フレが弱ったMルイを慰めるために嘘をつく話 酷い雨に降られた。
持っていたのは小さなランタンひとつきりだったので、すっかり濡れ鼠である。真夜中の雨にひどく冷やされてしまえば、慣れているフレッドといえど流石に観念せざるを得なかった。
雨と霧に霞む街路にひっそりと佇む、ユニバーサル貿易社。これといって特徴のないビルを視界に入れた時、フレッドは少しだけ目を眇めた。
窓に蝋燭の明かりがひとつ、揺らめいている。
出歩いている身で言えたことではないが、普通の人間は眠っている時間だ。少し、良くない予感が胸を騒がせる。
部屋の位置を考えれば、その主が誰なのかはすぐに分かった。
「失礼します」
きぃ、と扉が軋む。
どうかただの消し忘れであってほしい。眠っていてほしい。そんな願いを込めた無声音は、残念ながら無駄に終わったようで。
「……フレッド?」
清潔な部屋の隅に置かれたベッドの、そのまた隅。膝を抱えて小さくなったルイスがそこにいた。まるで、雷に怯えるこどものように。
サイドボードに置かれた蝋燭が、その横顔をちらちらと照らす。
「すみません。その、明かりが見えたので」
言ってから、なんの理由にもならないことに気がつく。
ルイスは多忙だ。Mとしての執務を、私室で行うことも珍しくはないのだから。
けれど理由はなんであれ、様子を見に来てよかったと思う。緋色の双眸が、あまりにもか細い光に揺れていたので。
「……大丈夫ですか」
静まり返った部屋だった。
吐息すら大きく響く静寂に踏み込むのは気が引けて、ドアを押さえたままフレッドは問う。
ええ、と返された声。それはいつも通りの響きだった。それだけは。
「ルイスさん!?」
蝋燭の明かりが、雫の輪郭を明瞭に照らす。ルイスの頬を伝う、涙を。
フレッドが駆け寄ったのは反射だった。何かから身を守るように力の籠もった、ルイスの手を取ってしまったのも。
ほろり、ほろり。
花弁が散るような静けさだった。
顔を歪めることもなく、ただ涙を零し続けるルイス。きょとんと丸くなった目は、フレッドを映していた。
「す、すみません、ルイスさん、えっと、」
されるがままのルイスの手は、ひどく冷たい。雨に降られたフレッドと、ほとんど変わらないのではと思うほどに。
なにか言わなければ。この手を温めなければ。そんなことを思うのに、フレッドの口は淀むばかり。
「……ねえ、フレッド」
零れる雫と同じくらい静かに、薄い唇が言葉を紡ぐ。はい、と返した声は、震えていなかっただろうか。
「兄さんは、生きていますよね?」
繋いだ手に力が籠もる。縋るように、願うように。
揺らいだ声の端は、降りしきる雨音に消されてしまいそうに儚い。組織の長としての凛とした声ではない、三兄弟が揃っていた頃を思い出させる丁寧な口調だった。
「……はい。きっと」
ほんの短い返答。
それを告げた途端、フレッドの胸はひどく軋んだ。苦い何かを呑み込んで、慰めを描く。
「考えがあって、帰ってこられないだけだと思います。今は、まだ。……だから大丈夫ですよ、ルイスさん」
ほろり。
また雫がひとつ落ちて、ルイスの目蓋が下りる。ゆっくりと手がほどかれて、その指先が目元を拭った。
ほうっと長い息を吐いて、数秒の沈黙。次に緋色が覗いたときにはもう、その瞳はいくらか凪いでいた。
「……すみませんフレッド、変なことを聞きましたね」
「いえ……」
なにがあったんですかとは聞けずに、曖昧に首を振る。本当は話を聞いて、相談に乗るのが正しいはずなのに。
そのうちにルイスがベッドから動くそぶりを見せたので、フレッドはそっと身を引いた。
「それよりフレッド、外にいたんですか? そんなに濡れて……」
お風呂の準備をしますから入ってください、と告げる口調に、涙の残滓はもうない。先の涙は見間違いかと思うほどだったけれど、目元に残った艶がそうではないと告げていた。
「その、……雨で、猫が心配で」
またも、嘘を重ねる。
ウィリアムの遺体を探しにテムズ川へ、なんて。そんなこと、言えるはずがなかった。