桜舞う、月下の宴 四月十四日。今日は十四の誕生日だ。
毎年アルゴξ楽団はバースデーライブを開催していて今年もメンバーから十四へのサプライズ演出や、日頃のファンへの感謝を込めたスペシャルアレンジでの演奏などで大いに盛り上がるライブとなった。
全楽曲の演奏を終えたメンバー三人、そしてその後に続いて十四が舞台袖へと帰っていく。
だがその姿ステージから完全に姿が消えてもなお、大きな拍手と歓声は鳴り止まなかった。
「おめでとう」「愛してる」「大好きだよ」そんな言葉に、十四の口元は緩みっぱなしだ。
暗い舞台袖から見るステージはまだスポットライトに照らされていて、そこ残されたスタンドマイクが一本、その光を浴びて佇んでいる。
こんなにたくさんの人に祝ってもらえる誕生日を迎えられるなんて、数年前は夢にも思わなかった――
歌える喜び、楽しんでもらえる喜び、自分たちの音楽を愛してもらえる喜び。嬉しさでいっぱいになった胸は少し苦しいぐらいだった。
十四はその胸にできるだけ大きく息を吸い込むと、誰も立っていないステージに向かって一人深々と頭を下げた。
楽屋に戻るとそこにはメンバーごとに分けられたプレゼントボックスが四つ置かれていた。もちろん今日の主役でもある十四の箱が一番大きい。
アルゴξ楽団自体もともと根強い人気はあったが、十四がナゴヤのディビジョン代表として名を連ねるようになってからさらに人気は上がっている。箱の大きさ、そして溢れんばかりの中身はその証左でもある。
「すごい量っす……どうやって持って帰ろう……」
箱を少し持ち上げてみると案の定持って帰るには骨が折れそうな重さだった。タクシーを呼ぶか、それとも誰かに頼んで車に乗せて運んでもらおうかと悩んでいると、メンバーの一人にトントンっと肩を叩かれる。
「十四、これは俺たちがお前の家まで運んでやるよ」
「え、いいんっすか?!」
「その代わり、お前今からここへ行け」
すると十四のスマホのメッセージアプリに一件メッセージが届く。差出人は目の前のメンバー、送られてきたのはある場所の地図だった。
「これ、公園……っすか?」
「今すぐそこへ行け」
「え? 今すぐっすか?」
「そう。できるだけ全速力で」
いつの間にか纏められていたバッグとそしてアマンダがぐいっと十四に押し付けられた。戸惑う十四だが、その背中をメンバー三人がかりで押されて裏口へと無理やり連行される。
「え、ちょっとなんっすか急に?! ここに何があるんっすか?!」
「俺たちからは今は何も言えない」
「大丈夫だ、危険はない」
「遅れなければ、だけど」
状況が読み込めず十四は戸惑うばかりだが、何やら必死なメンバーの様子にここはもう従うしかない。
「じゃ、じゃあお先にっす……」
少しぎこちない笑顔で手を振る三人に、十四は何度か首を傾げ、怪訝そうな視線を送りながらひと足先にライブハウスを後にした。
送られてきた目的地の公園までは歩いていける距離だったので、十四は徒歩で向かうことにした。
上弦の月が浮かぶ夜道には心地よい風が吹き、まだ少しライブの熱が残る身体を少しずつ冷ましてくれる。つい先週降った雨のせいで桜の多くは散ってしまったが道に落ちた花びらがその風で舞う姿もまた美しい。
ライブハウスのある通りからひとつ角を曲がり、十四は一度地図を確認した。
「えっと、あそこを曲がってそこからはずっと真っ直ぐっすね……ねぇアマンダ、一体ここに何があるんっすかね……」
地図アプリが示すルートは街灯が明るく照らしてくれてはいるが人通りは少ない。心細さに胸元に抱いたアマンダに十四は問い語かけた。
当然ながら返事はない。だがその代わりをするかのように後ろから強い風が吹いた。十四の長い髪を大きく靡かせるその風に身体ごと煽られて足が一、二歩前に出る。
一瞬瞑った目を開けて風が流れる方向へ視線を向けると、桜の花びらが風乗って流れていく。それはまるで十四の進むべき道を示しているようだった。
「行けば、分かるってことっすかね」
再び問いかけたアマンダの十四を見つめるつぶらな瞳から肯定の意志を受け取る。
