ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第二部七話「王妃の元へ」 ディアヴァルは王妃グリムヒルデの居室まで飛んでくると、出窓の手すりにトン!と乗った。
いまの彼は、全身にまぶした小麦粉のおかげで灰色っぽい白い鳥に見えるはずだ。この姿ならきっと、王妃の部屋の窓辺にとまっているところを誰かに見られても、不吉だなどと陰口を叩かれることはないだろう。
運の良いことに窓は開いていた。ディアヴァルは手すりからバルコニーの床に飛び降りると、部屋の中を覗いてみた。すると、部屋の中には王妃が居て、壁にかかった大きな鏡に見入っていた。鏡は縦長の楕円形で、絡み合う蛇のレリーフの縁取りがある見事な作りだった。なめらかな鏡面には美しい王妃の姿が写っている。だが……。
「鏡よ鏡、憎っくき仇、隣国の国王は今何を企んでいるか?」
と王妃が問いかけると、鏡の中にモヤモヤと緑色の煙が渦巻き、複雑な隈取り模様のある男の顔が大写しに浮かび上がった。驚いたディアヴァルは思わずしゅっと細くなり、窓から飛び出しそうになったが、危うくその場に踏みとどまって覗き見を続けた。
鏡の中の男の顔が口を開いた。
「その者は、この国へと向かおうとしている」
王妃がさらに問いかける。
「敵の目的はなに?」
「この国を手に入れること」
「どうやってこの国を手に入れようとしているのか?」
「あなたと結婚する」
「やはりそうか……」
王妃は顔をしかめると、鏡に向かって手を降った。
「もう良い、下がれ」
すると、緑の煙が男の顔を覆い隠し、煙が晴れたときには鏡は普通の鏡に戻っていた。
「あぁ。やはり私を狙ってくるのね。どうしたものか……」
王妃がため息交じりにそう独りごちる。
その目の前に、一羽の灰色の鳥がトコトコと現れた。
「まあ! 鳥だわ。自分から部屋に入ってくるなんて珍しいこと。人を怖がらないのね」
ディアヴァルは彼女の顔を見上げると、一声「ガァ!」と鳴いた。
「あら? 灰色なのに声はカラスみたいね。変わった鳥だこと」
そこでディアヴァルは、身体を思い切りぶるぶるっとふるって見せた。
羽毛から小麦粉が舞立って、小さな雲のようになる。雲が静まったときには、ディアヴァルを中心に床に薄っすらと小麦粉が降り積もっていた。
「まあ! まあまあまあ! カラスじゃないの! もしかして、お前なの?」
良かった! 彼女はやっぱり自分を見分けてくれた!!
ディアヴァルは心からほっとした。そしてもう一度「ガァ!」と鳴くと、お辞儀をして見せたのだった。すると再び身体から小麦粉がこぼれ落ちて、せっかく染めた灰色が更に黒に近づいた。王妃は目を丸くしてそれを見つめていた。
「お前……なんて姿をしているの?」
王妃は、こらえきれずにぷっと吹き出し、身体を折って笑い始めた。ひとしきり声を押し殺して大笑いしたあとで、涙を拭きながらこう言った。
「こんなに笑ったのは何日ぶりかしら。もうずっと笑うことなんて忘れていたわ」
そしてまたすっと悲しみに沈んだ顔になると、今度は悲しみの涙が頬を伝い落ちた。
「あの人は逝ってしまったのよ。私と姫を残して、忘却の河を渡って彼岸へ旅立ってしまわれたの。この国と姫を、今度は私が守らなければならないのよ。それがあの方の遺言になってしまった……」
彼女は、もう一度涙を拭くと顔を上げ、ディアヴァルを手招きした。
「おいで、昔の私を知っているのはもうお前だけ。もう誰にも文句は言わせないわ。これからはずっと、私の側にいておくれ、愛しい子」
なんて? いま彼女はなんて言った? ずっと側に……って言わなかったか?
驚きと喜びにディアヴァルの心臓は跳ね上がり、喉元から飛び出しそうに早鐘を打っていた。カラスの俺を側に置くだなんて、構わないのだろうか。彼女の立場が悪くなったりはしないのか、それが心配だった。だが、それ以上に大きな喜びが胸の奥から膨れ上がり、全身を熱い血が駆け巡るのを感じた。
彼女は、この俺を必要としてくれているんだ……! これ以上の幸せがあるだろうか?
湧き上がる歓喜で頭がくらくらした。強い酒でも飲んだようだ。
ディアヴァルは、ふらふらと王妃に向かって歩み寄り、差し出された手におとなしく飛び上がった。王妃は服に小麦粉が付くのも構わず彼を抱きしめ、背中を撫でてくれた。思いがけない接触に彼の全身の羽毛は逆立ち、翼は垂れ下がった。とても気持ち良い……。もっともっと撫でて欲しい……。ディアヴァルは思わず首を傾げて差し出ていた。すると、王妃はその首を優しく撫でてくれたのだ。指の動きに沿ってぞくぞくとした感触が走る。人間に撫でて貰うことがこんなに気持ちいいなんて知らなかった。いや、人間だからじゃない、彼女だからだ。そうに違いない……。
ディアヴァルはひとときの幸福感に身を任せ、酔いしれたのだった。
【カラスの豆知識】
今日は、酔っ払うカラスのお話です。
カラスの動画をyoutubeで漁ると、キリル文字の動画が沢山見つかります。そこに出てくるカラスたちの多くが前回ご紹介したズキンガラスで、中には大鴉と思われる動画もありました。キリル文字の文化圏は、ズキンガラスの分布域と重なる部分が大きく、彼らにとってズキンガラスは身近な鳥なのでしょう。厳しいロシアの冬にも南へ去ることのない数少ない鳥たちの中でも、スズメと共に最も人と近い鳥。それがカラスなのだろうと思います。
そんな動画の中には、公園で飲んだくれるおっさんたちがつまみと酒をカラスにも振る舞う様子が映っているものもあります。
「Ворон бухает」
https://www.youtube.com/watchv=Q6iPckvgiyw
タイトルはDEEPLで翻訳すると「ravenのブーイング」と出ました。つまみと酒を欲しがってねだる様子をブーイングと言っているのかも知れません。
「drunk raven пьяная ворона」
https://www.youtube.com/watchv=YdayhacYu_8
こちらはビール?を貰ってグイグイ行っちゃうズキンガラス。タイトルは「酔っぱらいカラス」という意味です。
ちなみに、ロシア語では「ворона」はカラス、「Ворон」はワタリガラスを意味します。
鳥にとっても酒は絶対身体に良くないのですが、ロシアのおじさんたちは飲み仲間にしてしまっていますね。カラスの方でも病みつきになっている様子が伺えます。