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    前 浪

    @m73_925

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    前 浪

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    ハライ親子とひとじゅしの夏の話🌻

    ⚠️ひとじゅしのつもりですが要素は薄目

    ECHO 夏真っ盛りの八月の上旬。最高気温を聞くのも嫌になるほど連日続く暑さは全国的に「災害級」とまで呼ばれ始めているが、そんなことで空却は修行の手を緩めることは決してしない。うっかり暑いと口にしまおうものならすぐに滝へ強制連行されてしまう。
     そんな師匠に言いつけられた境内の掃き掃除を終え本堂へと戻ってきた十四はすっかり汗だくになっていた。アームカバーや日傘はもちろん許されず、日焼け対策はSPF指数高めの日焼け止めを念入りに塗ることしかできない。しかしそれもきっとこの汗でだいぶ流れてしまっただろう。
     束ねた長い髪には熱が籠り、色褪せた作務衣は掃除の間に落ちた汗で数カ所色が変わっていた。布が背中や腕、脚に張り付く感覚は気持ちがいいものではない。襟を摘んでパタパタと服の下に風を通すが、その場しのぎだ。
     土地柄、ナゴヤの夏は昔から過酷と言われてきたが暑さで全身から汗が噴き出して止まらないような経験は修行を始めるまで十四にはないものだった。実家の草むしりだってこんな炎天下の中では絶対にやらない。流石に少しは休憩させてくれるだろうが、今日はもう外での作業は無いといいなと密かに願いながら十四は引き戸を開ける。
    「くーこーさぁん、掃除終わりま――」
     中に声をかけようとしたが、すぐに箒を持っていない手で咄嗟に口を押さえた。
     本堂の奥から声が聞こえてくる。いつもなら師匠とその父の壮絶な親子喧嘩の声であることがほとんどなのだが、今回はそれではない。独特の響きを持ったその声は経を読んでいるものだ。
     開けた戸をできるだけ静かに閉めて、箒を壁に立てかける。誤って倒れてしまわないように安定する位置を見つけると、十四は足音を立てないように本堂の中へと向かう。
     はっきりとは聞き取れないものの修行で受けているフロウに似た声の揺れ方に、経を読んでいるのは空却かと思った。しかし板の間からそっと中を伺うとそこには赤髪、ではなく剃髪された後ろ姿があった。経を読む声はよく似ているが空却よりは少し低く、そしてゆっくりとしている。
     そこにいたのは空却の父で空厳寺の住職、灼空だった。
     広い部屋の一番奥、内陣の正面に座るその背中は十四が立っている場所からずいぶん遠いのに、その存在はとても大きく見えた。
    「そんなところに立っていないで、こちらに来て座りなさい」
     突然読経が止み、背を向けたままの灼空が言う。
     十四は「えっ?」と辺りを見回すが、自分以外に誰かがいる気配はない。
     すると灼空は振り返り、十四に向かって手招きをした。
    「お、邪魔だったっすか……?」
     物音を立てたつもりはないが一体いつ気付いたのだろう。十四はおずおずと小股で歩み寄りながら、灼空の顔色を窺う。
     空却の父とはいえあそこまで破天荒ではないが、その空却が手も足も出ないほどの(物理的な)力量がある。それを十四は日常の親子喧嘩で目にしてきた。
     理不尽で怒るようなことは絶対にしない人だが、自分は空厳寺で預かってもらっている身だ。大切なお勤めの邪魔をしてしまったのであれば多少のお叱りは受けてしまうかもしれない。
     十四は差し出された座布団に膝を揃えて正座をする。自然と肩はすくみ、膝の上に置いた拳を作務衣の布ごと力強く握ってしまう。視線を上げられず、正面に座る黒い法衣の裾しか見れない。
    「そう縮こまらなくても良い。別に叱るわけではないのだから」
     その優しい声音に十四は伏せていた顔を上げた。目の前の灼空の表情にはその言葉通り十四への苛立ちや憤りは一切感じられなかった。空却と瓜二つの吊り上がった目には同じく全てを見透すような鋭さはあるが、しかしどこか安心する柔和さがある。
     空却とそっくりなのにこんなにも漂う空気が違う。それは髪型やピアス、顔の皺の違いのせいではない。これが人柄、というやつなのだろうかと十四は漠然と思った。
    「あの、自分、お経の邪魔、しちゃったんじゃ……」
    「心配には及ばないよ。静かに聴いていてくれていたおかげで全く邪魔にはなっておらんし、ちょうど終わるところだったからね」
     灼空は同意を求めるように背後の釈迦如来像を振り返り、その視線を追うように十四も正面の像を見上げる。真一文字に結ばれた口は何も語らないが、無表情な顔からは少なくとも「邪魔をされた」という感情は読み取れない。
    「仏様も大丈夫だとおっしゃってくださっている」
     自分より仏の機微に詳しい灼空の言葉に、十四はホッと胸を撫で下ろす。
    「掃除は終わったのかね?」
    「あ、はいっす。それで空却さんを探してて」
    「空却なら今檀家さんの元へ遣いに出している。戻ってくるまでここで涼むといい。外は暑かったろう」
