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    ソフレのはきは(途中)

    nite nite店のスポットライトに照らされるオレとでっけぇピアノ。
     稀咲は、店の奥のボックス席。レザーソファに気だるげに座りながら、真ん丸い目でオレの方を見てそう呟いた。

     日曜日の夜、定休日のジャズバー。全体的に白と黒でまとめられてる店内に、真っ赤なカウンター。何で知り合ったんだっけ? 覚えてねぇけど『パイセン』の店。

     以前頼まれて色々と揉め事を解決してやったことがあって、今後もなんかあったら手ぇ貸すって話になって、その礼っつーか、交換条件として、店が閉まってる時は自由に使っていいことになってた。
     空いてる酒は飲んでいい、つまみも冷蔵庫に入ってるのは適当に食っていいって。でも、クスリをやるのと女連れ込んでセックスするのに使うのは禁止だって言われてさ。女とクスリって、オレそんなふうに見えてンすか? って聞いたらキョトンとされたんだった。
     別にどっちもするつもりもないし、エアコンのない自分の部屋に嫌気がさしたときにたまに来て、晩飯代わりに酒飲んでつまみ食って寝にくるしか使い道のなかったココは、最近は稀咲と計画の話をするときに使ってた。

    「……上手いな。習ったことがあるのか?」
     少し掠れた声。目の下の隈は暗くって、普段の稀咲を知らないやつが見たって、疲弊してるのが一目で伝わってくるような状態だった。今日も会ってすぐに目の下の隈のことを指摘すると、四日位ろくに眠れていないんだと言った。理由は、聞かなくても分かる。うま行くはずだった計画が頓挫したからだ。花垣のせいで。

    「オレのかーちゃんが、ジャズシンガーだったんだよ」

     珍しく質問なんかしてくる稀咲にそう返すと、オレの言葉に少し驚いたような表情を浮かべた。

    「……お前のこと調べたとき、両親の情報何もわからなかったけど、そうだったのか……。今もやってんのか?」

     計画に関わるやつのこと、いつの間にか家族構成から学歴まで把握して、なんならオレのことだって誕生日とか血液型すら知ってたのに、そっか、それは何の情報もなかったんだな。

    「かーちゃんもとーちゃんももう死んでっからさ」

     眠そうに目を瞬かせる稀咲に笑いかけると、少し眉間にシワを寄せながら そうか……。と返ってくる。気まずそうな顔。そんな顔オレに向けたりするんだ。気ぃつかったりすんだ、こいつ。それがなんだか面白くって、思わず笑みがこぼれる。

    「ふふ、別にそんな顔しなくてもいいじゃん」
    「いや、余計なことを聞いた」
    「今の全部嘘だから」
    「……は?」
    「今の、ぜーんぶうそ。ジャズシンガーも、死んでるってのも」
    「……なんなんだよ、意味わからねぇ……」
    「ばはっ♡」
    「ムカつくヤツ」
    「あは、ムカつくて、かわい」

     稀咲はイラついた様子で舌打ちすると、テーブルにおいてあった飲みかけのスポーツドリンクを飲む。
     じゃあなんで弾けるんだよ、なんて、オレのことでっかい目で睨み付けながら聞いてくる。そんなにオレに興味あンの? 意外なんだけど、なんてちょっとだけ嬉しくなったりする。

    「稀咲に出会うまでのことなんて忘れちまった」

    「なんだよそれ」

    「いやぁ?なんかさ、お前に会うまでのジンセー、あんまりにも退屈すぎて全部忘れちゃったみたいだわ」

    「……」

     オレが笑って言うと、稀咲は何も言わず携帯に目を落とした。もう会話したくないって感じでさ。けど、気づかないふりしてオレは続ける。

    「でもさ、これは指が覚えてるっつーの?」
     ポン、と、鍵盤に指をおくと、自然と音がこぼれ落ちる。

    「1曲だけなー弾けるんだよ。なんだっけ? タイトルもわかんねぇけどさ。これだけ」

     黙り込んだ稀咲は、オレが弾くピアノの音色にうとうととしはじめて、携帯持ってる手の力が緩んでく。
     するりと稀咲の手から滑り落ちた携帯は、人工大理石の固い床に落ちて、結構な音を立てる。その音にハッとした稀咲は、慌てて携帯を拾い上げるとちらりとオレの方を見た。
     稀咲はやたらとこういうことを恥ずかしがるからさ。オレはなんも見てなかったことにして、ピアノの鍵盤に目を落とす。そしたら稀咲も、なんもなかったみたいに明日以降の指示をぽつりぽつりと呟きだす。

