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    komaki_etc

    波箱
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    北村Pの漣タケ狂い

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    komaki_etc

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    リクエストでいただいた、夕日に染まる海辺で「優しくしないでくれ」と言う漣タケ

    夕日 船はどうして海に浮かんでいるのか、と父親に問う歌があった。父親の回答はなんだったか。歌の細部まで思い出せない。
     広大な海の前ではどんな悩み事も消えてしまうかと思って、わざわざやってきてみたはいいものの。家族連れとカップルと学生の集団、それぞれが小さな円をつくって点々と存在しているその様子に、所詮は日常の延長だな、と思ってしまった。

    「海にでも行って来たらどうだ」
     と提案してくれたのは、円城寺さんだ。仕事の時は隣で力強く、昼飯時にはカウンター越しに朗らかに笑ってくれる。
    「……まだ泳げないだろ」
    「泳がなくても、海には行っていいんだぞ」
     そんなに顔に出てただろうか。ラーメンを啜った後の頬をさする。いつもと変わらない感触だが、きっと疲労の蓄積が現れている。
    「すっきりすると思うぞ、悩みとか全部吸い込まれていく感覚がして」
     何に悩んでいるかは知らないけれど、と笑いながら、こっそり煮卵を追加してくれる。ありがとう、と頬張りつつ、近場の海を検索する。車でしか行けないひっそりしたところより、電車でゆっくり揺られてみようか。鎌倉辺りなら俺でも行ける。
    「……漣には言わない方がいいか」
    「……え」
    「ははは、見てたら分かる」
     この兄貴分は、どこまでわかっているのだろう。思わずむせかけた俺は慌てて動揺を水で流しこむが、円城寺さんは穏やかに微笑んだままだった。
    「たまには一人になりたい時もあるよな」
     優しい声に、小さく頷くしかなかった。俺に必要なのは、一人で深呼吸する時間だ。

     そうして、深呼吸をしに、海へ来た。途方もない水平線。波の音と、笑い声だけが聞こえる。俺は人のいない箇所まで歩き、砂浜の上に腰を下ろした。服が砂まみれになることは分かっていたけど、どうでもよかった。
     こうしてぽっかりと一人になるのは久しぶりだ。体の隅々まで潮風がしみわたっていく。雑念が払われていくなかで思い出すのは、昨日の自分の声だった。
    「オマエの顔なんか見たくない」
    「……はぁ?」
     見たことのないアイツの顔を、見なかった振りをした。
    「もう、仕事以外で話しかけないでくれ」
    「んだよ、急に」
    「急じゃない!」
     矢継ぎ早に口から飛び出す言葉は、彼を傷つけるには充分だった。夕日が血のように赤い。
    「ずっと言ってただろ、鬱陶しいって。仕事の時だって、オマエが言うこと聞かないからって、俺に指示がくるんだぞ、迷惑だ」
    「それはチビが」
    「もう、嫌なんだ、オマエが」
     俺はアイツの目を見れなかった。深い蜂蜜色が俺を刺すのを感じながら、それでも言葉の刃を向けることしかできなかった。
    「……終わりにしよう」
    「……何を」
    「この関係」
     俺の肩を掴もうとしていた腕が、ピタリと止まった。俺はそれを振り払うように背を向ける。
    「……じゃあな」
     背中の向こうのアイツは、どんな表情をしていただろう。想像しないように堪えた。ただでさえ震えを堪えていたのだ。悟られたくなかった。
     もとから、難しかったんだ。俺に恋愛なんて。一日中アイツのことを考えてしまうのも、仕事中に意識してしまうのも、距離が近付くたびに息ができなくなってしまうのも、全てが苦しくてたまらなかった。苦しくて苦しくて、涙さえ出なかった。ここに来たら泣けるかと思ったけど、意外と涙腺は頑固らしい。寄せては引き返す波を見ながら、人間の血の濃度と海水の濃度が同じだと言っていたのは誰だったかと逡巡した。スマホで検索すればすぐに出るだろうが、今は見たくなかった。通知を切って、ポケットの奥へしまってある。一人になりに来たんだ。誰にも邪魔されたくない。
     
