Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    wks

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 25

    wks

    ☆quiet follow

    ・お題箱よりいただいたリクエストのトマ人です
    ・自己解釈が非常に強め
    ・ストーリー諸々全然回収できていないので齟齬があるかもしれない
    ・付 き 合 っ て な い のにやることやってます

    水に灯り、夜は明ける 時の流れは、その偉大なる歩みは、矮小な人間でも遥かなる神でも止めることは決してできない。そしてその時の流れとともに、万物は流転していく。永遠などありはしないし、すべての生き物は日々を生きるだけで変化していくものなのだ。いつか命に終わりはくるし、子どもとは大人になるのだから。
     だからこそ、神里綾人は約束というものの無情さを知っている。誓いの惨さも、神の目という名の意思の固定がどれほどにひとの理を外れたものであるのかも。それに拘泥するほど繊細でいるつもりはなかったが、同じくらい、それを理解していてなおそれらを紡ごうとするほど自由でもいられなかった。神里という巨大な家の頂点に立つ前から一歩引いて物事を見る性質に自覚はあったが、変わらないものなどないのだと思い知らされたあの日から、綾人はますます永遠というものを信じなくなった。不変などない。あらゆる物事は、時の流れに乗って前へ前へと進むしかない。それが正しい方向であるかどうかは誰にも分からないから、神里のような家の者たちが、民草の命を正しく運ぼうと日々世界を整えているのだ。それを自覚したときから、綾人は、変わらないものを求めることを諦めた。永遠はない。この世界のどこにも、変わらないものなど、ない。
     それを誰よりもよく知っているつもりだった。愛すべき妹も、己自身でさえも、そういった意味では疑っていた。日々変わりゆくものとして、移ろうものとして、今日は昨日とどう違っていくのだろう。変わらないままでいられない人間という生き物のありようを、そうやって受け止め、愛そうと思っていた。
     それゆえに、その瞬間。例え瞬きにも満たない間あっても、息を止めた己に、深く失望してしまったのだ。
    『トーマ、今日はあなたの誕生日です。いつも私たちとともに過ごしていますが……他にやりたいことはないのですか?』
     少なくともこの土地でなら、ある程度の融通をきかせられる立ち位置に、綾人はいる。神里の家司であるトーマもそうだ。無茶強欲を通すことは民の規範となるためにもできないが、それなりの金額で動かせるものであれば饗しただろう。生まれたことを寿ぐ日に、遠慮はいらない。もちろん、この堅実で御家大事の家司がそのような我儘を言うこともないだろうという予測のもと発した言葉ではあった。トーマは予想通り僅かに困ったような顔をして、うんうんとしばし唸った。これで彼の願いが聞ければよし、そうでないなら妹ともに彼を祝おう。毎年のことではあるが、だからこそ、誕生日というものは特別なのだ。今年も変わりなく生きていることを、生まれてきたこととともに祝ってやりたい。このような家に、綾人に、関わってしまったときから、彼の人生は波乱に満ちたものになるに決まっているのだから。
     やがてトーマがパッと顔を上げその願いを口にするまで、綾人はのんびりとそんなことを考えていた。
    『旅人と、食事を』
     あの異邦人に会いたいと、そう言った言葉を聞いて、刹那の間綾人の思考は確かに真っ白になってしまった。その一拍ののち、瞬きをひとつして肯定するような言葉を絞り出せたことには、これまでの当主としての外面の繕い方が生きたと実感する。心の内側にどのような大波が起ころうとも、それをちらりとも表に出さないようにふるまってきた経験が、完璧な笑みと段取りを作り上げた。彼の心配を肯定し手紙でも出してみたらどうだろうかと提案までして。その心配の気持ちをきちんと記して、できれば食事の約束まで書くのだと助言を与えたあたりまでは、やけにはっきりと覚えている。どこか他人事めいた視点で、綾人自身の意思など関係なく勝手に言葉を紡ぐ口に奇妙な感心を懐きながらそれを眺めていた。それから、すでに夜も遅いからお互いに休もうと――日付が変わった瞬間に彼の誕生を寿ぐため、深夜にも関わらず彼を傍に控えさせていたことなどなかったように彼を部屋の外へと送り出して、ようやく綾人は動揺を表に出すことができた。
