Pixivに上げたジェイフロ小説「Con Te Partirò」の一部解説というか、備忘録というか 小ネタの供養です
小説の最後に載せると白けちゃうかな、と思って行き場を失くしていたのでぽいぴくの小説機能のテストも兼ねて。
基本的にネットで調べた情報を都合よく組み合わせてこじつけているだけです。
■箱庭
複数いた稚魚がことごとく死に絶えるような海で、心配性らしいリーチ親がはい頑張って生き延びてねと生まれて間もない稚魚を放り出すかと考えた時、それはさすがになくない?という考えから生まれた概念。
詳しい設定は意図的にしていませんが閉鎖された部屋のようなイメージ。生後間もない稚魚たちは箱庭の中で、同じ胎から生まれた複数の兄弟たちと過ごす中で体の動かし方や社会性を学んでいく。
けれどフロイドはこの閉鎖空間での生活に早々に飽き、たちまち興味を失い心を閉ざしたことで社会性と情緒の発達が大幅に遅れた(という設定)。箱庭から放たれたことで外界から得る刺激に感化され、その心と才能は開花していった。
■ドゥーエ、ノーヴェ、セーイ
それぞれイタリア語で2、9、6。フロイドは兄弟の名前に興味が無い、或いは知らないので勝手に番号をつけて区別していたという話。(フロイド自身のことは1としている)
これはフロイドの意図ではなく書き手としての意図なんですけど、6であるセーイ(ジェイド)はキリスト教の世界でいう完全な数字である7に1歩及ばない不完全さの象徴であり、獣の数字やキリスト教徒の敵に通ずる数字です。同性愛や近親相姦を望んだことはある意味キリスト教に背いている。故に6を割り振ってます。
ただフロイド=1と出会うことで、6は7となり完全な数字になります。1は唯一絶対の存在、即ち神を表しますがジェイドは無神論者なので1は唯一の相棒であるフロイドを示す以外になんの意味も持ちません(暴論)。
ふたりは相棒としてお互いに出会った時に完成している。ふたりとなったことでそこに2という数字が持つ「相対的、二元的、両極的なものの結合」という性質も含まれ、「補い合って完成する存在」になる。そういう意図を持って呼び名を設定してます。
余談なんですけど兄弟は全部で12人のつもり。これは神の取り決めた数字であり12使徒を連想させますがそれが死に絶えたということは、神の取り決めの崩壊、つまりふたりが神の支配(同性愛や近親婚を禁ずる取り決め)を逃れて結ばれたということかなみたいな。後付けです。
■恋のアリア
夜の校舎で絵画の歌姫が歌うアリアは、イタリアのオペラ「フィガロの結婚」から「恋とはどんなものかしら」を引用しています。したつもりです。
あなた方はご存知でしょう、恋とはどんなものか。女性の皆さん、私の心を見てください、これは恋でしょうか。みたいなことを言ってる歌なんですけどこれ歌ってるのがケルビーノっていう何かこう…惚れっぽい小姓なので確かに恋の歌ではあるけれど恋に恋する歌なんですよね。
恋心を見せたいのは特定の人ではなく「女性の皆様方」なので、恋心を見せたい相手がたった一人しかいないジェイドくんはこんなもん歌わねーよ、と見向きもせず校舎を走って帰ります。
■「もっと一途で、永遠を誓うような歌」
これがタイトルでもあるCon Te Partirò(コン・テ・パルティロ)です。邦訳は「君と旅立とう」。
イタリアのテノール歌手、ボッチェリの、そしてサラ・ブライトマンの代表曲でもあり、結婚式でも流れるような有名なやつです。「Time to say goodbye」とも言う。
「一人でいるとき、水平線を夢みて、言葉を失ってしまう」から始まり、要約すると「過去に別れを告げ、あなたと共に海を越え、まだ見ぬ場所へ旅立とう。その場所でともに生きていこう」という歌詞なんですけど、何かジェイフロみがあるな…となってしまい…。冷静になったらそうでも無いな…とも思ったんですけど。でもわざとらしく、甘く劇的な愛の詩を歌うリーチ兄弟も良さみがあるじゃないですか…。
これは「箱庭(過去)に別れを告げ、あなたと共に海を出て(Over the Sea)、陸(まだ見ぬ地)へ行こう、ここでともに生きていこう」というジェイドの誓いであり、フロイドの目が治ったその時の求愛、プロポーズの瞬間に通じていきます。別に陸に永住しようというわけではないんですけど。陸に限らず見たこともない色んな世界を一緒に見ましょうね、っていう話…。
私は人魚の声帯の音域は人間よりも広くあれと思っているのでテノールのジェイドとソプラノのフロイドでデュエットしてくれないかな〜とか思っています。