Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    jjxL8u

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 60

    jjxL8u

    ☆quiet follow

    ミスオエワンドロワンライ様よりお題「バレンタイン」をお借りしています。
    (Twitterに画像であげたものと同じ内容です。)

     千年あまり生きていても、星の誕生を見たことはないなと思いながら、冷ややかな風が頬を撫でて過ぎてゆく感触に睫毛を伏せた。魔法使いの寿命よりももっと長い時間をかけて、とおくとおくから届く光。水平線から頭を覗かせた瞬間から無遠慮に闇を薙ぎ払う朝日のように最初からまばゆくあるのだろうか。それとも、闇に眼が慣れていく過程のようにじわじわと浮かびあがってくるのだろうか。
    星を眺め讃える人々は千年前、おそらくオーエンが生まれるよりずっと前からいるけれど、それらひとつひとつに奪う合うようにして名前を付けるようになったのはそう昔のことではないはずだ。
     仮に名前をつけたところで実体を所有できるわけではないし、目に届いているそれは既に死に絶えているのかもしれないのに。そんなものを好き好んで観察して、記録しているムルのような学者たちとは一生相容れる気がしないかった。
    名前も知らないまま星空を愛でる連中は、瞼に無数の穴を開ければ目を閉じるだけで満点の星空を楽しめるんじゃないか。自分の体で試す気はさらさらないが、今度暇なときに適当な人間を捕まえてやってみようかなんて考えながら、呪文を唱えた。
    目的も宛てもなく、だけどなんとなく北の方角へ箒の柄を向けて飛びあがる。全てを黒に溶かしてしまう夜の冷たい空気は、今日いちにちかけて身に染み付いてしまった喧騒が落としてくれるような気がした。

     あれだけうるさかった魔法舎も、今はみな死に絶えたかのようにひっそりと静かで暗い。晩酌を楽しんでいた者たちも寝静まるような深い時間なのだから、当然と言えば当然だった。
    騒がしい一日だった。ただでさえ孤独に慣れたオーエンの耳にとって、朝、食堂に赴くだけで北の国で暮らしていた頃の何日分もの他人の声を摂取してしまうというのに。誰かの誕生日や、賢者のいた世界のイベントがある日は、魔法舎は一日中笑い声に満ちている。
     行事には全く興味はないが、そういう日は大抵、ケーキやらジュースやら、甘いものがたっぷりと用意される。喧騒さえ我慢すればそこそこ悪くない時間を過ごせた。特にハロウィンとバレンタインはお菓子がメインのイベントだ。賢者をはじめとしてお人好しな性格の者からいかにお菓子を巻き上げるか、楽しみな日だ。毎日がハロウィンかバレンタインだったらいいのにと思う。
     ポケットに触れれば紙の擦れあう音がする。冷蔵庫に残っていた数個のチョコレートを包んで持ってきた。本当はもっとたくさん――ポケットなんかに収まりきらないくらいの量が欲しかったが、食べつくされてしまったのか、どこをあさっても、それ以上には見つからなかった。

     中央の国から遠ざかってゆくほど灯りを覗かせる窓の数は減ってゆき、空気は温度と明度を落としてゆく。星の輪郭を際立たせるように。
     深夜と明け方のあいだの、なんとも表現しがたい時間でも、中央や西の国では灯りが地上に点在するが、北の国ではそれは空に灯る。点在ということばでは到底足りないほどの無数の星。何千回と見上げた夜空はオーエンにとってはすっかり見慣れたものだが、やはり北の国が一番綺麗に見える気がした。