    「……以上だ。……ちゃんと聞いてたか?」
    「聞いてんよ」

     稀咲の言ったことを、ピアノを弾きながら復唱する。チッという舌打ちに、へへっと笑うと、稀咲はゆっくりと腰をあげた。

    「帰る。送っていけ」
    「帰んの? このまま寝ちまえば?」

     手を止めて稀咲を見る。少しふらつきながら出口に向かおうとする稀咲を引き留めるように、椅子から立ち上がって一歩近づいた。

    「こんなところで寝られるか」
    「家でだって寝られねーんだろ」

     頓挫した計画。花垣にそういった意図があったかどうかは定かではないが 利用しようとしていた奴に裏で手を引いていたことがバレてしまった。
     報復が怖いんだろう。稀咲はオレにそんなこと絶対に言わねぇけどさ。昼も夜もここのところ、ずっと気を張っているのは見てて明白だった。
     稀咲はいつだって、計画を実行するときは誰かを使っていた。
     頭は切れるが、見ての通り武力という面ではどうしたって今の稀咲では勝てない。そうできないように、稀咲に手を出せないようにシメてやったが、それでも絶対なんかねぇから。

    「オマエが寝て起きるまで、ずっとここにいてやるぜ?」
    「いや……帰る」
    「オレが裏切って放って帰るかもだし?」
    「んな風にはもう……思ってねぇけど」

     眉間にシワを寄せて 借りを作りたくない と呟く稀咲の顔を見てると、良くわかんねぇけど胸の奥が苦しくなる。もっと適当に人に頼ればいいのに。
     そのへんの雑魚のこと、利用するだけ利用して手酷くポイ捨てしてんじゃん。オレにはそれをしねぇの? なんで?

    「借りだと思うなら返してくれりゃいいだけじゃん♡」

     ピアノを弾く手を止めて稀咲の方へ近づく。オレを見上げた稀咲は 何だ みたいな顔して充血した目をこすった。

    「わっ!? おい! ばかやめろ!」

    「明日の夜まで人こねぇからよ」
     
     思ったよりは重い稀咲の身体を、ひょいと抱き上げる。人馴れしてない野良猫みたいにジタバタと身体を動かして、オレの腕の中から逃げ出そうとする稀咲をぎゅっと抱きかかえたまんま、ソファまで運んでそっと降ろした。

    「何勝手に……ッ」
    「このソファ、寝心地いーだろ」

     オレよくココで寝てんだぁって、文句を言おうとする稀咲の背中をとんとんと叩く。またなんか抵抗されるもと思ったけど、稀咲は起き上がろうとはしなかった。

    「稀咲もピアノ弾けそうなイメージあるよな」

    「…………弾かない。オレは…………」

    「そーなん」

     何か含みがあるような言い方をする稀咲に昨日さ、おもしれーことがあったんだけど、って、聞かれてもない話を始める。
     稀咲はオレの話を遮ることはなかった。うとうとと瞳が閉じていく様を見てると、なんとも言えない気持ちになって、自然と口元が綻んでいく。

    「何も考えねーでさ……一緒に寝よ。明日の予定なんか全部ほったらかしてさ」

     聴こえてるのかいないのか、稀咲は何も言わなかった。そのうち規則的な寝息が聞こえてきて、ああ寝たんだって思った。

     年相応に幼い寝顔。への字にたれちまった力の抜けた眉毛を指先でそっとなぞった。こんなこと、起きてるときだったら絶対にさしてくんないんだろうな。


     稀咲が起きたのは昼過ぎだった。いきなりガバッと起き上がるモンだから、オレはちょっとだけビビった。
     メガネが無いからわからないのか、多分ケイタイを探してるんだろう手をごそごそ動かして諦めて「何時だ」とがっさがさの声で呟いた。

    「十二時二十八分。よく寝れた?」
    「……十二……寝すぎだ」
     
     はぁ、とため息をついた稀咲の顔色は、昨日に比べて幾分かマシになってた。

     それからはその店、カラオケ、ホテル、稀咲はオレと一緒にいるときによく仮眠を取るようになった。コイツのこんな姿見れるの、オレだけなのかと思うと優越感なのか何なのか、気分が高揚した。

     稀咲は家に帰ってないのか、新宿駅のロッカーに荷物を詰め込んでた。半ば家出のような状態なんだろう。
     親のいない隙に荷物を取りに行くからバイクで送れと指示をしてきた。
     稀咲ン家は所謂、閑静な住宅街の中にある庭付き一戸建てだった。
     黒色の普通車とママチャリが停まってる駐車スペースは、庭木が丁寧に手入れされてる。16斑ゴミ当番 って札が掛かってる玄関先のプランターには赤い花。雨も降ってないのに土は湿ってる。『普通の暮らし』してんだろなって、見てわかる家から、肌を焼いて金髪に染めて、家出少年丸出しのでけぇ荷物持った稀咲が出てくる。

    「親と仲わりーの?」
    「……オマエには関係無い」

     もうこれ以上聞いてくるなと言わんばかりに、ぴしゃりと言い放たれた言葉に、オレはそれ以上突っ込んで聞くことはしなかった。
     稀咲専用のヘルメットを渡すと、両手で受け取ってくる。神経質そうにきっちりと切りそろえられた小さな爪。指先が少し、触れた。
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