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    ミスオエワンドロワンライ様よりお題「残り香」をお借りしています。フォ学世界線です。
    (Twitterに画像であげているものと同じ内容です。)

     最近の死体は腐らないんだって。
     隣で今にも眠りかけているミスラはそうですかと一応返事を声に出してくれるものの、続く言葉を促してくることはない。それでも勝手にしゃべり続けた。
    「いまはどの食べ物にも保存料が入ってるでしょ。それが何十年も蓄積したら、死ぬ頃にはすっかり保存料が効いて、腐らない肉のかたまりのできあがり、なんだって」
     学校近くの公園でそんなことを高らかに語っている老婆がいた。焼酎のカップを傍らに日差しを浴びている老翁は耳が遠いのか気に留めていないのか微動だにしなかったけれど、子供を遊ばせていた親はそそくさと小さな手を引いてどこかへ行ってしまった。
     白骨化した死体が見つかったニュースは定期的にテレビに映し出されるんだから、報道されていない分も合わせたら毎日どこかでだれかの死体が腐っているはずだ。誰かに吹き込まれたのか、自分で辿り着いた考えなのかは知らないが、あの老婆のくだらない妄想にすぎない。
     そう嘲笑したくせに、事後の汗を吸ったシーツの上で口にしてみたのは、それを聞いたとき頭にミスラの顔が浮かんだからだった。腐らないままのミスラの顔を、今と同じように世界で一番近い場所で見ていられるのはそう悪くないことだと思った。首だけじゃなくて、僕の体にあらゆる形で暴力を働いてきたこの体ごと引き取ってもいい。気が済むまで眺めて、飽きたらこれまでの仕返しに弄ってやればいい。そんなことを考えて、思わずスキップしていた。
    「それがどうかしたんですか」
     え、と驚きで漏らしそうになった声を寸でのところで飲み込む。何も返事をしないから、もう眠っているか、無視されたものだと思っていた。
    「僕の死体をどうしたい?」
     お前の死体が欲しいと言ってみるつもりだったのに、口から滑り落ちたのはほぼ正反対の質問だった。
     気怠げに間延びした声で、まあ相性は悪くないし突っ込むために置いといてやってもいいですよ、とか、ああでも死体って硬くなるんでしたっけ、とか。最後はほとんど唸り声に近くて、何を言っているのか分からないし、それ以上の言葉は紡がれなかった。ミスラ、と話しかけてみたら、まだ汗の残る体が覆いかぶさってきた。触れ合った胸がゆっくりと収縮している。無防備だ、と思うけれど、もしこのまま襲いかかったとしても、ミスラは眠りの中からでも自分に向けられた殺気を察知して、一瞬にして目に鋭い光を灯して返り討ちにしてくる。何度か試したことがあるからよく知っている。
     このまま体重をかけられていると、さすがにどこかの骨が折れてしまいそうだから、腕に力をこめて、なんとか隣に横たえた。ミスラは眉を潜めて喉を低く鳴らしただけで、起きることはなかった。
     僕は全然眠くならなくて、なんだか胸がざわついている。呑気に眠る頬に触れてみた。何度見てもこの造形を美しいと感じる心は変わらない。こんなにぐっすりと眠っているくせに一向に薄くならない目の下のクマに、寝息を立てる鼻筋に、僕が噛みついたせいで切れてしまった唇に、指を滑らせながら考えた。尋ねてしまった理由とか。不要と同義の返事とか。目の前にあるこの体温を蹴飛ばしてしまいたいのに、心臓が叫ぶ痛みがそれを阻む理由とか。


     ひやりを肌を撫でた風に、薄く目を開けた。視界を塞いでいた白い肌と体温はどこかへ行ってしまった。ミスラが任務と呼んでいるやつだろう。育ての親とかいう女から気まぐれに連絡が入るらしい。もともと予定されていたことなのか、急な依頼なのかはわからないけれど、ミスラがベッドに僕を置いてゆくことは今日が初めてじゃない。
     手を伸ばしてみるとまだほのかに温かく湿っている。広いベッドを独り占めするチャンスなのに、ミスラが寝ていた場所に身を収めた。それだけでちょっと溜飲の下がる思いがする。僕も抜け出してしまおうか。でも僕が黙って出て行ったって、ミスラには何も与えられない。ああそうですかと首の後ろを掻くだけだ。
     うっすらミスラの匂いが残っている。それだけでなんだか帰りたくなくなって、これが消えるまではと再び目を閉じた。今度は眠気を感じる間もなく意識を手放した。


     次に目を開けたときには外が白くて、そういえばカーテンを閉めていなかったことを思い出す。もうミスラの匂いも体温も残っていない。シーツの皴だって僕が上書きした。急にこの家にいる意味が感じられなくなって、落としてきた服を拾いながら風呂場まで向かう。

     時計を見ていなかったけれど、どうやらまだ陽が昇ったばかりらしい。僅かな鳥の鳴き声と電車の走る音以外はみんな死に絶えたみたいに静まり返っている。
     どこまで行ったんだろう。国外に飛んでいることも珍しくないから、街のどこかにあいつの影を探すことはしなかった。だけどそれだとどこに視点を定めようか、迷う。

     痛む腰を引き摺りながら歩いて、あとみっつ角を曲がれば僕の家に着く。朝日に白く輪郭をくゆらせる建造物の中で無闇にはっきりと主張してくる黄色と黒の踏切。いつもなんの感慨もなく通過するだけなのに、今日は留まりたくなった。
     線路の溝を爪先で辿ったり、踵を鳴らしたりしながら、ステップを踏む。
     けたたましい警告音が、まだ寝ぼけている鼓膜を容赦なく殴りつけてきて痛い。ゆっくりと境界が降りてくる。このまま踊り続けたら、バラバラになって僕は死ぬ。
     いつの間にか地面と平行になっていた踏切に、やっと足を止めた。踏切を跨ぐ。黄色と黒で区切られた、死の誘惑の空間の外に出る。
     昨晩の余韻が疲労となって足を縺れさせてくる。膝も腰も震えていて、思わずしゃがみこんだ。死にたいわけじゃない。それでも、想像せずにはいられない。
     もしあのまま死んでいたって、血の滴った真っ赤な破片と僕の名前と結び付けることは、ミスラにはできないだろう。僕の残り香に身を埋めることも、そもそも気付くことすらないはずだ。契約通りにやってきた掃除婦の手によって、シーツからも枕からも僕のいた痕跡は洗い流される。
     背後から風が吹きつける。金属がぶつかり合う音を立てながら、電車が通り抜けてゆく。風にあおられて髪が揺れた。髪先に絡まったミスラの匂いに呼吸の仕方を忘れる。
     僕だけが。僕だけが、ミスラの痕跡を躍起になって拾い集めている。どうして。

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