     はたと眼前に白い光が舞っていて、思わず目を瞑った。くだらないことを考えていたせいで本当に星のすぐそばまで来てしまったのかと驚いたが、閉じた瞼の代わりに睫毛が、肌が、唇が、痒いほどささやかな重みを感じ取る。
     ゆっくりと瞼を持ち上げれば、音もなく、ただ雪が降っている。目の前にいる男の髪の色は、深夜のベールを被されてもなお明るく、黒と白だけで構成される視界の中で異質さを放っていた。
     悪い夢でも見ているのかと思ったが、下半身に感じる冷たさは紛れもなく本物だろう。かたく降り積もった雪の上にぺたりと脚をつけて座る姿勢は、普段のオーエンならとらないもので、ミスラがいつ出現したか覚えていないことも併せて、ああまたかとうんざりした。ため息をつく気力すらわいてこない。
    「どうしたんですか、急に」
    「それはこっちのセリフだよ」
     あたりを見渡せば、降りしきる雪の他に、黒い木々と一緒に、オーエンの背丈ほどもある雪だるまが何体もそびえ立っていた。僅かにミスラの魔力の気配を感じて、なんとなく状況を把握したが、余計に気分が悪くなって、呪文ひとつで全ての雪だるまの首を撥ねた。あなたが作らせたくせに、さっきまで喜んでいたでしょう、とぼやく声は無視した。
     ポケットに手を入れれば、くすねてきたチョコレートは健在だった。薄い半透明の紙を剥いて舌の上に乗せれば、冷えた口の中でも少しずつ甘さが溶けだしていく。それだけで腹の底のむかつきは僅かながら穏やかになったし、相変わらずこの男はオーエンのかわりように対しても、急に機嫌が変わった程度にしか捉えていないようで安堵した。
    「なんでこんなところにいるわけ」
    「あなたが来たんじゃないですか」
    「……」
    「眠れなくてひまだからだれか殺そうと外に出たら、飛んでいくのが見えたので、」
    「ああそう」
     ミスラの言葉を遮り、舌先でチョコレートを弄ぶ。
    殺されて魔法舎の庭かこの雪の中でひとり目覚めた方がましだったな、とか、ミスラの殺意がまだ萎えていなかったら面倒だな、とか。いくつか疑問が頭に浮かんだが、すぐに考えるのをやめて再びポケットに手を伸ばした。この男相手に何を考えても時間の無駄でしかない。
     しかしポケットに入れた指先は空を掴むだけで、布以外の感触が見当たらない。嫌な予感がして横を見ると、ミスラの頬が膨らんでいた。
    「返せよ」
    「いやです」
     そう言ってミスラはココア粉のついたパラフィン紙を雪の上に放った。
     殺意が湧いたが、さっきまでのオーエンが体力を使ったのか、攻撃を繰り出そうにも体が重い。
     一日中甘いチョコレートを堪能できて、悪い日じゃなかったのに。この男が出てくると全てが狂ってしまう。
    「……賢者様が言うには、チョコをもらったやつはちゃんとお返しをしないといけないんだって。それも何倍もの量のお菓子をね」
     オーエン自身、賢者に何も返すつもりはないが、なんとなくそう言ってみる。
    賢者は返す菓子の種類によって意味があると話していたが、何も返す気はなかったから特に聞いていなかった。どうせどれもオーエンが口にすることのないメッセージばかりだったはずだ。
    「もらったわけじゃないです。奪いました」
    「……」
    「別にいいですけどね」
    「なにが」
    「ケーキを奢れば満足するじゃないですか、あなた。 その程度なら別にいつでもいいですよ」
     眉間に皴が寄る。さっき以上にはっきりと殺意が湧いてくる。こんな体の調子じゃすぐに死んでしまうだろうが、一筋でも傷をつけないとおさまりそうにない。この男に、暗に『単純』と思われるのはそのくらい癪だった。
     だけどこの場で殺されれば、冷えた体に雪で塗れた服が貼りついて状態で朝を迎えないといけなくなる。それはそれで不愉快だった。ミスラといると、なにをしてもしなくても自分だけが損をしている気持ちになる。
     せめて言葉で返せないかと考えた。ミスラ相手に一番効果のない攻撃だけれど、自分の中で溜飲を下げられればもうそれでよかった。
     数秒考えて、指先で顎や下唇を撫でる。
     じゃあ何なら欲しいのか。なにも思いつかない。
     いつか殺したいとは思うけれど、それは単にミスラの命が失われればいいわけじゃない。自分の力で殺して、勝たないと意味がない。
     クロエやネロ、ラスティカのように服や料理や音楽を生むわけでもないし、味覚も内装の趣味も合わないミスラの芸術センスになんて期待できない。
     結局ミスラに望むことといえば、甘い物をたっぷりと用意させることだけ。
    それ以外にあるとしても、ふたつくらい。殺意と、欲を持て余したときに暴いて散らしてくれること。
     それは出会ったときからいままでずっと、オーエンが口にする前にミスラが勝手にしてくることだった。だけどそれで、過不足はない。そんなことに気付く。

