媚薬だと思って飲んだものが媚薬じゃなかった、のひよあん「ね、あんずちゃん。これなんだと思う?」
ちゅる、と唇を舐められて、ようやく深くて長いキスが終わると。ふかふかの枕に頭をあずけながらぼんやりと目を開ければ、日和が楽しそうにあんずを見下ろしていた。小さな瓶を揺らしながら。
ぱちぱちとまばたきを繰り返して涙をはらい、その小瓶に貼られたラベルを見る。何が書いてあるのかと目を凝らしてみるけれど、どうやら日本語ではない言語で書かれていて、あんずにはよく分からなかった。
「ええと、分かんないです。なんですか?」
「んもう、少しは考えて欲しいね! でもまぁ、あんずちゃんに分かるわけないか」
日和は腰に手を当てながら、ふふん、と得意気に口角を上げた。分からないのは事実だけれど、それなら初めから聞かないで欲しい。あんずは、む、と眉間にしわを寄せて日和を睨んだ。けれど特に効果はなく、そんな顔しないの、なんて言われながら人差し指で眉間をつつかれた。
その反射で目を閉じてしまったのがよくなかったのかもしれない。気づけば耳元に気配を感じて、ハッと目を開けるとふわふわのシャルトリューズの髪が視界いっぱいに映った。
「⋯媚薬、だね」
「⋯⋯びやく、」
内緒話をするように手を当てて何を言うかと思えば、声にのせられたのはおおよそ日和の口から飛び出すような単語ではなかった。少なくともあんずは日和からそんな単語が飛び出るとは思わなくて、思考が停止して、聞こえた音をそのまま口にすることしかできなかった。
「うん、媚薬。あれ、もしかして知らない? 飲むと性欲とか感度とかが上がるっていう」
「し、知ってます! 知ってますから、あの、それ以上は言わなくていいです⋯! 言わないでください!」
ところが、あんずの態度を見た日和は、あんずが媚薬そのものを知らないのかと捉えたようだった。首を傾げながら媚薬がなんたるかを話し始めた日和の口を慌てて両手で抑えた。
あんずは混乱した。こんなの混乱しない方がおかしい。どうして日和が媚薬なんて持っているのか、どうやって媚薬なんて手に入れたのか、本当にそれは媚薬なのか、どうしてこのタイミングで媚薬を出してきたのか。今起こっていることが理解できなくてぐるぐる考えていると、ぴちゃ、と手のひらを舐められて、あんずは日和の口からパッと手を離した。
「な、なに、」
「はぁ、苦しかったね。まったく、そんなに押し付けられたらまともに息もできないね!」
「そ、れは、ごめんなさい。でもだって、日和さんが急に変なことを言うからで⋯!」
「変なこと? って、なんのこと?」
「う⋯、び、やく、とか⋯、せいよくとか、なんとか⋯」
とてつもなく恥ずかしい。先ほど日和が口にした言葉を言うのもだけれど、それ以上にじっと日和が見つめてくるのが恥ずかしい。その熱い視線にいたたまれずゆっくりと日和から目をそらす。けれど、逃げられなかった。頬を大きな手に包まれて、瞼がぴくりと動く。促されるままに視線を戻せば、ゆるく細められた瞳とかち合った。
「別に変なことじゃないと思うけどね? 何が変だと思うの?」
「え⋯」
そんなふうに問われてしまっては、何も言い返すことなんてできなかった。一般的に公の場で口にするのは憚られる言葉ではあるけれど、変な言葉かどうかと言われたら、特に、変というわけではない。
口を噤んだあんずに、日和はくす、と笑った。親指であんずの下唇を少し押すと、隙間から真っ赤な舌が微かに見えた。
「ね、変じゃないでしょ」
「う⋯」
「じゃあ、はい、あーんして」
「っえ、」
そう言うと、日和は媚薬と言い張るそれを自らの口に流し込んだ。これからされるかもしれないことが脳内を駆け巡って、あんずは言われるがまま導かれるままに口を開けてしまったことを後悔した。
「んぅ、」
案の定、唇が重ねられて、半開きになったそこへ液体が流し込まれる。ちょっとずつちょっとずつ、毒を慣らしていくかのように舌伝いに飲ませられて、拒否しようにも拒否できなかった。仕方なく喉を鳴らすと、さらにまた飲まされる。まるで拷問されているみたいだった。顔は掴まれ、唇は離されず、得体の知れない液体を飲まされている。じわりじわりと液体が身体中に行き渡っていく感覚があんずを襲った。もし液体が毒だったらもう死んでるかもしれないけれど、そういう苦しさはまったくないので、どうやらこれは毒ではないらしい。そもそも日和が毒なんてあんずに飲ませるわけがないのだけれど。でも、もうそれが液体のせいなのか、それに混ざった日和の唾液のせいなのか、もしくは自身の唾液のせいなのか、分からなくなるくらい芳香な甘さがあんずの脳を麻痺させていた。
こくり、こくりと大人しく液体を飲み込んでいく。舌の表面に伝うそれをまたこくりと飲むと、もう液体は流れてこなくなった。ようやく解放される、と思ったのもつかの間、根元から先端に向かって舌の裏面をゆっくりと舐めあげられた。
「ふ、ぁ⋯⋯ん」
ざらざらした表面を擦り合わせられたかと思えば尖らせた先端でつつ、と撫でられて、おまけにぢゅう、とゆっくり吸われる。口内をめちゃくちゃにされるたび、身体があつくなって、頭がぼうっとしてくる。いつものキスでもそうなってしまうけれど、その体温の上がり方が、思考の酔い方が、いつもと違う気がして、あんずは両手で日和の服を掴んだ。宥めるように上顎をじっくりと舐められるも、身体はおかしくなるばかりで、ぽろりと涙がこぼれた。とんとん、と必死に日和の胸を叩けば、ぬるりと舌が口内から出ていって、余韻もそこそこにこつんとおでこを重ねられる。
「どうしたの?」
不思議そうに見つめられて、あんずはふるふると首を横に振ることしかできなかった。とりあえず、混乱した様子のあんずをなんとか落ち着かせようと、日和はそっと頭を撫でる。その髪からは仄かに柔らかなフローラルの香りがした。
「なんか、からだ、おかしくて」
「うん? おかしいって?」
「だって、わたし、⋯こんなにすぐ、へんにならないのに」
はやく、ひよりさんがほしい。
自分に引き寄せるように、あんずは日和の首にぎゅうっと腕を回した。