292853(2) ひとつ、瞬き。
ここはどこだろうか。
赤い海から波が寄せては返し、少し先には萎びた街が見えた。こんな奇妙な所、来たことなんて無い。
それなのに何故だかとても懐かしい気持ちにさせられるのは何故だろう。
ひとつ、瞬き。
自分のすぐ横に黒髪の少年が現れる。
少年はこちらに何か話してるようだったが、その声は聞こえない。
頭が働かず、そのままぼうと少年を見てると、少年はこちらに小指を出し、そして笑った。
それが、何故だかは分からないけれど、とても、とても嬉しかった。
視界が歪む。自分から溢れ出る涙の理由は分からなかった。ただ、涙が止まらなかった。
――ああ、きっと、僕は君に出会う為に生まれてきたんだね。
そう、心から思った。
「……夢?」
見慣れた天井、明るい日差し、外から聞こえてくる小鳥の鳴き声。それらが意識を覚ます材料となり、先程の事が夢だったことに気づく。
最近よく見る夢だ。赤い渚で、小さな男の子が、自分と指切りげんまんをする夢。
男の子の声が聞こえたことは無い。だが、いつも自分はその言葉に救われ、涙を流す。
そして、いつもそこで目が覚める。
「ふあ、7時半か……」
欠伸をして布団から出る。
まだ寝惚けている頭を無理やり起こし、顔を洗う。
洗面台に映るは、銀髪に赤眼の青年。
「渚司令」
「わっ!」
名前を呼ばれ、渚司令と呼ばれた青年、渚カヲルは声を上げる。
突然話しかけないでおくれ。お湯が鼻に入るところだったじゃないか。
カヲルがそう言うと、男性は悪びれる素振りもせず、笑ってすみませんねと頭を搔く。
「まあいいけどね。ところでリョウちゃん、こんな朝からなんか用?」
「なんか用、って……。昨日言いましたよね。今日は朝から大事な会議があるから8時までに迎えに行くって」
ああ、そういえばそうだっけか。カヲルはリョウちゃん、もとい加持リョウジとの昨日のやり取りを思い出す。
カヲルは低血圧のせいか、朝が苦手だ。
加持はカヲルを幼い頃から世話をしており、そのカヲルの性分をつくづく理解している。その為、朝に大事な用事ができるとその度に起こしに来てくれるようになった。
電話では中々起きないという事もあり、加持には合鍵を渡している。
「でも起きてるなんて思いませんでしたよ。いつもこうなら良いんですけどね」
「うん……、ちょっと、夢を見てね」
「夢、ですかい」
カヲルは化粧水をぺたぺたと顔に塗って、会話を続ける。
「気づいたら赤い海にいてね、僕はそこでぼうとしてるんだ。そして気づいたら隣に誰かいて、その子と指切りげんまんしてね、その夢での僕はとても幸せだったんだ。でも、起きて現実に戻されると、酷く切なくなってしまう。最近よく見るんだよね」
「へえ、もしかすると、気になる子でもできたんですか?」
「うーん、そういうわけじゃないけど……」
「着替え、用意してますね」
「うん、ありがと」
鏡で自分の顔を見る。
生まれて29年、体毛も薄く髭が生えない体質だと嫌でも分かっているはずなのに、毎日生えてないかどうかを確認してしまう。加持の無精髭が少し羨ましい。
今日もまた1ミリも生えていない事に肩を落としながら歯を磨き、洗面台から出る。
「いよいよ渚司令にも春が来たんですかねえ」
「そうなのかなあ」
加持はカヲルにワイシャツの袖を通らせ、前のボタンを閉めていく。
「んで?夢に出てくる子はどんな子なんですか?」
「んとね、短い黒髪で、大人しそうで、」
「ほう、渚司令はそういうのが好みで……、」
「背がこれぐらいの男の子だったよ」
「ええ!?」
「んぐっ!」
驚いた加持が、思わずネクタイでカヲルの首を絞める。
「ああ、すみません!大丈夫すか!」
「げほっ、ひ、酷いよリョウちゃん」
「いや、だって、ええ……?」
加持は慌ててネクタイを締め直すも、動揺が収まらない様子だった。
ずっとぶつぶつ呟いている加持を他所に、ズボンのベルトを少し緩く閉め、靴下を履く。
髪のセットの為にワックスを取り出し、せっせと仕上げに入る。
「渚司令、愛に性別は関係ありませんが、未成年!未成年にだけは手を出してはいけませんからね!」
