「顕な愛の牽制」 顕な愛の牽制
「こら、凪!」
思わず、俺の膝に頭を乗せて呑気にゲームに勤しんでいる恋人に向けて叫んだ。マグカップを持っていない時でよかった。あまりの興奮で、なみなみ注いだ深掘り珈琲を凪の顔面にかける事態にならなかったことが救いだ。
「んえ? いきなり何?」
「このインタビューだよ! 俺があれほど『めんどください』は禁句だって……!」
プロになればメディア露出も多くなってくる。特にサッカーは競技人口の多いスポーツだ。日本代表に選ばれれば、新聞、テレビのみならず、雑誌も女性誌から小学生向けなど広く広告塔のような役割を担うことになる。今俺が見ているのは、インターネット上でニュース配信を取り扱う番組。凪、馬狼、潔が出るという情報を前持って知っていたのでリアルタイム視聴している。
「……あー、それね。今日放送なんだ」
凪は自分が出てる番組に一つも興味がないようで、俺がタブレットで視聴している画面をチラリと見て全てを理解し、目線はすぐに自分のスマホへ映った。
「それさー、レオいると思ったのに。なんであのメンバー? マジ謎。すぐ帰りたかったー」
「別の予定が入ってたからマネージャーに断ってもらったんだよ」
MIKAGE社が開発した最新型翻訳イヤホンの完成披露会があったため、親父に呼ばれていた日である。確か凪にもそう伝えたはずだが、凪のマネージャーも最近凪の扱いを分かってきたため「玲王さんもいるかもしれないですよ」とかなんとか、都合のいいことを言ったに違いない。
「レオいない時は基本的に断ってって言ったんだけど、俺」
「ダメだ。俺がいなくても仕事は仕事だろ」
「サッカーじゃないし……」
「それでも! イメージってのは大事なの!」
プロになり、確かに凪はよく頑張っている。学生時代「トレーニング面倒くさい」なんて言ってた奴とは思えないくらい。但しメディア関係はてんでダメで「面倒くさいからそれ以上考えたくない」とか「別にない」などと答えて、何度か大目玉を喰らっている。俺が一緒だったら凪の言語化を多少カバーできる、ということで最近はセットで仕事をすることが多かった。最初に比べれば多少マシになったと思ってはいたが──迂闊だった。
「あー、ほら! 言われてんじゃねーか!!」
「何が?」
「ん!!」
凪誠士郎は速攻でトレンド入りしていた。俺は凪の顔面の前にiPadをずいと出した。
──凪、御影いないと途端にやる気w
──他選手への扱い雑だなー、凪
──潔はインタビュー上手に返すし、馬狼でさえまともに答えられるのに凪w
──やる気という概念をどこかに忘れたんか凪
──御影いない時の凪、こんなもん
──凪選手ちゃんと答えてwww でもそんなところも好き
──御影大変だ 凪の元へはよ
次々と無責任に書かれたつぶやきはSNSの海に投げ込まれていく。
「……みんな分かってんじゃん。俺とレオをセットにしなきゃダメって」
「ちーがーうー! そーじゃないだろ?! もうッ!」
ついにトレンドは『御影』が入った。俺は出ていないのに視聴ユーザーは察しが良すぎる。インタビューアはアイドル出身の若くて小柄なアナウンサー。上手くインタビューしていると思う。
アナ『潔選手、今欲しい力は?』
潔『えっとー、そうですね。やっぱり敵に悟られる前に動ける瞬発力だったり、テクニックですかね。世界と比べると俺はまだ全然足りてないので……』
アナ『潔選手の持ち味である空間把握能力を最大限に活かせる力ってことですね。では、日常ではどうですか? 普段の生活で欲しい力ってありますか』
潔『えーーーどうだろう。あ、片付け苦手なんで整理整頓能力が欲しいですかね』
アナ『ああ、でしたら馬狼選手は確か綺麗好きだと伺っておりますが……馬狼選手は、今欲しい力ってありますか。あ、日常生活の中で』
馬狼『ふん……、そうだな。殺菌力だ。汚ぇのは嫌いだからな』
アナ『馬狼選手なら本当に殺せそうですね、バイ菌』
凪『……ア⚪︎パン馬狼マンじゃん』
馬狼『クサオ! てめーだ、めんどくさバイ菌マン!!!』
アナ『まーまー、喧嘩せずに……! あ、凪選手はどうですか?』
凪『えー。どうだろ。欲しいものってそんなないから……』
馬狼『少しはその面倒くせー性格を直せよ、クサオ』
凪『は? なんでお前にそんなこと言われないといけないの』
潔『おいおい、二人とも落ち着け……って。あれ。コレどっかであったような……?』
アナ『さ、さすが青い監獄出身のメンバーですねぇ! 深い繋がりを感じ、』
馬狼『感じねーよ、んなもん!!!』
凪『感じないよ、そんなの』
アナ『い、息ピッタシですね?』
凪『あのさ、そのすぐ吠える衝動性も興奮ですぐ脱衣すんのも直してから言ってくんない?』
馬狼『は? なんだと、クサオ。俺に喧嘩売ってんのか?』
ハァ……と溜息を吐いた。番組は凪が馬狼にキレられて胸ぐらを掴まれそうになって潔に阻止されていた。この辺は普通カットだろ、番組監督……と思いながらSNSを見ればもっと騒ぎは大きくなっていた。視聴者は完全に面白がっている(そりゃそう)。『ア⚪︎パン馬狼マン』でネットは騒然だ。切り取られて永遠にネタにされるだろう。
「俺がコツコツ積み上げてきた『天才、世界のナギ』のイメージが……」