十四は「よしっ」と気合いを入れると、花びらが導く方向へ少し足早に歩き始めた。
辿り着いたのは、歩道と広場、そしてベンチがいくつか並んでいるだけの広い公園だった。
普段なら散歩やピクニックなどで賑わっているのだろうが、もう深夜と言われる時間に差し掛かっている今は人気が無く、しんとしている。
もし偶然通りかかったのなら十四は足早に通り過ぎていただろう。
だが今日はメンバーからの指示でここへやって来た。その理由が何かあるはずだとぐるりと見渡す
すると公園の中でもっとも大きな桜の木の下に二つ人影が見えた。途端に十四はその場所めがけて一目散に駆け出した。革のブーツに巻かれたベルトがかちゃかちゃと少し騒がしく鳴る。
「ひとやさん! 空却さん!!」
十四は大きく手を振った。その先に立っていたのは獄と空却。手を振る十四に応えるようにそれぞれ片手を上げる。
「よぅ、十四。待ちくたびれたぜ!」
息を切らした十四の背中を空却がバシバシと叩いた。加減を知らないその手に十四は少し咽せてしまうが、その手のひらを模ったようにジンと残る背中痛みに嫌な気はしなかった。
「ライブ、お疲れさん。迷わねぇか心配してたんだぜ?」
そう言って獄がペットボトルの水を差し出す。受け取り頬に当てるとひんやりとして気持ちが良かった。蓋を開けるとパキッと小気味良い音がする。十四はそれを少し多めに一口、二口と飲み下す。
「ぷぁー! そんなに心配しなくっても一人で来れるっすよ! 自分だってナゴヤの代表なんっすよ!」
「はぁ、どうだかな」
「お前には迷子になった前科が数えきれねぇほどあるからな」
顔を見合わせる獄と空却に、十四は頬を膨らませる。十四なりに最大限の異議を示したつもりだったが、「何だその顔」と空却に鼻で笑い飛ばされた。
「まぁ、突っ立ってねぇで座れ」
空却がどかりと腰を下ろした地面には大きなビニールシートが敷かれていた。そこにはペットボトルや缶、紙パックのジュースが並べられ、コンビニの袋の中からは菓子やホットスナックが顔を覗かせている。
「もしかして、お花見っすか?」
「兼、お前の誕生日祝い、だな」
空却とコンビニ袋を挟むようにして向かいに座った獄は並べられた飲み物に手を伸ばして迷いなく缶コーヒーを選んだ。続いて空却も赤いラベルの貼られたコーラのペットボトルを手に取る。
十四は二人に左右挟まれる位置に正座をするように腰を下ろし、アマンダは膝の上に座らせた。
「まぁ、ケーキだのなんだのが欲しけりゃまた改めて買ってやるよ」
そう付け加えた獄に十四はぶんぶんと首を左右に振った。
「これで十分っすよ」
ふっと顔ごと目線を空に向ける十四につられて獄と空却も顔を上げる。満開の時期から少し数を減らした枝の隙間から夜空とそこに浮かぶ月が三人を見下ろし、照らしていた。
「最高のライブをしたあとに綺麗なお月様と綺麗な夜桜を見ながらこんなにたくさんの美味しい物が食べられて、それから――」
そこで言葉を切った十四に、獄と空却の視線がほぼ同時に移る。
「――大好きな家族二人が一緒にいてくれて、自分は幸せものっす!!」
えへへとはにかむ十四。二人に向けられるその笑みは頭上に咲く桜よりも満開だった。
屈託のない笑顔とそれを彩るかのように緩やかな風に舞う桜の小さな花びらに誘われて、獄と空却の顔も自然と綻ぶ。
「んじゃ、乾杯すっか! オラ十四、飲みモン持て!」
「え、待ってくださいっす! どれにしようかな……あ、これ気になってたジュースだ。あ、でもこの紅茶も最近ハマってるんっすよね……」
「どれでもいいからとりあえず一つ取れ。どうせ全部は飲みきれねぇんだから」
「えと、えっと、じゃあ……」
十四は青りんごのイラストが描かれた紙パックを手に取った。そして一つ咳払いをすると勢いよく立ち上がり、それを何故か高く掲げる。
「宴に捧げる我の杯は、この知恵の果実の雫といたそう。始まりの二人を楽園から追放したというこの罪深き……」
「おい、まだ続くのか?」
睨みつける空却と、こめかみを抑えてこれ見よがしにため息をつく獄。十四は「い、以上っす……」と呟いて腰を下ろすと、先ほどまでの大仰に広げていた腕をキュッと肩の内側に納めるようにして紙パックを持った。
