ゆるふわ監禁 朝目覚めると左馬刻に抱きしめられている。それはここに住み始めてから変わることのないことの一つだ。
もぞもぞと起きて、ベッドから足を下ろすと右足首に付けられた足枷の鎖の音がする。これも変わることのない一つ。肌に触れる部分はファーになっていて、長時間着けていても足が痛くなることもない。鎖はベッドの足に繋がっていて、家の中を歩く分には充分な長さがある。
鎖の音を鳴らしながらキッチンへと向かい、朝食の用意をする。左馬刻はいつも朝食を食べないが、珈琲は飲む。珈琲を入れるのは左馬刻の方が上手いが、少し教わった一郎が珈琲を入れるのは朝の日課だ。オール電化のこの家のキッチンは最初こそ戸惑ったが慣れればなんてことはない。
朝食の用意が終わる頃に左馬刻が寝室から起きてくる。
「おはよ、左馬刻」
「はよ、いちろ」
寝起きに水を一杯飲み、あとは珈琲のみという左馬刻に珈琲を渡す。まだ眠そうだが、一郎がベッドから抜け出したことに気付き、後を追ってきたのだろう。左馬刻はベッドで共に寝ているはずの一郎がいないと、必ず鎖を追って一郎の元へと現れる。
「今日の帰りは?」
「遅くなんねーはず」
「分かった」
今日は左馬刻の夕食の用意もすることを考えて献立を思い浮かべた。作れるものと作れないものを分類し、作れるものの中から今日の夕食候補をいくつか並べた。
さくさくと身支度をし、左馬刻が家を出る。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
挨拶をして、いってらっしゃいのキスをする。いってらっしゃいのキスにしては濃厚だが、これも最初から変わらない。
オートロックの扉で、左馬刻がしっかりと扉を閉めると一郎が何もしなくても鍵がかかる。
扉横の棚に視線をやり、何も置かれていないことを確認してからリビングへと戻る。扉横の棚は元々ガラス張りだったところを左馬刻が特注で改造させていて、小さな小窓になっている。そこから入る大きさの物ならそこからの受け渡しになるが、中からは開けられず、一郎はこの小窓が開いているところを見たことがない。通らないものは左馬刻が帰宅時に持ち帰って来る。最初知ったときは通りすがりの人が開けるのではないかと思ったりもしたが、このマンションのフロア全てが左馬刻の所有物で、他人は入って来られないらしい。扉の向こう側には左馬刻の部下が交代で立っていて、必要な物があればこの小窓から棚に置く。しっかりと小窓が閉まってからインターフォンで一郎に教えるから、それを合図に取りに行くが、その際にうっかり落としたのを音で気付かれ、部下に呼ばれた左馬刻が飛んできたことがあるから、意外と気を使う。
ある日突然、左馬刻は一郎の前に現れ、依頼があると言った。左馬刻の部屋で拘束されながら、左馬刻の生活の世話をすること。拘束により行動を制限するため、報酬は一か月あたり百万円を支払うこと。携帯電話も取り上げられ、外部との接触は出来ないが弟たちの様子は逐一知らされること。期間は未定のため、終了する際に左馬刻から言い渡されること。概ねこんな内容だった。左馬刻は一郎に暴力を振るったり、食事を摂らせなかったりといった人権侵害は一切ないと言い切り、家の中でなら自由に過ごして構わないと言った。
始まってみると、左馬刻は一郎のために動画サービスを契約し、アニメやドラマ、バラエティは見放題で、欲しいラノベも、左馬刻に用意された連絡先に左馬刻しか入っていない新しい携帯電話でメッセージを送ると数時間後には玄関の棚に置かれているのをインターフォンが告げる。Wi-Fiも設置されており、ゲームも可能だが通信機能があるものや、SNSなどは手を伸ばした途端に左馬刻から電話がかかってきて、それはだめだと注意を受ける。監視カメラがあるのかと思い、布団を被ってやってみても電話がかかって来るので最近は諦めた。
総合して今の生活に不自由はない。自堕落に過ごしていても文句を言われず、ラノベに集中しすぎて左馬刻の帰宅までに夕食が出来ていなくても、左馬刻は怒らない。謝ると決まってセックスで返せと言われるので、その夜のセックスでは左馬刻の望むことを率先してやるようにしている。
