ごめんね初心者 くん、とシャツが引かれた。指先でほんの端っこを少しだけ摘まれたそれを振り返ってみれば、なんとまあ予想通りというか何というか、実に不機嫌そうな顔をした夜がいる。桜は『またか』と半ば諦めたように半目になって問うてみた。
「なんだよ」
「……」
「おい杉下。なんもないなら離せ」
「……っ」
ふるふると頭を振りながらも唇を引き結びジッと桜を見つめる杉下からは『何か言いたいのだろうな』という事は楡井であれば読み取れるであろう。杉下が摘んでいるシャツが楡井のものであったなら、楡井はきっと「ゆっくりでいいですよ」と辛抱強く待ったはずだ。しかし摘んでいるシャツは間違いなく桜のものであるので、杉下がこうして口にする言葉を選んでいる隙に桜の眉間にまで皺が寄る。言葉が出て来ないで相手と見つめ合ってしまう、など字面だけなら実に青い光景であるが、漂う空気は実にピリついていた。
これに困るのは多聞衆一年の面々である。なぜなら、杉下と桜という二人であるからだ。先の国崩しでの共闘を経て相棒コンビとして度々扱われる二人だが、いかんせん犬猿と言うべき仲の悪さであるのだ。目が合えば舌打ちが飛び、寄れば悪態をつき、肩が当たろうものなら周りを巻き込む喧嘩が始まる。それなのに一定の確率で喧嘩ではなく、愛しむように相手に触れることもあるのだから恋とはわからぬものである。この確率が段々と増えて来ていたとはいえ、今目の前で広げられるこれが前者であることはもうほぼ確定した空気を皆が感じ取り、あるものは席を立ち、あるものは身構えた。
「おい!いい加減、に……」
言い終わるよりも早く、杉下は桜の身体を自らの長い腕に閉じ込めた。誰かが吹いた口笛が教室に響き渡る。それを合図にして桜の頬はブワリと熱を持った。反射的に振り解こうとする腕を痛いくらいに押さえつけて桜を拘束する。
「な、ななっ!なんだよ!」
「ン……!」
「オイオイオイいつの間にそんな仲良くなったんだ!?」
「一日一喧嘩卒業か!?」
「どうですか蘇枋さん!彼らを組ませた身として一言!」
騒ぎ立てるクラスメイトたちの中からヒョイ、と杏西が出てくると、目を軽く見開いて二人を眺める蘇枋に向かいマイクに見立てた拳を突き出した。
「いやあ……感無量です。喧嘩するほど……というのは真実でしたね」
蘇枋はにこにことインタビューに応じ、出てもいない涙を拭う仕草をする。桜はそれにまた一層ブワリ、と顔を赤く染めた。
「うるせえ!オイ離せ馬鹿!何なんだよ!」
「…………ご、……めん……」
「は」
「だから!……ッ……ごめん……!」
赤くなった顔をクラスメイトに見られるよりも腕の中の人物にこそ見られたくないのか、杉下は桜を捕まえる腕にさらに力を込めた。側から見ればそれはもう熱烈な抱擁である。謝るよりもハグの方がハードル低いんだ?とは誰もが思ったが誰もが口にしなかった。
「お、まえ……ここでその話すんのかよ……」
「……もう、しない……」
「や、だから……」
「だから怒るな……」
「怒ってねえから詳細を話すなマジで……」
茹だったような顔をしていた桜は杉下の脇腹に拳を、胸板に顔を押し付ける。皆が思った。あ、これ昨日こう、いかがわしいやつがあったな……?そこで桜に怒られたな……?と皆が思った。しかしここで指摘すればほぼ確実にしばらくの間桜に睨まれることになるだろう。各自心の中のいじり倒したい男子高校生を殴り飛ばして、微笑みをもって二人を見守っていた。しかし裏切り者が一人。
「わ〜二人ともわかりやすいな〜『何』があったのかな〜?」
「蘇枋さん!!!!」
真っ赤な顔した相棒はしばらく近付いてなるものかと教室の端と端にいましたとさ。
ちゃんちゃん。
ごめんね初心者 了