「あは、リョウちゃんが何を言ってるのか、僕にはよく分からないな」
加持が、29歳にもなっても自分に恋人がいない事を懸念している事は知っている。
昔、祖父から何度か女性をあてがわれた事もあるが、どれも破談に終わった。祖父が選んだということもあり、皆魅力的な女性達ではあった。が、誰もしっくり来なかった。
もしかして自分はそっち系なのでは、と同性とも同じことをしたが、それでもしっくりくる人はいなかった。
恋とはもっと熱く、夢中になってしまうものではないだろうか。そんな事を考えてしまう。
まあ、運命だとかロマンを信じ続けた結果、29歳にもなって伴侶が見つからない今の己ができたわけで。昔からお世話してもらってるリョウちゃんにも心配かけてしまっているわけで……。
「ま、いっか。いつかその子と出会えるといいですね。はいこれ、水です。渚司令が朝食べないのは知ってますけど、水分補給だけはしといてくださいね。他に何か必要なものあります?」
「ありがとうリョウちゃん。なら昔みたいにカヲルって呼んで欲しいな」
「はは、勘弁してくださいよ。今はもう世間体というものがあるんですから。いつになったらその寂しがり屋さんは治るんでしょうかねえ」
加持はカヲルの頭を撫でる。
セットしたばかりの髪が少しへしゃげて、慌てて整え直す。
「もう、セットした後はやめてっていつも言ってるじゃないか」
「おっと、昔の癖で」
昔から、加持は何かとあれば自分の頭を撫でる事がある。
撫でられる事は嫌いではない、むしろ好きな方である。ただ、思春期辺りからは恥ずかしいという気持ちの方が勝るようになってきているのだ。
「じゃあそろそろ行きましょうか」
「あ、うん。今日はどこに行くんだっけ」
「今日はネルフ第1支部の経過報告会議ですよ。碇ゲンドウ研究長のところです」
「ああ……」
あのグラサンの、と思い出す。
ネルフとは、自分が纏めている研究所の組織の名前だ。主に絶滅危惧種の保存や、品種改良、農作物の病原菌の研究をしている。
世界にいくつかある研究所で、第1支部は病原菌の研究を主としている。
何故自分がこの組織を統括しているかというと、理由は祖父にあった。
自分の祖父はキール・ローレンツといい、ゼーレという世界規模の組織にドイツ代表として関わっている。
ゼーレとは、世界の種の保存や生態調査を主に行い、色んな国が協力して住みやすい地球を作る事を目的とした組織だ。……表向きは、だが。
実際は不老不死の研究が主であり、老人達の私利私欲に国家予算を叩いているだけである。
不老不死とは神への反逆、神は何故人間をこんな未熟な生き物に作ったのかという反抗。ただの悪あがきだが、充分価値のある研究だとよく口にしている。
老人達は死の近い年齢になって焦っているようだが、カヲルには祖父の研究などどうでもよかった。生まれてからこの世界に入ることを余儀なくされ、祖父に組まれたレールをただ歩くだけの人生だ。不老不死など一切興味が無い。
「碇ゲンドウ研究長かあ。あの人の奥さんは優しくて好きだけど、どうにも苦手なんだよね。無言の圧力が凄くて」
「あの人、おしゃべりが苦手なだけで、結構茶目っ気がありますよ」
「うーん、茶目っ気、世界一似合わない言葉だね」
加持の運転する車に揺られながら、カヲルは先程貰ったぬるい水を一口飲む。腹を下しやすい為、飲む時は必ず常温でなくてはならない。加持は自分よりも自分の事を理解してくれている。
「会議って何時から?」
「10時ですね。渚司令が起きててくれたんでまだ余裕ありますが、コンビニとか寄りますか?」
「んー、いいや。リョウちゃんが何か欲しいっていうなら寄ってもいいけど」
「んじゃお言葉に甘えて、タバコを買ってきます」
「不健康」
傍ら老人達が不老不死に拘っているというのに、傍ら自分の手で寿命を縮めるタバコを好んで吸う加持。
長生きしたいと思ったことはないが、自ら死にたいとも思わないカヲルは、加持のタバコも良く思わなかった。
「男はね、口が寂しいと何かと咥えたくなる生き物なんですよ」
「ハイハイ、それで色んな女性の胸を咥えて奥さんと子供に出てかれてんだから世話ないよ」
「ちょ、それは言わない約束でしょう!?」