「ンじゃ! BATと十四の誕生日に」
空却の音頭に合わせてそれぞれの飲み物が掲げられる。
「乾杯ッ!!」
「「乾杯」っす!」
誰もいない夜の公園に三人の声が響いた。
コーラのペットボトル、リンゴジュースの紙パック、コーヒーの缶が中途半端な音を立てて小さくぶつけられ、そして各々の口元に運ばれる。
「あ、そうだ。今日二人ともライブ来てくれてありがとうございましたっす!」
「ンだ気づいてたのかよ」
「後ろのだいぶ隅の方にいたんだがな」
我先にとコンビニのホットスナックの唐揚げに手をつける空却を見て、放っておいたらすぐに何もかもなくなるぞと獄はポテトチップスの袋を一つ十四に放ってよこす。
「二人とも、自分たちがどこ行っても目立つの自覚したほうがいいっすよ?」
「まぁ、拙僧ぐらいにもなりゃ隠しきれねぇオーラみてえなもんが醸し出されてんのかもしれねぇな」
「ンなもんテメェにあるかよ。その赤髪がクソほど目立つってだけだろ、三流坊主見習い」
「ぁあ? じゃあテメェはどうなんだよ。その鳥の巣みてえなかさ増しされた頭、悪目立ちしてる自覚ねぇのかクソ弁護士」
互いの売り言葉買い言葉に同時に立ち上がった空却と獄は鋭い視線をぶつけ合い、ジリジリと互いの距離を詰めていく。
「もー!! 喧嘩しないでくださいっす!! 仲良くして!」
そんな二人の間に割って入った十四は獄の右手、空却の左手をそれぞれ掴んで制止する。
「お誕生日様の命令っす!! ほら! 座って!!」
睨み合っていた獄と空却は引っ張られる手の方へ視線を向ける。そんな二人の目を交互にじっと見つめながら「誕生日」という単語をゆっくり繰り返す十四。一度鳴ったゴングに勝敗をつけられないままコーナーへ戻されるような、釈然としない顔をしつつ互いを一瞥してから、二人は十四を挟むようにして素直に腰を下ろした。
十四はちらり、ちらりと二人の顔をそれぞれ覗き見て、一応の収束に満足げに微笑んだ。
ひらりと十四の頭上から落ちてきた一枚の花びらが、膝に座ったアマンダの鼻の上にちょんと乗っかった。少し風があるせいか、いつの間にか三人が座るシートの上にも桜の花びらが薄く積もっている。
「桜、もうだいぶ少なくなっちゃったっすけど、三人で見れてよかったっす」
「まぁな。だが、先週の雨がなけりゃもうちょっともったかもな」
獄はため息混じりにそう言う。すると空却が一つあくびをして十四の隣で仰向けに寝そべった。
「雨が降るのも風が吹くのも、咲いた花がいずれ散るのも、すべて自然の理だ。それにもし桜が年中咲くようなら誰も見向きもしなくなるだろうよ。一年に一度の桜だからみんな春を待ち侘びンだ。人生も同じだ。その限られた時間でどれだけ咲き誇れるか。それに他者は魅せられ、憧れ、着いていく」
そう説く空却の目には何が見えているのだろうか。倣うように十四も仰向けに身体を地面に倒して空を見上げた。獄も座ったまま二人の視線を追う。
三人が見上げた桜の木が枝がざあっと音を立てて風に靡く。またひらり、ひらりと花びらを落とす枝には次の季節を告げる鮮やかな緑の葉が顔を出していた。もう、春の終わりも近い。
「夜桜を見てると、良い酒が飲みたくなるな」
ぽつりと獄が呟いた。
「だったらさっきのコンビニで買っときゃ良かったじゃねぇか」
「ガキ二人の守りしてんだぞこっちは。飲めるわけねぇだろ」
「あ!だったら!」
勢いをつけて十四が身体を起こした。
「来年! 自分の二十歳の誕生日は、夜桜見ながら三人でお酒飲ましょ! その時には空却さんも自分も立派な成人だからひとやさんも気にしなくっていいっすよね?」
「二十歳か……」
何かを噛み締めるような獄に、十四はどうっすか? とその顔を覗き込む。
「ああ、楽しみにしてる」
そう小さく笑うと、獄は残っていた缶コーヒーの中身を確かめるように軽く振って、そのままグイッと一気に飲み干した。
――また来年、家族で桜を。
十四はそう願いを込めて、桜の向こうの星空を真っ直ぐに見つめたのだった。