Will You Merry Me?ちょうど休みが重なったからという理由で藤堂から千早を週末デートに誘った。
高校三年の秋から付き合い始めてもう5年が経過しているが二人は未だ様々な事情で同棲はしていない。
付き合って5年の間に千早は大学進学、就職を経て今は社会人生活をスタートさせて、一方で藤堂は無事球界入りを果たしメジャーに移籍が決定したタイミングでのデートの誘いだった。
良いですよとメッセージを送ってソファに仕事で疲れた身体を投げ出した。何もする気が起きない。
週末のデートは楽しみだがここらで限界かと千早は目を閉じ考える。疲れているとどうにも良くない思考になりがちで、今回のデートがおそらく最後なのだろうと予測した。
「あーーーーーーー別れたくないなぁ」
クッションに顔を埋めて言葉をこぼす。
正直別れ話を切り出されてもおかしくないタイミングだ。なにせ相手はもう有名人。雲の上の存在だ。
会える回数は週に1度数時間会えれば良い方で、先月、今月に至っては一度も会えていない。おまけに追い打ちをかけるようにメジャー移籍の吉報であるが千早にとっては凶報でしかなかった。
ソファの上で器用に寝返りを打ってスマホを開く。ヤッターとバックに花を咲かせて喜ぶゆるキャラのスタンプと時間と待ち合わせ場所が書かれていた。スタンプで素早く返事をしてそのままニュースアプリを開いてスポーツニュースに目を通した。藤堂選手がメジャー移籍と華々しく書かれた記事と高校の時から何一つ変わらない無邪気な笑みの藤堂の写真を愛おしそうに眺める。
「遠距離は無理だろ……」
普通に考えて潮時。
これからは互いにフリーになって適当な相手を見つけて程々のタイミングで結婚して子供を育てて老いて死ぬのだ。子供が男の子なら野球をさせるだろうか、自分が見ていて辛くなるから球技はさせないだろうか。女児だったら結婚なんて認めないと突きつける日が来るのだろうかと無意味な妄想をする。もしかしたら一生独り身で藤堂のことを思って死ぬのかもしれない。それも大いに有り得ると同時になんて退屈な人生プランだと鼻で笑う。
「藤堂くん……」
泥のように重い体に重い思考。どうでもいいと全てを投げ出すように千早は着替えもする体力もなく目を閉じた。
迎えたデート当日、設定された場所が少し高めのフレンチだったので千早はいつもよりもかっちりとした服に袖を通した。
白シャツに赤褐色のネクタイを締めてブラウンのジャケットとパンツのセットアップに同色の革靴。全身を見ておかしくないことを確認した。これから別れ話を切り出される、もしくは自分から切り出さなければならないというのにしっかり見た目だけは体裁を整える自分に自嘲しながらも約束の一〇分前に付くように家を出る。
足取りは重たかった。いっそドタキャンしてしまおうかと何度も思ったが、2ヶ月ぶりに会えるのが嬉しく思う自分もおり胸中は嵐が吹き荒れていた。
約束の一〇分前というのにそこにはすでに藤堂の車があった。愛車の黒いレクサスは相変わらず存在感がある。千早の存在を視認するとすぐにドアの鍵が開いた音がして千早も素早く乗り込む。
「久しぶりですね」
「会いたかった」
長い腕が伸びて千早をきゅっと抱き寄せた。ふわりと香る藤堂の匂いに陶酔し、やっぱり好きだと強く認識してしまいじわりと目頭が熱くなる。
「俺もです」
なんとかそう呟いて離れて藤堂をまじまじと見つめる。服装のチョイスは正解だったようで藤堂も今日はフォーマルな出で立ちだった。黒のセーターに深緑のセットアップに革靴で、髪は一括りにされていた。
「それ、前に一緒に選んだやつですか?」
「どう?似合う?」
「馬子にも衣装ですね」
「褒めてるって事?」
「さぁ、どうですかね」
いつもの調子で会話をして予約していたレストランに向かう。
レストランではいつも通りの会話をしていつも通りを必死で装った為食事の味は良くわからなかった。千早は飲んで良いと言われて進められるがままに口にしたワインも正直味が良くわからず喉を通過していった。