     蝉の合唱に紛れてゴーっと聞こえてくるのはエアコンの音である。どこよりも大きな部屋なので最大出力で動いているおかげか十四の身体中から噴き出していた汗も今はすっかり引いて、少し鳥肌が立つぐらいだった。
    「しばらく聴いていてくれていたようだが、経に興味があるのかい?」
    「興味というか、お経って唱え方がすごく独特だなって。自分が歌うのとはもちろん違うし、空却さんのラップにお経っぽさを感じる時はあるんっすけど、今日灼空さんのを聴いててそれともちょっと違うなぁって……それって音の響かせ方なのか、そもそも言葉が難しいからなのかなって思って聴いてたっす」
    「なるほど。そういう観点から聴いてくれていたのだね。なかなか新鮮だ」
     そう言うと灼空は一つ冊子を十四に差し出した。短冊状のそれは表紙に「般若心経」と書かれている。
     十四はそれを受け取り、中を開く。筆で書かれたようなフォントで見慣れない漢字がずらりと並んでいた。ありがたいことに全てふりがなが振られているので読めなくはないが、ヴィジュアル系として難読文字に格好良さを見出す十四であっても馴染みのないものがこんなに並んでいるのには少し怯んでしまう。
    「唱え方に興味があると言ったね」
     いつの間にか寄っていた眉根を慌てて緩めて灼空に顔を向ける。
    「十四くんはライブで歌う時はマイクを使うだろう? だが我々僧侶は自分の声量だけで経を唱えなければならない」
     唱え方が独特なのはもっと高尚だったり、伝統的な理由からくるものだと想像していた。しかし実際は具体的かつ現実的な事情のようで、さらに興味が湧いた十四はほんのわずかに灼空の方へと前のめる。
    「そしてライブハウスとは違い、畳や木材といった音を吸収してしまう素材に被われた部屋で唱えることがほとんどだ。なのでそういった場所でも遠くまで聞こえるように各々工夫した結果、ああいった独特の声の出し方になっていくのだよ。始まりはそれぞれの師の唱え方に由来するものはあるだろうがね」
    「そういえば空却さんに聴いたことがあるっす。『身体がスピーカー代わりだ』って」
    「ほう。あれもなかなか的を射た喩えをする」
    「あの、音を響かせるときって何かイメージとかあるんすか? 出す音の形みたいなのとか自分の身体がスピーカーだとしたらヒプノシスマイクを使った時に出てくるスピーカーみたいな形とか。自分歌う時に伝えたい言葉の形はこんなのかなとか想像したりするんすけど灼空さんたちのお経を読む声みたいな音ってなかなか出せないなって思って」
     その問いに灼空は顎に手を当てて「ふむ……」と小さく呟いた。考え込む素振りの灼空の様子に十四はまた再び肩をすくませながら視線を落とすと、自分の膝が目に入った。それは座布団の端からはみ出た畳の上に乗ってしまっている。十四は座り直すついでに少しだけ座布団を後ろに引いた。
     熱を持って話し出すと止まらないことがある。灼空はああ言ったが、手を止めて十四の相手をしてくれているのは確かだった。空却や獄はこういった時は手厳しく諫めてくれるが、灼空はそういった人ではない。精神的に強くなるとはただ泣き癖を治すのではなく俯瞰して自分の感情を見て、コントロールすることだと十四は日々の修行で悟りつつあった。しかし今、涙が滲み始めた視界にまだ自分は遠く及んでいないのだと思い知らされる。
    「形、というものは無いのだが……十四くんはなぜ僧侶が経を唱えているか知っているかね?」
    「えっと、亡くなった人が安心して天国へ行けるようにっすか?」
    「もちろんそれもあるが、それだけではない」
     灼空は十四が膝の上に置いていた冊子を手をのばす。そしてページを開くと、それを再び十四の方へ向けて差し出した。
    「ここに書かれた言葉は、悟りに至るための御釈迦様の教えだ。亡くなった方には天国、仏教では極楽浄土と言うが、そこまでの安寧な道中を祈祷する役割、そして生きる人にとっては悩みや苦しみから救うための手助けになる。どう考え、どう生きればいいのか、本当に大切なものは何か、をね。我々僧侶の役目はそれを伝えることなのだよ」
     開かれたページに十四は視線を落とす。相変わらず難しい漢字の並びに意味はさっぱり分からない。
    「ちなみにだが、経はいつ、誰が読んで良いのだよ」
    「え? 法要とかじゃなくてもっすか?」
    「ああ。もちろん亡くなったご先祖に向けて読むことが多いがね」
    「あの、でも自分、言葉の意味が……」
    「十四くんは曲を覚える時はまず譜面を全て理解してからかね?」
    「えっと、自分は何度も何度も聞いて覚えるっす。ユメマガ、好きなバンドの曲は全部耳から覚えたっす。譜面は、その後からで……」
    「ならまず唱えることから始めてみなさい。それなら今すぐにでもできるからね。言葉の意味については、君の師に聞いた方が良いだろう。それもまたあやつの修行になる。智は他者に分け与えてこそ己の中で深みが増すものだ」
     開かれたページに並ぶ言葉の一つ一つにどんな意味があるのかはまだ分からないが、この言葉が響いた時に漂うあの澄んだ空気のことは知っている。自分がギターを弾く姿を想像しながら何度も聞いて曲の譜面を初めて見た時の感覚に似ていると十四は思った。
    「見よう見まねで構わないからまずは思うままに自身で唱えてみなさい。そして言葉の意味を知ってからまたもう一度唱え直してみれば、きっと新しい発見があるだろう」
     そう言って灼空は空却によく似た鋭い目尻を少しだけ下げて微笑んだ。
     
