積もったばかりの新雪のようにしみひとつないなめらかな背中に、思わず歯を立てて跡を残したくなった。唇を寄せたところで、思い出す。むかし同じことをして、長時間の行為によって文字通り精根尽き果てた体を、文字通り死に絶えるまで抱き潰されたのだった。いまだって、あのときに負けないくらい――寝返りを打つことさえ容易でないくらい疲弊しているのだから、数分前にようやく終わった行為が再開したら、確実に生死の境界をこえるだろう。こんなことで殺された回数を増やすのは癪に思えて、薄く開いた口を閉じた。
なだらかに上下する背骨だけをみれば、眠りについているようだが、今のミスラにはそれが叶わないことを知っている。目を開けているのか閉じているのかわからないし、何を考えているのかもわからないが、じっとしているのはいまだけで、どうせ十分もすれば空腹を訴えて不機嫌そうに部屋から出て行くのだろう。
伏せていた視線を上げると、シーツと肌の白さの上で赤い髪が朝日を透かしている。朝露を含んでしっとりと開いた花のようだといつも思う。見慣れても、見飽きることはない。
眠ることがなく、ベッドに体を横たえてもすぐに姿勢を変えるから、ミスラの髪に変な跡がつくことは無くなった。もともと無造作な髪形をしているが、たまに、明らかにあらぬ方向へとはねている毛束があって、オーエンはそれをたびたび魔法で鎮めていた。もちろん命じられたわけでも、頼まれたわけでもない。もしそんなことをされれば、むしろ放置していただろう。
はじめは、髪の毛を盗めやしないかという安易な思い付きからだった。
死ぬまではいかなくとも意識がなくなるまで体を好き勝手に使われた腹いせになにか仕返しがしてやりたくて、寝ている時ならばと引き抜こうとしたのだった。もちろん毛髪は奪えなかったが、そのあとも共に朝を迎えるたび、ミスラの髪に寝癖を見つけては直すようになっていた。
もっとも、どんなに髪が乱れたとしても、視界を遮るものでないのならミスラ自身はは気にしないのだろうが。
正しく整ったこの男の体にある僅かな淀みを、同じ寝台の上で目覚めたオーエンだけが知っている。自分しか知らない部分を作って、そこだけ独占した気になっていたのかもしれない。
なぜそんな優越感を欲していたのかわからないが、今となってはそれが懐かしかった。
口の中で密やかに、ミスラの耳には届かない声量で呪文を唱える。オーエンの額のすぐ上、うなじに被さっていた毛先がぴんと、重力に逆らって横を向く。眠れない男の頭に寝癖があるのが滑稽で、一人笑いをかみ殺した。
「……跳ねてました?」
「え、」
突然、ミスラがのそりと振り返った。
魔法を使ったのだからバレるのは当然だが、毛を抜いたわけでもないのに、わざわざこちらを向いてきたことに驚く。どうせ気にも留めず、無視されるものだと思っていたのだ。
「あなた、よく直していたでしょう」
「そんなことしたっけ」
「はい、何回も」
本当に覚えていないことが多いですよね、とあくびを混ぜてミスラがぼやく。
お前だけには言われたくない、と睨みつけてやりたかったのに、散々喘がされて、掠れた喉では滑らかに言葉が紡げない。それだけでなく、どうしてか浅くしか息を吸い込めない。
髪の毛はもちろん、オーエンの体内に吐き出された体液ですらいつのまにかなくなっていて、なにひとつ所有できないこの男の体に、自分の行為が刻みついている。忘れっぽいこの男が、こんなどうでもいいことを覚えている。
それを知って、心臓があるはずのからっぽのあたりからじわじわと痺れが広がっていく。薄いシーツの中で冷えていた体が熱を帯びてゆく。これはいったいなんなのだろう。
もう一度、朝日の滲む肌に唇を寄せた。今度は背中ではなく、脈打つ胸の上に。
あと一時間もすれば双子が足音を揃えて起こしに来るのだろう。扉が開く瞬間、オーエンは死んでいるのかもしれないし、もしかしたら真っ最中かもしれない。でもそんなことはどうでもよかった。
胸のあたりから広がった痺れが、指先まで余すところなく全身を侵す感覚がもどかしくて、もう一度この男の乱暴さで散らしてほしくてたまらない。
ゆっくりと息を吸って、白い肌に思い切り歯を立てた。