片思い尾杉叶う事のない思いを抱き続けるという事は、精神をすり減らしていく行為だと思う。
長い片思いを拗らせてきたせいで徐々に俺の心はすり減っていって、そろそろ精神的にも限界が来ていた。
早くこの思いを何とかしなくちゃいけない。
こんな気持ちを抱えたまま尾形の隣にいるわけにはいかない。
だって、あいつは俺の事をただの友達だとしか見ていないのだから。
他の奴らよりは懐かれている自覚はあった。
いつも俺の隣に無言でぴったり張り付いて、どこに行くにもついてきて。
なんだか、その様子が親鳥とはぐれないように必死について行こうとする雛鳥みたいに見えて、可愛くて思わず顔がにやけてしまいそうになる。
しかも俺以外の奴には警戒心を剥き出しにして、自分から近づこうとしないし近づかせようともしない。
それでも近づいて来る相手にはチクチクと嫌味を言い続け、相手の心が折れたところで追い返してしまう。
ちょっとやりすぎだろとは思うものの、それでも尾形は俺にだけ心を開いているのだという優越感があった。
とはいえ、恐らくそれはただクラスの中で付き合いが一番長いのが俺だから、ってだけであってそこに恋愛感情はない。
そりゃ男が男に恋愛感情を抱くなんて珍しいケースはそうそうないので、当たり前ではあるのだが。
「他の奴らはどうでもいい。杉元がいればいい」
「…そっか」
前に、せっかく声を掛けてくれたクラスメイトを冷たくあしらう尾形に、さすがにもうちょっと友好的になった方がいいぜと窘めた事がある。
純粋に仲良くなろうと声を掛けてくれたのに尾形は相変わらずの塩対応で、いい加減そろそろ社交性を身に着けないと社会人になってからが大変だぞと心配になる。
「もしかしたら、新しく友達が出来るチャンスだったかもしれないのに」と続ければ、俺の肩に凭れ掛かりながらも不貞腐れたように尾形が言う。
そんな風に言うもんだからうっかり期待してしまいそうになって、尾形は友達としか見てないんだから妙な期待はするなと慌てて自分に言い聞かせた。
努めて平静を装って返事をしたつもりだったがあの時の俺は、ちゃんといつも通りに振る舞えていただろうか。
尾形は俺の事を友達だと思って懐いてくれているのに、俺だけが尾形の事をそういう目で見てしまっている。
邪な気持ちを抱いたまま、尾形の隣に立つ事の後ろめたさと罪悪感。
そしていつか尾形が俺の事を好きになってくれるかもしれない…そんな奇跡みたいな事、起こるわけがないのだと日々思い知らされている。
「恋愛なんて面倒だ。割り切ってセックスが出来れば充分だろう」
あれは確か、目の前を学生カップルが仲良さそうに歩いていた時の事だったように思う。
恋人か~青春してるなあ~なんて眩しく思っていた俺の横で、尾形は顔を顰めて吐き捨てるようにそう言った。
以前、告白してきたからという理由で特に好きでもない女の子と付き合った事があった尾形だが、詳しくは聞いていないがその彼女と結構色々と揉めたらしい。
そういえば最近彼女の姿が見えないな、と思って尾形に聞いてみると「別れた」とあっさり返されて、めちゃくちゃ驚いたのを覚えている。
しかし正直に言えば彼女が羨ましくて堪らなかったので、尾形と別れてくれた事に安堵してしまった自分がいた。
人の不幸を喜ぶなんて、俺はどれだけ酷い人間なんだろうと自分自身に嫌悪する。
最低だ、俺。
それからはもう恋人は懲り懲りだと告白は全て断っていた尾形だがその代わり、どこで知り合ったのかは知らないがセフレは何人か出来たようだ。
何度か大人の女の人とホテルに入っていく姿を見かけたし、嗅ぎ慣れない香水が尾形の体に纏わりつくようになった。
香水なんて、今までつけた事がなかったはずなのに。
どう考えても尾形のものではない匂い、二人でホテルに入っていく姿。そして度々、体に点々とある虫刺されとは明らかに違う鬱血痕。
特に何も言ってはこなかったが、セフレで間違いないだろう。
…いつも俺以外の奴には警戒して、ずっと俺にくっついていた癖に。
俺がいればいいって言ってた癖に。
しかし尾形に抱かれるなんて羨ましいと女の人に酷く嫉妬する反面、あいつにも性欲はあったのだという事に興奮してしまった。
尾形はどんな風に女の人を抱くんだろう。
そんな想像をオカズに自慰に耽り、出すものを出してから罪悪感を募らせる。
始めのうちは尾形が女の人を抱く想像で抜いていたのだがある日、とうとう俺が尾形に抱かれる想像で抜いてしまった。