     ◆◆◆
     
     盆が明けると一時登校なのだろうか、しばらく見かけていなかった学生服姿の若者と街中で遭遇することが増えた。真っ黒に日焼けした肌に白いシャツは眩しいぐらいで、似たようなシャツ姿のサラリーマンよりも目立って見える。
     そんな光景に縁遠くなった「夏休み」の終わりを感じながらもまだまだ酷暑は続いていて、獄は専ら車移動だ。愛車のバイクは梅雨の時期から駐車場に寝かせたままになっている。
     空厳寺の駐車場に車を停め、助手席に載せていた手土産を持ってドアを開けた。降りた途端に全身を包む蒸すような空気に顔を顰め、胸元にしまったサングラスを再び掛け直すとそのままに境内の階段を登っていく。
     ガサガサと左手で揺れている手土産の中身はわらび餅だ。盆休みの土産にと職員からもらったものが美味しく、せっかくだからと取り寄せて差し入れに持ってきた。みたらしや抹茶、和三盆を好むのならこれも好きだろうと安直な理由づけだ。
     
     階段を登り切るとそれまで滲む程度だった汗が額や首からどっと吹き出した。太陽に近付いたせいか、階段下より暑い気がする。蝉の声は三六〇度全方位から聞こえてくる。暑さ、湿度、蝉の合唱。夏の風物詩とは言え一斉に浴びると不快指数が上がるだけである。
     獄は涼を求めて足早に寺務所の方へ向かっていく。
     入り口の引き戸に手をかけたところで、一つ声が聞こえた。それは先ほどから獄のイライラを募らせている騒々しい音ではなく、風鈴が鳴ったような心地よい音色だった。
     音の出処を探して獄は寺務所の外をぐるりと回る。止まない蝉の声だけでなく自分で砂利を踏みしめる音さえも邪魔で、自然と忍び足になる。
     声の出処は寺務所奥の、縁側に面した客間からだった。最初ははっきりとしていなかったその声だが、近づくとどうやら経を読んでいるらしい。だが僧侶の独特なあの声とは全く違う、歌声に似た軽やかな声だった。
     縁側から中を覗き見ると、そこには正座をした背中があった。獄はサングラスを外して目を凝らす。背筋をスッと伸ばした姿勢のいいその後ろ姿は、ゆったりとした作務衣姿の上半身だけでもスラリとした体躯が見て取れた。そして束ねられ、細く長く垂れ下がった後ろ髪は光沢を帯びた黒の中にさらに艶めく金糸が混ざっている。
     十四は随分集中しているのか獄には気付いていないようだ。手元に視線を落としたまま、控えめながらよく通る声で経を読み続けている。ライブやラップバトルで何度も十四の歌声を聴いてきた獄だが、この響きの十四の声は聞いたことがない。
    「白昼堂々、覗きか? 銭ゲバ」
     いつの間に立っていたのか、背後から声をかけられて獄はびくりと体を跳ねさせた。声こそ上げなかったが、揺れて大きな音を立てた手元のビニール袋に焦るとニヤけ顔の空却の腕を掴んで縁側から少し離れた木陰へと引きずっていく。
    「テメェ、普段は騒々しいくせになんでこんな時だけ物静かに近づいてくんだよ。それも後ろから」
    「あぁ? お前がぼーっとして気づいてねぇのがワリィんだろ。暑さでついに耄碌したかオッサン?」
    「暑さも年齢も関係ねぇだろ」
     チッと舌を打つと獄は再び視線を縁側の方へと向ける。十四の姿はここからは見えないが、経を読み続ける声はまだ聞こえていた。
    「どうしたんだ、あれ? 新しい修行か?」
    「まぁ、そんなところだ」
    「今さらだな。まず最初にやることだと思ってたが」
    「十四はメンタル鍛えに来てるだけで、別に仏教を学びに来てるわけじゃねぇから要らねえと思ってたんだが、急にやりたいって言い出してな」
    「十四が?」
    「どうも、親父の入れ知恵もあったみてぇだがな」