通りかかったコンビニに車を停める。
加持が運転席から降り、暇になったカヲルはスマホで時間を確認する。9時08分。
ネルフ第1支部はここからすぐそこにあるから、だいぶ時間に余裕があった。
「はあ、憂鬱だ」
今朝見た夢を思い出す。
黒髪の少年。どこかで会った気がするが、どうにも思い出せない。
そもそも自分はドイツで生まれ育ち、箱入り息子として育てられた為、妹以外大人達ばっかりだったはずだ。会えるわけが無い。
ここ最近、あの夢のせいで何も集中できない。ふとした時に思い返してしまう。この気持ちは一体、なんなのだろう。
カヲルは窓の外の流れる車を見て、溜息をついた。
「え、」
時が止まった気がした。
車から飛び降りるように出て、走り出す。
見えた黒髪に、心臓が飛び跳ねる。
「待って!」
思わず叫んでいた。
叫ばずにはいられなかった。
黒髪の青年はゆっくりと振り向いて、ひとつ、青い瞳を瞬かせた。
「え?」
「……っ!」
声にならない声を上げる。
彼だ。間違いなく、夢で見た、あの少年だ。
夢に出てきたのは少年だというのに、目の前の青年と同一人物と確信している。
どうしてだとか分からない。
ただ、運命だと思った。
「あの……、」
「ああごめん、突然呼び止めて、しまって……、」
ホロりと頬に暖かい何かが伝う。
彼のぎょっとする顔を見て、自分が泣いていることに気づいた。
「えっ!?あ、あの、どこか痛いところでも?!」
「いや、違うんだ。君に会えた事が、嬉しいんだ」
「……え、えっと、とりあえず、ハンカチを……」
青年はカバンからハンカチを取り出し、カヲルに差し出す。お礼を言い涙を拭うと、柔軟剤のいい香りがした。
「では僕、急いでるので……、」
「ま、待って!」
慌てて腕を掴む。ここで別れたら次いつ会えるか分からない。いや、下手するともう二度と会えないかもしれない。
そう思うと、自然と体が動いた。
「あの、その、……ぼ、僕達ってどこかで会った事とかありませんか?」
「へ?」
あ、滑った。
そういえば今までの人間関係、祖父の肩書き目的でいつも向こうから声をかけられていた。もしかすると自分から近づこうと思ったのは彼が初めてでなかっただろうか。
慣れてない行動に混乱し、思わず出たのは安いナンパ台詞。穴があったら入りたいとはまさにこの事だ。
「どうして、記憶が……、」
「え?」
「全く、突然居なくなったと思ったら、こんなとこで何してんすか」
「あ、リョウちゃん」
加持はチラリと2人を見る。
カヲルが青年の腕を掴んでいるのに気づき、ほおと髭を触る。
「渚司令。こんな朝っぱらからナンパですか」
「や、やっぱりこれ、ナンパになるのかなあ?」
「ナ……っ、あ、あの、僕、急いでるので……!」
「ああ、うちのがすまないね。奥手でこういう事に慣れてないんだ。ほら、離してやんなさいな。彼に悪いですよ」
「リョウちゃん〜……」
うるうると瞳で訴える。
彼こそが僕がずっと探していた夢の少年で、ここで別れたらもう二度と会えないかもしれない。
でも、ここからどうしたらいいか分からない。
そうずっと見詰めていると、加持は溜息をつき青年の方へ向いた。多分察してくれたのだろう。
「へ?」
「……うん、なるほどね。可愛い顔してるね」
加持は顔を近づけ、青年の顎を引く。
「あ、あの、僕、男ですよ……?」
「でも綺麗な顔の造りしてるよ。きっと君のお母さんはとびきり美人なんだろうね」
「ちょっとリョウちゃん!何してんのさ!」
「おっと、怖い怖い」
カヲルが猫の威嚇のように加持を睨むと、加持は青年から離れる。
その勢いでぎゅっと青年を抱きしめれば、青年はカヲルの胸を押し、距離を取ろうとするが、カヲルに離す気は無かった。
「どうやらうちのが君に一目惚れしてしまったみたいでね。どうか連絡先だけでも教えてくれないかい」
「えっと……、その、ごめんなさい、急いでるので……、」
「あらら、振られちゃったね」
「じ、じゃあ、せめて名前だけでも……、」
カヲルは縋るように青年の手を握る。
感情のコントロールはできる方だと思っていたので、こんな感情は初めてで、どうしたらいいか分からない。
