに。
さっきのは明らかな嫉妬だった。
1人になって涼しい部屋で膝を抱えて過ごしてやっと気づいた。
認めたくはなかったが認めざるを得ない。焦燥感も不快感もオベロンに対してのものだった。
こんな時だけ閨での言葉を信じようと必死になっているのだから愚か極まりない。
オベロンの大事な人は自分だ。だから自分を置いて誰かを選ぶわけがない。
でも本当に?
ビーチにいた女性は当然ながらみんな水着を着ていた。
自分とは大違いのふくよかな身体だった。
オベロンも男であるならああいう女性が良いのではないか?
大事な人なんて、なにも恋人だけを指すものじゃないじゃないか。彼がこの世界に現界するために必要な楔であっても同じ言葉を使うだろう。
性交だって好きだという言葉は聞いていない。なんだかんだ理由を見つけてしているけれどそれは必要なことだからだ。そうでなければ好んで自分なんかとするものか。
あれ?あれ?実は俺ってすごく恥ずかしい勘違いをしていたんじゃないか?
夏だからってちょっと浮かれてたんじゃない?自分の立場忘れちゃったんじゃないの?
モヤの晴れない思考の袋小路にはまり、気分が悪くなってくる。
ガチャ、と扉が開く音を聞いて慌てて入り口を振り返る。
「よかった、帰ってたの?全然戻ってこないから道に迷ったのかと心配したよ」
「おべ…」
「顔色悪いよ?どうした?」
オベロンが帰ってきた事に少しだけ気が楽になる。
膝を抱えて座っているベッドにオベロンも腰をかける。顔を覗き込んできて被っていたフードを脱がされた。
「暑さにやられた?それとも人酔いかな?」
オベロンの言葉の真意を視たくなくて視線を逸らした。だがオベロンはそれが気に入らなかったらしい。顔を掴まれて無理やり目を合わせられた。
「本当に心配したんだぞ!ここに戻ってくるまでどれだけ探し回ったか」
「そんな大袈裟な……」
そこで初めて日が暮れはじめているのに気がついた。
自分がビーチから逃げ出してきた時、まだ太陽は真上にあった。もうすでに太陽は水平線の向こうにあって空は紫色になりつつある。
どれだけの時間をベッドで膝を抱えていたのか自覚すると少し悪い気持ちになったが、昼間の光景を思い出して思わずオベロンの手を振り払ってしまった。
想像よりも大きな音を立てて叩いてしまい、オベロンはもちろんヴォーティガーンも戸惑った。
「どうしたの」
「……いや、悪い。なんでもない」
「なんでもないって顔じゃないだろ」
「うるさい、なんでもないったらなんでもない!」
顔を背け続けるヴォーティガーンはそのまま逃げ出しそうな雰囲気だった。
オベロンは腕を掴みそのままベッドの背もたれに押さえつけた。少し強く背中をぶつけてしまったかもしれない。枕が落ちて、ヴォーティガーンは少し顔を歪めた。
「どうしたの」
泣いている姿にオベロンはもう一度どうしたの、と尋ねた。
「なんでもないってば」
「なんでもないのに泣いてるやつがあるか。何があったの、誰かに何かされたの?」
「うるさい!バカ!人たらし!最低!」
「は?はぁ!?そんなこと言われる筋合いはないぞ!?」
怒鳴るヴォーティガーンの言い分が全く理解できないオベロンは怪訝な顔したまま呆然と彼の姿を見つめるしかなかった。
だがオベロンが見つめている間にも彼は肩を震わせて泣いていた。
自分には全く心当たりがないのだが、彼の言い方からするとこちらに非があるらしい。
オベロンは眉間に皺を寄せながら朝からの出来事を思い出していく。
明日には消える特異点だから、各々自由行動を許されて。ずっと部屋にこもっていたけれど、最後くらいはビーチで過ごそうとヴォーティガーンを説得した。
大きなパラソルとビーチチェアを借りてきて、海に入れない彼のために日陰で夏の海とやらを楽しむ事にしたのだ。
スキンシップを恥ずかしがる彼は逃げるように何かを買ってくる、と席を立ってしまい自分はつまらなくなった海を眺めて彼の帰りを待つ事にした。が、彼は帰ってこなかった。
つまりヴォーティガーンが席を立ってからこのホテルに戻ってきてしまうまでの間に何かあったのだ。
そしてその原因は自分にある。
ヴォーティガーンがいなくなってから何があった?正直何も覚えていない。
そりゃそうだ、自分だって別に白浜のビーチが好きなわけではない。ましてや恋人がいなくなったその場所になんの興味があるというのだ。
