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    BQQatack

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    ドロディス自陣の前日譚
    HO2ベンジャミンがHO1アフィーシュに拾われるまで

    ドロップアウト 俺は帰化日本人だ。生まれ育ちは日本だから桜を見れば春を感じるし、箸の使い方も上手いし、これまで一番投げかけられた罵倒は「アメリカに帰れ」だった。
     両親は気にするなと励ましてくれたが、その両親をさっき自らの手で殺めたばかりだ。遠くでサイレンが聞こえる。優しい人たちだった。父親は温厚で決して怒ることはなく、母親も正義感の強い優しい人。彼らはナイフを手にした俺を見て震え、恐怖し、怒鳴り、そんな彼らに俺は「人が殺したい」とカミングアウトした。自分はバイだと言っても優しく迎えてくれた彼らは目を見開き、神に祈るように指を組んで、その瞬間に俺は母の首を掻っ切った。
    「マリー!」
     父は母の名前を呼びながら彼女の小柄な身体に覆いかぶさり、俺はじっとそれを見つめていた。うちひしがれる彼に「ごめんなさい」と囁いて、彼の振り向きざまにまた首を掻っ切った。ごとんと転がる物言わぬ身体に、俺は震える呼吸を必死で律する。郊外の一軒家に響いた悲鳴は、誰かがとっくに警察を呼んでいてもおかしくない。
    「……嫌だな」
     この期に及んでそんな言葉が口をつく。何が嫌なのか思い浮かぶ前に、季節はちょうど春の始まりだった。桜が舞う夜を抜けて、車庫に保存してあった古い灯油を運ぶ。家中の床にぶちまけ、彼らの遺体は――迷って、庭先へと出しておいた。俺はこれから、焼身自殺を図ろうと思う。鍛えておいてよかった、と、こんな時なのにおかしくなった。俺は異常者だ。人を救うために医者になるのに、人の死を見て思ったのは、自分でも人を殺してみたい、だった。神の身許へはとても行けまい。最後の審判で地獄に堕ちる俺に、もはや肉体は不要だ。
     父のライターで火を放つ。まず灯油の飛び散ったラインに沿って火の手が上がり、俺はあっという間に炎に取り囲まれた。自らを火炙りにする異端なのに、俺は、祈りのために指を組んでいた。熱がじりじりと皮膚を舐め、汗が噴き出す。
    「嫌だ!」
     叫んでいた。火の手はすっかり部屋全体に回り、俺は汗びっしょりのまま外へと駆け出す。燃える衣装ケースがぐらりと傾き、俺の背中に被さった。じゅう、という肉の焼ける音と激しい痛み。たぶんII度熱傷だ、と冷静に判断する医者の自分がいっそ滑稽だった。咄嗟にその場に転がって火を消し、激痛に呻きながら立ち上がる。部屋から出ると、もうすっかり火の手回っていた。
    「きん、」
     父は用心深い人だ。基本的に貨幣の価値を信用せず、常に現物の金の延べ棒を金庫へと保管していた。父の書斎へと向かい、金庫のパスワードを開ければ、これから先のちょっとした資金にはなるかもしれない。
     ちょっとしたって何だよ。これから死ぬっていうのに。
     そう喚く理性とは裏腹に、俺は書斎へと走っていた。灯油のせいで一息に火が回っている。あちこちに焦げくさい臭いが立ち込め、煙を吸わないように袖口で口を覆う。扉を開けると、幸いそこにはまだ火は回っていなかった。俺の無精も時には役に立つ。重厚な佇まいの金庫の前に立ち、四桁の数字を入力すれば開くらしいそれに、生唾を飲み込む。背中の激痛も相まって、深い事は考えられそうにない。必死にその四角い箱へすがりつき、ダイヤルを回した。
     これからすることは、泥棒だ。人を殺しておいたくせに、当たり前の良心が咎める。しかし俺は人殺しの犯罪者だから、この金庫を開ける。
    「ごめんなさい」
     ごめんなさい、ごめんなさい、と呟きながら、父の誕生日を入力。弾かれる。母の誕生日も結婚記念日も違った。なんなんだ、とパニックになって。ひとつ、最低な思い付きが浮かぶ。
    「イチ、ニ、イチ、ロク……」
     震える指先で入力すると、金庫は呆気なく開いた。パスワードは、俺の誕生日だった。
     彼は、一人息子の誕生日を、大事なもののパスワードに設定していたのだ。茫然としてその場にへたり込む。俺は、なんてことを。俺は。……俺は。
     火の手が轟轟と迫る。部屋の温度も上がって来た。俺は、このまま、ここで死ぬべきだ。
     それでも。この身体は立ち上がり、ポケットに金を突っ込んだ。背中が痛い。火が舐める廊下を突っ切り、燃えて倒れた家具を必死に乗り越え、邪魔ならどかす。素手で燃え盛る木に触る痛みも、極度の興奮で麻痺してそれほど痛くなかった。嘘、めちゃくちゃ痛い。生きているせいの激痛を堪えながら、降りかかる火の粉を払って進む。途中へまをして転んで頭から火に突っ込んだり、焼けた家具が側頭部にぶつかったりしたが、なんとか無事だ。きっともう、顔は火傷でぐちゃぐちゃだろう。
     家から抜け出した時には、もう散々な有様だった。衣服はあちこちが焼け焦げ、顔も燃えてどろどろ。二つの目玉が無事なのが奇跡だ。
     逃げなくては、と必死に脚を動かす。これまで治安が悪いから、と敬遠していた、路地裏の方へ。
     スラムの方へ。



