えぶり🎅🎁 冬は冷たい空気で臓器を如何に冷やさないかに細心の注意を払う季節。それ以上でも以下でもない。
十二月末に行われる、世間では華やかな催し物。プレゼントが勝手に置いていかれるという夢想のような出来事は、物心ついた時から縁遠いままだ。
同じように病院で寝食を共にしている子供たちが一階のホールに集まり、仮装した妙齢の男性から包みを受け取る。毎年たったそれだけの日とはいえ、白一色の建物が、色とりどりの装飾で彩られた空間には心が躍るものだった。たとえ絵本の中のような豪奢な食べ物に囲まれ家族で笑いあうようなクリスマスは体験できずとも、敦豪はそれで満足していた。
むしろ、自分が家に帰れないことで、母と妹にも、家族で過ごすクリスマスを経験させてやれない状況を強いていることがたまらなく忍びなかった。
そんな日が今年も目前に迫っている。
世間が浮足立っているのは、病院の外に一歩も出ずとも実感できた。同じように入院している子供たちからではなく、通院や一時的な不調で訪れた人々の様子から。注射や医者との対面を嫌がる子供たちを、付き添う親が「いいこにしていないとサンタさん来ないよ」と諭している。
親がずっと隣に連れ添ってくれる状態で、たまに病院に来るだけでいい、そんな同年代の子供たちを横目に、指定された時間が訪れるのを待っていた。
何時間もかかる定例の検診が、二十四日に入ることに渋い顔をしたのは、医者や看護師といった、敦豪の周りの大人たちだった。母親にも話してから、と諭されたが、その日で問題ないと押し切った。
院内を歩いても、テレビをつけても、自身が味わうことのできない光景を目の当たりにしてしまうだけだから、それを避けたいのもあったが、何より、自分の面倒をみてくれる人間にこれ以上迷惑を掛けたくない思いから、意固地になった。わざわざ尋ねるということは、きっとその日が一番皆にとって都合がいいのだろうと察しての返答だった。
しかし、行事に興味を示した方が子供らしくて良かったのだろうかと、当日を迎えてみて不安になってくる。我儘を言ったことはほとんどないつもりだが、病状や容体で、日頃面倒をかけてきた事実もはどうやったって変わらない。検査の日をずらしてほしいと言ったところで、今更だったのかもしれない。
だけど、検査の日をずらしてもらったところで、外泊許可までは出ないし、無理を言ってゆめのと母に来訪してもらっても、自分が与えてあげられるものなど何もない。
胸に冷たい風を吹きあてられるような、虚しい心地がした。
ベッドに体を横たえる頃には、血液が一滴残らず鉛に置き換わったように重かった。
目を閉じれば、暗いはずの瞼の裏に、光があふれている気がした。
見覚えのある天井。アパートの一室。ここ数年は『帰る』ではなく『訪れる』になってしまった場所。ここでクリスマスを過ごせたら。
母さんは仕事があるだろうし、ゆめのは友達と遊んでから帰ってくる上に、宿題もあるだろう。
絵本やディスプレイの向こう側で見るような華やかな食事を、俺が作れたら。脚の低い卓袱台を三人で笑って取り囲めるだろうか。
サンタさんとやらも、来てくれるのだろうか。赤い服を着ただけの、対面可能な人間ではなく、寝ている間に、枕元にこっそりプレゼントを置いていってくれるような人が。
プレゼントは一つしか貰えないと聞いているから、何を願おうか悩んでしまう。ゆめのが冬でも外で思いっきり遊べるように、マフラーとか、帽子とか。母さんの手のあかぎれが治るおくすりだって欲しい。
みんなはどうやってプレゼントを一つに絞っているんだろうか。候補をいくつか書いておけば、サンタさんが勝手に選んでくれるのだろうか。
ひとつ、またひとつと、幻想は止めどなく溢れてゆく。
いつかドナーが見つかったら。あるいは、俺がいなかったら、せめて母さんとゆめのはこんなクリスマスを過ごせたのかもしれない。
そんなことを考えながら、沈んでいく意識に身を任せた。
瞼を持ち上げれば、夢でみた期待を裏切る、見慣れた天井。これだけはっきり白を視認できるということは、既に誰かがカーテンを開けたのだろう。そんな時間まで寝こけてしまったとは、珍しい。