「しらばっくれるなよ!」
「してないよ!待ってちゃんと考えてるから!」
いつまでも答えを出さないオベロンにヴォーティガーンが鼻声で怒鳴った。
「……っ、女!」
痺れを切らしたのか彼から答えを出してきた。だがまだピンとこない。
「女?」
「女の人と、話してた!楽しそうにして」
「話してた?いつ」
「話してただろ!囲まれてさ!ヘラヘラデレデレして」
「……なんのこと」
「バレてるんだからそんな適当な誤魔化し方あるかよ!バカにして!」
「いや本当になんのこと」
枕を掴んで振りかぶるヴォーティガーンだがオベロンの考え込んだ顔に嘘偽りも演技もない事を悟って今度はヴォーティガーンが戸惑った。
「女のひと?」
「……」
開いた口が塞がらない。
いたっけ、と首を捻るオベロンにヴォーティガーンは「いただろ!」ととりあえず叫んだ。
「僕じゃなかったんじゃない?」
「お前だったよ!白いパーカーきた、サングラスをかけて」
「そっか、でも覚えてないんだ」
笑顔で答えるオベロンになんだか圧を感じる。
「で?君は何で泣いてたのかな?まさかその女の人と仲良く話してた僕を見て嫉妬した?」
「やっぱ覚えて…!」
「図星」
「ぐ…」
振りかぶっていた枕をベッドに叩きつけてその上にうつ伏せに倒れ込んだ。
唸りながら足と腕をバタバタとさせる。悔しさと情けなさと怒りと悲しみととにかく湧き出る感情全て手足にこめてベッドにぶつけた。
「ヴォーティ」
お行儀が悪いよ、とオベロンはうつ伏せになったヴォーティガーンの上に被さった。
「どっちに嫉妬したの」
低い声に詰め寄られて身体を強張らせた。
「女に嫉妬した?仲良さそうにしてたって?僕がデレデレしてたって?」
オベロンの声の変化に気付いたヴォーティガーンは違う、と言いかけるがオベロンの手によって遮られる。
「僕が君以外にヘラヘラデレデレしてたって?どういう目をしてるのかな?」
「あ、だ、って…」
言葉遣いこそ柔らかいのに漂う空気は氷のように冷たい。
「だって、俺は、女じゃないし」
「はぁ?」
「ビーチでさ、女と喋ってたら不安にならないわけないだろ!!」
オベロンが怖かったがこっちだって不安な気持ちで半日も過ごしていたのだ。反撃のように一息に叫んだあとに、はっとしてオベロンを見上げた。
目を点にさせたオベロンはぷ、と吹き出して笑った。腹を抱えて豪快に笑うオベロンに「笑うな」と混乱しながら怒鳴った。
「いや、それなら僕が怒るのはちょっと違うね。喜ぶべきかな」
「はぁ?」
「しかし君も困った心配性だね。まさか性別で今更悩んでいるなんて」
「今更って、俺は真剣に」
「ま、それくらい僕のことが好きなわけだし、いいよ。今回の勘違いは許してあげる」
上から目線の物言いに思わず眉間に皺を寄せる。なんとも言えない表情をするヴォーティガーンにオベロンはまたあは、と、笑った。
「君は生まれた時から男だし、僕はずっと君が好きなわけだし、性別なんてどうでも良くない?」
「……そう、かもしれないけど」
「僕は妃を娶らない。そう言ったはずだよ。必要ないからね。僕が大事なのは君だけだよ」
オベロンはヴォーティガーンの額に口付けをする。
「どこにいたって、どんな姿になったって、僕がオベロンで君がヴォーティガーンである限りこれは揺るがない絶対さ」
誰にも歪めたりできない、偽ることのできない唯一の真実だからだ。
愛してるとか、好きだとかそんなのは結局のところ関係を表すための最適な言葉でしかない。一緒にいる理由を表すのにそれが最適だからだ。しかし逆をその言葉を最適にするために一緒にいるとも言える。
「バカンスの最終日にこんな確認をするなんてね。最初にしておくべきだった」
結局ロクに歩き回ることもできなかった、とぼやくとヴォーティガーンは俯いたまま「ごめん」と小さく謝った。
「いいさ。それよりもしたいことできたから」
「?なに…」
「セックス」
「はぁ!?散々しただろ!むしろ今日くらいはやらない、が正解じゃないのか」
「今日じゃなきゃダメ。それも今すぐだ」
「なんで」
先ほどまでの感動が全て削ぎ落とされて呆れた声になる。
「晴れて恋人だと認知したからね」
「……」
「チェックアウトは明日の12時だ!さぁ、こうしちゃいられない。目いっぱい可愛がって大事に大事にするからね」
「い、いらないから!ほんとにもう無理!!!」