     どれだけの時間が過ぎただろうか。陽が傾きだした途端、人影がなくなってしまった。きっと冷えるからだ。俺も暗くなる前に帰らないと。そう思うのに、身体は言うことをきかない。まだ帰りたくない。まだ泣いていないのだ。靴を脱いで、浅瀬に立つ。波が足首にくすぐったい。思ったより海水は生暖かかった。砂の感触が面白くて、数歩歩いてみる。足跡はあっという間に消えていく。それを照らす太陽が、徐々にオレンジ色に染まってきた。自然と昨日の夕日を思い出してしまう。違う、忘れるために来たんだ。ここに全部置いていかなければ。
     もっと深く。もっと。波の位置はとっくに足首を超えて、ひざ下まできていた。流石に身体がぶるりと震えたが、俺の醜い気持ちが吸い込まれていく気がする。夕日が眩しさを増していく。空が焼かれていく。もっと深く。もっと。
     ふと、聞きなれた声が聞こえた気がした。歩みを止めて耳を澄ます。幻聴だろうか、忘れようとして考えすぎたか。後者なら、もっと歩かなければ。忘れなければならない。足の裏の感触だけに意識を集中させ、再び歩みを進めた。このまま、俺自身も夕日に焼かれたいと思った。その時。
    「チビ!」
     ぐっと腕を引かれ、大きく身体がよろめいた。それを抱きとめたのが誰なのか、混乱が過ぎ去るまで分からなかった。
    「何やってんだよ!」
    「……どうして」
     どうしてここに。その言葉を紡ぐ前に、強く抱きしめられたせいで、喉からは変な声がでただけだった。気のせいじゃなかった。俺を呼ぶ声。アイツの声。
    「……家にも、らーめん屋にも、事務所にもいねーし。誰もレンラクつかねーっていうし」
    「……そ、れは」
     通知を切っていたスマホの存在を思い出す。波音のせいで、すっかり忘れていた。
    「らーめん屋が何か隠してっから無理やり聞いたら、海って言いやがるし」
     海としか言ってないのに、どうしてここがわかったんだ。さては円城寺さん、俺の検索画面見てたな。
    「……チビ、死のうとしてるし」
    「……はあ?」
     びっくりして身体を離し、アイツの顔を見る。眉が震えていた。肩が上下している。ここまで走ってきたんだ。遠目に俺を見つけて、海に沈んでいく様に驚いて。波打ち際まで、大股の足跡が付いている。
     ――迎えに来てくれたのか。心配して、わざわざ、ここまで。
     掴まれたままの腕を押し返す。忘れていた動悸が蘇ってくる。
    「……話しかけるな、って、言ったろ」
    「何でだか聞いてねー」
     アイツは振り払われまいと更に強い力で腕を掴んでくる。痛いほどだった。夕日の影が波に落ちる。
    「……変、に、なる」
    「何が」
    「オマエといると」
     喉が震えだした。どうしてここにきて涙腺が緩むのだろう。さっきまでずっと頑固だったくせに。視界が赤く歪んでいく。アイツの蜂蜜色が滲んでいく。
    「おれ、俺、変になっちまうんだ、苦しくて、息ができなくて」
    「チビ」
    「オマエが近くにいると、俺、嫌な奴になっちまう」
    「チビ」
    「オマエに近づくと苦しいから、冷たいこと言って離れようとするし、そのたびにオマエ傷つけて」
    「ちーび」
     再びぐっと腕を引かれ、砂に足を取られたままの俺はアイツの胸に倒れこんだ。背中に回された腕のせいで身動きが取れない。
    「オレ様は傷ついてなんかねーし」
    「だ、だって」
    「勝手に決めつけて離れようとしてんじゃねー」
    「……だめ、だ」
    「何が」
     もう、堪えきれなかった。涙はボロボロとあふれ出し、海水と同じ濃度のそれはボタボタとアイツの胸元を濡らしていった。
    「ないちまう、から、だめだ」
    「だから何が」
    「優しくしないでくれ……」
     こんな、オマエを傷つけることしかできない俺に、恋愛する資格なんかない。こんな風に力強く抱きしめられることも、頭を撫でられることも、許されていいはずがない。
     波音じゃ、砂浜じゃ、潮風じゃ、この思いは消せなかった。
     それでも漣を好きという気持ちが、忘れられそうになかった。
    「だから」
    「チビ」
     ここに置いていくと決めたんだ。深呼吸して、夕日のことも忘れようとしたんだ。それなのに。
     昨日と同じ夕日が、俺とオマエを照らしている。
     空と海の境界線も、海と俺たちの境界線も、等しくオレンジ色に染まって、世界が一つに溶けてしまった。
    「オレ様が、好きだって言ってんだよ」
    「……だめ、だ」
    「チビにキョヒケンなんかねーよ」
     俺の頭に置かれていた腕がどかされ、代わりに顎を掴まれる。無理やり上を向かされたそこで目が合った瞳の、蜂蜜色も濃く染まっていた。
     合わさった唇の温かさに、やっぱり息ができなくなる。俺の涙を拭う指先がひどく愛しかった。
    「チビ」
    「……ん」
    「勝手にいなくなんな」
     自分は気まぐれなくせに。いつもフラフラとどこかへ行くくせに。
    「オレ様の隣にいろ」
     なんて自分勝手なんだ。そんなコイツが憎たらしくて、それでも好きだと思う自分がいる。
     ――好きなんだ。夕日が嫉妬するくらい。
    「……漣」
    「……んだよ」
    「漣」
    「わあったよ」
     涙は、ここに置いていく。ごしごしと顔をふいて、アイツの顔を見上げた。赤く染まった頬は夕日のせいか、それとも。
    「……しぬわけ、ないだろ」
    「なっ、オレ様が心配して」
    「ふ、あはは」
    「笑ってんじゃねー!」
     じゃぶ、と足元で大きく波が跳ねた。二人ともぐっしょり濡れてしまった。そういえば、タオルも持っていなかった。このあとどうしよう、そんなことどうだっていい、ここが世界の中心だった。
    「チビ」
    「……ん」
     もう一度、小さい小さいキスを交わした。今度は、息が苦しくない。きっと涙が止まったからだ。
    「ずっと、オレ様の側にいろ」
    「……ああ」
     二人分の影が、海の上でひとつに重なる。夕日だけがそれを見ていた。
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