拳「……もうオレに興味なんかないだろ」
かつて、目の色を変えてオレに勝負を挑んできたアイツがそこにいる。振り返らなくてもわかる。
授業をやってる真っ最中の屋上は、誰もいなくて快適だ。当たり前だ、授業中なんだから。みんな教室にいる。雲の流れが速い。
「……勝負しねーぞ。もうする理由がねえ」
寝転がったまま、背後の影に言う。今更オレに構う理由がわからない。速汰にでも何か言われたか。
「……俺は。強いヤツと戦いたい」
「だから」
「オマエは何かと理由をつけて、戦ってくれなかった。ずっと」
「テメーなんかに力を使うのが勿体なかっただけだ」
同情ならまっぴらごめんだ。能力が無くなったからといって、オレがオレであることに変わりはない。
「……だから。……だから、改めて、勝負してほしい」
「……はあ?」
思わず起き上がり、振り返る。作真の肩にかけたジャケットが風にはためいている。
「俺は、室内なら無能力者と同じだ。土のないところでは、能力が発揮できない」
「だから何だよ」
「……だから。オマエの気持ち、少しだけど、わかる、と思うんだよ。使えてた力が、使えなくなる瞬間のこと」
「……同情なら」
「違う。オマエがそんなこと望んでないのも、前に進んでるのも知ってる。その上で」
パン、と両の拳を合わせる。その目はまるで炎が宿っているかのように、めらめらとオレを正面から捉えて離さなかった。
「俺と、勝負してくれ。能力なしで、正面から」
「……んだソレ」
「戦いたいんだ。雷斗と」
そこまでいったら、ただの喧嘩だ。私闘はうざったい説教を呼ぶだけだ。今、味方と拳を交える理由など無い。断る理由などいくらでもある。
――しかし。
「……いいぜ。どうせオレが勝つし」
「本当か」
「退屈しのぎには、丁度いい」
オレの顔色を窺う奴が増えてきて、鬱陶しいと思っていたところだった。心配してくるであろう速汰がいないうちにはじめよう。
お互い、肩からジャケットを落とす。指を広げるこの構え、高揚感。
もう、遠距離から叫ぶことはないけれど。
「チャイムが鳴るまでな」
「充分だ」
空手、柔道、相撲。どれとも形容し難い取っ組み合いに、全身の細胞がざわめいた。屋上の風がビュンビュンと額を横切って行く。
「……ありがとな」
「……目標だったから」
お互い、強風に、拳の音に、聞こえないフリをした。
コイツなりの慰めなのか、ただたんに自分の欲求をはらしに来たのか知らない。けれど、そこには微かな優しさを感じる。小さな優しさの輪が連なって、いつの間にかそこにオレがいる。その輪の大きさは人それぞれ違うし、重なり合う部分の違いはあれど。
知らないフリをしていただけだ。本当はずっと知っていた。とっくにわかっていた。
――キーンコーン、カーンコーン
「っ、ここまで」
「ッハァ……、はぁ……、この程度か」
「はあ? 手加減してやってただろうが」
「次は本気でやれ」
「……テメーもな」
チャイムの音が鳴り終わる前に、自分のジャケットを拾う。軽く砂埃を払い肩にかけると、作真も同じように肩に羽織っているところだった。
「……オマエ、何でオレの真似してんだよ」
「してない。しだしたのはそっちだろ」
――そこから先は、止まることのない口喧嘩が怒涛に続いた。速汰たちが間に入るまで、オレ達は一歩も譲らなかった。結論がどうなったかは忘れた。確かめたくなったらまた拳で語ればいいのだ。
久しぶりに大きく伸びをした。オレの中から、今まで積み上げてきたオレまで消えなくてよかった。空の向こうの雲を見る。もうあの雲を刺激することはないけれど、平穏の象徴のようにそこにふわふわと浮かんでいるのを見て、そうだ、それでいい、と思えるまでには、オレの心の中は長閑だ。
――騒がしい、呑気な日々。
オレは大きなあくびをもう一つこぼした。晴れ間は三日ほど続く予報だ。