それは今までで一番興奮して、気持ち良くて。
そして罪悪感がすごかった。
ああもうダメだ。
早く尾形の事を諦めないと。
どうせ尾形は俺を好きになる事なんてないのだから。
さっさと尾形への気持ちを諦めきれないせいで、俺の頭は尾形に抱かれるという虚しい想像までしてしまうようになった。
俺が相手じゃ駄目なのかよ。
そんな事を考えると必ず、自分自身を戒めるかのようにあの時の尾形の吐き捨てた言葉と表情が脳裏に蘇り、その度に胸が締め付けられて苦しくなる。
もしも恋愛は面倒だと言っていた尾形に告白をしたら、きっと顔を顰めて「…くだらん。面倒だと言っただろう」なんて、呆れたように返されるだろう。
それに、いくら他の奴らより懐いてくれているとはいえ、俺は女の子じゃなくて尾形よりも体格の良い男だ。
同性に好意を寄せられれば不快だろうし、ずっと友達だと思っていた相手に性的に見られていた事に嫌悪感を抱いて「気持ち悪い」と吐き捨てられるかもしれない。
尾形にそんな顔でそんな言葉を投げつけられてしまったら、俺は多分耐えられないだろう。
叶うはずのない思い。やっぱり、こんな気持ちを持ち続けているわけにはいけないのだ。
もう嫌だ。尾形の事を好きでいることが辛い。
どうすれば諦められるんだろう。
諦められるわけがない、ずっと思い続けていたのだから。
「ねえ、君」
今日は部の練習があったので尾形には先に帰ってもらい、いつもの帰り道を一人で歩いていた。
一人になるとどうしてもネガティブな事を考えてしまいがちで気分も落ち込み、チクチクと胸を刺すような痛みに襲われて顔を顰めながらも歩いていると、不意に声を掛けられる。
声のする方に振り向けば、スーツを着た二十代…いや三十代前半くらいの男の人が立っていた。
…こんな人、知り合いにいたっけ。
いや、そもそも大人の知り合いなんて、俺にはいないはずだ。
少し警戒していると、そのスーツの男の人は「君、かっこいいね」と言葉を続ける。
「はあ、どうも」
「俺、君みたいな子がタイプなんだ。よければそこのホテルで話さない?」
いきなりホテルかよ。
あまりにもストレートな誘い方にドン引きしてしまう。
絶対に話だけで終わらせる気ないだろ。
大体、華奢な女の子じゃなくて俺みたいなゴツい男が好きってどうかしてるんじゃないのか。
からかわれているのかとも思ったが俺を見る男の目はぎらついていて、明らかに俺に対して欲情している。
その様子は、男が俺をからかう為に嘘をついているようにも見えなかった。
「いや、それはちょっと…」
「気持ち良い事するだけだから大丈夫。俺、上手いよ」
お話するんじゃなかったのかよ。本音が漏れてんぞ。
断っても引き下がるどころか、逆に男はこちらに近づいてきて、するりと俺の腰に手を回してくる。
その瞬間、ぞわっと触れられたところから鳥肌が立ち、一気に全身へと広がっていく。
気持ち悪い。
下心を持って触れてくる人間の手が、こんなにも気持ち悪いものだとは思わなかった。
あまりの気持ちの悪さにぐっと吐き気が込み上げてきて、思わず顔面に拳を叩きつけてしまいそうになるが、必死に堪える。
筋肉のついていなさそうな細身のこの男の人は、スポーツや格闘技や体を鍛えているようには見えない。
きっと柔道をやっている俺よりは確実に弱いだろうし、俺が本気で殴ったら大怪我をさせてしまうかもしれない。
そうなると、親や学校を巻き込むような面倒な事になるかもしれない。大事にしたくなかった俺は拳を握りしめてやり過ごす。
すると、俺が抵抗しないのを良い事に、男は腰に触れていた手を移動させて俺の尻を撫で回し始めたのだ。
「張りがあって綺麗な形をしてるね、触り心地が良いお尻だ」「この中に入らせて欲しいなあ」などと言いながら男の筋張った手に尻を揉み込むように撫でられて、ぞくぞくと悪寒が走る。
くそ、こっちが何もしないからって調子に乗りやがって。
やっぱり鳩尾あたりに肘鉄でも一発喰らわせてやろうかと考えている俺に、男は言葉を続ける。
「そういえばさっき、何だか傷ついた顔をしてたけど、失恋でもしたの?」
「…あんたに、関係ねーだろ」
「やっぱり。俺が忘れさせてあげるよ、気持ち良すぎて何も考えられなくしてあげる」
えらく自信たっぷりだなとは思ったが、男の「忘れさせてあげる」という言葉に反応してしまう。
尾形へのこの気持ちを忘れさせてくれる…本当に?
