忌々しい男肉の焦げる匂いがした。
黒煙を上げながら舞い上がる炎は濃厚の空さえも焼き付くそうとしているかのように煌々と燃え上がり、爆ぜる音はそこかしこから聞こえまるで地面が軋んでいるかのように思えた。
「このまま進んで川を超えるのです!いくら火の勢いが強くても対岸にまで火が届くことはありません!」
誰かが叫んだ言葉が聞き覚えのない言葉のように耳から耳へと流れていった。思頭がぼーっとするのがいけない。思考の渦はとめどなく内側から溢れているというのに、そのどれもが名前も付けられずに塵となって消えていく。悲しいのか。苦しいのか。それとも悔しいのか。ごちゃごちゃになった頭はもう何も考えようとも思わなかった。
「可哀想に……この辺りは野うさぎが住み着いていたというのに、もう燃え尽きてしまっている」
うさぎと言う言葉にぴくりと反応し、思わずどうして、と訳の分からない言葉を口走りそうになった。どうしてもこうしてもない。焼かれたのだ。父も。家も。うさぎも。何もかもを、焼かれてしまったのだ。
胃の底から迫り上がるような感覚に必死に歯を食いしばった。眼前に見せつけられた命の終わり。次に刈り取られるのは自分かもしれないという確かな恐怖。それを思い出すだけで、体の末端から血液が失われていくような感覚に襲われていくのだ。それを怖いと思うのなら、たぶんそれはそうなのだろう。だが、こんなところで自分の弱みを見せられるほど、己の立場は安い物でないことぐらい藍忘機にも分かっていた。
「迂回しましょう。この辺りは木が密集している。手負いの者がいる以上、素早く動くことは難しい。川に辿り着く前に火に囲まれてしまっては元も子もない」
はっきりとした口調でそう告れば、先導を切っていた男が少しだけほっとしたような表情を浮かべたように見えた。その男に変わるように今度は藍忘機が列の先頭へと進んだ。
泣いている暇はない。嘆いている暇も、恨んでいる暇だってここには存在しない。それなのに、あの男忌々しい男の顔が頭の中をチラついて離れなかった。魏嬰。あの男ならこんな時どうするのだろうか。心配するなと一人一人に声をかけるのだろうか。それとも、あの太陽のような笑顔で怯えるもの達を安心させるのだろうか。ああ、忌々しい。どうしてこうもあの男の存在は頭から離れてくれないのだ。琴を弾いている時も、鍛錬をしている時も、こんな時だってあの男の存在が頭の中をチラついて離れやしない。忌々しい。本当に忌々しい。
忌々しい男。その名は魏無羨。
私は今、君に会いたい。