Valentine's Day 「なあ、聞いたか。今年は小波さんチョコひとつも持って来てないみたいだぞ」
「ま?」
「ソースは?」
「さっき廊下で花椿さん達と話してた」
「終わったー。今年こそ彼女の義理チョコを貰う妄想してたのに」
「おま、妄想で義理って志低すぎねー?」
「いや、高けーだろ、小波だぞ。ローズクイーンだぞ」
「義理でもチョコ貰えたら一生の記念だよなー」
「さすがに本命はなー、風真がいるし」
「ちょっ、今年、もしかして風真も貰えないんじゃ…?」
「おまっ、バッ、目ぇ、合わせんな。」
「石化させられるぞ」
……ったく、全部聞こえてる……石化させる能力なんてない。
美奈子がチョコを持ってきてないという噂話はさっき学食でも耳に入ってきたけど、流石に俺の分はあるだろ。去年も一昨年も手作りの、いわゆる本命チョコというのを貰ったくらいだし。
俺たちの結婚への道のりは順調だ。
俺も美奈子も健康で風邪も引いていない。
喧嘩もしていない。
貰えないはずはない。
「玲太くん」
ほら、来た。プライオリティー的にも俺が一番で、むしろ俺以外には義理すらなし、というのが潔いというか、ようやく俺だけの美奈……、
……手ぶら?
「あのね、今日の放課後…」
あ、放課後か。いつもの土手か?喫茶店か?そこで渡そうとしてるのか、そっか、恥ずかしいもんな。
「今日の放課後ちょっと忙しいから一緒に帰れないの、ごめんね」
イッショニカエレナイノ、ゴメンネ
え?
なんて?
一緒に帰れないって聞こえたけど、
忙しいって、バレンタインデーだぞ、今日は…
「そうか、わかった」
ようやく絞り出した声は空気に溶けて消えた。
俺、なんかしたか
なんで急に
先週もデートして、何も問題なんかなかったよな……
あれか、あんまりべたべた触るから、ちょっと注意した、っていうか、いや、でも別に怒った訳じゃないし、……。
まさか、他の男と
いや、まさかな、まさかとは思うんだけど。
・ ・ ・
情けないことに
俺は、今、最悪なことに、よりによって、
美奈子の、……あとをつけている。
忙しいのという言葉通り、そそくさと教室を出ていくのを、どうしてもそのまま見送ることが出来なかった。
美奈子は左右をきょろきょろ見ながら、小走りで先を急いでいる。
どうやら忙しいというのは本当らしい。
問題は、忙しい理由だよな。
──カランコロンカラン
扉を開けて美奈子が入っていった先は、
喫茶アルカード、美奈子のアルバイト先だ。
今日はアルバイトの日じゃないよな?
だとすれば、……まさか、本当に他のやつと?
このまま店に追いかけて入って、そして俺はどうするんだ。
他の男と楽しそうに笑う美奈子を見て、どうするんだ。
怒っても、泣いても、美奈子の気持ちがそいつにあるなら、どうすればいい。
俺たちの三年間が、その前の、俺が思い続けた九年間が水泡に帰すのを間抜け面で眺めるだけなのか。
しばらくその場から動けずにいた俺の足が一歩前に進む。
もし、美奈子の気持ちが違う方向を向いていたとしても、俺の気持ちは昔から1ミリも変わらない。
美奈子の気持ちがまた俺に向かうように努力する権利を取り戻したい。
例えこの扉の向こうに何があっても。
──カランコロンカラン
「いらっしゃいませ」
初老のマスターが奥の席に視線を投げ、そちらのお席へどうぞと促す。
美奈子?
店内をくまなく見回したが美奈子がいない。
トイレか何かで席を外しているのか?
店内には、ノートパソコンを覗きながら話し込んでいる中年男性客が二人。新聞を読む女性客、大学生のカップル、俺の母親くらいの年代の三人組の女性客。
一人でいる男性客がいないことに少しホッとする。
「あ、玲太くん早かったね」
背中側からいつものふんわりとした声が聞こえた。
早かったね?
「座って座って」
先ほどマスターに示された席への着座を促される。
アルバイトの制服姿ではなく、
学校の制服のまま、プラスでエプロン姿
バイトって訳ではなさそうだ。
座って、って?
誰か他のやつとじゃなく、俺に?
俺が来るのを最初から知っていた、のか?
「じゃーん、ハッピーバレンタイン❤️」
目の前に置かれたのは、湯気を立てたホットチョコレート
「玲太くん毎年もったいなくて食べれないとか言って冷凍庫で保存してくれちゃうから、今年は強制的に口にしてもらえるようにしてみました。ね、一口飲んでみて」
確かに冷凍庫に去年と一昨年のチョコが眠っている。美奈子によく似た女の子の砂糖菓子が乗った手作りのチョコレート
どうしても食べられなくて。
時々、冷凍庫を開けて眺める。
本当に可愛くて、疲れてても元気になるから。
ホットチョコレートを一口飲む。
その俺を見て美奈子が満足そうに頷く。
「良かった、ようやく気持ちが届いた気分。ね、玲太くん、そのままちょっと待ってて」
パタパタとキッチンへ戻っていく美奈子を見送りながらひどく不思議な気分になる。
やっぱり俺を待っていたのか?