手足の指を握って、開いて、また握ってと動かす。感覚はしっかりしている。深く息を吸い込んでみれば、僅かに消毒液の香りが混じる、変わらない空気が鼻腔に入り込む。
どうやら今日も生きて目を覚ましたらしい。
どうせなら、このまま再び目を閉じて、もうひと眠りしてしまおうか。午後になれば、看護師さんが起こしに来て、またいつもと同じように赤い衣類に身を包んだおじさんを待つだけだ。
掛け布団を掴み、鼻のあたりまで埋まるくらいに持ち上げ、体に巻き付けるように、仰向けの姿勢を横に倒した。その時だった。
耳慣れない音がすぐ近くで鳴った。がさがさと乾いた音だ。
虫や、なにか動物の類だろうかと、息と動きを止める。布団に包まれ温もっているはずの指先が、スッと体温を失ってゆく。
しばらくじっとしていたが、音はもう聞こえてこない。通り過ぎて、どこかにいったのだろうか。
張り詰めていた息を大きく吐き出し、また仰向けに姿勢を戻すと、また音が聞こえた。今度は驚いて跳ね起きる。
一気に全身の筋肉が強張る。錆びついた音がしそうなほどぎこちない速度で、首を回して、枕元に視線を落とす。
「っ……!」
赤い色が広がっているのに、思わず肩を窄めた。二度瞬きをして、それが血液の類ではないことを悟る。それどころか、白いリボンのかけられたそれは、生き物でも、体内から流れたものでもなく、静かに横たえられた、赤い袋だった。
「え……」
おそるおそる枕をどかすと、袋にテープで貼りつけられた紙が、皴になっている。
キャラクターの絵柄がちらりとのぞく、ピンク色の紙。それを認識した瞬間、誰の手も伸ばされていないというのに、一番に奪い去るように袋を手に取った。
紙を皴を指で伸ばすと、たどたどしく、滑らかさのない線が「あつひでくんへ」、その下に「さんたさんより」という文字を象っている。
ゆめのがよく使っているメモ帳だ。級友からテーマパークの土産でもらったと見せてくれたもので、間違いない。文字は、きっと母の手本を頼りに、彼女が綴ったのだろう。いつも「おにいちゃん」と自分を呼びならわす彼女に、母がアドバイスをした結果なのだと想像がついた。
指先が白く震えた。全身から集まった体温を放出しようと、目の奥が熱く訴えかけてくる。
震えを堪えた手を白いリボンに掛け、ゆっくりと解いた。丁寧に畳んで枕の上に置く。袋の口に手を差し入れ、朝露を纏った花弁を撫でるように開く。
そっと覗いてみると、見えたのは編みこまれた毛糸だった。
初雪にでも触れるようにそっと掴んで取り出す。――手袋だ。
母の忙しさを考えれば、さすがに手編みではないだろう。だけどわざわざ、忙しい合間を縫って買いに行ってくれたのだと思うと、あまり好みの色ではないはずなのに、言葉の形にしきれない感情が溢れ出して止まらない。
恨めしさの根源である心臓に押し当てて、抱きしめる。十秒ほどそうしたのち、手袋を袋に戻して、リボンを掛け直した。解く前のように綺麗には結べず、左右で長さが互い違いになったが、目頭を拭い、ベッドから降りた。
この礼をちゃんと伝えるまでは、生きていたい。そんなことを思った。
次に外泊許可が降りた日。手袋をはめてロビーで待っていると、「おにいちゃん!」と元気が弾けたように明るい声が聞こえた。こちらに向かってぶんぶんと振られる手には自分と同じ形の物がはめられている。色は異なるみたいだが、編みこまれている模様は同じものだった。それだけで、今日を迎えられて良かったと、そう思えた。
後に母がこっそりと聞かせてくれた話だが、どうやら妹が選んでくれた物だったようだ。
好きなキャラクターのデザインのものを欲しがっていたらしいが、敦豪とおそろいにするならばと、店内で何十分も悩んでいたらしい。
その話を聞いた時には既に、敦豪の手は手袋に収まらないほどの大きさになっていたが、捨てることなく、引き出しの奥に大切にしまっていた。
「……ん」
瞼の上に何かが流れ落ちる感触。目を開ければ、やはり汗であるそれが目に入ったようで、粘膜が痛んだ。数度瞬きをして、視界を安定させる。
見えたのは窓で、腕に当たる感触は硬い。机に突っ伏して寝ていたらしい。
今日は力仕事が多かった。午後の仕事もあらかた片付け、小休止と椅子に体をあずけた時には、既に意識の半分は手放していたように思う。
