酔いどれナイトマジック 肩を揺すられて、ローランは意識を気怠く取り戻した。うっすらとした甘い匂い。重く感じる体。いつもよりぼんやりとした目覚めの中で、もう一度眠ってしまいそうになりながらも、肩に置かれた手のひらがそうはさせてくれなかった。
素肌に触れるその手のひらが、昨夜何があったかを全て物語っているのだった。またこのパターンか、とローランは寝返りを打つ。後ろにいるであろう人物の様子を見るために。
「ごめん…」
後ろの人物、オリヴィエは手を引っ込めてそう言った。ローランと目が合う寸前だった。
二人はベッドの上にいて、そしてお互い服を身にまとっていなかった。掛け布団はどこかに落ちてしまったようで、つまり、裸のまま二人は向かい合っている。
ローランが何を言い返そうか悩んでいると、オリヴィエは口を開いた。
「記憶はないけど、何をしたか……だいたい想像がつくよ……」
「うん…」
頷きながらも、ローランは昨夜のことを思い返す。オリヴィエと違って、しっかりと記憶がある。オリヴィエに何をして、何をされたか――。嬉しくはないが、嫌かと言われればそうでもなくて、恥ずかしいが、実際のところまんざらでもない記憶が、気怠い頭でもはっきりと思い出せる。
「まあ、初めてじゃないしな」
「だからだよ! また俺はローランに迷惑かけたんだよな……?」
「うーん……。迷惑じゃないっていうと嘘になるな。散々止めようとしたし。でも楽しく飲んでるお前を殴って気絶させる気にはならなかったよ」
「本当にごめん。任務が一区切りついてお前と飲めるのが嬉しくて……」
そう正直に話すオリヴィエを見て、ローランは昨夜のことを思い出す。
この男の正直さは、酔うと大変なのだ。
昨夜、このベッドのある部屋――つまりラブホテルの一室に、どうにかオリヴィエを避難させることが出来た。
オリヴィエが大量の酒を飲んですっかり酔ってしまう様を、ローランは何度か見てきた。一級フィクサーとはいえ、こうなってしまえば帰り道で掃除屋に巻き込まれてしまうかもしれない。今回は家に送り届ける時間もなく、仕方なく近くのラブホテルにオリヴィエを引っ張ってきたのだった。
酔ったオリヴィエを連れてラブホテルに泊まることは、初めてでは無かった。そのままうっかり体を重ねてしまうこともあったが、大体は二人で爆睡して朝を迎えるのだ。今日もそうだろうと思っていた。
しかし、部屋に踏み入れて扉を閉めた瞬間。オリヴィエはローランを乱暴に抱き寄せて仮面を外し、いきなりキスをしてきたのだった。
「な、んん…、っ…」
「ん…ローラン…」
壁際に押さえ付けられ、キスをしながら壁伝いにずるずるとしゃがみ込む。うまく重心がとれず、床に倒れ込むとオリヴィエは覆いかぶさってくる。
「ま、っ…、落ち着け…って…」
口の中に舌が侵入して、ローランは肩を震わせる。酒臭さにぎゅっと目を瞑ってから、呼吸を整えて、オリヴィエの肩を掴んで引き剥がそうとする。
「酒くせえんだよ!」
どうにかオリヴィエを突き飛ばして、ローランはそう言い放つ。よろよろと立ち上がると、オリヴィエもゆっくりと立ち上がった。すこし乱暴に押し退け過ぎただろうか。ローランが不安がっていると、オリヴィエは口を開いた。
「歯磨いてくる」
「そういう問題か?」
酔っぱらいの手のつけられなさと普段の真面目さが合わさって、調子が狂わされる。オリヴィエは近くのベッドの枕元から歯ブラシを見つけ、洗面所まで歩いていった。
ローランはその背中を見送った後、服を脱いで置いてあったバスローブに着替えた。シャワーを浴びるのも面倒なので、このまま眠ることにしたのだった。オリヴィエが歯を磨いているわずかな時間でとっとと寝る体勢を取ってしまえば、きっと変な絡まれ方をすることもないだろう。
ローランは大きいベッドに入り込んで、端のほうでぎゅっと目を瞑った。
それから一分くらいして、歯を磨いたオリヴィエが戻ってくる足音がする。ローランは背を向けたまま目を瞑り続けた。背の向こうで布の擦れる音が聞こえる。オリヴィエもバスローブに着替えているようだった。
そのまま寝る準備をして、朝までしっかり眠ってほしい。ローランがそう念じていると、ベッドが軋んで布団にオリヴィエが入り込んでくるのが分かる。
「ローラン…」
オリヴィエがそっと呼びかけてくるが、ローランは目を瞑ったままじっとしていた。喋り相手は眠ってしまったのだから諦めてオリヴィエも寝てほしい。ローランがそう無視を続けていると、オリヴィエが近づく気配がする。そして、すぐに気配どころか背中に密着する体温を感じる。
「……」
息を吐く音だけが聞こえて、ローランの腹あたりにオリヴィエの手が触れる。そして、体重をかけて引っ張られる。そのままぐるんと仰向けに回されたローランは、思わず目を開けてしまう。そこにいたのは今にもローランに覆いかぶさろうと膝立ちで体をまたいでいるオリヴィエだった。
「ちょっ、待っ……」
ローランがそう言うのと同時に、オリヴィエが覆いかぶさってくる。ずっしりとした温かい体重がローランに圧し掛かる。ああ今夜はこういうパターンか、とローランは身構える。顔の横にオリヴィエの顔もあって、その呼吸が頬にかかる。そして、オリヴィエは耳元で囁くように言ったのだった。
「ローラン…、したい……」
普段なら絶対に言わないであろうお願いが、オリヴィエの口から発せられている。人肌の温かさとムードのある部屋の明かりで思わず絆されてしまいそうになるが、ローランは微動だにしないまま言う。
「どっちかって言うと俺は寝たいけど……」
そう伝えると、オリヴィエは黙ってしまったが、何秒かしてからもぞもぞと動き出した。そしてかぶさった上半身を起こし、ローランの腰辺りに座るような姿勢になる。
ローランが見上げると、普段見られない、困ったような顔をしたオリヴィエがそこにいた。あまりに珍しい表情のせいで、ローランは悪いことを言ってしまったような気分になる。
どこからともなく、ローランの心には世話を焼きたくなる気持ちがふつふつと湧いてくる。それに、いつも冷静なオリヴィエが余裕を無くしている所をもっと見てみたくなってしまう。こんなはずではないのに。
「まあ、すぐ終わるならいいけど」
思わずそう言ってしまう。しまった、と後悔してローランはすぐ撤回したくなったが、その束の間、オリヴィエの微笑む表情が見えた。そしてローランはその嬉しそうな顔を見て、すぐ終わるならいいか、とすっかり流されてしまったのだった。