    「――っ、」
     そう、永遠はない。不変のものなどどこにもない。世界は日々移り変わって、例えるなら水が姿を変えていくように、ひとの心も、どのような形であってもひとつにとどめておくことなどできはいしないのだ。
     言葉にできない何かが胸のあたりにわだかまって、不意に息が詰まりそうになる。ゆっくり、ゆっくりと意識して呼吸を行い、目を伏せる。そう、正しく理解していてもなお、この心は。
     綾人は、きっと。
    「……もう、休まなくては」
     それ以上の言葉がかたちになる前に、ひとつ首を横に振った。己を欺くための自己暗示。水面にさざ波が生じたとしても、その水底までは届かないよう――綾人のこころの奥深くは、決して揺らされることがないように、いつしか身に着けていた術。そこに生まれ出でそうになっているものなどなかったことにしてしまえばいい。どうせ、綾人以外に気づけるものなどいないのだから。
     寝床に戻り灯りを消す刹那に、夜陰に乗じて噛みしめた唇だけが、そのとき飲み下した形なきなにものかの証だった。

    **


     翌朝。朝早くから起きだして、1日の公務の確認を行う。深夜のことは丁寧に梱包して思考の片隅へと片付けておいたので、今日とて変わりなく神里綾人としての顔を作ることができた。食事時に綾華とともにトーマの誕生日を改めて祝った時にも、常と変わりない微笑みを湛えられていただろう。こと兄のことに関しては抜群に勘のいい妹にさえ何も疑われなかったのだし、と安心してトーマの旅人への贈り物についての話を聞いていた。あの幼い異邦人については、トーマの性格上どうにも心配が勝ってしまうらしい。綾華も楽し気に頷き、2人でどのような食事がいいかとはしゃいでいるのを兄として優しく見守りながら、さて今夜はどう過ごそうかと考える。
     トーマの祝いを行うつもりであったので、実は今日の夕刻から明日の朝までは時間が空いている。多忙を極める公務の中、無理矢理に絞り出せたのはそれだけの隙間時間しかなく、またギリギリまで調整をしていたためトーマも未だ把握してはいないはずだ。トーマが旅人へ会いに行くというのなら、祝いもそちらで受けることだろうし、もしかしたら泊りがけになるかもしれない。それならば、このぽっかりと空いた時間を何かに活用したいとぼんやり思考の一部を巡らせる。先々のための書状や書類でも作っておこうか、それとも近頃文を交わすことすらできていない顔見知り達のご機嫌伺いに筆を執るか。ああ、購入したはいいものの読む時間をとることができずに部屋の片隅へ溜まるばかりの本を片付けてしまってもいいかもしれない。睡眠時間を加味しても、2、3冊なら十分に読めるだろう。うん、と内心頷きつつ、食後のお茶を一口すする。有能な家司の淹れてくれたそれは、今日も今日とて綾人好みの味と香りをしていて、少しだけ胸が苦しい。
    「――あの、ええと、若。少しいいですか」
    「……、はい。どうしました?」
     ふわりと揺れる甘い茶葉の香気を吸って、あえてゆったりとした所作を意識する。視線を向けた先、どこか落ち着かない様子でそわそわと指先を動かすトーマは、あー、とか、うう、とか、何やら呻き声をあげている。先ほどまで綾華とあれだけ楽し気に話していたはずだが、何か綾人に手伝ってほしいことでもあるのだろうか。妹は妹で、我関せずといわんばかりにニコニコと食後の果物を頬張っている。二人の話を耳には入れていたが内容については聞き流していたため、状況がよくつかめないまま、とりあえず家司の言葉を待った。とにもかくにも、今日の主役は彼なのだ。
    「今日、旅人のところに少し顔を出してみます。若のご助言通り、手紙で先ぶれを出してから」
     この家を空けるための許可をということだろうかとひとつ頷いた。身体の奥が軋むような感覚はきれいに無視する。
    「ええ、構いませんよ。私も綾華も、今日は特に大きな予定はないはずですから」
     わざわざ改まって言うようなことでもないのに、と不思議に思っていれば、やはり話はそれだけではないらしい。まるで他者に聞かれるのを厭うように、じり、とトーマがにじり寄ってくる。綾人も自然とそちらへ身体を傾けて、綾人だけに向けられた彼の声を聞き漏らさぬようにとつとめた。
    「それで……夜は遅くなるかもしれません、が、必ず戻ります。だから、」