     楽曲やバンドの世界観はどちらかと言うと西洋寄り。何故十四は急に経を読むことに興味を持ったのだろうか。
    「獄、えこうって知ってるか?」
    「えこう?」
    「自分の積み重ねた徳を、他者に分け与えること。それが"回向"だ」
     そう言うと空却は「え、こう」とつぶやきながら雲ひとつない空に向けて二つ文字を書いた。
    「『経を読む』ってのは功徳を積む行いの一つだ。経を読んで積んだ徳は死んだやつや他の縁者に分け与えられ、そうして皆一緒に極楽浄土への道を開くことができるって考えられている」
     極楽浄土という言葉に獄は少しだけ目を見開いた。そのまま十四の方を振り返る背中に向かって空却は鼻で笑う。
    「おい、何がおかしい」
    「いや、お前は全く十四の成長が見えてねぇんだなと思ってよ」
    「はぁ?」
    「確かに信仰は心の支えになるが、傾倒しすぎるのは逆効果だ。文字通り自分の足で立ててねぇってことだからな。だが拙僧の弟子をそんな軟弱なヤツじゃねぇ」
    「別に俺は――」
     しかし空却は獄の顔の前に手を翳し、その言葉を遮る。
    「十四のヤロウ、経の言葉の意味を教えてやったあと、なんて言ったと思う?」
     
    『自分、やっぱりまだ仏様が何を言いたいのかちゃんと理解できてないっす。ただ、亡くなった人も生きてる人も穏やかになれますようにって想いが詰まってる言葉なのはなんとなく分かるっす。ただそれは歌と同じで、歌わないと、唱えないと届かなくて』
    『いろんな人に助けてもらって今の自分があるっす。それにお返しをする方法はまだ全然わからないんっすけど、その人たちがせめて穏やかに過ごせますようにって、その想いを込めて唱えてみようかなって』
     
    「―― 十四はな、回向っつー損得勘定は抜きにしてただ自分が世話になったヤツのために経を読んでんだよ。それは本当に仏さんが広めようとした本質を、アイツなりに掬い取ってるってことなのかもしれねぇ」
     十四らしい理由だと獄は素直にそう思った。
    「どう思う?」
    「何が?」
    「十四の読む経だよ。お前にはどう聞こえる?」
    「どうって……」
     そう問われて獄はもう一度耳を傾ける。
    「なんつーか、不思議な感じがする」
     経を読む声というのは獄にいやでも兄の葬儀のことを思い出させる。だから今でも好きになれないのだが、十四の読む経には別の感慨が浮かんでくる。
    「良い音、だな」
     それはステージの上で兄のギターを弾いてくれたときに抱いた感情とよく似ていた。
    「そうかい。なら、〝合格〟だな」
     にんまりと笑った空却は、経を読む十四の声の方へ視線を向けている獄の左手からビニール袋を掠めとる。
    「あ、おい!」
    「もうちょっとで読み終わりだ。お前はそこで傾聴しとけ」
     取り返そうと手を伸ばす獄を躱した空却は中のわらび餅を見てヒャハと声をあげる。
    「せっかくだ、拙僧が直々に上手い茶を入れてきてやるよ」
     手土産の袋を掲げて走り出した空却に向かって獄は一つため息をつく。
     そして再び視線を十四のいる方へと戻した。
     ライブで聞く歌声に込められた聞く人々を魅了するまっすぐな力強さとはまた違っている。
     軽やかなソプラノはそっと寄り添ってくれるようで、日々の生活でささくれ立っていた獄の心を安らげてくれる。
     寺に植えられた木々の葉を揺らす心地よい風が吹いた。獄は雲ひとつない夏の青空を見上げる。そしてこの風に乗って遠くまで、高くまでこの優しい声が届きますようにと密かに願った。
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