契約にキスとセックスは含まれていない。だが、左馬刻と一緒にいて両方ともないのは寂しいと契約外で勝手に一郎が始めた。左馬刻も一郎がそう言うならと反対はしなかった。それからキスは毎日、セックスは三日に一回くらいだ。
インターフォンが鳴り、応対してから玄関へ向かう。朝の十一時と夕方四時に決まってインターフォンが鳴る。食材が置かれるのだ。メニューと食材を申告しておくと全て切られた状態で保冷されて届く。左馬刻は一郎に料理のための包丁も握らせたくないらしく、キッチンにも包丁はない。過保護もここまで来ると笑える。
それにしても。
「左馬刻のやつ、いつまでこれ続けるんだろうな……そろそろ三か月経つけど終わる気配ないし」
玄関の開く音がして、一郎は足首の鎖を器用に操り、すぐさま廊下へと飛び出した。この家の玄関が開くのは家主である左馬刻が玄関を出るときと、玄関を入るときだけだ。
帰宅した左馬刻を見て、やっと話し相手が出来たと少し気持ちが上がる。左馬刻の傍まで近寄り、両手を大きく広げる。
「おかえり、左馬刻」
「ただいま、一郎」
一郎の身体に左馬刻が腕を回し、おかえりのハグをする。ぎゅっとハグをしたら、次はおかえりのキスだ。流れるように口唇を重ね、舌を絡める。おかえりのキスにしては濃厚だが、これも朝と変わらない。
「今日は豚の生姜焼きだったな」
夕食は左馬刻に申請して食材が届く仕組みだ。左馬刻は一郎が用意してほしいと連絡が入る以上、帰宅する前に夕食の献立が分かってしまう。
「もう出来てる。あ、左馬刻」
そんな状態を一郎は打破したかった。
廊下を歩く左馬刻の後をついて一郎もリビングへと入る。
「なんだよ」
「揚げ物作りたいから、揚げ物用の鍋ほしいんだけど」
そろそろコロッケや唐揚げなどの揚げ物が食べたい。だが、こう告げる一郎に対し、左馬刻の答えはいつも同じだった。
「駄目だ」
そう、これである。毎度お決まりの返答だ。
「じゃあ包丁。野菜とかは食べる前に切った方が痛まないし」
「それも駄目だ」
これもお決まりの返答だ。さすがにここまで駄目だと言われると面白くない。
一郎は不満気に左馬刻に詰め寄る。
「なんでだよ」
「油は被ったら危ねぇし、包丁も手を切るかもしれないからな」
そう言い、左馬刻はソファーへと腰を下ろした。流れるように一郎も左馬刻の隣へと腰を下ろす。
左馬刻の言い分も分かる。だがさすがに一郎もそこまで間抜けではない。それを言われるのはせいぜい小学生の子供までだ。
「俺そんな作るの下手じゃねぇよ」
日頃から料理をしているわけで、左馬刻が懸念するようなことは、一郎には当て嵌まらなかった。
「鎖ついてっから余計危ねぇだろ」
「じゃあ外せばいいだろ、逃げたりしねぇって」
そもそも、一郎はこの鎖の意味を図りかねている。何故こんなものが必要なのか、一郎には分からなかった。依頼として受けた以上、依頼主の要望はある程度尊重するものだが、これに関しては理由も分からなかった。
「駄目だ」
左馬刻の返答はやはり同じだ。
「じゃあ鍋と包丁」
一郎も負けじと料理する自由を訴える。
「だぁめ」
今度は甘く、左馬刻が答えた。一郎の頭に手を置き、くしゃくしゃと撫でる。小さい子供を宥めるような仕草に一郎も流石に黙ってはいられない。
「不自由ない生活させるって言ったじゃねーか」
それは左馬刻との契約の中にあったことだ。
「食べるのには不自由してねぇだろ」
確かに食べるには何も不自由していないが、自由に振る舞えないのは少し窮屈だ。それにこの鍋と包丁の話は、一郎が左馬刻の依頼を受けてから既に今日で五回目になる。その度に一郎は左馬刻を頷かせることが出来ず、また今日もそうなってしまいそうだと感じた。
左馬刻は一郎の不満を把握し、左馬刻の膝を跨ぐように一郎の足を持っていき、膝の上に一郎の尻を乗せた。左馬刻が一郎を見上げ、一郎が左馬刻を見下ろす。
「拗ねんなよ、な?」
そうやって、甘い声で左馬刻は一郎を宥めようとする。一郎を諦めさせようという魂胆が透けて見える。
「なぁ、これいつまで続けんだ」
こんな生活はいつまで続けるのか、それは一郎には分からないことだった。契約は左馬刻が終わりというまでだった。最初こそせいぜい一か月と少しだろうと思っていたが、気付けばもう三か月だ。さすがに長い。左馬刻はこの生活に期限をはっきりと設けているのだろうか。
「まだだな」
まだ、終わらねぇよ、と左馬刻が言った。