防水スプレー めずらしく都内を大雪が襲い、道も真っ白に化粧された。
家が遠い者は事務所に泊まろう、朝には止んでるだろう、という話声を何度も何度も耳にしながら、さて俺はいつ外に出る勇気を振り絞ろうかと窓の外を見やる。
「オマエ、うち来るだろ」
「たりめーだろ」
大河と牙崎が荷物をまとめながら小競り合いをしているのが目に入った。思わず声をかける。牙崎はてっきり、外に出るのを嫌がって事務所に残るだろうと思っていたからだ。
「えっ、牙崎、大河の家泊まるのか」
「あ? テメーにカンケーあんのかよ」
うっかり首をつっこんでしまったが最後、牙崎に睨まれる。
「ああ、コイツ、たぶんこんだけ賑やかだと夜眠れないと思って」
事も無げに言う大河は、プロデューサーに借りた防水スプレーを自分と牙崎の靴にかけている。いやだから、なんでそいつの分まで。
「チビんち、アレもうねーだろ」
「アレくらいなくたって寝れるだろ」
牙崎はされるがまま――というより、大河がそうするのが当たり前、という風に動じていない。アレ、という単語だけで成り立つ二人の会話には、もう俺はついていけなかった。
「帰りアレ買えよ」
「寄り道してられないだろ、まっすぐ帰るぞ」
アレとは何なのか気にしつつ、俺も自分の荷物をまとめだす。鞄の中身を確認したところで、大河に貸そうと思っていた本を丁度持ってきていたことを思い出す。振り返りながら手渡した。
「大河、コレ、前言ってたゲームの原作の小説」
「ああ、ありがとう恭二さん」
大雪の日に申し訳なく思ったが、今日を逃すといつ手渡せるかわからない。小さいサイズだし問題ないだろう。それを見つめていた牙崎がフンと鼻で笑う。
「どーせ読まねークセに、何借りてんだよ」
「読む」
ムスッと返した大河が申し訳なさそうにこちらを見る。「うちのひとがすいません」と妻が夫の失態を取繕うような仕草だ、と何となく想像してしまった。
「チビ、本読んでるとすぐ眠くなんだぜ」
「今言わなくたっていいだろ……! それに、オマエもそうじゃないか」
ぱし、と牙崎の肩を叩く大河の耳がほんのり赤い。そんなに恥じることじゃないと思うが、弱点を言いふらされたような気分なのだろう。牙崎は得意げにふんぞり返っている。
「すまない、恭二さん。必ず読むから」
「あ、ああ、気にすんな。それにしても、何ていうか……二人って、本当に仲良いんだな」
あ、と思った。言わなきゃよかった。助けを求めるようにみのりさんの姿を探したが、首を振って溜息をつかれた。わかってないなあ、恭二は。
「そんなことない!」
訂正する間もなく、顔を真っ赤にした二人が叫ぶ。そのユニゾンはよく通り、事務所に残っていた人々が一瞬こちらに視線を送る。そしてすぐさま事態を把握し、やれやれと首を振るのだ。わかってないなあ、恭二は。
帰る! と叫んで牙崎がドアの外へ出ていく。帰る、って、そこは大河の家であって、お前の家ではないだろ。俺は口に出すのを我慢しながら、「お疲れ様です」と消え入りそうな声で呟く大河を見送った。
「恭二」
みのりさん、そんな目で見るのはやめてください。
「そっとしとこう。今、発展途上中だから」
青春だねえ、と山下さんの楽し気な声が聞こえた。発展途上っていったって、あの二人、あれ以上先に進む気あるのか。
「アレ、買えるといいね」
窓を見ながら山下さんが笑う。みんなこんな大雪なのに呑気だ。アレって結局なんなんだろう。俺はすっかり帰る気をなくし、誰かゲームでもやりませんかと声をかけた。せっかく荷物をまとめたのは徒労に終わる。
あの二人は今頃、どちらが早く家に辿り着けるか競っているのだろう。その靴の防水スプレーの役目が果たされていることを願った。