     ぎゅう、と腿の上に置かれた彼の手が拳を作るのを、目の端に捉える。気づけば先ほどまで落ち着かなくさ迷っていた視線がぐっと持ち上がって、彼はその鮮やかな翡翠色をまっすぐに綾人へと向けていた。ゆらり、とその中に踊る黄金色。焔の元素を映し出す翠の熱に、思わず呼吸が止まりそうになって、それでも絡み合う視線を綾人から解くことはできなくて。それを解きたいとも、思えなくて。何も言えないまま、ただトーマの言葉を待ってしまった。そんな綾人の様子に気づいているのかいないのか、トーマがまたひとつ息を吸う。それから放たれた彼の言葉には、迷いなどひとつもなかった。
    「若の時間を、俺にください」
    「……っ」
    「2人で、やりたいことがあるので……今日の夜中に、俺の部屋に来てください」
     さわやかな朝には似つかわしくないような熱が、じりじりと綾人の胸の底を焦がす。ここが朝食の席だとか、綾華もともにいるのだとか、そういうこともすべて置き去りにして、トーマはもう綾人しか見ていないのだと、その声は余りにも明瞭に伝えていた。
     夜を照らす燭台の焔ではなく、何もかもを燃やしつくすような炎のそれに押されて、いつの間にかからからに乾いていた喉がごくりと上下してしまう。瞬きすら惜しむようにじっと綾人の顔を見つめるトーマの声に、そこに込められた明確過ぎる意図に、彼の『願い』に、鼓動が跳ねそうになるのを必死に宥め、押さえ。それでも、言葉の意味を精査するよりも先に身体が動いてしまっていたのだから、綾人の動揺は推して知るべしだった。
    「……わかった。夜中に、また」
     視線は絡めたまま小さく頷くだけでなく、かろうじて言葉を返すことができた。嬉し気にぱっと明度を上げたトーマの微笑みにようやく視線を伏せ逃げることを許された綾人は、そこでようやく先ほどの言葉とその声音の意味にまで考えを巡らせることができるようになった。
     ――今夜。トーマの部屋。二人でやりたい、こと。
     それがどういう意味を持つのか、察せないほどおぼこいつもりはなかったし、トーマとの関係は浅くはない。否、あるいは綾人の勘繰りがすぎるのかもしれないし、この身の浅ましさの証明でもあるのかもしれないけれど――トーマはそういった期待を下手に持たせるような男ではない。であればなおのこと、その願いに込められた彼の意思があからさますぎて、綾華らがいなければ赤面してしまいそうだった。
     そのような状態の綾人のことなど知らぬげに、いつものそれよりなお足取り軽くてきぱきと家司としての仕事をこなし始めたトーマは、再び綾華と楽し気に話しながら、次は旅人の下へいくための準備をするらしい。綾華もまた午前は外で熟すべき雑務があるということで二人が連れ立って出て行くのをなんとか見送り、当主として行うべき仕事へ向き合うべく、ひとり、執務室へ向かう。
     その足取りは、迷いも揺るぎも一切ない、いつもの神里当主のそれであり、仕事のために切り替えた思考にも雑念は存在していない。けれど、常に腹の底に横たわる冷たく乾いた諦念に、先ほど注がれた熱が確かに触れて。気を抜けば、押さえられぬ動揺に足を止めてしまいそうだった。
    (……夜までは、あと半日)
     常であればあっという間に過ぎ去ってしまうだけの時間が、今日はどうにも果てしない道のりのようにも思えて。座卓に積み上げられた書類の束を目の前に、綾人は、零れそうなため息を堪えるように僅かに唇をかみしめた。








     どれほどに焦がれようと、拒もうと、時は決して足を止めず、気づけば夜が来ていた。
     一通り雑務を終え、夕刻からは予定していた通りに休みをとるべく本を開いた綾人だったが、どうにも集中できないと早々に切り上げてしまった。食事と湯あみを終え、妹と就寝の挨拶を交わした後。灯りを最低限まで落とした邸内を、気配を押し殺して歩む。家人たちを起こさない気遣いであるというよりも、それは、自分自身の動揺を抑えるためのものでもあった。
    (……期待、なんて。はしたない)
     浮足立つ心に、理性はそう吐き捨てる。諦念は何もかもを否定しようとする。期待と否定がくるりくるりと入れ替わり、こころが二つに引き裂かれてしまいそうだった。
     トーマに望まれて彼の部屋に忍ぶ、など。何も知らないものから見れば、十分に「そういう関係」としか思えないような行動だ。それも、誕生日という特別な夜。二人でしたいこと、などというあいまいな言い方までされては、不埒なこころは理性を裏切って勝手に鼓動を速めてしまう。