何年も拗らせてきたこの気持ちをこの男とのセックスで忘れる事が、本当に出来るのだろうか。
いや、そんな簡単に忘れる事が出来るわけがないと頭ではわかってはいたのだが、とにかく尾形の事を諦めたくて堪らない今の俺には藁にも縋る思いだった。
鼻息荒く捲し立てて、おまけに下品な事を言いながら尻まで撫でてくるこの男の事は気持ち悪くて堪らないけれど、もしも本当に尾形の事が忘れられるのなら。
「…どこのホテル」
「すぐ近くだよ」
俺の言葉を了承と受け取った男は、嬉しそうに俺の腰を抱いてホテルのある方向へと歩き始める。
気持ち悪い。触るな。
だけど、尾形の事を忘れたい。もう思い続けているのは辛いから。
今から、俺はこの男に抱かれる。
セックスの経験なんて一度も無いから怖いし気持ち悪いけど、じっと我慢してればすぐに終わるだろうし。
それに、本当かどうかはわからないが、何も考えられなくなるくらい上手いと自慢げに話していたし。
ならきっと快楽で頭がいっぱいになって、尾形の事を忘れる事が出来るはず。
…そう思っていたのに。
「おい」
ホテルの前まで来た時、聞き慣れた声に呼び止められて、心臓が止まりそうになった。
聞き間違えるはずがない。
この低くて耳に心地の良い、誰よりも大好きな…でも今は聞きたくはなかった声。
その声に足が止まって動けなくなっていると突然、俺の腰を抱いていた男が「いだだだっ!」と悲鳴を上げた。
何事かと隣を見れば今、一番会いたくなかった奴が男の腕を掴んで捻り上げていたのだ。
「おが、た…」
何でお前がここにいるんだよ、尾形。
男の腕を掴みながらもこめかみに青筋を浮かべて怒りに満ちたその表情は、コイツとは長い付き合いだったが初めて見るものだった。
本気で、怒ってる。
なんでお前がそんなに怒ってんだよ。
困惑して何も言えないでいる俺の方に、尾形が視線だけを寄越してくる。
「……っ」
放っておいてくれよ、どうして邪魔するんだよ。
俺の事、そういう意味で好きじゃないくせに。
俺は今からお前の事を諦めないといけないのに。
言いたい事がいくつも浮かぶのに、尾形の黒目がちな瞳で見つめられると何故だか言葉にする事が出来ない。
しばらく尾形は無言で俺をじっと見つめた後に男の方へと視線を向けてはあと盛大に溜息を吐いた後、男の腕を掴んでいる手にギリギリと力を籠める。
そして痛みに呻く男に、地を這うような低い声で吐き捨てた。
「誰のに手ェ出そうとしてんだテメェ」
尾形の言葉に、思わずドクンと胸が高鳴ってしまう。
やめてくれよ。
なんでそんな事言うんだよ。
恋愛なんて面倒だって、前に言ってたじゃねーか。
頼むから、期待させるような事を言わないでくれ。