LB7前編LB7前編のこと
・カルデア
ホームズがカルデアにずっといることで発生するよくないこと(プロローグ)
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ホームズは明かす者なので、カルデアに居続けた場合に明かされるべきでないことが晒されてしまうかもだった?
明かされるべきでないこと、カルデアの召喚システムにまつわることなのかな〜…。
令呪には命以上の価値がある(2-1)
英霊召喚システムを「どうかしてる」と言うU-オルガマリー(4-1)
大令呪(9-3)
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大令呪が特異点攻略のための自爆システムというのはわかったけど、そうするとマスターの持つ「命以上の価値がある」令呪はどう? それは悪い目で見過ぎかな。
LB6リコレクションで改めてモルガンの言及にも触れられたし、印象的には爆発前カルデアが何かしらのわるわるカルデアで、今のメンバーはそれを知らない状態と考えていますが…。
いったんマリスビリーに出てきたもらった方がよくない? よくは…なさそう!
・名前 定義 認識
異聞帯のミクトランに半人類史の名前がもたらされ、なんでもないものに意味ができた(2−6)
テスカトリポカが来たことで、冥界線の意味合いが変わった(3−1)
ニャガニャガしたいきもの(5−2)
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名前は「それが何であるか」を定義するもので、存在を確立する=意味付けるツールみたいに思う
名前によって他者が「それが何であるか」を認識できるようになるので
認識できるというのは、そこにそれが存在するということなので……
テペウさんも、異聞帯ミクトランでは何でもなかったものが、半人類史による名付けによってそのように認識され意味が付与された、みたいなことを言ってたし…
そして、名前=もともとの存在に新しい意味を付与できるor塗り替えすらできるという強い道具でもある
世界とモノの存在を紐付けることができるものなので
半人類史の名称が異聞帯にもたらされていくのは、名前の持つ強さや利便性がもたらされていったということでもあったかも
冥界線はちょっと違うかもだけど、テスカトリポカたちが来たことで今や試練の場所になってるという変化が発生しているよね
あれってもとの異聞帯ミクトランを知る者達が死滅したら、冥界線もただ試練の場所になるのかな
その認識しか残らないから
ニャガニャガについてはかわいいこと言うな〜と思うけど、それって猫という名前で定義づけられた生き物が存在しないということでもあるなとおもって追加した ニャガニャガ かわいいね
U-オルガマリーと所長(全体)
ロマニを名乗り出すカルデアの者、中身を知っているなら呼び名はなんでもいい(2−4)
デミ・サーヴァントという名称を変える提案をするU-オルガマリー(2−6)
ぐだが「Uさん」と呼ぶと笑顔になったU-オルガマリー(2−7)
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↑の名前が「それが何であるか」を定義するツールだと前提においたとき、それが人物に対しては「私/あなたは何者であるか」になるのでは!?
名前は自分が誰かを示すものだし、逆に名前に沿うように自分が振る舞うということもある
自分に相応しい名前、もしくは名前に相応しい自分、というアイデンティティの話がよく出た気がする
CATSじゃん!? CATSです
U-オルガマリーは自分の知らない「所長」という名称を使われることで、今ここにいる自分ではない者を呼ばれててそれがいやなのかなと思う
誰だか知らん名前で呼ぶんじゃないというか、それ誰?みたいな
「わたしはU-オルガマリーである」という認識へのノイズだから
そういう自己認識を強く持つU-オルガマリーが、マシュにデミ・サーヴァントという名前を変える提案をしたのがすごすごすごくよかった
だってそれって「あなたには相応しい名前=呼び方があるでしょう」ということなので
逆に、己が何かを知っているなら呼び方など何でもいいと言い切れるカルデアの者…ということになるんですが
でもシェイクスピアだって、薔薇を別の名前にしても香りはそのままって書いたし…?
要するに、名前・名乗り・呼び方を通した「わたしは何者である」の認識の話がたくさんあったな〜と思っただけです
いちばん泣き虫のマリーン(7−3)
「怖いしすぐキレるし口も悪いんだけど〜」(7−3)
U-オルガマリーとテペウにとってのマリーン(7−3)
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「わたしは何者である」の他に「あなたは何者である」が…ある!
マリーンにもそれぞれの性格があるという話から、目の前にいる(いた)あなたへの認識の話をたくさんしていてそれもよかった よかった〜!!!!!
あなたへの認識は、その人に伝わることで自己認識にもなる
そういうコミュニケーションが交わされててよかった
よかった…
死の国では名前を名乗る必要がない(2−1)
令呪を担保とした契約、試練(3−4)
試練を越え冥界線を抜けられるようになると令呪が一画戻る(3−6)
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マスターについて
死の国では自分を定義することは不要?ぽいので、フヤフヤ認識になっていく場所ぽいよね
そこから抜けるのに令呪を渡す覚悟には第一層まで戻る価値(≒試練を受ける価値?)があり、今のマスターのアイデンティティに深く結ぶ令呪をなくすことで改めて「お前は何者かを示してみろ」と訊かれている、のが試練ぽいなと感じた
試練を越えれば令呪が一画戻るというのは、報酬であると同時に「自分」を示した証であるともおもう
U-オルガマリーはハベトロットを「ハベニャ」と呼ぶ(3−1)
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名前によって認識するので、もしかしてU-オルガマリーはハベトロットの名前を「ハベニャ」と認識しているんじゃないかなと思って…あだなの概念がない
カマソッソが人類最後のマスターになる(10−6)
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カルデアの者は「名前より内容」で、逆にカマソッソは「内容より名前」な感じがある
内と外のどっちを重要と捉えているかという違い…
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・ほか
U-オルガマリーは感情を色として視認している(2-3)
→頭の片隅で色彩が流れてきてヤバだった
テスカトリポカ(10−5)
→本当にありがとうございます