     これまでトーマに抱かれるのは――正しく言えば、彼に己を抱かせるのは、綾人の部屋のみのことだった。屋敷の最奥で、主として従者に抱かせているのだとの大義名分でもなければ、トーマの手に触れられて、体中を弄られて、綾人が正気でいられるはずがない。理性を手放せないまま抱かれる夜の、なんとむなしいことだろう。それでも、己の中の絶対に超えてはならない一線を握り締めて、彼に命じてこの身体を与えてきた。それにそもそも彼は、綾人が命じなければきっと主を抱くことなどないのだ。きちんと己の領分をわきまえているから。綾人の方が赦しを与え、あるいは命じない限り、どれほどの欲を抱いていたとしても、あの温かな手がこの肌を這うことはない。ゆるしなく触れて、触れられて、それを許容できるような関係ではないということを、綾人は良く知っていた。
     何故ならふたりは、恋人ではないから。愛を囁き合う、そのようなあまやかな関係ではない。ただそれだけの理由で、ふたりの性交渉は未だに歪なまま数だけを重ねてしまっていた。それだけの経験が積み重ねられた身体は、だから、いまも、じくじくと腹の奥をうずかせてしまっている。期待だけを与えられ、あさましくも興奮しているという事実にきりきりと胃の辺りが痛んでしまって、微かに零した息がしろく夜を彩った。
     どうしたって一方的に募るなにかは、今日も今日とてそこにある。けれど綾人は、その感情に対して、名前も形も与えることができないでいる。かといって手放すこともできなくて、どう扱えばいいのかもわからないから、持て余したそれをこころの片隅に埋め続けるしかない。トーマに触れられるたび、彼と夜を過ごすたびに少しずつ大きくなるそれは――きっと、不変を願ってしまうから。
     永遠などない。不変なるものも。この世のものはすべて、ひとも、こころも、風も水も、炎も。等しくかたちを変えていくもの。約束も、誓いも、どのような色の感情も。すべては有為転変であるがゆえに、変わらないでいることを願う愚かさを、綾人はとうに知っていた。
    「――トーマ、入るよ」
     小難しいことをぐるぐると考え続けている間に、気づけば約束の部屋の前。室内に在る気配に声をかけ音もなく障子を開いた。途端に、温められた空気がふわりと流れ出る。
    「若、またそんな薄着で……はやく、こちらへ」
     綾人の姿を目にしたかと思えばすぐに腰を浮かせ、彼は備え付けられた火鉢の傍へと綾人を誘導する。外廊下が冷え切っていたことも、綾人が体のほてりを鎮めるためにあえて薄着で来たことも事実ではあるので、ありがたくその手に身を委ね、きちんと整えられた寝具に腰を下ろす。空気を通してじんわりと伝わってくる熱に、冷えた指先がしびれるような心地を覚えてくすぐったい。もぞもぞと身をよじれば、だめですよ、と甘ったるい制止とともに背中からすっぽりと抱きしめられてしまった。
    「ッ、」
    「若、来てくださってありがとうございます」
    「……トーマがそう望んだから、ね。当たり前だろう?」
     背中に触れた身体が、熱い。薄い寝間着越しに伝わるトーマの体温は、いともたやすく綾人の鼓動を速めてしまう。ぎゅう、と抱きしめる腕に力が込められて、耳元に零された声がいやに熱を帯びて濡れているように聞こえ、平静を装いながらもぞわぞわと背筋が震えてしまう。これまで経験してきた行為の際にも、身体を重ねる前後にこのように触れ合おうとするトーマを何度か制したことはあったが、実際には予想していた以上に破壊力がある。腰砕けになってしまいそうだとどこか冷静な思考の一部が警鐘を鳴らしていたが、もう手遅れだった。
     先んじて背後を取られてしまった以上、綾人に抵抗の術は少なく、本気で反抗しようとすればトーマを傷つけてしまうかもしれない。今日が誕生日であり、彼を祝うためにこの部屋にいるのだから、と前提をもう一度おさらいすれば、僅かに心臓が落ち着く。気休め程度ではあるけれど、なんとか当主の仮面をかぶり直して、ゆっくり深呼吸をした。
    「それで……具体的には、私と何をしたいのかな。やりたいことがあると言っていただろう」
     そういう行為をするつもりかな、と付け加えなかったのは、流石にそうでなかったときにお互いが気まずくなってしまうからだ。つとめて冷静に、それでも冷ややかではない程度に尋ねてみれば、ふ、と零されたトーマの小さな吐息が耳朶を擽った。その熱さに小さく肩が揺れてしまうのは仕方がないことだろう、と誰にともなく内心で言い訳を重ねる。
