プラネタリウム 施設で暮らしていた頃は、門限があった。だから冬の、陽が早い時期がチャンスだった。
満点の星空、は、都会ではなかなか見られない。オリオン座を見つけるのもやっとで、それがオリオン座だと認識できないうちは、本当に豆粒程度の光を捉えるのがせいぜいなくらいだ。
田舎では、降るような星が、毎日空を満たしていた。はあ、と息を吐くと、白いちらちらした空気が上へのぼっていって、ふわっと溶けて消えていく。あの、途方もない広がり方が好きだった。どこまでも飛んでいけそうな自由さがそこにはあった。
「プラネタリウム?」
「部屋を真っ暗にして、スイッチを押すんだ」
それは、男道らーめんに来たお客さんからのお土産だという。お菓子でもなくお店に飾れる置き物でもなく、随分変わった差し入れだ。
「円城寺さん宛じゃないのか」
「家にもうあるからって渡されたから、自分が使わなくていいんだ。それにウチは和室だから、合わなくてなあ。一回試してみて、感想も伝えられたから、自分はもう充分なんだ」
押し付けるようですまないけれど、と円城寺さんは笑う。確かに、あの小さな和室には、怒涛の星空は逆に圧迫感があるかもしれない。かといって、簡素な我が家にも、その星空を受け入れていいものだろうか。
「夜遅く帰ることも多いけど、なかなかゆっくり星を見られてないだろう?」
ありがとう、と小さな箱を受け取る。思ったより重くて、でも、空を物体にしたら、きっと地球より重いんだろうな、と途方もない考えがそれを上回った。ありがとう、今夜試してみる。円城寺さんの笑顔は、太陽のように明るい。
「んだよチビ、真っ暗にして」
「……来るなら連絡しろって言ってるだろ」
夕飯も風呂も、洗い物もすませて、さあという時にアイツはやってきた。寒い日に野宿されるよりマシだと合鍵を作ったのがよくなかった。チャイムも押さずノックもせず、この無礼者は勝手に家に上がり込んでくる。
「テーデンか」
「違う。……プラネタリウム、やるから」
「はぁ?んだそれ」
手元の、丸と円柱を組み合わせたような、ヘンテコな機械を指差した。
「これで、星空を部屋に映せるんだ」
「外でやりゃいーじゃねーか」
「東京じゃ、満点の星空とはいかないだろ」
オモチャなんだから、チープで構わない。元からそのつもりだ。あの頃見上げていた、あの大空にはかないっこない。子供騙しだ、とこの機械への期待のハードルを下げて、スイッチを押す。
「……へー」
「……凄い、な」
ブワッと、部屋中が空に変わった。
人間の目には、六等星までしか映らない。けれどここには、きっともっと沢山の星が遊んでいる。まるで宙に浮いているかのようだ。想像していたよりも遥かに迫力があり、思わず高揚してしまう。
「あ、オリオン座」
「なんだソレ」
「星座だ。ギリシャ神話の」
「神なんかいねーよ」
「……それは人それぞれ考えることだ」
神がいても、いなくても、そんなのどうでもいいと思えるほど、なんだか懐かしい気持ちになった。あの頃、横にいるのは弟妹と、施設の仲間、先生たちだった。今はコイツだけ。一人分の空間をしっかり纏って、切り取られた夜空に浮かんでいる。
「……それ、いつでも使えんのか」
「ああ、貰ったから」
「……たまには見てやってもいい」
どうやら気に入ったようだ。不思議だ、こんな人工的な物を好むようには思えない。
「……星、好きなのか」
「……外で見る方が気持ちいーな」
そうだな、それはその通りだ。同意しながら、カーテンを開ける。部屋の中より外の方が明るくて、そして星が見えないのは、チグハグだ。
「……今度、外でも見ようか。星」
「寒くねーならいーぜ」
いつもより大人しくて、いつもより優しい気がする。いつか、本物の夜空で、満点の星をコイツに浴びせたいと思った。その時は仕事じゃなくて、プライベートがいい。ゆっくりと、景色に溶け込みたい。
「……コーヒーでも淹れるか」
「牛乳いれろ」
「わかってる」
まるで、秘密のピクニックだ。お手軽な空の中で、ひっそりと笑いあう。たまにはこんな、作り物の夜も楽しいな、と思った。コーヒーの湯気はゆっくりと、簡素な部屋に広がっていった。