「あれ? りっちゃんじゃん」
あのまあるくて、ふわふわした黒髪は間違いない。綺麗なオレンジ色の夕焼けの中、数メートル先を母親と手を繋ぎながら歩く凛月を見つけた。真緒の声はウキウキと弾んでいて、薄汚れたサッカーボールを小脇に抱えながら凛月のもとへ駆け寄った。
「わっ、びっくりしたぁ……ま〜くんだ」
「あら真緒くん。こんにちは」
「りっちゃんママもこんにちは! りっちゃん、今日学校休んでたけど大丈夫?」
「……お昼までは具合悪かったけど、もう平気」
母親の袖を弱く引きながら凛月は答える。凛月の母親が「元気になってきたからお散歩してたのよ」と補足した。
「ま〜くんも、ひとり?」
「俺はさっきまで友だちと公園でサッカーしてたんだ。その帰り! で、りっちゃん見つけたから走ってきちゃった!」
にぱ、と笑う様はまるで沈んだ太陽がもう一度ひょっこり顔を出したのかと思うほど眩しかった。凛月は目を細めながら「ふぅん」と満更でもなさそうに笑う。
「ねぇ、ま〜くんも一緒に帰ろう。手、つないで」
「おう!」
差し出された真っ白な手をかたく握る。凛月はワンテンポ遅れて握り返すと、心做しか足取りが弾んでいるようだった。
母親、凛月、真緒の並びで手を繋ぎ、自宅まで他愛もない話をする。例えば今日の授業の話だったり、給食のメニューだったり。次々に繰り広げられる真緒の話を凛月は不安げな表情で受け止めていた。
「――でさぁ……あれ? りっちゃん、どうしたの」
真緒の大きな目で覗き込むと、凛月の瞳がゆらりと潤んでいることにやっと気が付く。ギョッとすると、凛月の母親に目線で助けを求める。困った、あまりにも心当たりがなさすぎるから。
凛月の母親は足を止めて、目線を合わせ気持ちを尋ねた。ギュッと口を結んでいたものの、母親の目を見るとすぐにじわりと涙をためる。
「……っ、わかんない。いいなぁって思うし、やだなぁって思うのもある……あと、あと」
えぐえぐと言葉をつっかえながらも、必死に気持ちを伝えようとする凛月の横顔をぼんやり眺めていた。どこか儚くて、夕焼けに溶けて消えてしまうのではないか、と思ったら無意識に凛月のまあるい頭を撫でていた。
「ゆっくりでいいよ。俺がりっちゃんを傷付けちゃってたら、ごめんなさい」
「〜……っちがう、大丈夫。だいじょうぶ」
そんな言葉とは裏腹に涙は溢れるし、どんどん息が荒くなっていった。励ましのつもりが、追い討ちの言葉になってしまったのだろうか? 真緒も凛月の気持ちが分からずに困惑して、たまらずこちらも泣き出してしまいそうだった。
――結局この後、凛月はなかなか泣き止むことが出来なくて、真緒と母親に手を引かれながら帰宅した。凛月の母親は「今日はもう疲れちゃったのかもしれないね」と、真緒が気にしすぎないように極めて優しく微笑んだ。
凛月の家を後にして、再び一人でサッカーボールを蹴りながら帰路に着く。
「あっ」
勢い余ってサッカーボールを遠くに蹴り飛ばしてしまった。コロコロと転がっていくサッカーボールに、歩いて近付いていく。こういう時は走ったら車に轢かれてしまうかもしれないから、慌てずに歩くんだよと先生や両親からの啓蒙を反芻して実行した。
やがて勢いをなくしたボールに追いついて、ひょいと拾い上げる。まあるい形を見て、ぼんやりと幼なじみの顔を思い浮かべた。
「……りっちゃん、寂しかったのかな」
翌朝、天気は曇り。昨日は凛月も欠席するのが納得というほど日中は真夏のような暑さだったというのに、今日は一変、肌寒さすら感じる。
それでも、この天気ならりっちゃんと一緒に登校できるかもしれない! と期待を胸に凛月の家のインターホンを鳴らした。昨日と同じサッカーボールを小脇に抱えて、玄関が開くのを待つ。
「! おはよう、りっちゃ……」
開いた玄関から顔を覗かせたのは、申し訳なさそうな顔をした凛月の母親だった。
「ごめんね真緒くん。凛月、お熱が出ちゃったの。今日も学校お休みするね」
「えぇ〜……!?」
わかりやすくショックを受ける真緒に、凛月の母親はもう一度「ごめんね」と眉を下げた。でも、昨日の凛月の不自然な様子からなんとなく納得のいくところもあるので大人しく引き下がる。
「……お大事にって、りっちゃんに伝えてください」
「えぇ、ありがとうね真緒くん」
凛月の母親に見送られながら歩き出す。まあるいサッカーボールは、なんとなく蹴らずに抱きしめながら学校へ向かった。