    「……本当にわかりませんか、若」
     腕を捉えた背後からの抱擁は拘束にも似ていると、そこでようやく気が付いた。逃げようと身体をよじっても動くのは下半身ばかりだ。耳孔に吹き込むように質問で返され、背筋の震えが止まらない。寒さや冷たさによるそれではなく、鳥肌が立ちそうなほどの熱さによる震えだった。腹の底に凝り半日以上も煮詰められていた欲がどろりと溢れて、伝って、理性を蝕んでいくような感覚がどんどん体温を上げていく。
    「……、っ、ん、トーマ……!」
     答えられないでいる間に、今度は耳朶を湿った何かが撫でる。舌先とわかるのは、これまでも幾夜もその熱で愛でられてきたからだ。かたちを確かめるように耳のふちをなぞったそれが、微かな水音をたてて小さな耳の穴を嬲る。
    「ふたりで、俺の部屋で、こんな時間に……なんて。貴方が分からないはずがない、でしょう?」
     教えてください、とねだる言葉にはどこか甘えるような響きがあって。残った理性をかき集めて諫めようとしたこころをあっさりと挫く。トーマのこのような素振りには、勝てた試しがないのだ。主ごころを擽られるとでもいうのだろうか。ねだられるがままに、口は勝手に動き出していた。
    「そういう……つもりかもしれない、とは。思っていたよ」
     準備だけは済ませた、といえば、よくできましたと言わんばかりに何度も首筋に唇が触れていく。跡を残さない絶妙な吸い付きは、肌一枚の下に秘められた綾人の欲望を掻き起すように戯れめいた甘噛みまで混ぜていて、ひくりと腰が跳ねた。
    「ええ、そうです。……今日は誕生日だから、やりたいことはないのかと言ったのはあなたでしょう」
     だから、このようなことを。綾人をほしがって、約束をさせたのだと。深い欲と熱に色づく声音に嘘はないとわかるから、その吐息の触れる場所から脳まで伝わる微弱な快楽に翻弄されてしまう。
    「それは、ッ、そうだけど……旅人との食事も、ん、してきたんだろう?」
     合間合間に項を吸われ、耳裏に口付けられ、問い返しながらどんどん体の力が抜けてしまう。愛撫にも満たない触れ合いなのに、どうしてかぴくぴくと肌が震えて、身体が熱くなっていくのを止められない。自分自身の体であるのに、まるで思い通りにならないことに内心動揺する綾人をよそに、トーマは不思議そうに笑声を注ぎ込んできた。ついでに耳朶を甘噛みされれば隠しようもなく甘ったるい声が溢れてしまう。
    「もちろん、そちらも滞りなく。旅人には世話になりましたから。でもオレにとって、今日のメインはこちらです」
     ね、若、と甘え上手の家司がひそめた声で笑う。からりと眩い太陽のような笑みに、ほんの一滴の欲望を混ぜ込んだそれは、今のところ綾人しか知らないはずの彼の夜の顔だ。抱擁という名の拘束をようやく緩め、くたりともたれる身体を甘やかす手付きで撫でていく容赦のない手のひらが、下腹を軽く押し込んでくる。
    「ぁ、」
    「ここで、一緒に気持ちよくなりましょう」
     きゅう、と内壁が蠢くような心地がした。何も咥えこんでいない場所が、寂しさにうずいている。奥の奥まで受け入れて、欲望を注ぎこまれる悦びを知ってしまった場所。トーマだけが触れたことのあるそこを、指先だけで、外側からとんとんとノックされた。
    「ぅ、あ……そ、れ……っ」
     かくりと揺れた腰も、下着を押し上げる性器もすでに隠しようがない。足をだらしなく開かされても、すりすりと下腹をひと撫でされるごとに腹の奥が熱を浴びて甘く蕩けてしまって、内腿がひくりと震えるばかりだ。直接性器や胸を弄られたわけでもないのに。淫らな身体はその先を求めて、先ほどまでぐるぐると悩み考えていたことすらも置き去りにして発情していくだけだった。こころのどこかにひんやりと冷えたままの場所があっても、諦念は変わりなくそこに在るのだとしても。トーマに触れられて、解かれ、溶かされる身体は、とっくにその悦楽に屈服していた。
    「若」
     下腹部を手のひらが覆って、ゆるゆると肉を押し込むようにして触れる。もう片方の手は抱き込んだ綾人の身体を這いまわって、やがて頬までたどり着いてそっと顔を彼の方へと向けさせられた。
    「ん……っ」