壁に掛けられた時計に目をやると、短針が四と五の間を指していた。部屋に入った時の時間を覚えていないため、何時間眠りこけていたのか分からないが、皮下が痺れるように重たい感覚から、小一時間は寝てしまっていたのだろう。
「っ……と」
上半身を起こし、腕を伸ばす。関節が乾いた音を立てた。肩を回して深く息を吐き出すと、ようやく全身に血液が循環し始めたようだった。
ぱさりと安易かが落ちる感覚に視線を落とすと、椅子と自身の背の間に、布が挟まっている。
見覚えのある上着だ。引っ張りあげると、やはり信乃のものだった。
「……」
汗なんかかいていたのはこれが原因だろうか。もうあの頃とは違って頑丈な体なのだから多少の寒さくらい、どうってことないのに。そう思いながらも、いつもより丁寧な手つきで上着を畳む。胸に残る傷よりも少し深い位置に、むず痒さを覚えていた。
ふと、見慣れないものが視界の隅にあるのに気付く。机の上、先ほどまで自分が突っ伏していたのであろう位置の少し上に、ペットボトルと小さな箱が置かれている。そして、
「起きたみたいだな」
後ろから聞こえてきた声に振り向くと、ちょうど思い浮かべていたのと同じ少年の顔があった。
「悪ぃな、色々と」
「今しがた全部終わったところだ。 敦の兄貴が大変な仕事全部片付けてくれたから、残りは俺一人でも十分だった。……いつもありがとな」
「俺の担当だった仕事だ。 お前の分は、終わったのか」
「あぁ。 学校があるからって、元々少なめの仕事しかもらってなかったからな」
近づいてきた信乃に、上着を手渡す。寒かったのではないかと心配していたが、学校のジャージらしきものを羽織っていた。
「これ、わざわざ買ってきてくれたのか」
「休憩がてら、ちょっくらコンビニでな。 その……」
信乃はそこで言葉を切って、絡ませた指先に視線を落とす。
「どうかしたか」
唇をもぞもぞと動かしたかと思うと、弱弱しい声で言った。
「その、チョコレート。 食事制限とかしてたら食えねぇかもしれないと思って、一応、糖質とか砂糖とか、使ってないやつを選んだんだが……」
信乃にしては珍しく、視線をあげないままだった。わざわざそんなことに気を揉んでくれていたのかと、申し訳なさを感じると同時に頬が緩んだ。
「ありがとな。 多少の間食なら問題ねぇ。 ……考えて選んでくれたんだな」
「なぁ、兄貴」
もぞもぞと動いていた手は、いつの間にかきゅっと握られている。視線がゆっくりと持ち上がり、敦豪の両目をまっすぐ捉えた。
「ん?」
「兄貴は俺の好きな食べ物も、ちょっと苦手なものも知ってくれてるけど、俺は兄貴の好きなもの、なんも知らねぇ。 疲れてんなら甘い物、茶やジュースの好みは分かんねぇから水。 ……そんな選び方しかできなかった」
立ち上がり、眉も視線も下げたままの信乃の頭に、手を置いた。小さな頭はようやく上を向く。
「とりたててないんだよ」
つむじから髪を乱すように撫でると、またそうやってはぐらかすと頬を膨らませた。
立ち上がり、信乃の右側を通り過ぎる。
「俺の為に使ってくれた時間があるってことが、なによりだ」
「……え?」
「行くぞ」
歩きながら、箱を包む透明なフィルムを剝いでいく。
信乃は敦豪の右隣りに追いついてきて、敦豪を見上げる。
「なんて言ったんだ? 何度も言ってるけど、右耳は……」
「大したことじゃねぇ」
あとは俺にまかせてくれ、そう書かれたメモを折り畳みポケットにしまうと、フィルムを取り去った箱を開けて、隣を歩く信乃に差し出した。
兄貴にあげた物なんだから最初は兄貴が食べてくれよ、とため息をつきつつ、敦豪が譲らないことを察している信乃は、ひとつ包みを手に取った。
信乃が甘い物を好まないと知っていてなお差し出したのは。妹が同じものを手にしていたことが、忘れられないほどの温もりと共に記憶に刻まれているから、というエゴに過ぎない。
「何が食いたい」
「……今日も、いいのか?」
「おう。 まだ店も開いてるし、時間もあるしな。 何でも作れるぞ」
「それじゃあ……」
先程までと打って変わって、弾むように楽しさを滲ませる信乃。その表情に、目を細める。
貰った分には満たないが、ほんの僅かでも何かを返せる日々は、敦豪にとって、冬を彩る電飾よりも眩しくてたまらないものだった。