君と話がしたいのだ「好きだなぁ」
ロッカールームで無意識にこぼれた千早の本音。泡沫のように消える前に藤堂がそれを易易と拾い上げた。
「俺も」
キャッチボールのように言葉を返すと珍しく千早がそれを取りこぼした。
イップス克服のための練習の時ですら必ず捕球していたのに珍しいと藤堂は顔をあげて千早の顔を見る。
「俺今なんて言いました?」
耳まで真っ赤なのに額から目元はやや青白い。器用な男は顔色も自由自在なのかと感心する。
「好きだって言うから。オレも好きだって返した」
藤堂からしたら僥倖だった。最近気になる相棒から好意を伝えられて断る理由はない。むしろ千早も同じように思ってくれていたならこれ以上の幸運は無かった。
この後藤堂のそんな思いを知る由もない千早に言うつもりはなかったので忘れてくださいと泣かれたのは予想外だったが、とにかく二人はこうして恋人関係となったのである。
それから一週間。
藤堂は早くも恋人のことで一人悩んでいた。
『千早って意外に喋んなくね……?』
初めての恋人に浮かれていたが気づけば自分ばかりが喋っているような気がして藤堂は授業中にもかかわらず会話を振り返る。
例えば朝駅で会ったとき、挨拶はするがその後の会話は昨日テレビでみた試合の話や宿題やったかなんて話を切り出すのは藤堂からだ。千早も軽く頷いて会話に花は咲くが口数の多さは圧倒的に藤堂のほうが多い。
例えば教室。クラスメートとそこそこに会話をする藤堂の横で千早はと言うと音楽を聴いているか予習をしているかで素っ気がない。千早に会話を振ればイヤホンを外して参加してはくれるが振らないとそのまま、会話に入ってくることはない。
例えば昼休み。野球部でまとまって昼食を取るが千早からなにか話題が提供されることはあまりない。会話には入るが辛辣なツッコミか笑い声を上げるのみで千早のパーソナル的ななにかが語られることはない。
半日分を思い返しただけでこれだ。この後もほぼ同様なのは想像に難くない。
ノートの隅に千早の知っていることを書き出す。
野球に関連することはすらすらでてくるのに家族構成や、誕生日、血液型はよく考えたら聞いたことがない。好きなものは多分音楽、多分おしゃれなもの、嫌いなものはJ−pop。
『千早のことなんも知らんな俺』
これからゆっくり知っていけばいいと思ったが今すぐに知りたいことばかりが溢れて止まらない。
これが人を好きになることなのかと十六年間生きてきて初めて知った。
浮足立つ気持ちをなんとか抑えようとずるりと長躯を丸めてそのまま目を閉じた。すぐに眠気が押し寄せる。
隣で千早が柔らかく微笑んでいたのを藤堂は知らない。
「というわけで千早さん」
「どういうわけでしょうか藤堂さん」
練習終わりのバッティングセンターに二人はいた。ただ聞いても答えてくれるわけはないと踏んでのことだった。
「勝負しよ。俺が勝ったら打った数だけ千早に質問するから絶対答えろよ」
「負けたら?」
「千早の言うこと何でも聞く」
グローブを嵌めてバッドを構えまっすぐにマシーンを見つめる。千早からの返事はなかったが肯定の意だと受け取って一打席10本勝負が始まったのだった―
結果はすぐについた、両者打率六割。つまるところ引き分けである。
「千早もっかい」
「いいですよ、藤堂くんの勝ちで」
「まじで!?」
「俺になにか聞きたいことあるんでしょう」
子供のようにはしゃぐ藤堂に呆れたように笑ってグローブを脱いだ。おそらく藤堂が勝つまで続けられる勝負になることは目に見えていた。
「歩きながらでいいか」
「いいですよ」
そそくさと荷物を纏めて二人はバッティングセンターを後にし駅までの道すがら藤堂は千早の事を聞いた。
「誕生日いつ?」
「九月二十八日ですけど」
「まじかよ終わってんじゃん」
「藤堂くんは八月ですよね」
「三十一な。夏休み最終日で祝ってもらえた試しねぇんだよな」
「来年祝ってあげますよ。」
当たり前のように来年の約束をしてじんわりと頬が熱くなる。晩秋というのに千早といると熱くて仕方がなかった。
「俺も。千早兄弟いんの?」
「一人っ子ですよ」
「ぽいわ」
「なんですかそれ。姉妹がいるってどんな感じですか?」
「俺のことはいいだろ」
すぐ自分に話をさせようとする千早の聞き上手さに藤堂は丸め込まれないように必死だった。おそらく姉妹ではなく妹と聞かれていたらまたどれほど可愛いかを語ってしまうところだった。今日ばかりは姉に感謝をする。
「好きな人のこと知りたいって思っちゃだめですか?」
きゅる、と音がしそうなあざとさで話の先をねだる千早に藤堂は目を細めた。
「俺だって千早のこと知りてぇし」
「それで、勝負を?」
「わりぃかよ」
「そんな回りくどいことしなくても普通に聞けば良いのに馬鹿ですね」
「千早あんま自分のこととか喋んねーからいいたくねーのかと」
「そうですか?」
「そうですよ」
少しむくれる。そもそも千早がもう少し自分の事を話してくれたらこんなまどろっこしいことはしなかったと愚痴のようにこぼす。
「自分のこと話すのあんまり得意じゃないんですよね」
自分の押し売り見たいで。という言葉を飲み込んであははと笑って誤魔化した。
シニア時代のチームメイトは聞いてもいないことをベラベラと喋っていたのを思い出す。あれが鬱陶しく当時のコンプレックスを刺激してきたものだから自分の事をますます話さなくなったのかもしれないと千早は内心で分析していた。
「ほーん?」
「けど、藤堂くんのことは本当に好きですよ」
突然の気持ちの吐露に藤堂は面食らう。得意ではないと言っておきながらも気を遣い、欲しい言葉を掛ける優しさに藤堂は言葉が詰まる。
「……知ってる」
震える声でどうにかそれだけを伝える。
「あはは……何いってんですかね俺ら」
「いいじゃん。まさに青春ってやつ?」
「これがそうだってんなら案外悪くはないです」
「んだよ、素直にいいって言え」
じゃれつくように千早の肩にもたれかかった。重いと文句をいいながらもそれを払うことはなくいつもよりゆっくりと駅までの道を二人は歩く。
恋愛初心者の二人の恋路のスタートは今ようやく切られたのだった。