ガクリ、と項垂れた。凪が有名になるのは構わないが、それでももう少し凪の魅力が伝わるようにしてもらいたい。どうしてこう、自分の魅力を発信できないかなぁと思ってしまう。でも、それが凪誠士郎なんだなよなぁ。
「レオ?」
「ふふ、お前って……ハァ。もう笑うしかねーなぁ」
「なんで笑ってるの」
「いや。もー、お前は本当に自分のこと分かってねぇなっていう呆れが一周回って面白くなってきてさ。はぁ〜〜〜! 凪の、ブルーロックスに対する態度、何回みても慣れねーなぁ、面白すぎ。はー……、本当に凪はしょーがねーなァ」
凪はコミュニケーションが取れないわけではない、ということは俺も最近の発見だった。意外と初対面の人に臆することはないし、会話などを面倒くさがることはあれど必要なことはちゃんと話し合える。めんどくさがりだが意思疎通は図れる奴。だからブルーロックという環境下だとこんな風になってしまうのは逆に新鮮で、それだけブルーロックという環境は殊更特殊だったということが分かる。それに、俺の前でこんな風にはならない。
「……幻滅した?」
凪がスマホを離してこちらを見上げた。画面は見えないがゲームオーバーでもしたのだろうか。真っ直ぐ自分を見上げる眼差しは、タブレットで見ていた凪とは別人のように無垢で愛おしい。
「しねーよ。ただ、もうちょい真剣にやってくれたらなぁと思ってる。一応これも仕事だし」
「アレはメンバーが悪い……」
ぷいと不貞腐れるように俺の腹側に顔を背けて丸まった。百九十センチのする仕草ではないが、七人がけソファは俺たち二人が別々に横になってもまだ余裕があるくらい広い。こんなに密着しなくてもいいのに凪は猫のように俺の近くでゴロンと寝転がる。
「……どんな力が欲しいか、かぁ。俺だったらなんて答えるかな」
餌を投下されたSNSは大いに盛り上がっており、グループラインの通知が数を増やしている。凪はきっと今回も未読スルーだろう。グループラインで凪が喋っているのを見たことがない。(スタンプはたまに押される)
凪の不貞寝した髪を撫でればさっきの怒りも呆れもあっという間に収まってしまった。凪が俺と俺以外で態度が違う姿に、いまだに慣れないが。
「凪と対等になれる力が欲しいな。たまには俺にも軽口叩けってー」
「……それは無理」
「なんで?」
「なんでって。あいつらはレオじゃないし」
「なんだよ、その理屈〜」
ぎゅうと俺の腹に凪は顔を埋めて抱きしめてきた。こうやって甘えられるのは悪い気がしない。俺はどっちかと言ったら人に甘えるのが苦手だから。してやる側の方が性に合う。
「レオには絶対言えない」
「そんなに俺が怖い?」
「何言ってんの、レオ。一番好きな人に……言わないよ」
ゆっくり起き上がった凪は俺の隣にぴったり座って、俺の肩に頭を乗せた。まるで、身体の一部が触れ合ってないと落ち着かないとでもいうように、今日はずっとくっついている。
「ねぇ、レオ。欲しい力は、って話。本当は一つあったんだけど」
「そうなんだ?」
「でも、こんな配信の中で言うことじゃないなって」
実はほんの少し、凪とはすれ違いの生活が続いていた。仕事でも悉くタイミングがずれており、お互いの『忙しい』が偶然重なっていた。こんな風に穏やかに凪の隣にいつも居られればいいのに大人になればなるほど、その時間が増えるどころか減る一方だった。
「何? 聞きたい」
凪の方を振り向けば、自然と凪の顔が近くにあった。とても自然に顔が近付いて目を閉じた。当たり前のように唇がそっと触れ合って、そのまま数度押し付けあった。凪の腕は俺の身体を引き寄せて、俺も凪の身体にそっと触れる。
凪の考えていることはよくわからない。それは、付き合う前も後も同じだった。これだけ身体を密着させても、好きだと言い合っても、分からないものはずっと分からないまま。サッカーのプレーもそれは同じで、よく知っているのに一番未知な力を発揮するし、凪だって、俺の考えていることをきっと分かっていないと思う。
それでも、そばに居たくて、こうやって一緒にいる。
「……こないだは、ごめんね」
「あー、うん……」
ほんの些細な喧嘩を、会えない数日持ち越した。今思い出すのも憚れるくらいの、些細な喧嘩だ。
「レオになかなか会えないし……あいつ等にイライラぶつけちった」
「そっか。そりゃ、悪かったな」
なんとなくやり過ごそうとしてしまうのは、言葉でまたすれ違うのが怖いから。凪との喧嘩で本当は少し傷ついた。でもなかったことにしてしまいたかった。だから普通に、いつも通り振る舞って、せっかく二人で居られる時間を無駄にしたくなかった。
「……傷つけない力」
「え?」
凪の言葉は脈絡はないし、分かりづらいんだけど、きっと核心をついている。
「好きな人を傷つけない力が欲しい」
長い前髪の隙間から見える真っ直ぐな目は俺にしか向いていない。
「……でも、これ。レオの前でしか言う意味ないから言わなかった」
俺たちは何度も間違える。凪も俺も、互いを傷つけなくないのに傷つけてしまう。凪が今、言葉を間違えることなく伝えている。きっと。
「俺の方こそ、ごめんな。凪」
思わぬところででっかい愛をもらってしまった。炎上騒ぎもたまにはいい役割をするのかもしれない。
END