     きゅうきゅうと切なさを訴える場所を宥められながら、ようやく口づけが落ちてくる。鼻先、頬、それから唇。子どものするような重ねるだけのふれあいは、それでも今の状態では焦らしにしかならない。どんどん熱を上げられそこから降りることも許されない綾人にとっては、ただ思考を蕩けさせるだけだった。だから、綾人は自分から顔を寄せて、彼の自分のものとはかたちの違う下唇を柔く食んだ。
     ――それは、その先を求める綾人からのいつもの合図。
    「はやく、おいで。トーマが望むなら……今夜は、すきにしなさい」
     己が命じたように抱くのではなくて。そういう体を作らねば抱かれることに耐えられない綾人を、そうと知っていて甘やかすのではなくて。
     すきなように、やりたいように。トーマの意思で触れてほしかった。綾人にとって今日は、彼が望むことを叶える日だ。彼がほしいものを与えて、その存在をいつくしみたかった。生まれてきてくれてありがとうと、そう伝えるために。
     この身に沁みついた諦めも、綾人のつまらない感傷も。そんなものは気に留めなくていい。どれほど抱かれても、大事にされていると実感していても、何もかもを信じることができないこころの形は、深まりはしても消えることはないのだから。だから、そんなものは、トーマに気にされる必要はなくて。大切なのは、今このときに、綾人がそうしたいと思ったこと。トーマがやりたいことをやらせたいと、こころから思えたこと。それだけだった。
    「……明日は、できる限りフォローします」
     ごく、と喉を鳴らす音がして、丁重に褥の上へと横たえられる。見上げた翡翠にはぐらぐらと煮えたぎるような熱が宿っていて、その視線だけで焼け付いてしまいそうだった。それほどの劣情を見せられたのは、少なくとも彼と身体を重ねるようになってから初めてで、――義務ではない、命令ではない行為に、彼も興奮しているのだと不意に気づく。
     それは、鮮烈なまでに胸を打った。
    (トーマ、君は)
     トーマの意思を、問うことを恐れてきた。綾人の意思に名前を付けることと同様に。その関係に形を与えたくなかった。いずれ失う日がくること、変化していく関係にこころを動かすことを許せなかったから。それは神里の家を背負って生きるための覚悟だった。
     けれど、もしかしたら、それは。
    「……トーマ」
    「はい、若」
     彼が傍に居ること。彼が綾人を抱くことができること。彼に抱かれること。綾人が彼を求められること。すべてが、いつまでも変わらず在るわけではない。けれど、その中に。綾人の意思以外のものを見ようとはしなかった。欲があればこそ続くものだと。そう思って、肌を合わせて。そのたびに生まれ出でそうになる何かを呑み込んで――まるで自傷めいた繰り返し。重なる体のかたちを覚えても、快楽を見いだせるようになっても、こころには何も残してはいけないとそう思っていた。望んではいけないものを望みそうになる弱さを、綾人は知っていた。それは間違いではなかっただろう。けれど、それだけが全てでもなかった。
    「誕生日、おめでとう。……きみが生まれて、ここにいてくれて、よかった」
     生まれたことを寿がれる、彼にとって特別な一日の終わり。旅人とでも、他の友人とでも、すきなように過ごすことのできた日を終えて、彼はこの家に帰ってきた。
     そうして、綾人と二人、薄暗がりの中むつみあうことを選んだのは――『綾人と二人で』と、そういってくれたのは、他ならないトーマ自身だった。
     それだけが分かっていれば、もうよかった。
    「若……ッ!」
     性急に肌を露わにされ、灯りのおちた室内にも鮮やかな金茶色の髪が降ってくる。感極まったように声を詰まらせたトーマが、何故今宵綾人を選んだのか。それを尋ねるだけの勇気は今の綾人にはまだなかったけれど、その弱さですらも、きっと不変ではないのだ。あくる日には、また彼と、話をしよう。
     たっぷりと焦らされ、お預けにされ、持て余していた熱に溺れていく感覚を追いかける。夢見るように目を閉じた綾人は、諦めという名のついた水面に小さく灯った焔を感じながら、汗ばむトーマの背中に腕を回した。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💖💖💖💖💖💖💖💖💖💖😭😭😭😭👏👏👏😍🍌🍌
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works