いや、でも俺があとをつけて来るなんて
予想できるはずなんかないだろ。
そんなことをぐるぐる考えていた。
お待たせしました、と言いながら、キッチンから出てきた美奈子の手に、白い皿に乗ったチョコ……レート……?
でかっ、でか過ぎるだろ、それ。
あまりの大きさに驚きを隠せなかった。
ソフトボールくらいのサイズは優にあると思う。
それが白い皿の真ん中に鎮座している。
これを、このチョコレートの塊を食べるのか。
かなりハードなチャレンジになるが、これが美奈子の気持ちならもちろんチャレンジしない選択肢はない。
「あのね、この丸いチョコレートに、さっきのホットチョコレートかけてみて、溶けるから」
溶かすのか?
言われるまま、丸いチョコの塊の真上から、アツアツのホットチョコレートをかけてみる。
ホットチョコレートの熱で丸いチョコレートが溶けて、中から、いつもの、美奈子を模した女の子の砂糖菓子
「あっ」と呟いた俺に、
「今年こそ食べてね、ずっと待ってるんだから」と悪戯っぽく笑う。
「とは言え、甘いのばっかりだと大変だから、コーヒーかストレートティー淹れてきてあげる、玲太くんどっちがいい?」との問いかけに、「ああ、んじゃコーヒーを頼む」と伝える。
いつもなら断然ストレートティーだけど、チョコレートと砂糖菓子だからコーヒーにする。
パタパタとキッチンに戻っていく美奈子の後ろ姿を見送ったところで、砂糖菓子の美奈子にちゅっと口付ける。
食べて……ねえ
自分を模した砂糖菓子の女の子を食べてとか言われると、つい意味を深読みしそうになる。
美奈子自身はそんなつもりはないんだろうけど。
「コーヒーお待たせ、リ・ョ・ウく・ん❤️」
「小波ちゃんのチョコ貰えて良かったね、リョウくん❤️」
「なっ」
目の前でコーヒーを差し出すのは七ツ森
その隣で頷きまくっている本多
「ちなみにひかるたちもいるよ❤️」
「お店の入り口で佇む風真くん、戸惑いや葛藤がダイレクトに伝わってきて胸がドキドキしちゃった❤️」
花椿たちまで
「みんなにね、協力をお願いしたんだよ」
エプロンを外しながらキッチンから出てきた美奈子はとびきりの笑顔で、そんな顔をされたら、俺だけ不機嫌顔を維持することなんかできない。
「おっ、リョウくんイイ笑顔ですな~」
忘れてた、こいつらもいたんだ。
しかも七ツ森はムービー回してるし。
「止めろよ、録画すんな」
「やめまセーン、先ほどの砂糖菓子にちゅっ、の映像もいただいてマース」
「えっー、やっぱりミーくんは大天才だー」
「消せ、今すぐデリートだ、オールデリート!いいな」
「イイんですか?デリートしちゃって。この映像には、愛しの美奈子さんのメイキングチョコのお姿が……」
「うんうん、小波ちゃんホントに一生懸命だった」
「チョコレートが溶けた時に砂糖菓子にかからないように、って、本多くんに丸いチョコを置く位置とかホットチョコレートの温度とか計算してもらって、それはそれはいじらしい努力だったのよ」
「ちなみに溶けたチョコレートが砂糖菓子にかからないでちゃんと流れるようにって傾斜がついていて溝のあるお皿は、ダーホンに言われてひかるが探しました、イェイ」
「小波ちゃんがあんな風に言えば、リョウくんが後をつけてくるのは簡単に想像がつくしね、入店はオレの計算よりちょっとだけ早かったけど」
また本多の作戦に踊らされたってことか
俺が美奈子のあとをつけてくるところまでシナリオ通りだったって訳か
「はーい、リョウくん怒らなーい。ちな、このメイキングチョコ画像には、ダーホン先生による『ねね、小波ちゃんはリョウくんのどこが好きなの?』に対する美奈子さんのお答えが、ハニカミプラスで収められておりマス…、先ほどの砂糖菓子の美奈子さんへの口づけ映像や、店の入り口の防犯カメラ前でのカザマの葛藤映像も差し込んで、音楽もつけて編集する予定…」
俺の好きなところ……
ハニカミプラス……
「……七ツ森先生、すみませんでした………下さい」
「実くん、私も玲太くんが砂糖菓子にキスしてるの、欲しい……」
「だーーー、甘いね」
「ホント、いちゃこらいちゃこら勘弁して欲しいですな」
「実クンの編集が出来上がったらひかるのおうちでみーんなで見ようよ❤️」
「そうね、そうしましょうか。そしてその映像を二人の結婚式で流すのはどうかしら」
結婚式…
そのワードを自分以外の他人が言うと、
改めて意識するから若干緊張するな。
隣を盗み見ると、
美奈子はなんの躊躇も戸惑いもなく、
いつものようにニコニコしている。
ああ……本当に可愛いな。
その顔、ずっと見てられる。
やっぱり俺たちの結婚への道のりは順調だ。