結局千早からは別れ話を切り出せず二人は店を後にする。
「この後……どうするんです」
緊張した面持ちでこの後を尋ねる。家に帰るというのならば今ここで切り出すしかないと決意を固めた。しかし、意に反して藤堂は見せたいものがあるとだけ言って再び千早を車に乗せて行き先を告げないまま車を発進させる。千早は少しだけ別れを先延ばしにされてこっそりと安堵の息を付いた。
「見せたいものってなんですか」
「ナイショ」
そのまましばらく移動していたが途中で藤堂は車を止めてダッシュボードからアイマスクを取り出した。
「目隠し……していいか?」
「どんなサプライズ用意してるっていうんです?」
「いや…その……」
「変な藤堂くん。いいですよ」
相当見られたくないのかと千早は了承して渡されたアイマスクを装着する。何処かに間もなくついて車から降りた後もアイマスクは外されること無く手を引かれるがまま藤堂にいざなわれる。
風が強く吹きすさび轟音が響く場所に連れてこられただけはわかる。いつまでつけれてば良いんですかと文句が出そうになったところでようやく藤堂の手で恭しくアイマスクが外された。
眼の前にはヘリコプターが一基。すでにエンジンは始動しておりいつでも離陸できる体制で待っていた。意味がわからず藤堂とヘリコプターを何度も視線が往復する。あまりの衝撃的な出来事に酔いは完全に醒めてしまうほどだった。
「たまにはいいだろ」
「たまにって」
これがいよいよ最後のデートかと思うにふさわしい大盤振る舞いで千早は複雑な顔をする。しかし、ここで最後の思い出作りも悪くないとそれ以上は何も言わず促されるままヘリコプターの中に乗り込んだ。
飛行機のよりずっと揺れるそれに驚きつつも間もなく安定して外を見渡す余裕が出来て千早は外の景色に目をやった。はるか地上では光が無数の星のように輝いている。
「最後に悪くないです」
「最後?」
「……あはは」
「あ、千早、あそこ見て欲しい」
「?」
千早の方にグッと身体を寄せて藤堂はあそこ、と指をさして視線を誘導した。野球場が見えて懐かしさに千早の目が細くなる。あの頃に戻れたらどんなにいいかとじわりと涙が滲んだ。ふと野球場に何か文字が見えて千早は思わずメガネを外して涙を乱暴にぬぐってそこを凝視した。
人工物、おそらくライトの光が文字になっているようだった。きゅう、と目を細めて文字を読む。
「Merry…Me……?」
見間違いかと思ったが見間違いではない。そしてこれはどう見ても自分へのメッセージでしかなくて千早は思わず藤堂の方を見た。瞬間的にばふ、と顔面に柔らかい何かがぶつかりむせ返るようなバラの匂いと赤が視界を埋める。
「わぷ…っ……なん、」
「結婚しよ瞬平」
「へぁっ……?」
「ずっと隣にいて欲しい」
その言葉を聞いて千早の思考は一瞬でぐちゃぐちゃになった。
―プロポーズされた?結婚?俺と?していいの?してくれんの?一緒にいて良いの?
別れを切り出す予定だったのにプロポーズされると思っていなかった千早は言葉を失った。これは現実か夢かも区別がつかず混乱しながらもバラの花束を震える手で受け取ってようやく藤堂の顔を見た。
真剣な表情だが顔色が薔薇の花に負けないくらいに赤く、藤堂の手もまた緊張で小刻みに震えており、これは紛れもない現実だとようやく理解する。
涙腺が思わず緩んで泣くつもりが無いのに大粒の涙がこぼれて見られまいと思わず頭を下げた。嬉しさで泣くことが本当にあると思っていなかった。初めて経験する感情だった。
「あは、あははははは」
「瞬平……」
涙をこぼして笑い出した千早に藤堂は不安と困惑の交じった声をあげつつも返事をじっと待った。ひとしきり笑ってから千早は手の甲で涙を拭って顔をあげた。憑き物が全て落ちたかのような晴れやかな凛とした表情だった。
少しまだ震える手で花束からバラを一本だけ抜いて藤堂のジャケットにそのバラを挿し込む。そのまま在りし日の還る先であるホームベースを見つめる瞳と同じくらいの熱視線を向けてゆっくりと唇を開いた。
「俺で良ければ喜んで、葵くん」