    「……気づいた?」
     その声に目を開けると、片目は包帯でぐるぐる巻きになっているようだった。きょと、と目を動かすと、途端に全身が痛む。うう、と呻く俺に、前髪で顔の隠れた男が「目、覚めたみたいだね」と無感動な声で言った。
    「……どうして俺を助けた」
     状況の理解はすぐに及んだ。清潔な包帯が巻かれた身体に、マットレスの固いベッドに横たえられているならば、きっと助けられたのだろう。彼は答えることなく、「はい」とストローを差し出してきた。
    「吸えば、多少は楽になるよ」
    「……なんだ、それ」
    「朝顔」
     ああ……と、間抜けな声が漏れた。その隠語には聞き覚えがある。
    「ちょうせんあさがお……か。遠慮しておく」
    「あっそ」
     そう言う彼は小さく何かを口遊んでいた。そのメロディーと言葉に、「いい曲だね」と称賛が口を突く。この手が無事だったら、拍手をしたいくらいだった。
    「誰の歌? 特に歌詞が素晴らしい……、いいね」
    「お、……俺の、作った曲」
     途端に挙動不審になった男に、俺は「すごいな」と感嘆の息を吐いた。素晴らしい才能だと、思った。俺はギターを始めて、すぐにやめてしまったような怠け者だけど。
    「すごく、……いいな。もっと、聴かせてくれないか」
     微笑んでいた。彼の歌は俺の心の、ひび割れたところを潤してくれる。決して癒えない、癒してはいけない傷に沁みて、痛みを鈍らせてくれる。彼は目を瞬かせ、「いいよ」と視線をさ迷わせた。
    「……名前は?」
    「好きに呼んで。俺も、あんたのことは適当に呼ぶ」
    「そうか」
     そういうものか、と頷いた。きっとここはスラムの一画だろう。片目しかない視界で、俺は彼をじっと見つめる。皮膚の剥がされた跡があり、それを前髪で隠しているようだった。
    「……好きなバンドとか、ある?」
    「何の話」
     白い目で見られて、「そうかい」と苦笑する。俺は目を閉じて、これから先のことを考えた。
    「案外、……神様なんていないものだな」
     呟く俺に、彼がきょとんとした目でこちらを見る。その手にはストローと、薬物の乗ったアルミホイル。
    「いや。……さっき、親を殺してきたんだ」
    「へぇ」
     無感動な彼は薬物を吸おうとする手を一旦止め、俺に興味を移したようだった。「どうして」と尋ねる声は、案外無垢に聞こえた。
    「人を……殺したかった。でも、俺が人を殺したら、……彼らが悲しむと思ったから、殺した」
    「イカれてるね」
    「まぁ……」
     曖昧に肯定する。「で」無理に言葉を繋げた。
    「こんな俺にはきっと、天罰がくだるに違いない。でも、俺は生きている」
     俺は笑みを形作り、泣きそうだった。
    「神様なんて存在しない。だって、神は、天罰をくださない」
     俺の価値観を根底から覆す言葉を、自ら吐く。この時俺は自らをも殺し、そして蘇生した。痛む掌を震わせながら、新生児の俺は世界を見る。案外、明るいと思った。
    「……へぇ」
     男はきょとんとこちらを見て、その瞳の存外大きいのが目についた。きっと本来は整った顔立ちだったのだろう。彼はベッドサイドに立って、俺の顔を覗き込んだ。
    「話し相手になってよ。それがここに置く条件」
    「お安い御用さ」
     肩をすくめると、「外人だな」と彼が呟く。「これでも日本人なんだけどね」と、この話は長くなる予感がした。
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