     カランと小さな物音に、隣を見上げれば、ミスラはまたもごもごと口を動かしていた。チョコレートなんてとっくに溶けてしまっているだろうし、こんな硬い音はしないはずだ。
    「……なんですか」
    「なに食べてるの」
    「シュガーですよ。 中途半端に食べたら腹が減ってきたので」
    「じゃあ早く帰れよ。 ネロか賢者様でも起こせばいいだろ」
    「そういわれると帰りたくなくなるな……」
    「ああそう。 勝手にすれば」
    「最初からそうしてます」
     帰る、そう言って、腿の上に乗った雪を払いながら立ち上がった。もともとここへ来る目的もなかったし、ミスラの近くにいてこれ以上搔き乱されて不愉快な思いをするのは嫌だった。
     箒を出そうとして一瞬思いとどまる。このまま帰ればミスラに振り回されただけだ。ささやかでも仕返しをしないと、やはり腹の虫がおさまりそうにない。

     そうだ、と思いついてミスラの襟首を掴む。
    「ん、」
     不意打ちだったのかミスラが声を出したのに気分がよくなる。目を細めて視線で嘲笑を伝えたら、舌を噛まれた。オーエンの血の味がミスラの口の中に広がる。それでも舌を食いちぎられなかったのは幸いだった。
     そのまま何度か舌を擦り合わせた後、ミスラの口内にあったそれを絡めとって口を離す。
    「……はは、」
    舌を出して、奪ったシュガーを見せつけてから、口の中に収めた。
    「これでいいよ、お返し」
    「はぁ……」
     気のない返事をして、ミスラは新しいシュガーを作って今度はがりがりと音を立てながら食べ始めた。反発されたら面倒だけれど、まるで何もなかったように対応されるとそれはそれで虚しく腹立たしかった。
     奪ったシュガーを舌で撫でて、口内の熱を絡めてゆく。シュガーにしては大きめのもので、飴玉のかわりといっていいくらいだった。オーエンが自分で作る物よりは甘くなかったが、ミスラのシュガーを口にする機会はそうそうないから、今日のところはこれでよしとしてやろうと思う。
     ミスラの隣に座り直して、空を見上げた。両の手足では数えきれないほどの星が瞬いている。人々はそれらに名前をつけ、結んだものをまた名付けて崇めるように寓話を付加した。
     それらの光には到底及ばずとも、他の生物に比べれば、ながいながい時間を過ごしてきた。それでも二人の間にはまだ名前がない。
     たまに顔を突き合わせて、殺し合い、気まぐれに肌を重ね、人や建物や時代を幾度となく見送っても、友人にも恋人にもならないまま。
     だけど望む名前もないし、世界に存在している陳腐な名前に当て嵌まるようなものにもなりたくなかった。
     何億光年もかけないと届かない光や、消えても気付かないものになんて憧れない。
    ケーキでもシュガーでも、殺し合いでもセックスでも。いまこの瞬間に味わえて、すぐに消えてしまうものがいい。名前がないからこそ、消えてしまうからこそ、何度も求めたくなるのだから。そしてそのたびに、直に触れて熱をたしかめることが生きている実感だから。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤❤❤❤❤❤❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works