青年はしばらく困ったように眉をひそめてたが、真っ直ぐ見詰めるカヲルに根負けし、溜息をつく。
「……碇シンジです」
「シンジくん……!」
ぱあっとカヲルの顔が明るくなる。
碇シンジ。なんて素敵な名前なのだろう。
声に出すだけで世界が輝いて見える。
「おや?碇って、もしかして碇ゲンドウさんちの一人息子ですか?よく見れば垂れ目なところがそっくりだ」
「父を知ってるんですか?」
「知ってるも何も、今から会いに行くところだよ」
「え!?じゃあ貴方達もネルフに!?」
「なんと、貴方もですか。こりゃ運命かもしれませんねえ。ね、渚司令」
加持がこちらに向かってウィンクをする。
その合図を逃さぬよう、カヲルは慌ててシンジの手を握り直し、キリッと表情を整える。
「シンジくん、もしよければだけど、車で送ってくよ!」
「え!?そ、そんな、悪いよ……!」
「シンジくん1人乗せるぐらいどうってことないよ!むしろ賑やかになって楽しいと思う!」
「ええ、と……、」
シンジはカヲルの強引な誘いにたじろぐも、うまい断り文句が思いつかなかったのか、長い間を経てお願いしますと頭を下げる。
その言葉にカヲルは周りに花を咲かせ、満面の笑みでシンジを車に案内する。
ああ、なんて幸せな気分なんだろう。こんな気持ちは初めてだ。生まれて初めて神様というものに感謝するよ。
そんな事を考えていたせいで、カヲルはシンジの暗い表情に気づかなかった。
「……もう、僕は君と関わってはいけないのに」
シンジはそう小さく呟いて、今後カヲルとどう離れようかと考えるのだった。
―――――
「あっれ!ワンコくん!なんで渚司令と加持副司令と一緒なの?」
「よ、真希波」
「こんにちは加持副司令、相変わらず髭が不清潔ですにゃ」
「はは、褒め言葉として受け取っておくよ」
ネルフの中に入ると、入口には真希波マリがいた。
真希波はネルフ研究員の1人で、赤い眼鏡がトレードマークの女性だ。
ネルフに来てすれ違った際に挨拶を交わすぐらいしか面識が無かったが、報告書から分かる優秀さでカヲルは真希波をよく覚えていた。
「えっと、これには深い訳があってさ……、まあ後で話すよ。それより、はい、これ。わざわざ外回りの時間で届けに来たんだから感謝してよね」
「あ〜!そうそう!ワンコくん手作りお弁当!ここ最近研究所に籠りきりでレトルトばっかだったからすっごく恋しくてさ〜!ワンコくんがお弁当作ってくれるって聞いてからずっと入口で待ってたんだよ〜!」
「はは、大袈裟な……、」
「……シンジくんの、手作り弁当……?」
なにそれ、めちゃくちゃ食べたいんだけど。
シンジの弁当を持ってくるくる踊る真希波に、カヲルは敗北感を覚える。
彼女とシンジくんは一体どんな関係なのだろう。わざわざ手作り弁当を作ってあげるなんて、もしかすると恋人同士なのかもしれない。
そう考えると、胸がぎゅうと痛んだ。
「渚司令。そろそろお時間です。彼とお別れを」
「えっ、やだ!」
「わぶっ」
「貴方、いつからそんな聞き分けの無い子になったんですか」
カヲルがシンジを抱きしめ離れないようにすると、この年で遅い反抗期がくるとはね、と加持は頭を搔く。
普段とは態度の違うカヲルに驚いたのは真希波も同じらしく、興味深そうにへえと唸った。
「すまないね、シンジくん。普段はもっと聞き分けの良い子なんだけどね」
「いえ、大丈夫です……」
ここで別れたら次に会えるのはいつになるのかと、そう考えるだけで胸が苦しくなる。
腕の中のシンジの体温が愛おしい。このまま持って帰りたい。
「渚司令?離れたくないのは分かるけど、ワンコくん困ってるよ〜?」
「……でも、ここで離れたら、シンジ君はきっと僕ともう会ってくれない」
「う、」
シンジは図星を付かれたと言わんばかりに体を強ばらせる。
ああ、やっぱりそうか。声をかけた時から分かっていた。何故か彼は僕を避けようとしている。
来る者拒まず、去るもの追わず。それが今までの自分だったはずなのに。誰かにこんなに固執してしまう事に、自分が一番驚いている。恥を晒しているのも自覚している。
それでも、離したくなかった。
「じゃあさ、次の休みに会う約束したら?」
