ブラックホール 僕が思う「僕」ってなんだろう、と、たまにゾッとすることがある。
今生きている「今」というこの瞬間も、次の瞬間には消えて無くなっている。
僕という存在を存在たらしめるものは、記憶しかない、それは過去でしかない。
「雨彦さんって、宇宙とか深海とか、怖いって思うー?」
彼がソファの下に座っていて、僕がソファに座っている時だけ、彼のつむじをみることができる。僕の視線に気づいたように頭を手で覆いながら、雨彦さんは振り返った。
「北村は怖いかい?」
「うーん……クリスさんの話に出てくる海は、全く怖くないけどー」
「はは、俺もだ」
僕の手を取り、戯れに爪の形をなぞり出す。綺麗に整えている方だと思うのだけれど、しげしげと見られるのはなんだかこそばゆい。
「分からないことが、怖いだけさ。存外、何もないかもしれない」
「何が怖いかわからないから、怖いんだよねー、きっと」
「そういうことだ」
僕が身体を少し横にどけると、雨彦さんは隣に並んだ。見上げる首の角度は慣れたものだ。
「例えば、俺のことが怖くなったりするかい?」
「全然ないですよー」
くすくす笑うのにつられて、雨彦さんも笑い出す。その笑い声を聞いて、ほうじ茶が飲みたい、と思った。
「全部、知ってますからー」
「知らないところを知ろうとしてるから、怖くないのさ、それは」
それにな、と続けながら、もう一度手を取る雨彦さん。ぶあつい、あたたかな、大きな掌。
「全部じゃないさ。北村の知らない俺も、きっとまだまだいる」
「ええー、どんなかなー」
「これからが楽しみだな」
たくさん知っていってくれ。そう言いながら、指を絡める。彼の指の長さや太さを感じながら、遥か彼方の宇宙を思った。今この瞬間の、今。どこかで膨大な宙は広がり続けている。僕の目には見えずとも、記憶の中になくとも。
「……僕のことも、もっと、たくさん知ってくださいねー」
「言われなくても」
築いていこう。記していこう。記憶に刻んで、確かなものにしていこう。怖くならないために、慈しむために。
「宇宙で出来る結婚式もあるらしいぞ?」
「宇宙で散骨もできますよねー?」
宇宙から見たらちっぽけな僕たち。未来は末広がりだ。頬を近づけながら、僕は、僕の知らない僕に、よかったね、と呟いた。彼の記憶に残れるのなら、それは僕の生きた証だ。生きている意味を、やっと見つけた。