「え」
「約束?」
「そ。ワンコくんも、今仕事中だし離してくれないと困るでしょ?だから折衷案として、どお?」
また彼に会える。
その事実がどの宝石よりも価値のあるものに思えた。
絶対会いたい。もっと君を知りたい。どうして僕をこんなに夢中にさせるのか、この気持ちの理由を知りたい。
そんな思いを、カヲルはシンジに目で訴える。
しかし、シンジはカヲルから目を逸らした。
「駄目、なのかい?」
「……うん」
「どうして?」
「……、」
シンジは何か言いたそうにして、でも何も言わずに、口を噤んでしまう。
「あらら、ワンコくんてばケチなんだから。会うぐらいいいんじゃないの」
「マリさんは、分かってるだろ」
「ん〜?なんの事かにゃ〜」
真希波がそう笑うと、シンジは溜息をついて、カヲルと向き合う。
「ね、カヲルくん。君のその気持ちはとても嬉しいのだけど、僕は君とは会えないよ。理由は、その、言えないけど、とりあえず離してくれると助かるな」
「……シンジくん」
カヲルは捨てられた猫のような瞳でシンジを見る。
「どうして僕の名前を知ってるんだい?」
「……あ」
加持と真希波は自分を渚司令と呼んでいるから、彼が名前を知る機会なんて無かったはずだ。
やっぱり僕達はどこかで会ったことがあるのだろうか。自分が忘れているだけで。
彼に会う事で、彼への気持ちを思い出したというのなら、この感情も納得がいく。でも、どこで会ったのか全く思い出せない。なんて、歯痒い。
「ぼ、僕、もう行かなきゃ!上司に怒られちゃう!」
「あっ!待って!」
「ごめん!さよなら!」
自分の腕の中が途端に寂しくなる。
思い出すのに必死で、力を緩めた隙に逃げられてしまった。
カヲルは急いで追いかけようとしたが、加持に止められ、叶わなかった。
「うーん、ワンコくん、思ったより重症だにゃ〜」
「……君は、どうして彼が僕を避けるのか知ってるみたいだね」
「まあねん。でも、それをあたしから話すのは違うと思うから言わないけど。でも、君に協力はできるよ」
「協力?」
真希波は眼鏡のツルをあげ、
「あたしとしても、ワンコくんが悩んでるのは嫌なワケよ。渚司令もまたワンコくんに会いたいでしょ?」
会いたい。
そう問われ、カヲルはコクコクと頷く。
「んじゃ、ここに『ネコちゃんワンコくんわんにゃん仲良し大作戦』チーム結成〜!」
「ネコちゃん?」
「渚司令、捨てられた猫みたいだったから」
「はは、渚司令がネコちゃんか。それは言い得て妙だな」
「迷子の迷子の子猫ちゃん〜、貴方の会いたい人はどこですか〜?ってね」
「……君達、面白がってないかい?」
真希波はそんな事無いよ〜と呑気に笑う。
こちらは本気だというのに、そんな態度の真希波に少し不満を抱いた。
先程から彼女の持っているシンジ手作り弁当が視界に映る度に、嫌な感情になる。
「まあまあ、あたしに良い考えがあるからさ。今度の土曜日開けといてよ」
「土曜日?」
「そ。絶対に君達2人を会わせてあげるよ」
そう言って、真希波はカヲルにウィンクをした。
―――――
「り、リョウちゃん!シンジくんだよ!」
土曜日。
あの後、真希波は「9時、水族館の前に集合」とだけ言って自分の研究室に戻って行った。
その言葉通りに来てみれば、水族館入口前に私服姿のシンジが立っていた。スーツ姿も似合っていたが、私服もなんて素敵なのだろう。
「はいはい、早く話しかけてきてやんなさいな」
「待って!僕変なとことか無い?」
「いつも通り、どこから見てもイケメンですよ」
「うん、知ってるよ」
「そりゃよかった」
加持はやれやれと首をかいて、カヲルの背を押す。
「ほら、遠くから見守っててやりますから、困ったら呼んでください」
「ありがとうリョウちゃん!」
最後に鏡を取り出し、せっせと身嗜みを整える。
よし、バッチリ。
深呼吸して、高鳴る心臓を落ち着かせて、シンジの前に飛び出した。
「や、やあ、シンジくん」
「……カヲルくん?」
久しぶりに間近で見るシンジに、カヲルの心臓は高鳴り、声が上擦る。
シンジは真希波から何も説明されていなかったのか、シンジはカヲルの姿に酷く驚いている様子だった。